2020年5月4日(月)
テサロニケⅠの5:16-18、原文は短く平明であるが、それでも各国語の訳文に揺らぎがあるのが面白い。
「常に喜ぶ」とは、「喜ぶ」という動作か「喜んでいる」という状態か。同じ英語訳でも、NEBは "Be always joyful." と状態を、NRSVは "Rejoice always." と動作を、それぞれ生かした訳をつくる。"Soyez joyeux." は状態、"Freut euch." は動作だろうか。日本語にも「喜べ」(文語訳)ばかりでなく、「喜んでいなさい」とする例(口語訳、新共同訳など)がある。πάντοτε(always / toujour / immerzu)という副詞は「状態」に馴染みが良いだろう。
「絶えず祈る」、これは「祈る」が動作なので、副詞も必然的に αδιαλειπτως(without ceasing / sans cesse)になる。continually というNEBの訳は、高校の教室で continually(= on and off)と continuously の違いを教わったことなど思い出して懐かしい。
さほど工夫の余地もない中で、「すべてのこと感謝せよ」の「すべてのこと」に注意を引かれる。 原語は単に εν παντι とあり、文字通り in everything だとすれば日本語訳の「凡てのこと」(文語訳)、「すべての事について」(口語訳)、「どんなことにも」(新共同訳)でよさそうである。しかし、ヨーロッパ人にはこのふんわりした表現がくすぐったいのだろうか。 "whatever happens" (何が起ころうとも)はまだ緩やかだが、"in all circumstances" とか "en toute circonstance" とか、「状況」に相当する言葉を補わないと落ち着かないようである。
とりわけ注意を引かれるのがドイツ語訳で、"Dankt Gott in jeder Lebenslage." とある。Lebenslage は Leben + Lage、この Lage は liegen(英語の lie) の派生語で、かつて「体位」などと訳されて隠語のように使われたが、もともと「位置、地勢、場所柄、姿勢、態度・・・」などを表わす多義的な基本語彙である。Lebenslage には「境遇」といった訳語が与えられるようだけれど、Lage の意味を汲むなら「人生がどのような状態にあろうとも/順境であろうが逆境であろうが」といったことになるだろうか。
結婚式の誓いで「健やかなるときも病めるときも」云々というのが、まさしく in jeder Lebenslage に当たる(はずである)。どんな状況にあっても夫婦が睦み合うように、いかなる境遇にあっても感謝を忘るなというのが、18節のススメということになる。
自分に判読できる訳の中で、このくだりはドイツ語訳の明確化の工夫に「技あり」を進呈したい。
で、現在のわれわれのこの境遇、いま感謝することはいかにも難しく思われるが、この時にそれを学ぶことができれば、人生の大きな収穫になるに違いない。自分自身について言えば・・・
(続く)