2019年8月22日(木)のこと
帰省から戻って仕事再開の途次に、神保町の囲碁将棋専門古書店に立ち寄った。坂田栄男著の古い定石解説書がほしかったからで、目当てのものは壁際の山の中にすぐ見つかった。
状態の良い古書がさほど高値でもなく、納得して勘定を払いながら見上げる目に映ったのがこれである。アカシヤ書店御主人(?)のお許しをいただいて撮影・掲載。
加藤一二三九段(1940年1月1日生)、「ひふみん」などと呼ばれてゆるキャラまがいにアイドル化した現状が、僕にはまだしっくり来ない。かつて「神武以来(このかた)の天才」と呼ばれ、プロ入りの最年少記録(14歳7ヶ月)をはじめ数々の驚異的な記録を打ち立てた。その傍ら早稲田大学に進んだ(後に中退)のも、1960年代の大学というものの今日とはまるで違った難度と意味を考えれば尋常ならぬこと。数字の示す戦績以上に、どこか通常の規とか尺とかいったものを横紙破りに破りかねない怖さがあり、絵に描かれた風神雷神を連想したものである。実際、破天荒な逸話に事欠かない規格外の人で、それが人気の一因でもあろう。
タイトル戦では初め大山康晴、次いで中原誠を相手に激闘を繰り返し、1982年の第40期名人戦では4勝3敗・1持将棋・2千日手、つまり実質十番という空前の鍔迫り合いの末、42歳で初の名人位を中原から奪取した。1950年代から1990年代まで5つの十年紀で一般棋戦の優勝を遂げたこと、19世紀・20世紀・21世紀の3つの世紀に生まれた棋士と公式戦で対局した史上唯一の棋士であること、自身を除く実力制の全名人経験者と対戦していることなど Wiki に紹介あり、活躍の長さは群を抜いている。
要するにたいへんな人なのだが、それだけに面白く感じるのは、後から出てきた天才たちに飛躍のきっかけを提供してもいることである。たとえば1988年のNHK杯4回戦、17歳の羽生善治五段(当時)の伝説的な5二銀打ち、解説の米長邦雄さんが「あっ」と声を上げ、ついで「強い坊やだねぇ」と賛嘆したあの一戦の相手が加藤一二三である。当今話題の藤井聡太七段(17歳)は、上記のプロ入り最年少をはじめ、大加藤の記録を次々に塗り替えることで早咲きの天才を証明してきた。そうした逸話の一々が加藤自身の勲章でもあるだろう。
カトリックの信心篤いことはよく知られている。「1分将棋の神様」と渾名されることについて、「神様と言う言葉は大切なもので、将棋の芸のすばらしさを表現するには他にいくらでも適切な言葉がある」とし、「達人」なり「名手」なり別の呼び方を望んだという。「アッパレ」を進上したい。
その加藤一二三の真筆である。聖書・聖人が大好きなひふみんの、いかにも彼らしい句の選択と筆致。
「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。
野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。」
マタイによる福音書 6:26-29
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