散日拾遺

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荷物の高さ、津波の高さ/往路もしまなみ海道

2014-08-12 08:11:42 | 日記
2011年8月11日(月)
 朝、近くのコンビニから校正原稿をS出版社へ。家内が笑いをこらえながら帰ってきた。
 レジのアルバイト少女がとっても愛想よく、マニュアル通りに荷物の「三辺」を測ろうとしたんだそうだ。当方のは大きな封筒包みでペタンコだから、「高さ」を測る意味がほとんどないんだが、そこが不慣れのマニュアル頼みである。のみならず・・・
「タテが24センチ、ヨコが18センチ、高さが・・・24センチですね」
「?」
 最後のは高さではなくて、タテを再度加算していることを指摘。
「あ!失礼しました。ヨコが18センチ、タテが24センチ、高さが・・・18センチ」
 今度はヨコを二度加算した。
 あのね、高さっていうのはね、と人生の先輩のミニレクチャー、お嬢さんどこまでも不得要領だったらしい。
 まあ着払いなんだから、こちらのフトコロが痛むわけではないんですけど。(S出版社さん、失礼!最後にはちゃんと話がつきましたから。)

***

 玄関土間にはまた水が出ていて、昨日の推定箇所以外にも床下のプールができているらしい。何やかやと対応するうちに10時30分も過ぎた。2日順延の高校野球初日を今度こそ聞きながら西へ。三木・姫路など播磨は『軍師官兵衛』の世界である。
 さらに岡山、2011年の後期に面接授業の際、「このあたりは天災がないので、人が助け合う文化が育たない」と学習センター関係者に聞かされたことを思い出した。
 日本人の共同体形成が「政治・戦争」よりも「防災」を中心テーマとしてきたこと、台風11号騒ぎで再確認しつつある。
 震災から3年5か月の今日、津波の記念碑が現地に完成した由。屹立する8m超の碑は、津波の高さにあわせて設計されたそうだ。運転中のラジオニュースなので場所を聞き落とし、後刻「津波記念碑」で検索したら、夥しい数のものが出てきて驚いた。これほどにも歴史に根ざした現象なのだ。
 戦没者慰霊碑よりも災害殉難者慰霊碑の数の多いことは、この国に住み続ける大きな理由である。戦うなら、人とでなく災害と戦いたい。

***

 例年の往路は瀬戸中央自動車道(児島・坂出ルート)を通っていたが、今年はしまなみ海道(尾道・今治ルート)を経由することにした。同じルートを往復するのは気が利かないようだが、本州側を長く走る方が時間的には得であるうえ、しまなみの眺めはいつ見ても何度見ても、まことに絶景である。自然と人為の調和といって、これに勝るものがそうそうあるとも思えない。もっとも、橋から見える島々の集落は、入り江の曲線に直線的な防波堤、紺碧の海と白砂と緑の山々に抱かれた瓦屋根など、一帯のすべてが大きな調和の内にある。
 5時間ほどで無事に到着。6月には盛況だった門の屋根裏のツバメの巣が、すっかり閑散としている。試験飛行といった様子の飛影が頻繁に見え、南方への旅立ちも間近らしい。「雄飛」はジェンダー不適格ですか、まさにそのような壮途なのだけれど。

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