2015年6月12日(金)
まったくもう。
何でこんなに眠いのかな。睡眠研究の進歩はめざましいものがあるが、眠気とは要するに何であるのかを教えてくれない。案外単純な物質ではないのか。どこかの民話のように眠りじいさんが眼に砂を流し込むと人は眠る。「砂」が発見できていないだけではないのかしらん。
砂川の事件はやりきれない。詳しくはあらためて書くか、それともいっそ書くまいか。ひとつはっきりしているのは、この種の理不尽 ~ 不条理に襲われる危険を、制度的にゼロにすることはできないということだ。非道悪辣な加害者たちを極刑に処したところで、惨殺された家族は戻ってきはしない。ならばどうする?
不条理に耐える力を養わないといけない。
以前ココミンさんが、宇宙飛行士の特性としてそれが要求されることを話してくれた。「桃太郎」よりも「浦島太郎」が教訓としてより大きな力をもつことなども。しかしこれは宇宙飛行士に限られたことではないのだね。最近、心理学領域ではやりのSOC(sense of coherence)などはこれに関わっている。それもそのはずで、フランクルなどと同じアウシュヴィッツの生き残り体験から構想されたことなのだ。あれはまさしく巨大な不条理だったのだから。『夜と霧』もその線から読み直せるだろう。
今朝の天声人語、「文科省が8日、全国の国立大学に通知を出した。人文社会科学系や教員養成系の学部や大学院を見直して、廃止や、より需要の多い分野への転換を考えよ、と。」
文科省スパイ説というのがある。日本人を効果的にダメにするため、某国から送り込まれたスパイが文科省を牛耳っているという説だ。誰が言い出したかは知らないし、知ってても言わないよ。
人文社会科学や、教員養成(!)がやり玉に挙がるぐらいだから、「教養」なぞは論外のそのまた論外なのだろう。 経産省がそういう主張をするというなら分かるが、それに対して待ったをかけるのが文科省じゃないんですか。よっぽど日本人をダメにしたいんだね。ついでに言うなら、不条理に耐える力を養いたいなら「教養」は必須である。「お教養」の話ではない、人の魂と性根を養う野太い教養のことだ。
放送大学は全学一学部、その名も「教養学部」なのでした。どうも、あいすみませんね。