散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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6月12日(金)朝の憂鬱

2015-06-22 11:47:17 | 日記

2015年6月12日(金)

 まったくもう。

 何でこんなに眠いのかな。睡眠研究の進歩はめざましいものがあるが、眠気とは要するに何であるのかを教えてくれない。案外単純な物質ではないのか。どこかの民話のように眠りじいさんが眼に砂を流し込むと人は眠る。「砂」が発見できていないだけではないのかしらん。

 

 砂川の事件はやりきれない。詳しくはあらためて書くか、それともいっそ書くまいか。ひとつはっきりしているのは、この種の理不尽 ~ 不条理に襲われる危険を、制度的にゼロにすることはできないということだ。非道悪辣な加害者たちを極刑に処したところで、惨殺された家族は戻ってきはしない。ならばどうする?

 不条理に耐える力を養わないといけない。

 以前ココミンさんが、宇宙飛行士の特性としてそれが要求されることを話してくれた。「桃太郎」よりも「浦島太郎」が教訓としてより大きな力をもつことなども。しかしこれは宇宙飛行士に限られたことではないのだね。最近、心理学領域ではやりのSOC(sense of coherence)などはこれに関わっている。それもそのはずで、フランクルなどと同じアウシュヴィッツの生き残り体験から構想されたことなのだ。あれはまさしく巨大な不条理だったのだから。『夜と霧』もその線から読み直せるだろう。

 

 今朝の天声人語、「文科省が8日、全国の国立大学に通知を出した。人文社会科学系や教員養成系の学部や大学院を見直して、廃止や、より需要の多い分野への転換を考えよ、と。」

 文科省スパイ説というのがある。日本人を効果的にダメにするため、某国から送り込まれたスパイが文科省を牛耳っているという説だ。誰が言い出したかは知らないし、知ってても言わないよ。

 人文社会科学や、教員養成(!)がやり玉に挙がるぐらいだから、「教養」なぞは論外のそのまた論外なのだろう。 経産省がそういう主張をするというなら分かるが、それに対して待ったをかけるのが文科省じゃないんですか。よっぽど日本人をダメにしたいんだね。ついでに言うなら、不条理に耐える力を養いたいなら「教養」は必須である。「お教養」の話ではない、人の魂と性根を養う野太い教養のことだ。

 

 放送大学は全学一学部、その名も「教養学部」なのでした。どうも、あいすみませんね。

 

 


6月7日(日)日曜の朝

2015-06-22 11:22:36 | 日記

6月7日(日)

 

 他人様の眼のことについて、後日いろいろと書くことになった。その2週間前の日曜日。自分の目のことである。

 僕は視力に恵まれ、検眼では両眼とも1.5~2.0、よほど疲れていても1.2を下ったことはなかった。おかげで40代の後半からは、典型的な老眼に悩まされることになる。(老眼という名称、何とかならんか、名称変更を要す!) 

 かてて加えて50代の半ばには白内障が起きてきた。これは必ずしも加齢のせいばかりではない、というのも左眼だけに起きたからで、近所の眼科では「眼にケガをしたことなどはありませんか?」と訊かれたりしたが、覚えはない。

 白内障かぁ、とヘタレていたが、これが実は塞翁が馬で。白内障の手術、最初は水晶体を破砕・除去するだけだったのが、やがて人工眼内レンズを入れるようになった。それも当初は固定焦点だったのが、今はオプションで二重焦点レンズを装用できる。つまり、遠近両用眼鏡を装用しているのと同じである。おかげで、電車内の読書などは眼鏡なしで、つまり人工水晶体の入った左眼で、できるようになった。

 ただ、良いことばかりではない。この眼内レンズの不具合なのか僕との相性のためか、左眼は実は二重に見えている。二重のラインにかなり大きな濃淡差があるので、読書の際などは事実上気にもならないのだが、遠くの稜線を見るときなどは少々興ざましである。なので遠くの景色は右眼で見るという使い分けで、出逢った人々の眼の苦労を聞いた後では、非常な贅沢を自分がしていることと思い知らされる。

 

 6月7日(日)の朝、保護者科の担当で幼稚科の礼拝から出席していた。太いロウソクに点火し、司会のW姉がその前に座ってロウソクが隠れる・・・はずだった。不思議なことが起きた。

 ロウソクは僕から見て、W姉のシルエットの左端に隠れている。右眼はロウソクを見ることができない。左眼にはW姉の肩のあたりにロウソクが見え隠れする。それが二重に見えるため、ロウソクの炎の辺縁が後光を為すように層状に広がり、さらに両眼のイメージが重なって、W師の姿の全面がロウソクの輝きに覆われて見えるのだ。

 神々しい映像である。そして言葉では十分に伝えることができない。特殊事情を負った僕だけが見る光景である。先頃から読んでいる、フォン・シーラッハが好んで描くような、他人に伝達不能な感覚体験に通じているような。

 

 T姉は幼児に向かって見事に話す。「ありがとう」は見えないよね、「良い子だね」も見えないよね、見えないけれど、ちゃんとあるよね・・・

 「不思議すぎる!」と誰かが叫んだ。

 奇跡とは、不思議すぎることなのだ。

 


6月2日(火)豆腐の絵 / 6月6日(土)吉田碁盤店の個展@八重洲BC

2015-06-22 10:55:10 | 日記

 6月2日(火)に書き忘れたこと。

 愛知SCで卒研指導を終え、地下鉄のホームに立ったところで、ふと妙な感じがした。壁に掛かった広告の絵が下のものである。

  

 この画像ではイマイチだね。描かれた豆腐と厚揚げのリアルなことが、言ってみればフェルメールが中世フランドルの生活風景を活写したのと同質のものを見るような、そんな気がしたのだ。とんでもない勘違いかも知れないけれど。

 で、その絵がどこで見られるかというと、「あべのハルカス美術館」だというので、ひとつは名古屋の地下鉄で大阪の美術館の広告を見る面白さがある。

 かててくわえて、そこでやっているのが「開館1周年記念特別展覧会」すなわち、『昔も今も、こんぴらさん ─ 金刀比羅宮のたからもの ─ 』だという。

 そこで僕は江戸時代後期あたりの日本に、卑俗な対象を精密に写実する絵画といったものが自生していたのかと早合点して、心が右往左往おちつかなくなっていたのであるらしい。だって金比羅さんと言えば、下記で有名だったりするんだから。

重要文化財《遊虎図(東面)》(部分)
円山応挙 天明7年(1787) 金刀比羅宮蔵

 

 そんなわけないよね。『豆腐』は高橋由一(たかはし・ゆいち 1828-1894)の代表作の一つで、さらに超有名な『鮭』と同時期、つまり1876-77年に描かれている。もの知らないのは私でしたという次第。

***

6月6日(土)

 忙しい週の終わり、土曜日閉店間際の八重洲ブックセンターに足を運んだのは、吉田碁盤店の個展案内をもらっていたからである。2年前になるか、石倉先生のお口添えでわが家の碁盤を見事に再生してもらった、その御礼かたがた目の保養をしたかったからである。

 囲碁関係者で賑わうかとは思いのほか、会場には好事家らしい一組の男女だけで、これに碁盤師の仕事着(正しくはなんというのだろう?)に身を包んだ30代半ばの男性があれこれ説明している。やがて、この人が吉田家の跡取り ~ 将来の四代目であることが分かった。僕と同年代の三代目は、「申し訳ありません、先ほど棋士の先生 ~ 福井先生がおいでになって、一杯やろうとおっしゃるので出かけまして。」福井先生とは、古碁の発掘に尽力し、囲碁史に関する執筆が多数ある福井正明九段のことか。残念、会って挨拶したかった。

 やがて男女連れも去って行き、「四代目」からじっくり話を訊けたのは楽しかった。カヤ材や蛤の現状のことなどは、楽しい話題。中国の碁盤展に出品を誘われ、準備万端整えたところで先方の事情で中止になったこと、これに出品するため搬送途上であった卓上盤などがなかなか戻ってこないことなどは、難儀な話題である。これなどは日本の文化保護に関することで、政府が動いてくれても良いはずのものだ。

 いずれまた買い物をと思いますが、今日はこれでと懇ろに挨拶して店を出たら、エレベーターホールのあたりで「四代目」が駆けてきた。「どうぞお使いください」とおみやげにくれた小物が、下記の小さなひょうたんである。色の濃い小ぶりなもの(左)は槐(エンジュ)、色の薄い大きな方(右)は桑だそうである。

 ひょうたんは中から知恵が出そうでいかにも縁起が良いが、実用的にはどう使うのかと訊いたら、「対局中に手先の静電気をおさえるため」なのだそうだ。盤に向かうと緊張もあって、指先が湿ることが多いような気がする。静電気が生じる場面が僕には想像しにくいけれど、何はともあれよくできた細工物である。

 締まりかかったエレベーターの中から、あらためて礼を言った。

 


6月4日(木) 原著者に御挨拶

2015-06-22 10:12:02 | 日記

書きかけブログがたまっていて、精神衛生上悪いったらない。今日こそ片づけるぞ。

戻りまして・・・

2015年6月4日(木)

 大阪国際会議場で、Norman Sartorius 氏に挨拶する。精神神経学会の中にWPA(世界精神医学会)の分会とでもいうようなシンポジウムがあり、これに座長として出席される氏をつかまえようというのである。これにあわせて翻訳を完成させ、5日(金)には書籍販売ブースで著者サイン会を行って売りさばこうと、それでこの冬はこの件に追い回されて過ごしたのだ。10階のF会場脇の丸善ブースには既に訳書が平積みである。花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは・・・ちょっと状況が違うかな。

 F会場は椅子が500脚ほども数えられる大会場だが、時間になっても人が集まらない。座長2人に演者が5人、それに僕らSarutorius 追っかけの4名をあわせて、全体で20人内外という寂しさ。演題は「児童・青年精神医学に関する東アジア各国の現状」とでもいったもので、たいへん興味深いのである。このセッションがたまたま不入りなのかと思ったが、T先生の後日談ではどの会場も同様だったらしく、ひょっとすると精神神経学会に小さからぬ問題があるのかもしれない。

 開会前、座長席のS氏に簡単に挨拶し、まずはシンポジウムを拝聴する。演者はそれぞれ日本、韓国、シンガポール、ブルネイの精神科医で、それに先だって東アジアの概況を紹介する役割をフィンランド人研究者が担当するのが面白い。かつて名古屋大学に客員として滞在した経験を踏まえてのことらしいが、この人は英語がなめらかであるばかりか、全体を見渡して橋渡ししながらディスカッションを活性化するファシリテーター役を見事に果たして、非常に好感がもてる。

 続いて最初は日本の発表者、英語の発音は苦しいが、およそ充実にはほど遠い日本の現状を誠実に報告した。ひとり飛ばしてシンガポールの発表者は、見事な英語に乗せてシンガポールのシステムの長所と短所をバランス良く解説する。規模についての補正を加えれば、シンガポールと日本には共通する問題点が多く、そうした気づきは憂慮と共に勇気をも与えるものである。

 ブルネイの発表者は「われわれは遅れている」と照れもてらいもなく公言した。「発展途上国の常として人口に占める若年者は多く、それなのに児童・青年精神医学のスペシャリストなどは望むべくもない。そもそも精神科医が極端に少ない、ブルネイ全体に4人しかいない(僕の聞き間違い?)。実践にも教育にも周辺諸国の援助を必要としている。今日もこの場で知恵を貸してほしい・・・」内容は痛々しいが、語る態度は真摯である。多くの助言があり、拍手があった。

 え~っと・・・率直に言うが、がっかりしたのは韓国の発表者である。30分ほどの発表時間の中で、彼は自分の国のいい話しかしなかった。近年どれほどの進歩があり、先進技術がそれほど広汎に導入されているか、ソウル周辺の充実ぶりを紹介したうえで、全国で同様の施策が推進中であることを数字を挙げて示す。まことに御立派であって、何も学ぶべきことがない。これでは何も共有できない。

 フィンランドのファシリテーターが、「発表の内容は少々、生物学的精神医学に偏っているように思われたが?」と控えめに指摘したら、「われわれの研究にはその傾向があるが、われわれの実践は決してそうではない」と答えてまた胸を張った。何だか、どこかの首相の国会答弁に通じるような空疎な勇ましさである。

 国際会議を何のためにするのか、とりわけ社会的な実践領域でのシンポジウム(sym-podium は「足並みを揃える」という意味のはずだ)を何のために行うかといえば、それぞれの問題を持ち寄って協力・解決するために違いなかろう。他の3代表はこの線で一致しているのに、韓国代表ばかりは自国の宣伝に終始してとりつく島がない。これがこの発表者個人の問題であって、彼の同胞に共通する問題でないことを願う。

 

 シンポジウム終了後、念願のSartorius 氏に訳者・編集者4名で挨拶。僕は自分の英語が錆びついて使い物にならないのに、小さからぬ衝撃を受けていた。使わないとダメなんだね、あたりまえか・・・

 で、これがその訳書である。

 ふるってお求めください!

 

『パラダイム・ロスト ~ 心のスティグマ克服、その理論と実践』 (中央法規出版)

ヒーザー・スチュアート、 フリオ・アルボレダ‐フローレス、ノーマン・サルトリウス(著)、石丸昌彦(監訳)

 (2015/6/10) ISBN-10: 4805851929、ISBN-13: 978-4805851920


眼の災難と強靱(続々)

2015-06-22 09:06:25 | 日記

2015年6月22日(月)

 

 N女史 ~ 女史は今どき、gender incorrect なのかな、敬意を込めて言うのだが。んじゃ、Nさんね。

 Nさんは大学の一年上級で、ちょっと珍しいぐらいアタマのいい人だった。過去形にしたのに他意はなく、久しく会っていないからというだけのことで、今も母校を支える教官として活躍中である。この人について書けることはたくさんあるが、ここでは自制する。

 お互いに忙しくてこちらも留学などし、しばらく会わなかった後に僕が母校の附属研究所から他所へ出ることになった。お祝いしてあげましょうと、Nさんが一席もうけてくれた。

 カウンターに並んで飽食歓談、めっぽう頑張り屋で気も強いけれど、照れ屋でもある語り口の変わらないことに安堵していたら、突然Nさんがこちらを向いた。

 「ほんとに気がつかないのね?!」

 あらためて正対して、返す言葉を失った。

 

 Nさんは世界中を飛び回って活躍している。WHOの関係もあって、スイスはよく訪れる国の一つであるらしい。そのスイスでタクシー移動中、事故に遭って片眼を損傷し、義眼を入れることになった。およそ本人に責任もないこと、スポーツ外傷以上であろう。しばらく音信を聞かなかったうえ、人の消息に疎い僕はまったく事情を知らずにいた。そればかりか久々の照れもあって相手の顔をよく見もせず、気づきすらしなかったのである。義眼が精巧に埋め込まれていて、不自然な感じが乏しいということはあったのだけれど。

 高校時代のAに始まる親しい人々の「眼」の受難、その終着点がNさんであった。彼らの苦労を思う以上に、自分がのほほんと無事であり続けたことの不気味を感じて、不安になっていたような気がする。

 「遠近感なんかは・・・?」

 「あんなこと言ってる、医者なんでしょ、いちおう?」

 そうだった、両眼でできることはほぼ全て片眼でできる。H君に教わったことが未だわかっていなかった。そしてNさんの次の言葉は、これこそ一生忘れることがないだろうと思う。

 「眼が二つあるのはなぜだと思います?」

 「・・・」

 「遠近感や立体視のためなんかじゃない、一つ失っても、もう一つで用が足りるためですよ」

 

***

 

 三男の親友は、幸いすぐに登校してきた。つとめて明るく「眩しい眼になっちゃいました」などと開示して、周囲を引かせてしまったらしいとお母さん情報。縮瞳困難が永続的なものかどうか、案外わからないと僕は思うが、いずれにせよ忍耐の要ることである。

 木曜日の朝、三男が珍しく早く起きた。一つ目のモンスターに追いかけられたのだという。幼児期から夢にうなされることの多い子だったが、「一つ目は初めてだ」とぼやきながら登校していく。音楽祭の前日である。

 夏服の白い背中に、何か見えたような気がした。