散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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やっぱり!/ 天気人心こもごもうららか

2018-04-09 12:13:50 | 日記

2018年4月9日(月)

  

 左が4月2日(月)のブログで紹介した、https://sebit.exblog.jp/11031607/ さんの写真。右が今日、歯医者へ行く道で僕が撮ったもの。やっぱり、どう見ても同じお店である。たびたび題材にさせてただいて申し訳ありません。やたら嬉しかったもんだから。こういうニッチな技能が多彩を競いつつ生き延びていくのが、生活の豊かさということであろう。末永く繁盛なさいますように!
 その向かい側に小さな製薬会社があり、その敷地にでっかい木がそびえている。

 僕の知る中ではクスノキに似ているが、プレートにはホウショウとある。ホウショウとは芳樟?それなら「樟」の字が示す通りクスノキの近縁種かと、これは想像があたった。クスノキの暖地における変種である由、複数のサイトに記されている。

 とはいえ、どこがどう変種なのか素人目には分からない。暖地というがクスノキはそもそも温暖な西南日本に分布するもので、東京はその中でとりたてて温暖な地域とは言えない。疑問をよそに巨木は巨木、風を受けて涼しげである。

 その30mほど南では、道路脇の小さな地面に上手にツツジを植えた家があり、燃える深紅がいち早く初夏を告げるようだ。

 歯の手入れはいつも合計4回、各回はものの5分で終了するが、きまりがあって一度にやってしまうわけにいかないらしい。3回目を終えた足で最寄り駅に向かう途中、こんな風景を見た。

 バスを待つ人のために、近隣の誰かが椅子を出して置いたらしい。嬉しい心遣いである。

Ω

 


アクト・オブ・キリング

2018-04-08 00:14:33 | 日記

2018年4月7日(土)

 『アクト・オブ・キリング』という異色映画のDVDを勝沼さんが貸してくれたが、ずいぶん長いこと見ずにほってあった。さすがの勝沼さんも「先生そろそろ」と促し、今日のことようやく見たという体たらくだが、これも内容の重さが予め察せられたからである。
 この映画が何を企てたかについては、映画冒頭の字幕部分が的確に要約している。

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 「1965年、インドネシア政府が軍に権力を奪われた。軍の独裁に逆らうものは”共産主義者”として告発された。組合員、小作農、知識人、華僑、西側諸国の支援のもと1年足らずで100万人を越す”共産主義者”が殺された。実行者は”プレマン”と呼ばれるヤクザや民兵集団。以来、彼らは権力の座につき敵対者を迫害してきた。殺人者たちは取材に応じ、自らの行為を誇らしげに語った。その理由を知るため、殺人を自由に再現し撮影するよう彼らに依頼した。本作はその過程を追い、成行きを記録したものである。」

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 やや詳しく言えば、監督らは当初、被害者に対する取材を試みたが、これを察知した軍部から被害者らに圧力が加わり、取材を続けることができなくなった。その時、被害者らが「加害者たちに取材してほしい」と言い出した。加害側が率直に語ってくれるだろうかとの懸念に反し、加害者らは大喜びで取材に応じた。以下は上記の通りであるが、この作業が思いがけない変化を加害者の少なくとも一部にもたらし始めたことが、166分に及ぶ長い作品の末尾に至って漸く明らかになる。

 「自分たちが若い頃に何をしたか、未来に伝えることが必要だ」と目を輝かせて「記録映画」制作への熱意を語った、1965年の殺人者アンワル・コンゴ、「戦争犯罪は勝者が作るものだ」「ブッシュはイラクに大量破壊兵器があると称して戦争を正当化したが、事実はどうだったか」と傲然と居直る盟友アディ、作品の後半でこの彼らが確かに変化し始めている。

 変化をめぐって映画が何を為しえたか、あるいは映画をスプリングボードとして人々が何をなし得るかについては、ジョシュア・オッペンハイマー監督のインタビューを転記するのがわかりやすい。

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 "Absolutely my primary moral motivation was to create a film at an opener space for people to finally talk without fear about some of the most frightening and painful aspects of their reallity.  I think the film has helped catalyze a transformation in how Indonesians are talking about its past, and that there cannot be reconcilliation or anything that resembles justice until that spece is open.  So I am more optimistic than I ever was that genuine change can come."

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 僕のヒアリングは威張れるようなものではないが、大略間違いないはずである。

 「私がこの映画を撮ったモラル面での最大の動機は、何といっても人々によりオープンな場を提供することにありました。彼らが実際に経験した最も恐ろしく苦痛に満ちた体験について、安心して話せるような場です。この映画は、インドネシア人の過去についての語りを変容させる、触媒の役割を果たしたと思います。オープンな場で話し合うことができない限り、融和だの正義だのは存在しようもないのです。(この映画を撮り終えた今)本当の変化が起きる可能性について、私はこれまでにないほど楽観的になっています。」

 それにしても疲れた。筋だらけの分厚いビフテキを、切れないナイフでこすりながら160分かけて食べたような心地がする。誰にでも勧められるというものではないが、少なくともこの映画の存在 ~ そして1965年にインドネシアで何が起きたかについては、せめてもう少し知られてほしいと思う。

 https://www.youtube.com/watch?v=Mu68nD5QqP0(予告編)

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 蛇足ながら。1965年のインドネシアの向こうに、ポル・ポト時代のカンボジアやミャンマーの軍政が透見される。そして、妙なことを言うようだが、僕らはそのいずれに対しても間接的な責任を負っている。同時代に生きることから発生する、必然的な結果というものだ。

 さらに蛇足、というかほとんど無関係のこと。西部邁(にしべすすむ、1939-2018)氏の自死と幇助が世間を騒がせている。これをめぐっていささか言いたいこともあるのだが、これは止めにしておく。ヤクルトスワローズが昨年の超不振を一掃する勝ちっぷりを示しても、某局のニュースはなぜか決して同チームを主語にしない ~ 「DeNAが連勝を逃した」「巨人が今季初の連敗を喫した」等々 ~ という、不可思議な偏向ぶりに悪態つくぐらいにしておこう。

 Ω


診察室にて ~ 対象恒常性だの、イナゴの見守りだののこと

2018-04-07 14:10:30 | 日記

2018年4月6日(金)

 「あまりよく眠れないが、そのことがさほど苦痛ではない」という言い方で現状をまとめる人が、朝から二人続いた。これは決してあたりまえのことではなく、この人々のこれまでの経過を思えばなおのことである。睡眠の不足という生理的事実以上に、「眠れていない」という認識やそこから生じる不全・不安感に悩む人が多い。そうした不安が、より以上に眠れなくなることへの不安へとつながり、これら諸々の不安が災いしていっそう眠りが遠くなる。

 それで睡眠の心得には「寝よう寝ようとしないこと」という一条が、さまざまな表現上の工夫と共に見られるものである。「女と睡眠は追いかけると逃げる」などというのもあったが、むろん男性向けのものに違いない。反転させて「イケメンと睡眠は追いかけると逃げますから」と女性の患者さんに伝えてみたら、意味が分からないという顔をされた。「逃げませんよ、睡眠はともかく」というのである。失礼しました。

 西の宇宙流などと渾名される苑田勇一九段は「美人は追うな」の名言で知られ、これは相手の石を取りたがって、やたら物欲しそうに追いかけるアマの悪癖を戒めたものだが、女性にはどんなふうに指導しておられるのだろうか。

 そういえば昔、母がどこかで読み囓った話を教えてくれた。医者の経験談で、当直の際に「眠れなくて困っている」という患者さんがいると、「それでは夜間にベッドサイドをお訪ねしますから、それまできっと起きていてくださいね」と告げるのだそうである。実際に回診した時には、十中八九、安らかに寝息を立てているというのだ。眠れようとすると眠れない、起きていようとしたほうがかえってよく眠れるという経験則で、「眠りを追わない」のと考え方は同根である。

 「眠らねばならないというこだわりを捨てる」と括れば、今朝の二人を含めて全体の筋が通るだろうか。「そういえば眠れてないな」ぐらいに自己観察し、そこまでで放置しておく、観察自我に軸足を置くことによって不安や葛藤を相対化するやり方で、これを会得するまでに要した長い道程がこの人々を淡く輝かせている。

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 それとこれとは通じるかどうか。言い交わしたばかりの恋人が仕事で遠方に発ち、残された女性は毎日のように電話やLINEに時間を割いていたが、そうするにつれ泣く時間がどんどん増えていく自分に気づいた。熟慮のうえ、思いきってこれらの時間を大いに減らしてみたのだそうである。決して楽なことではないし、連絡を取らなくても相手が自分のことを考えていてくれるか、自分が相手を必要としていないという意味に取られはしないか、等々心配すればキリがない。

 それでも勇気をもって断行したあたりが転換点になり、週一度の連絡を楽しみに自分の仕事に励み、プラスアルファの連絡があった時には想定外の嬉しさで得した気もちになり、最近は好調と笑顔で言う。発達心理学のジャーゴンを拝借して「分離不安を克服して対象恒常性を確立しつつある」と指摘したら、元来聡明な質だけあって「どんな本を読めばそういう話が書いてあるか」と聞いてきた。マーガレット・マーラーの名前で検索すれば、ごっつい本が出てきますよ、などと紹介したが、自分もちゃんと読んではいないのである。先に読んでそのうち教えてくれるかもしれない。

 対象恒常性とはよくできた言葉で、発達ばかりでなく、たとえば喪の作業の理解に必須であるように思われる。現実の対象との別離をきちんと終えたとき、夥しい涙と引き替えに永続的な内なるイメージを獲得する、そのあたりのことである。

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 順調に治っても良さそうなうつ病が妙に遷延し、何か語られていないことがあるに違いないと思っていた人が、ここ数回いくらか朗らかになってきたと思ったら、「これまで話せなかったんですけど」とある仔細を語ってくれた。しばらく会わなかった遠方の友人を訪ねてこのことを話し、数年ぶりに泣くだけ泣いたらずいぶん楽になったのだそうである。女性にとって泣くというのはコミュニケーションの必須のツールだから、それを封印する数年間はさぞかし鬱屈もしたであろう。初診から間もなく三年のつきあいなのだ。

 ここに不思議がある。この女性のベランダのプランターに、昨秋あたりからバッタが一匹住み着いていたという。成虫で越冬するバッタがあるのかと気になったが、後で調べたらツチイナゴと呼ばれる一種だけ、確かに成虫で越冬するらしい。バッタもイナゴも姿は変わらない。

 ともかく彼女にとって、ベランダの一隅でじっと冬を耐える一匹のバッタは慰めであり励ましでもあった。それが先般、遠方の友人を訪ねるために家を空ける朝、姿が見あたらない。気になったがそのまま出かけ、それっきり姿を見ないというのである。

 春になって気温が上がり、野に向けて羽ばたいたのに相違あるまい。いっぽうまた、友に語る準備ができた女性を見、自分の役割を終えて去ったと考えたとして、何の不都合があるだろうか。

 偶然という名の奇跡が日々起きることを、患者さんたちが絶えず伝えてくれている。

(https://ja.wikipedia.org/wiki/ツチイナゴ より拝借)

Ω


想像の余地

2018-04-06 21:20:52 | 日記

2018年4月6日(金)

 高畑勲さんが昨未明亡くなった。1935年の生まれ、享年82歳と5ヶ月あまり。『火垂るの墓』(1988)は、泣くとわかっていながら何度も見て、そのたびに泣かずにすまない。高畑さん自身が経験した岡山空襲が制作の強い動因になったという。

 『かぐや姫の物語』(2013)では、粗い筆遣いや意図的な塗り残しで話題になった。見るものに「想像力を働かせてほしかった」と御本人が語っている。

 それで思い出した。

 「文は書いて委曲を尽くせるものではない。尽くせないで想像の余地を残しておいたほうがいいのである。」

 山本夏彦(1915-2002)さんの言葉、たぶん『完本文語文』。

 そういうことらしい。

合掌

Ω


夜桜はかくこそ撮らめ

2018-04-05 13:00:12 | 日記

2018年4月5日(木)

 被曝二世さま、コメントありがとうございます。

> 石丸先生は、桜の花びらから規則性、法則を見出し、宇宙という池の面の、終わりのない波紋を連想されるんですね。さすが、科学者なんだなあと感心いたします。
> センチメンタルに亡き父の想いを感じる私とは、随分違うと驚きました。違った連想ですが、やはり自然は宇宙と繋がっているのかもしれません。

 ありがとうございます。私は科学者とは言えないし、ここに書いたこともおよそ科学者的ではないだろうと思います。というより、科学者的であることと詩的であることは、そんなにかけ離れたものとも思えないのですね。先日、岡潔夫妻をモデルにしたドラマがTVで流れましたが、佐々木蔵之介・天海祐希の好演でなかなか良いものに出来上がっていましたね。ぜいたくな脇役陣も良い仕事をしていました。あの中で、「ないものを、あると思って考えるのが面白い」とか、「スミレはスミレということや」とか、科学でもあり詩でもあるような言葉が節目節目で語られていたでしょう。そういうものだと思うし、そうであってほしい、cogito は一つ、理科系と文科系の二分法なんて、ほとんど人智に対する侮蔑だと思います。

 ごめんなさい、お父様に対するセンチメンタルな想いを抱いて桜を見あげるお気もちは、私自身の感慨といくらも離れていないと申しあげたかったのでした。

 それはそうと、御卒業おめでとうございます。たゆみない努力が見事に報われましたね。24日(土)の学位授与式には余儀ない事情 ~ 桜美林時代の教え子の結婚披露が同日に重なり、しかも乾杯発声のお役を与えられたこと ~ で欠席しました。今年度のゼミ生さんたちにも大いに不義理をしてしまい、後で彼女らの桜も蹴散らす美しいいでたちを写真に見て、あらためて痛恨の想いを噛みしめたことでした。

 御礼・お詫びとあわせ、お送りくださった夜桜の写真を掲載しておきます。おもわず嘆息の美しさ、どうやったらこんなに美しく撮れるんですか?高知でぜひ御教授くださいませ。

  

   

Ω