散日拾遺

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消防に要望

2020-05-06 10:13:27 | 日記
2020年5月6日(水)
 午前9時45分、朝の散歩に出ようとマンションのドアを開けたら、目の前を急ぎ足に通り過ぎたのが消防服である。その背中が3室向こうの突き当たりへ向かっていき、見ればフロアに消防士が3人、警官が2人、焦げ臭いにおいがプンと鼻をつき、うっすら煙が流れてきた。
 あわててドアを閉じ、あらためて恐る恐る細めに開いて様子を窺った。消防士はどんどん数を増しホースが延ばされ、静かな回り廊下が消火の現場に変貌した。
 そういえば数分前に消防のサイレン音が聞こえたが、何とあれはうちだったのか、ベランダ側から新たなサイレン音、「煙くさい、避難しなくていいのかな」と話し合っているとスマホに着信、近隣に住む次男からの電話である。
 消防のサイレンがうるさいので様子を見に出たら、マンション前が大騒ぎになっている、大丈夫かと写メを送ってきた。そうか、こちらも写真で知らせるのが早いと、ドアから半身を乗り出して1~2枚撮ったら消防士が向かってきた。
 「カメラは止めてください」
 それだけ言うと行ってしまった。
 しばらく室内で待機していたが、外の騒ぎは大きくなる一方、こちらの不安もつのる一方である。ドアの隙間から数えてみたら消防士が15~6人に警官が3人、外には消防車が少なくとも3台(後刻あらためて情報を総合したところ、実は5~6台!)、結構な大規模出動ではないか。突き当たりのドアが開いて室内が覗かれる、そのあたりは通勤電車内のように人が群がり、皆こちらに背を向けている。他のドアからも心配そうな顔が覗いているのを見ていたら、不安とともに怒りが湧いてきた。

 こういう時に性格が出るもので。
 ドアを大きく開いて大音声に呼ばわった。
 「すみません、どなたか状況を説明してくれませんか、何が起きているのか私たちにはまったく分かりません!!」
 1ダースを越える消防士群は振り向いただけで誰も反応せず、代わりに警官が飛んできた。
 「クロワッサンを焼きすぎたらしいんです。黒焦げにして煙が出たんですが、火は全く出ていませんので」
 「避難の必要はないんですね?」
 「避難の必要はないです。」
 「ありがとうございます。それだけ教えていただければ安心できます。」

 やがて騒々しさは引き潮のように退いていき、午前11時には消防車も全て撤収して、何事もなかったような連休午前の静けさである。突き当たりの部屋だけが依然ドアを開け放ち、消防士が2~3人、室内を見ながら住人に聞き取りを行う様子。
 まもなく予報通り雨が降り出し、その前に散歩をと目論んだのがこの1時間余の騒ぎで沙汰止みになった。

 消防という仕事の厳しさ貴さはよく承知している。そのために命がけで奔走する姿に敬意を表すること人後に落ちない。とりわけ1秒が大事な火事の現場で、消火と救助以外の仕事が後回しになるのは致し方ないと思う。
 ただ、今朝のわがマンションの場合、少なくとも5階フロアの10室は壁を接した運命共同体である。その一軒に異変があったら直ちに全戸が適切な行動をとらなければならない。駆けつけた消防士に、何を置いてもまず説明しろなどとは言わない。しかし、後続が合流してフロアに15人、内外あわせて30人が集合したのなら、そのうちのひとりふたりを近隣とのコミュニケーションに当てるという発想はないものだろうか。
 10m先のボヤ騒ぎをドアの隙間から窺う当方に対して、消防士がかけた言葉は「写真を撮るな」の一言だけである。おもしろ半分に写メを撮りまくる野次馬対策の決め事であろうか。こちらは野次馬どころではない、今にも延焼してくるかと不安に駆られ、現状を記録し外で心配している家族に知らせたくての行動であること、理解してほしいものだ。
 そして「写真を撮るな」と注意するヒマがあるなら、あわせて「火事ではない、安心して」と一言添えてほしかった。たまりかねてこちらが求めた時でさえ、声に応じて状況を伝えてくれたのは警官であって消防士ではなかった。事後にも声かけなど一切なく、まるで置物のようにこちらの面前を通過していったのである。
 勇敢で献身的な消防隊員御一同に、感謝しつつも考えてほしいこと、火災時に「逃げなさい」と叫ぶだけでなく、火災でない時に「逃げなくても大丈夫」と伝えるのも、あなた方の大事な仕事ではないですか?

 一般に関係者との情報共有やコミュニケーションの不足、とりわけ当事者・準当事者の不安を軽減する配慮の欠如は、医療を含む日本の組織活動の通弊と言ってよい。「大山鳴動パン一個」と次男の冗談で流せる当方と異なり、この通弊によって命が細るような思いを舐めさせられた最近の実例が、クルーズ船に隔離された人々である。



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