2015年1月14日(木)
小林秀雄さんがどこかに書いておられたことですが、「人は、その性格に合った事件にしか出会わない」のです。「こんな女に誰がした」と言うように、こういう事件があったから私はこんな女になったんだと普通の人は考える。小林さんは、そうじゃないんだと言う。こんな女だから、こういう事件に出会うのだ。小林さん流の逆説ではありますが、けれど、これは人生の真理じゃないか。(P.24)
→ 今の自分にはまったくもって拳々服膺すべき「真理」だと思う。ただ、たとえば城山氏自身にとっての「戦争」や「海軍体験」が、そのように自分自身の招いた「事件」であったかどうか、こうした原体験の不条理について氏がどう考えたか、是非とも訊いてみたかった。
「発表する当てもない原稿を書きながら、何を考えていたんです?」と訊いたら、王さん(註:中国の元・文化相、王蒙氏)は「先行きはどうなるかまったくわからなかった。わからなかったから、自分は何かやっているより仕方がないと思ってた」と答えたのです。わからないから、とにかく何かをやる、勉強する、翻訳をする、作品を書く。「僕はただひたすら書いてました。先のことはもう考えなかった」 (中略) 一橋家に命からがら逃げ込んで建白をし続けた渋沢栄一と、どこか似ていますね。(P.42-43)
小説を書くというのは、書くことが全てでないといけない。これから書いていく小説の世界に、自分を空しくして入っていかなくてはならないのに、バックさん(註:『かもめのジョナサン』の著者、リチャード・バック)は小説より上に禅があったわけです。これでは、いい小説は書けない。(P.72)
夏目漱石の『文学論』を読みますと、作家にとってのインスピレーションというのは人工的インスピレーションだ、とある。つまり、ぼんやり待っていたら何かがパッとひらめいた、じゃなくて、インスピレーションは自分で作り出すものだ。だから、インスピレーションを生み出すように絶えず努力しなくてはならない。自然な状態で待っていてはだめなんです。負荷をかけるというか、(少しだけ)無理をしなくてはいけない。(P.85)
中曽根さんは大江さんの本も読むべきでした。人間というものを大事にするというか、自分と合わない人間でも、その人の生き方とか生きている姿勢には興味をおぼえ、理解していく。それは必ず自分の戦力になっていくものです。(P.125)
水上さん(註:三井物産の復興に尽力した水上達三)は「戦後の何もない時に、そんな小さな会社の社長になって、まずは発展よりも充実を考えた」と言っていました。普通だったら、小さな会社だから早く大きくなろう、発展しようと考えるだろうに、まず充実を考えた。充実さえすれば、自然と発展していくだろう、という考え方ですね。
そして、充実するために大事なのは、人材だというのです。人間だ、というのです。(P.128)
彼(註:田中正造)の残した遺品は、反対運動に打ち込み、谷中村を乞食のようにさすらい歩いていたわけですから、ほとんど何もない。汚れたずだ袋が一つきりでした。その中に鼻紙とボロボロになった新約聖書と、いくつかの小石が入っていた。彼の残したものはそれだけです。彼はクリスチャンではありませんが、聖書を熱心に読んでいました。それが彼の支えになっていた。そして、被害地を歩いていて気に入った石を拾う。それが彼の慰めでした。これが、次は衆議院議長かといわれた、政界の頂点に登り詰めようとしていた人の晩年です。(P.156-7)
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以上、父がサンタからもらって一読三嘆した『少しだけ、無理をして生きる』(城山三郎)からの抜き書き。
ついでにもう一つ、「self、intimacy、achievement」の重要性を、精神科医・石塚幸雄氏から教わったとある。日曜の講演で使わせてもらおう。P.165-7あたりだが、アメリカ人のストレス因に関する記載など、さすが城山さんはよく勉強している。
父と同年、名古屋の生まれ。没後もう9年近く経つのか。
少しだけ、無理・・・スコ無理だ、流行語大賞、狙えないかな。
2016年1月2日(土)
僕は臨床家を名乗っているが、その名に値するかどうかいささか心許ない。「それはそうでしょう、週に2日ぐらいではね」としたり顔に言う職業臨床家が時々いるけれど、そこにポイントがあるわけではないのだ。違いますよ、それは。週に60時間患者を診たところで、それが真の臨床家の証明になるわけではないのでね。僕が心許ないというのは形式的な滞空時間ではなく、基本姿勢のことだ。
え~っと、なんでこんな前振りにしたんだろう?今思い出していたのはまるで別のことである。既に昨年の話になるが先月12月14日(月)のこと、例によって碁会所で碁を打っていた時、部屋の反対側で紅一点の席亭さんが不意に叫んだ。
「あら、今日は討ち入りだわ!」
若い人たち、何のことか分かりますか?
さっきもテレビでトンネルズ石橋が侍ジャパンを実写版野球盤ゲームでいじり回して「鮒、鮒侍!」と罵っていたが、息子たちは分からないままゲラゲラ笑っている。むろん元ネタは忠臣蔵だ。「お主のような田舎侍を知行泥棒、いやさ鮒侍と申すのじゃ」「ウーム、鮒侍とはあまりな雑言・・・」松の廊下の有名なやりとり、石橋は達者なものでこれを「侍ジャパン」にひっかけ、歌舞伎の所作よろしく「鮒侍」と決めつけたのである。「討ち入り」も同根で、旧暦の元禄15年12月14日深夜から15日未明がその日とされるのだ。ただし西暦では1703年1月30~31日に当たるという。
席亭さんは僕などより若く見えるがどういった背景の人なのだろう。碁を通じて伝統芸能に親しんでいるものか、それとも碁会所に出入りする人々の年齢層やサブカルチャーに馴染んでいるものか、「忠臣蔵」とも「赤穂浪士」とも言わず「あら、討ち入りだわ!」とだけ。身についた感じが、ある種の奥ゆかしさを感じさせて良いものである。
ふと気になってその種のサイトをチラ見すると、便利なもので主だった義士らの辞世が紹介されている。
大石内蔵助良雄 「あら楽(たのし)や思ひは晴るゝ身は捨つる浮世の月にかゝる雲なし」
大石主税良金 「あふ時はかたりつくすとおもへども別れとなればのこる言の葉」
内蔵助の歌はひたすらに清々しい。そして清々しさの一般的な条件とでもいったものを鮮やかに示している。「思ひ」は晴れ、「身」は捨てる、これだ。「思ひ」をためこんだまま「身」の保全に汲々としているうようなことだから、一片の清々しさも身から漂うことがないのだ。はやりの断捨離も不要のあれこれのものではなく、この一身を捨てる覚悟に要諦があるのではないかしら。
少し文脈が違うんだが、星野富弘さんの詩の一節を思い出す。
「命がいちばんたいせつだと思っていた頃/生きるのが苦しかった
命よりたいせつなものがあると知ったとき/生きるのが楽になった」
主税の歌はせつない。心に浮かぶのはどんな相手だったろうか。若い彼が「思ひ」を晴らすには、なお年月が必要であったろう。「思ひ」を断って、彼は父と共に義に殉じた。「かゝる雲なし」と詠んだ内蔵助の胸に、一掬の不憫がよぎらなかったものか。
父・内蔵助、享年45歳。長男・主税、享年16歳。
2015年1月2日(土)
「新春のおよろこびを申し上げます。息子にやっと発達障害の診断が下りました。私としてはホッとしています。大学~大学院と、このために学んできたのだと感じつつ、知識のおかげで笑顔の子育てをしています。」
教え子を抱きしめてやりたい。知識はこうして使うものだ。彼女を支える知識の周りに体験が幾重にも層を重ね、いずれ確かな知恵の実を結ぶことだろう。その日にはあらためて、後に続く人々を君が支えることになる。頑張れ!
池下さんより来信:
「はがき詩信104、おじゃまさま。穏やかな正月を迎えられたことと思います。本年も、気まぐれにおじゃまします。」
さっそく転載。
「おせっかい」「おせっかい2」という連作が「詩」にあたるものかどうか、僕は判断する立場にない。僕はあまり詩を読まず、一方ではエッセイが無類に好きなので、これらはエッセイではないかと言ってみたいのだ。しかしそんなことはどうでも良い。
意志的な声の主が、意志的な最期を遂げた。その生について僕らは何も知らない。ただ、彼が何ほどか僕ら自身に似ており、僕らが少なからず彼に似ていることを、直観せずにはすまない。池下さんはそのような現場に通いつめている。人生の臨床家とでも評すべき姿である。
2016年1月1日(金)
新年を言祝ぐ気持ちは人一倍もっているし、信じてもいないキリスト教の降誕節を祝うよりも、正月をもっと大事に心ばえを磨く縁(よすが)にしたら良いのにと思う。25日(金)の昨年最後の外来で聞いた話。ある女性が彼氏にクリスマスプレゼントをねだったら、「毛唐(けとう)の風習なんぞカンケーない」と一蹴されたそうで(毛唐とは懐かしいこと、ATOKなどは変換してくれない!)、この彼氏に「あっぱれ」一票である。その代わり、ちゃんとお年玉はあげてくださいませ。何しろお正月を大事にするのは結構なことだ。
いっぽうで、一休宗純という坊主の偏屈ぶりにも感心する。何でも西暦1400年代のある年の正月、杖の頭にされこうべを付けたものを担いで「ご用心、ご用心」と叫びながら京都市中を練り歩いたとかで、そのココロが有名な狂歌に表されている。
「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」
下記も似た趣旨か。
「世の中は起きて稼いで寝て食って後は死ぬを待つばかりなり」
次のもいい。ただしキリスト教版が必要である。
「南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ」
え~っと、翻案するとすれば・・・
「アーメンじゃ 罪じゃ救いじゃ天国じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ」
こんなこと書いてバレたら陪餐停止だって?冗談じゃない、一休さんの筋金入りの仏道に、気合いでは負けないつもりなんだから。信心は理屈じゃない、要はそれだ。ただし「復活」は理屈ではない。だからこればかりは「愚かじゃ」とは書かない。
論より証拠、今日はちゃんと所属支区の元日礼拝に出かけてきた。長男・次男とともに往路は速歩で40分ちょうど、復路は回り道しながらゆるゆると1時間20分、計2時間で13,165歩、消費カロリー398.2Kcal、燃焼脂肪56.8gとスマホの歩数計の御託宣。10.0kmという推定距離は、ならしたらこんなものかな。以下、証拠写真
まずは行き先。ポップな賛美歌を手をかざして熱唱する今どきの礼拝に、他教会の牧師さんの至ってクラシックなお説教のミスマッチが長く記憶に残りそうだ。支区合同の元日礼拝ならではの珍プレー/好プレーである。
次は通りすがりのお宅の生け垣。赤い実はピラカンサス!こんなこしらえ方があるんだね。
最後に駒沢公園のケヤキ並木。一つ覚えで申し訳ないけれど、ケヤキは関東/東北が断然良い。いっぽうクスノキの大木は西に軍配が挙がる。関西生活が長くなった長男と、東京の広さ大きさについて話し合った。惜しむらくは広さを十分感じさせる作りになっていないのである。