2015年6月23日(火)
今日がその日である。詳細は確か先年すでに書いた。
『アイヌ学の夜明け』を読み始めていて、そこで思いがけず琉球/琉球学についての記述に多く触れている。個人的には昨2014年(平成26年)が「琉球とアイヌの年」で、この二つが結びつくことに何の違和感もないどころか、強い必然性を感じている。ただ、そのことに自分が初めて気づいたような錯覚を覚えるのが「殆(あやう)い」というのだ。(論語 為政第二 15)
見る人は見ている。それに学ばないといけない。
そして、現に見た人々からも。
国中が祈る日でありますように。
2015年6月22日(月)
もう一ヶ月以上前になるが、5月16日(土)の朝刊に、「松江城天守が国宝に指定された」という記事が載った。地元関係者が店主の前で万歳している写真付きで、地元にはさぞおめでたいことに違いない。
「防御を重視した中世の山城を捨て、城下町の中心たるべく平山城を選択したところに歴史的意義」云々と書かれている。それでということか、いちおう城山はあったが登るのは小学生にもさほど苦でもなく、内中原(うちなかはら)小学校でも写生大会などの際には、学校から出かけていった。空き地に事欠かない城山一帯は小学生の格好の遊び場で、そこから西側に坂道を降りきったあたりに僕の家があった。
松江城の天守には、確かにいくつかの特徴があって、そういうことを丸覚えに覚えるのは小学生の特技のようなものだったが、今記憶に残っているのは「千鳥破風」と呼ばれる特有の破風形式だけである。むしろ銃眼や石落としなど、どの城にでもあるあたりまえの仕掛けが、子供心にはむやみに面白かった。城内だか附属だかの博物館には、確か雷電為右エ門の肖像があったな。生涯成績が254勝10敗というとてつもない強さで、相撲史上最強ともいわれる。信濃の産だが、松江藩主・松平治郷(いわゆる不昧公)のお抱えだったので、松江に肖像があったんだね。
僕は松江の思い出が決して良くはなく、自分が住んだ土地でここだけは再訪したいと思わなかった。しかし最近になって違った気持ちが湧いてきている。思い出したくもない経験をずいぶんしたけれど、今になってみればそれこそが自分を育ててくれたようでもあって。
「地獄に至る道は善意で敷きつめられている」とは、サムエルソンの経済学教科書で学んだ金言である。確かにそれに近いことをときどき経験したが、その逆 ~ 悪意や邪心がかえって自分に大きな幸いをもたらすことは、数倍も多く身に降ってきたように思われる。
だからさ、全てを与えられるままに受けるのだ。本当に自分の為になることを正しく選べるほど、僕は人生に通じていない。
2015年6月22日(月)
6月6日(土)に吉田碁盤店の「四代目」からもらった一対の瓢箪、その一方が「エンジュ」材だと書いた。
「槐」と書いてエンジュと読むのだが、そもそもエンジュって何だ?
答えは下記の通り。国語辞典では、槐(エンジュ)の隣りに延寿(えんじゅ)がある。これはいかにも縁起が良いだろう。説明の中に、和名は古名「えにす」の転化とあるね。934年頃の十巻本和名抄に掲載されているそうな。ただ、牧野富太郎博士は、古く「えにす」と呼ばれたものは渡来ものの「エンジュ」ではなく、わが国に自生していた「イヌエンジュ」のことであろうとされた由。「エンジュ」のほうは、20mにも及ぶ大木になるそうだ。ちび瓢箪が何万個とれるかな。
「えにす」という言葉はどういう由来なのかと考えるが、これはすぐには分からない。何だろうね、興味をそそられる。
エンジュ(槐、Styphnolobium japonicum)はマメ亜科エンジュ属の落葉高木。
中国原産で、古くから台湾、日本、韓国などで植栽されている。和名は古名えにすの転化したもの。
街路樹や庭木として植えられる。葉は奇数羽状複葉で互生し、小葉は4-7対あり、長さ3-5センチの卵形で、表面は緑色、裏面は緑白色で短毛がありフェルトのようになっている。開花は7月で、枝先の円錐花序に白色の蝶形花を多数開き、蜂などの重要な蜜源植物となっている。豆果の莢は、種子と種子の間が著しくくびれる。また木質は固く、釿(ちょうな)の柄として用いられる。
花・蕾にはルチンを多く含有する。蕾を乾燥させたものは、槐花(かいか)という生薬で止血作用がある。
また、シダレエンジュ(Styphnolobium japonicum var. pendulum、シノニムSophora japonica var. pendula)という枝垂れる変種があり、公園などに植栽される。
(Wikipedia)
(『季節の花 300』より拝借 http://www.hana300.com/enju00.html)
2015年6月16日(火)
誤変換は厄介なものだが、時に思わぬ息抜きをさせてくれる。特に事務メールなどは分秒を惜しんで発受するから、傑作が起きる。
最近のアタリネタといえば・・・
「緊急時非難マニュアル」
「終末の博士課程指導」
これが双璧かな。
ずっと以前に、ナカムラ姓の人からメールが来て、締めくくりにバカムラと書かれていたときは、自虐的な冗談なのか変換ミスなのか、しばし考えたものだった。
b と n はキーが隣同士なんだよね。使う手が違うから、あまり間違いは起きないはずだけど。
ラジオ収録2回分。
今回は間に合わないかと思った。よっぽど流そうかと思ったが、年度の後半に自分の首を絞めることが目に見えている。梅雨に入ってアタマの調子も一段と悪い。30代までは、天気が気分に影響するなんて考えたこともなかった。今は天気(=宇宙の気/ブラーフマン)と気分(=個体内部の気/アートマン)の関連、というか前者の後者に対する影響を、毎日のように実感する。加齢とは案外、この種の同調傾向が強まっていくことなのかな。同調が完全になったとき、「個」として存在する必然性がなくなって生を終えるのかも知れない。
そんな説を唱える隠者がいて・・・何かのストーリーにならないかしらん。
え~っと、話を戻して。ともかく頑張って間に合わせたが、こんなことができるのもラジオならではである。技術さんが一人、ディレクターが一人、あとは自分の話さえしっかりできれば、それでOK。技術もディレクターも今回は女性で、これは初めてだ。女性と仕事する機会がずいぶん増えたが、放送大学で経験する限り、おしなべて優秀で熱心である。
「話さえしっかりできれば」について、「45分の番組を通してあんなになめらかに話せるなんて、スゴイですね~」と言われることがあるが、これは全くの誤解である。ラジオの場合、テレビと違って言い直しができるのだ。「あ、かんだ!」と思ったら、慌てず騒がず、適当なところまで戻って言い直す。その分、時間は当然伸びるので、それを見込んで少し長めに収録し、後で時間調整をする。
言い直しの部分は、もちろんちゃんと言えた部分を残して、かんだところは削除するのだが、これが現在のデジタル収録では楽ちんなのである。音声をグラフ化したモニターと見比べ聞き比べながら、技術さんは実に手際よくノイズ部分を取り除いていく。そうしてできあがったものを聞くと、あたかも45分間をなめらかに話し通しているように聞こえるのである。
ただ、10年前にはそうではなかった。基本的にアナログのテープ録音だったから、言い直し修正はできなくはないけれど大変な手間がかかった。僕が最初に放送大学の教材に関わったのは2001年頃だったから、早いものでもう15年である。当時は原稿を作らず、話すべきことのリストをメモにしておいて思いつくままに話していた。今ではとてもじゃないができないことだ。
何が変わったのかな?進歩したのか後退したのか、それともどちらでもないのかな?
これで4回分終了、あと10回分である。