散日拾遺

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引用感謝 ~ 身代わり地蔵の治療構造

2015-09-26 09:55:43 | 日記

2015年9月26日(土)

 「被爆二世」様、重ねてのコメントありがとうございます。ちょうど「希望」の項にいただけたことも幸いでした。

 『桜美林論集』のこと、取りよせて御覧くださったのですね。ずいぶんスムーズにお手に入ったようで少し驚いています。「共感」に強く心引かれていた時期に書いたもので、照れくさくもあり懐かしくもあります。こんな風に参照していただき、文字にしておいた甲斐がありました。当時、少し追加して一冊にまとめてみたいとも思いましたが、「共感」について書かれたものは既に数多く、屋上屋を架すに過ぎないのではないかと先延ばしにして10年経ちました。

 さしつかえなければ、御連絡先をお教えくださらないでしょうか?放送大学・生活と福祉宛てに、お葉書いただけましたら幸いです。

***

石丸 昌彦 先生

 小学校の校長先生から、石丸先生のBlogにコメントさせていただいた「母の被爆体験と被爆二世の思い」を各クラス担任の先生が読んで、小学6年生に伝えてもらったと報告をいただきました。

 さて、これまで、私は「もらい泣き」してしまう自分を「共感しなければいけないのにダメだ」と、否定しておりました。

 石丸先生から弁じていただいた言葉に励まされましたので、さらに深く知りたくなり、sympathyについて先生の論文を読ませていただきました。

 その中の「身代わり地蔵の治療構造」に自分と皆さんの姿を重ね、感銘を受けました。

 以下、勝手にすいません。引用させてください。

***

 私が病む.地蔵が病む.共に病む.私が地蔵を手当てする.私が地蔵に託した私を手当てする.

(中略)

 人が地蔵を慕っていくのは.こうした交感のネットワークへのアクセスを確認するためではないのか.身代わりとは身が代わること.自分が他の何者かになり.他の何者かが自分になることである.私は独りではない.二人であり.多数であり.そして一つなのである.

 石丸昌彦(2003) empathyについて  『桜美林論集』 30号  pp.21ー41

***

 (中略)

 あえて自分に涙を許すこともあろう.それを一段高次の意味であらためてsympathyとよぶことも、この語の正当な用法の内に数えて良いと思う.

 empathyとの対比においては常に損な役回りを強いられるsympathyのために.最後に一言弁じておく.

 石丸昌彦(2005)sympathyとempathy  『桜美林論集』 32号  pp.71ー83

 ***

  《母》が病む、《私》が病む、《共》に病む、《母》が《私》の手当てする、《私》から《母》に託した《私》を手当てする

 これが、交感ネットワーク

  《母》から《私》、《私》から《石丸先生》《校長先生》から《担任の先生》、《担任の先生》から《子供たち》へと多数へ共鳴し、sympatheticなネットワークの回復が起きて治癒が起きるだけでなく

 こうして、平和への願いが伝わるのではないかと、希望を持ちました。

 

  身代わり地蔵(弘明寺)

 http://tencoo.fc2web.com/jinja/xkg-gumyo.htm より拝借


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2 コメント

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イワンのバカ (被爆二世)
2015-09-29 21:23:23
トルストイの「イワンのバカ
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イワンのバカ (被爆二世)
2015-09-29 21:50:35
石丸先生

empathyとsympathyについてのご著書が出版される日を心待ちにしています。改めまして、大学宛にご連絡させていただきます。

トルストイの「イワンのバカ」の翻訳者
北御門二郎さんの生き方を描いた
「北御門二郎 魂の自由を求めて: トルストイに魅せられた良心的兵役拒否者 」
ぶな 葉一著
という本を読みました。

北御門二郎さんは、トルストイに影響を受け、
人を殺すくらいなら、殺される方がましだと、
処刑を覚悟で兵役を拒否し続けたとそうです。

私は、終戦当時14歳だった母から
「原爆で亡くなった叔母さんは、勉強が好きだったのに、国民学校で勉強できずに、学徒動員されて兵器工場で働かされていた。そこで、叔母さんは被爆したと思うけど、探しに行っても、みんな黒焦げになってしまって見つけることができなかった」
と、聞かされました。

あの当時、北御門二郎さんが学徒動員も出兵も拒み続けることが可能だった影には、当時の警察官や村長らの北御門さんへの共感があったかららしいです。

北御門二郎さんが、これを読んで不戦の想いを募らせたという「イワンのバカ」
wikiから少し引用します。

***
昔ある国に、軍人のセミョーン、布袋腹のタラース、ばかのイワンと、彼らの妹で啞(おし)のマルタの4兄弟がいた。

ある日、都会へ出ていた兄たちが実家に戻ってきて「生活に金がかかって困っているので、財産を分けてほしい」と父親に言った。彼らの親不孝ぶりに憤慨している父親がイワンにそのことを言うと、ばかのイワンは「どうぞ、みんな二人に分けてお上げなさい」というので父親はその通りにした。

3人の間に諍いが起きるとねらっていた悪魔は何も起こらなかったのに腹を立て、3匹の小悪魔を使って、3人の兄弟にちょっかいを出す。権力欲の権化であるセミョーンと金銭欲の象徴のようなタラースは小悪魔たちに酷い目に合わされるが、ばかのイワンだけは、いくら悪魔が痛めても屈服せず、小悪魔たちを捕まえてしまう。小悪魔たちは、一振りすると兵隊がいくらでも出る魔法の穂や揉むと金貨がいくらでも出る魔法の葉、どんな病気にも効く木の根を出して助けを求める。イワンが小悪魔を逃がしてやるとき、「イエス様がお前にお恵みをくださるように」と言ったので、それ以来、小悪魔は地中深く入り、二度と出てこなかった。

イワンは手に入れた宝で、それで戦争をしたり贅沢をしたりするわけではなく、兵隊には踊らせたり唄わせたりして楽しみ、金貨は女や子供にアクセサリーや玩具として与えてしまう。無一文になった兄たちがイワンの所にかえってくると、イワンは喜んで養ってやったが、兄嫁たちには「こんな百姓家には住めない」と言われるので、イワンは兄たちの住む小屋を造った。兄たちはイワンが持っている兵隊や金貨を見て「それがあれば今までの失敗を取り戻せる」と考え、イワンは兄たちに要求されて兵隊や金貨を渡してやる。兄たちはそれを元手にして、やがて王様になった。

イワンは住んでいる国の王女が難病になったとき、小悪魔からもらった木の根で助けたので、王女の婿になって王様になった。しかし「体を動かさないのは性に合わない」ので、ただ人民の先頭に立って以前と同じく畑仕事をした。イワンの妻は夫を愛していたので、マルタに畑仕事を習って夫を手伝うようになった。イワンの王国の掟は「働いて手に胼胝(たこ)がある者だけ、食べる権利がある。手に胼胝のないものは、そのお余りを食べよ」と言うことだけだった。

ある日、小悪魔を倒された大悪魔は、人間に化けて兄弟たちの所にやってくる。セミョーンは将軍に化けた悪魔に騙されて戦争をして、タラースは商人に化けた悪魔に騙されて財産を巻き上げられて、再び無一文になる。最後に大悪魔はイワンを破滅させるために将軍に化けて軍隊を持つように仕向けるが、イワンの国では人民は皆ばかで、ただ働くだけなので悪魔に騙されない。今度は商人に化けて金貨をばらまくが、イワンの国ではみんな衣食住は満ち足りており、金を見ても誰も欲しがらない。そればかりか、悪魔は金で家を建てることができず、食べ物を買えないので残り物しか食べられず、逆に困窮して行く。

しまいに悪魔は「手で働くより、頭を使って働けば楽をして儲けることができる」と王や人民に演説するが、誰も悪魔を相手にしなかった。その日も悪魔は、高い櫓の上で、頭で働くことの意義を演説していたが、とうとう力尽きて、頭でとんとんと梯子を一段一段たたきながら地上に落ちた。ばかのイワンはそれを見て、「頭で働くとは、このことか。これでは頭に胼胝よりも大きな瘤ができるだろう。どんな仕事ができたか、見てやろう」と悪魔の所にやってくるが、ただ地が裂けて、悪魔は穴に吸い込まれてしまっただけだった。
***
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