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散日拾遺

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第五福竜丸/苦難の僕

2014-02-27 22:02:02 | 日記
2014年2月27日(木)

 御茶ノ水から神保町経由で渋谷、イザベルさんとクチブエ君が運営してくれている薬の勉強会へ。今夜も楽しく、あっという間の2時間だった。

 往きに明大裏の坂を上りながら、ふと思い出した。
 第五福竜丸の乗組員は、あの災難に関して責任がないというだけではない。
 それだけではすまない。
 僕らが被るはずの死の灰を、代わりに被ってくれたのだ。
 おしなべて苦難の渦中にある人々は、そのような貴い役割を知らず担っている。

 来週からレント、忘れてどうする?

***

わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。
主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。

乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のようにこの人は主の前に育った。
見るべき面影はなく輝かしい風格も、好ましい容姿もない。

彼は軽蔑され、人々に見捨てられ多くの痛みを負い、病を知っている。
彼はわたしたちに顔を隠し、わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。

彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに
わたしたちは思っていた、
神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と。

彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり
彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの咎のためであった。
彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ
彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。

わたしたちは羊の群れ、道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。
そのわたしたちの罪をすべて、主は彼に負わせられた。

苦役を課せられて、かがみ込み、彼は口を開かなかった。
屠り場に引かれる小羊のように、毛を切る者の前に物を言わない羊のように、
彼は口を開かなかった。

捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。
彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか
わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり
命ある者の地から断たれたことを。

彼は不法を働かず、その口に偽りもなかったのに
その墓は神に逆らう者と共にされ、富める者と共に葬られた。

病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ、彼は自らを償いの献げ物とした。
彼は、子孫が末永く続くのを見る。主の望まれることは、彼の手によって成し遂げられる。

彼は自らの苦しみの実りを見、それを知って満足する。
わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために、彼らの罪を自ら負った。

それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし、
彼は戦利品としておびただしい人を受ける。
彼が自らをなげうち、死んで罪人のひとりに数えられたからだ。
多くの人の過ちを担い、背いた者のために執り成しをしたのは
この人であった。

(イザヤ書53章)

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