2017年1月17日(火)
お相撲の話になったので、ついでに一つ。
何場所か前のTV中継を見ていて、「あ」と気づいた。客席の中に、杉山・元アナウンサーの顔があったのである。これでも現役社会人なので相撲放送を毎日見られる身分ではないが、その後もたまたま見ているときに「あ」「あ、また」ということが重なった。国技館はじめ大相撲の取り組みに、観客として日参しておられるようである。昨16日は家で仕事の合間にTVを点け、「あっ!」と大きめの声、仕切りに入る東の力士の顔の真ん前に杉山さんの長めの笑顔、今日は砂かぶりだ、本当にお好きなんですね。
僕が相撲を熱心に見たのは1973(昭和48)年から1980(昭和55)年頃だろうか。花籠・二子山の阿佐ヶ谷勢や北の湖が主役だったが、それを伝えるテレビアナウンサーが北出清五郎さんと杉山邦博さん、この二人が主に担当した時期にちょうど重なってもいる。北出さんは1964年の東京五輪中継でも活躍されたと聞いており、やはり少し年上だったのだ(1922-2003)。
Wiki によれば杉山さんは1930(昭和5)年小倉の生まれ、熊本の陸軍幼年学校へ進んだとあるので我が父の少し後輩にあたる。敗戦時15歳、そこからキャリアを作り直した世代に属し、語るべきことはさぞ多かろう。1968年のメキシコ五輪中継でモンゴル人ただ一人のメダリスト、ジグジドゥ・ムンフバト(レスリング重量級・銀)の閉会式の表情を報じたが、その息子がやがて横綱・白鵬として角界に君臨すること、奇なる事実の好例である。
「泣きの杉山」と称されたことなど、当時僕は知らなかった。それでも僕が夢中になった情報の半ばは、この人の声に乗って耳に入ったのである。逸話の類いはすべてインターネットに譲る。僕にとって大事なのは、父親世代の一人の同時代人が好きな相撲を見るため毎日客席に足を運んでおられる事実、そして40年以上前のその人の声と顔が、心の壁紙のように今もしっかり定着していることである。
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こちらはもっと瞬間的・表面的なこと。新しい大河ドラマの二回の放映で、世間が子役らの活躍に注目している間、僕は主人公・おとわの父親である井伊直盛役のが気になっていた。どこかで見たのである。大河に出るのだから名の知れた俳優なんだろうが、僕はTVを見ないから俳優の名前なんか聞いてもわからず、ましてこういう既視感は珍しい。隔靴掻痒の感覚をもてあそんでいたら、第二回の最後でおとわがジョリジョリと自分の髪を切り始める、それを見た直盛が目を剥き大口を開いて絶叫する、その瞬間に思い出した。
『まんだら屋の良太』
ああそうだ、それですよ。これ、原作はマンガである。「九州にある架空の温泉郷と北九州市小倉を舞台にした連作艶笑漫画、作中の会話はほぼ小倉弁で語られるのが特徴」とWikiの要約。1979年から1989年まで『漫画サンデー』に長期連載された畑中純の人気作だが、決して文科省には推薦され得ないこの作品をなぜかNHKが1986年に実写ドラマ化した。その時の主演が杉本哲太、相手役が石野陽子だったのだ。由利徹、蟹江敬三、吉行和子、小沢栄太郎といった錚々たる顔ぶれで脇役を固めるのがNHKらしく、竹中直人も名を連ねていたりする。
ただ、それ以上の思い出はないのね。ドラマもほとんど見なかった。1986年というのがちょっと意外で、自分が覚えているからにはもう少し前のものかと思った。86年は医者になった年でこのあたりから暫くは忙しく、スポーツ・漫画・映画などの記憶が空白期に入る。その最後のページに、原作の頬の膨れた良太とは違って下駄の形の顔をした、いかにも不良少年あがりらしい俳優が、ヘンテコな仕草で踊っているタイトルバックが挿入されている。
それだけのことだが30年ぶりと思えば懐かしく、また「小倉」というキーワードで杉山アナウンサーと『まんだら屋』がつながるのも面白かったりする。自分自身の記憶ぐらい妙なものはない。
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