2014年8月13日(水)
涼しいのを幸い、朝のうちにお墓の掃除。
毎年不思議な気分になるんだが、このあたりの墓所を訪れると、何だか仏教渡来以前の日本の原風景を何ほどか垣間見るような感じがする。もっとも、火葬が定着しているという意味では after 仏教だし、梵語の書き連ねられた卒塔婆も散見される。墓所を営む家庭の大多数は、1kmほど離れた臨済宗の寺の檀家である。(わが家も曾祖父が改宗するまではその一員であり、檀家総代を務めたりしたようだ。この寺はなかなかの名刹で、とある畏き身分の方が卒業論文研究か何かで訪問されたという風説があったりする。)
同時に彼らは地元の神社の氏子でもあって、いかにも日本らしい神仏習合のありようだが、ここで言うのはそのことではなくて。
里山の一画を共同体の墓所とすることを申し合わせ、確たるルールもなしにそこをてんでに分け取りにし、暗黙の了解のもとに寄り合い所帯を代々運営継承していくその様子が、before 仏教というか超仏教的というか、何かひどく古くまで遡るもののように僕には思えるのだ。
1968年に父が「累代合塔」を建てた時は、無機質の墓石に、戒名と十字架マークの混在する墓標の組み合わせが目新しかった。今では、いわゆる猫足や戒名が減って眺めがいったいに非仏教化し、それでなおのことアイデアが古層に戻ったような感じがする。
もうひとつ、いつも思い返すのは、墓を営むあり方が社会の見事な縮図になっていることだ。家ごとに営む墓は、旧民法下の大家族制をそのまま地下に投影したものだった。そうであれば、核家族と非婚が常態となりつつある今の世の中で、墓所が廃れていくのはあまりに当然である。今後は散骨が標準形となっていっても不思議はないが、ただ、誰にも覚えられることなく孤独に去っていくことを、平然と受け入れるのは難しい。代わりの何かを求めるのが人情と思われる。
僕はひどく古風なやり方を息子たちに伝承しつつあるが、彼らがそれをどのように受け取るかは、お手並み拝見である。いずれにせよ、葬りは死者のためにでなく、生き続ける者のためにあるものだ。だからこそ、おろそかにできないのである。
***
日中は庭木の剪定など、気温は低いが日差しが強く、湿度が高いのでけっこう疲れた。日が翳った頃、父の号令で「大日」の薪炭林前の陽だまりへ、草刈りに出かける。「大日」と呼ぶのは大日如来の鎮座する小さな祠がその奥にあるからで、距離は屋敷から百メートル余りだがけっこうな傾斜があり、夥しい量の枯葉が狭い道に積もっている。草刈り機などを担いでそこまで往復するのが、父にとって目下最大の苦になっている。
担いでいくのは僕の仕事だが、エンジンをかけて草を刈り始めると3分も経たずにダメ出しされた。「ワシのほうが上手じゃ」と、草刈り機を取り上げられてしまう。まあ、そうでもありましょうが。仕方ないので鎌なんぞをふるっていると、15分ほどして奥から父が戻ってきた。「しんどなった」と子どものように笑っている。交代。
遅れて長男・三男もやってきた。こういう作業は人手があると物理的に捗る以上に、元気が出て心理的に助かるのである。高齢者だけの村で共同体を維持することに要する精神力は、想像の外というものだ。
***
今日はよく体を動かした。
風呂を浴びて一杯やり、さて休もうかと洗面所を使ったら、出たところで上から黒い塊が降って来て、裸の肩にぶつかって床に落ちた。
ムカデ!大きいやつだ。
この頃はすっかり殺生が苦手になって、ゴキブリを叩くのも気が咎める(今どきよくある「怖くて叩けない」のと全然違うよ)んだが、ムカデばかりは室内に同居できない。就寝前の一騒動とあいなった。
涼しいのを幸い、朝のうちにお墓の掃除。
毎年不思議な気分になるんだが、このあたりの墓所を訪れると、何だか仏教渡来以前の日本の原風景を何ほどか垣間見るような感じがする。もっとも、火葬が定着しているという意味では after 仏教だし、梵語の書き連ねられた卒塔婆も散見される。墓所を営む家庭の大多数は、1kmほど離れた臨済宗の寺の檀家である。(わが家も曾祖父が改宗するまではその一員であり、檀家総代を務めたりしたようだ。この寺はなかなかの名刹で、とある畏き身分の方が卒業論文研究か何かで訪問されたという風説があったりする。)
同時に彼らは地元の神社の氏子でもあって、いかにも日本らしい神仏習合のありようだが、ここで言うのはそのことではなくて。
里山の一画を共同体の墓所とすることを申し合わせ、確たるルールもなしにそこをてんでに分け取りにし、暗黙の了解のもとに寄り合い所帯を代々運営継承していくその様子が、before 仏教というか超仏教的というか、何かひどく古くまで遡るもののように僕には思えるのだ。
1968年に父が「累代合塔」を建てた時は、無機質の墓石に、戒名と十字架マークの混在する墓標の組み合わせが目新しかった。今では、いわゆる猫足や戒名が減って眺めがいったいに非仏教化し、それでなおのことアイデアが古層に戻ったような感じがする。
もうひとつ、いつも思い返すのは、墓を営むあり方が社会の見事な縮図になっていることだ。家ごとに営む墓は、旧民法下の大家族制をそのまま地下に投影したものだった。そうであれば、核家族と非婚が常態となりつつある今の世の中で、墓所が廃れていくのはあまりに当然である。今後は散骨が標準形となっていっても不思議はないが、ただ、誰にも覚えられることなく孤独に去っていくことを、平然と受け入れるのは難しい。代わりの何かを求めるのが人情と思われる。
僕はひどく古風なやり方を息子たちに伝承しつつあるが、彼らがそれをどのように受け取るかは、お手並み拝見である。いずれにせよ、葬りは死者のためにでなく、生き続ける者のためにあるものだ。だからこそ、おろそかにできないのである。
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日中は庭木の剪定など、気温は低いが日差しが強く、湿度が高いのでけっこう疲れた。日が翳った頃、父の号令で「大日」の薪炭林前の陽だまりへ、草刈りに出かける。「大日」と呼ぶのは大日如来の鎮座する小さな祠がその奥にあるからで、距離は屋敷から百メートル余りだがけっこうな傾斜があり、夥しい量の枯葉が狭い道に積もっている。草刈り機などを担いでそこまで往復するのが、父にとって目下最大の苦になっている。
担いでいくのは僕の仕事だが、エンジンをかけて草を刈り始めると3分も経たずにダメ出しされた。「ワシのほうが上手じゃ」と、草刈り機を取り上げられてしまう。まあ、そうでもありましょうが。仕方ないので鎌なんぞをふるっていると、15分ほどして奥から父が戻ってきた。「しんどなった」と子どものように笑っている。交代。
遅れて長男・三男もやってきた。こういう作業は人手があると物理的に捗る以上に、元気が出て心理的に助かるのである。高齢者だけの村で共同体を維持することに要する精神力は、想像の外というものだ。
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今日はよく体を動かした。
風呂を浴びて一杯やり、さて休もうかと洗面所を使ったら、出たところで上から黒い塊が降って来て、裸の肩にぶつかって床に落ちた。
ムカデ!大きいやつだ。
この頃はすっかり殺生が苦手になって、ゴキブリを叩くのも気が咎める(今どきよくある「怖くて叩けない」のと全然違うよ)んだが、ムカデばかりは室内に同居できない。就寝前の一騒動とあいなった。