散日拾遺

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「の」と「が」の微妙な使い分け ~ 平家物語

2021-08-19 11:20:02 | 読書メモ
2021年8月19日(木)
 「ネズミの囓った跡がある」
 「ネズミが囓った跡がある」

 「の」も「が」も使えるというのは、外国人学習者にはさぞ頭の痛いところだろうが、その気で考えれば日本語人にも立派な頭痛の種になる。そもそもどう使い分ける?「が」の繰り返しは響きが美しくない、ぐらいしか思いつかない「が」、響きの美しさは文の美しさに関わる枢要のことでもある。
 ついでながら方言で特に別のルールがある場合を除き、助詞の「が」は是非とも鼻母音で発音したい。「いったんこのように決まったんです、が」などと however の「が」を強調する際に思いっきり「ga」とやられると、脊髄本管をがりがり削られるようで身もだえしてしまう。
 話を戻して「の」と「が」の違い、久しぶりに再読中の『平家物語』に使い分けの用例があるのを知った。

 さる程に、少将や判官入道も出きたり。少将取ってよむにも、康頼入道続けるにも、二人とばかり書かれて、三人とは書かれざりけり。
(巻第三『足摺』岩波文庫 平家物語(一) P.274-6)

 鬼界ヶ島に赦免の報せが届いたものの、三人の流刑人のうち二人の名があるばかりで俊寛僧都の名が見えない。それを確かめる場面であるが、この二人すなわち丹波少将こと藤原成経と、判官入道こと平康頼の間には、語り手の寄せる敬意に多寡の差がある。
 「「の」と「が」には待遇上の区別があり、「の」は敬意を含む人に、「が」は含まぬ人に対しも伊居る。つまり「の」がつく成経には大納言の子として敬意を払い、「が」を用いる康頼と区別したもの。」
(同上、P.275 注十四)
 その少し後、赦免の二人が俊寛僧都に形見を贈る場面でも、同様の区別が繰り返される。

 既に船出すべしとてひしめきあへば、僧都乗ッてはおりつ、おりては乗ッつ、あらまし事をぞし給ひける。少将形見には、よるの衾、康頼入道形見には、一部の法花経をぞとどめける。
(同上、P.278)
 
 主格ばかりでなく所有格においても、同様の区別が使えたわけである。「成経が俊寛のために生活上の必需品である夜具を残したのに対し、出家していた康頼が、残される友の心の糧として法華経を留めたことに留意」と注にある。苦肉の心遣りながら、いずれの形見も実を結ばなかったこと、後段で語られる通り。
 「の」と「が」の古語的使い分け、こっそり借用してみようかな。

Ω 

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