2019年8月19日(月)
うつ病 depression ないし抑鬱状態 depressive state は、さしあたり個人病理として記載・診断することができるし、その線上に治療を計画・実施することもできる、というか、現にそのように行われている。
他方、うつ病をある種のネットワーク/共同体からの脱落と見ることもたぶん成立する。「後れを取る」といった感じで、対極にある躁病 mania がネットワーク/共同体への過剰没入であることを考えるとわかりやすい。結局、敏先生の postfestum/intrafestum に戻るだけの話か。antefestum はさしずめ「先を越す」ということか。しかし、自分の稚拙な言葉で辿り直してみるのも大事なことで、30数年前に初めて学んだときは「祝祭」という言葉に注意が向きすぎて、個人と共同体の同調という側面に考えが至らなかったのである。しょうがないね。
「人は誰でも架空の党派の闘士として行動する、これは分かりきったことだから・・・」
(J-P. Sartre)
もちろんこれは「人は誰でも架空の共同体のメンバーとして生活する」と読み替えることができる。そのことである。そうした観点から精神病理学を読み直してみる、個の病理を、個と世界との同調の不全、小気と大気の交感の問題として読み替えてみる・・・
どうせまた計画倒れさと予感が皮肉に囁くが、切れっ端でも何かの役には立つだろうさと、寝ぼけ眼の楽観妄想。
Ω