2020年5月15日(金)
これなども朋より来信の口である。M保健師とは数年来、毎週仕事で顔を合わせてきたのが、コロナ休業で珍しくも御無沙汰になっている。しばらくぶりに仕事上の連絡メールを交わした際、自然豊かな近隣の風景を写真で知らせてくれた。コロナ休業の思わぬ副産物である。
広域避難所に指定されている恵まれた地域で、公園の中に住んでいるような近さなのに、日頃は散歩の暇がないとのこと。こんな写真を撮れること自体、コロナ休業の副産物というわけだ。
↑ 中央の喬木は、おそらくクスノキ? ↓ そしてこちらは・・・
葉の様子からホオノキのようだが、違うだろうか?日本の樹木の中で一、二を争う長大な葉を、ちょうどこの季節に非常な勢いで茂らせる。朴歯(ホオバ)の下駄という、あの朴(ホオ)の木である。
以前に勤めたクリニックが街路に面し、ちょうど窓の前にこの樹が枝を張っていた。4月半ばを過ぎて裸の枝に芽が膨らんできたと思ったら、翌週には若々しい葉が威勢よく踊り出し、さらに翌週にはもう樹の全体が濃緑に装っている。思春期から壮年まで二週間ほどで駆け上がる様子が、週一回の勤務だけによく分かって季節の楽しみだった。
ある年に女性の患者さんが、部屋に入るなり窓外を見て「まあきれいな緑!」と叫んだことがある。この人は数年越しの鬱を患っていて、自分の鬱がそう簡単に治るはずがないと固く信じ、改善のきざしを指摘されると憤慨して反証を列挙するという風だったが、この時にはこちらが笑い出してしまった。押し問答の必要もない。季節の移ろいや自然の美しさに素直に感動できることが、ゴールの近さを雄弁に語っている。
近隣には水辺もある様子。さらにこんな一枚。
「5羽ぐらいで歩いていました」とのこと。これはムクドリかと思うが、どうだろうか?
ムクドリの存在を知ったのは、図鑑よりも童話が先である。濱田廣介の童話集12巻は今に至るまで宝物だが、たいせつにしている割に頁をめくることが少なかったのは、読めばきっと泣いてしまうと分かっているからである。『泣いた赤鬼』や『竜の目の涙』など、今でもそうだ。
『ムクドリの夢』は題名通り、ムクドリの見る夢を淡々と描いた小品である。ムクドリの子は母さん鳥が亡くなったのを知らずに帰りを待ち続け、父さん鳥はそれを寡黙に見守っている。ある晩ムクドリの子は夢を見、夢の中で白い鳥に出会う・・・やっぱりダメだ、とても書いていられない。
Mさんが撮ったムクドリは若いものかと思ったが、ネットの写真と引き比べてみるとそうでもないようだ。キジバトなら、当年巣立った若い個体を正確に言い当てることができる。これは松江にいた時分、先住者が残していってくれた手製の鳩小屋で、産卵から巣立ちまでを見守った経験のおかげである。
さして難しくはない。若いのはややほっそりして茶色が勝っており、壮年の個体がむっちりした灰色地で、首回りに緑色の光沢を輝かせているのと一見して違っている。
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