プリミティヴクール

シーカヤック海洋冒険家で、アイランドストリーム代表である、平田 毅(ひらた つよし)のブログ。海、自然、旅の話満載。

海旅の後片付け、手ぶらで帰る

2016-11-08 00:58:58 | 平戸島~五島列島への海旅

 前回記事「平戸島~五島列島の海旅 まとめ」から続く

 海旅の後片付け。5分割カヤックを2つにまとめ、
 この中にテントや寝袋その他備品全部詰めてヤマト便で家に送った。

 送料6,000円なにがし。
 たったそれだけで日本全国、時空を超えるような究極の海旅ができると思ったら、おもろい時代だ。
 もちろん5分割カヤックは持ってなきゃできないんだけどな。
 もちろん5分割カヤックはアイランドストリームでも取り扱っています。
 ちなみに5分割カヤックは飛行機にも乗せられるし、
 軽自動車の助手席のシートを倒せば車内に収めることもできる。
 みんな、やろうぜカヤックトリップを。


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平戸島〜五島列島の海旅 まとめ。

2016-11-08 00:12:52 | 平戸島~五島列島への海旅

前回記事「平戸島~五島列島の海旅 8日目 最終日」からの続き

 平戸島〜五島列島の海旅 まとめ。

 このカヤックトリップ、終わるのが1日ズレたらヤバかった。遠くに去って行った台風からの波うねりがバズーカのように入ってきてたから。

 改めてこの海、結構あぶない。
 「外洋の瀬戸内海」って感じで、外洋うねりと速い潮流がぶつかる湾口の岬とか、かなりビビらされる。おまけにすぐそばで黒潮の枝流の対馬海流が走っている。
 大昔から海の事故も多い海域だったんだろうなと思う。 だからこそ、平家の落人や隠れキリシタン達といった、逃げ延び人の隠れ里になったのだろう。

 しかし僻地中の僻地だけあって、埋め立てや自然破壊は、内地ほどには進んでいず、入江や陸繋砂洲、アマモ場、塩湿地性植物群など壊れやすい自然形態がまだまだ残っている。福江島の三井楽半島の円畑とか、自然のリズムにあった生活の知恵とかも残っている。

 だからすごく面白い、魅力溢れる海域でもある。

 以前にシーカヤック武者修行のために日本一周海旅してる時に立ち寄り、ひときわ印象に残ったのが平戸島だった。カソリック教会の横に禅寺があり、浄土宗の寺でアフリカ音楽のライブをやってたという、その絵柄というかランドスケープがその時、すごく心に響き、いつかもう一度訪れたいと思っていた。ボーダレス&クレオール(混交)文化は、海洋文化の本質の一つだから、響くのだった。またその時、五島列島には渡らず、長崎、熊本と下っていったので、五島列島もいつか行かなきゃと思っていた。多島海こそ、シーカヤックの土俵だから。

 まあ、正直、もっと時間かけて回らんと突っ込んだ所は分らんだろうけど、一週間から十日くらいのカヤックトリップってのはちょうどひとつの区切りとしてキリがよく、自分の中で消化もしやすい日数で、これはこれで、かなり深い、フィールドとの対話となった。対馬海流も横切れたしな(黒潮体感のバリエーションがまた一つ、増えた)。

 今回、ソロ海旅の中で、色んなことを考えたいと思っていた。仕事のことや生活のこと、アイランドストリームの今後の方向性のことなどをじっくり考えようという目的もあった。しかし実際に旅が始まると、瞬間瞬間の波や風、潮の流れに対峙するのに精一杯で、余計なことを考えられなかった。たとえば風の角度が5度変わるだけで波の入り方が変わり、運命が左右されたりする。たった5度の違いだけでだぜ。だから自然現象を洞察し、読み解くことにしか頭が働かなかった。フィールドと自然現象、それだけに集中した。しかしそれがよかったと思う。考え事はいつでもできる。だけど真剣勝負の海旅はなかなかできない。難所を抜けるごとに、生きて自由に手足を動かせること、スムーズに呼吸できること、おいしくご飯をいただけること、そういう根本的な五体満足がありがたい、それ以上に大事なことってないんだよな、ということに心底気づかされる。
 海旅が終われば、のど元過ぎればの如く忘れてしまうのだが。 

 五島列島。またいつか来たいが、その時は小値賀諸島や宇久島周辺の小さい無数の島々をキャンプアンドカヤックフィッシングしながら、巡りたい。純粋に楽しむという意味では、そのスタイルが最高だ。

 なお、この旅では平戸カヤックスの末永さん、長崎カヤックスの岩永さんに大変お世話になった。両氏の有用な情報や親切なお心遣いのおかげでよい旅ができたと思っている。心よりお礼申し上げます。対馬や壱岐、平戸、五島を有する長崎県は世界有数のシーカヤックフィールドだと思います。
 また和歌山にも遊びにきてください。

 次記事「平戸島~五島列島の海旅 まとめ」に続く


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平戸島~五島列島の海旅 8日目 最終日

2016-11-07 23:04:06 | 平戸島~五島列島への海旅

前回記事「平戸島~五島列島の海旅 7日目」からの続き

 平戸島~五島列島の海旅 8日目 最終日 

 早朝暗いうちから北の風が5、6m出ていた。
 陽が昇るとこの倍は出るだろう。
 湾内でこれだったら最後の難所、玄魚鼻を越えられないんじゃないかと不安になる。
 
 久賀島の北西端「玄魚鼻」は200mほどの山がそのまま垂直にズドーンと落ち込み、断崖絶壁になっている。そこに北の風が入ると波ウネリがぶつかりクラポチス(複合波)となり、三角波を起こす。加えて田ノ浦瀬戸からの潮流の出入り口となっていて、海図でも激潮マークが記載されているゾーンだ。
 何度も言うが、潮流と波ウネリがぶつかるとデカく嫌な動きの波が発生する。
 毎回難所越えの際はナーヴァスになるが、とにかく行ってみるしかない。
 これ以上行ったらヤバいというところまで寄ってみて、危なかったらその直前で引き返す。
 行けると思ったら行く。
 
 久賀湾の外に出てみたら思ったより波は上がっていなかった。
 風も7m/sくらい。
 よしこれなら行けるぜ、と岬を目指す。
 さすがに岬先端の波はネチネチしていて嫌らしかったが、思ったよりすんなり岬越えに成功。

 やったぜ。
 安全地帯に入ったときの喜びと安堵感。
 その瞬間、山の向こうからこちらを歓迎するかのように朝日が昇ってきた。

 思えば平戸島から出発して以来、風と潮に翻弄され、結構きつい海旅となった。
 だけど無事ここまでやってこれた。
 もちろん五島列島を隅から隅までくまなく漕いだわけではないが、一つのセッションとして、なかなか奥深いものとなった。
 文字通り、この海とじっくり対話できたという実感がある。
 といっても誰が見てくれているわけでもなし、自分しか分からない手応えなのだけれど、朝日のみが見てくれ、祝福してくれているようだった。 
 何という美しい輝きなのだろう。
 永遠なる、黄金の朝日だ。
 
 ・・・・と悠長なことを言っているが、福江港まであと20キロほど残っている。
 だけどヤバい海域は過ぎさった。
 あとは景色をじっくり楽しみながらデイツーリング。
 久賀島の西側海岸は断崖、洞窟、奇岩、美しい浜と素晴らしい海岸線だった。ここでもう一泊キャンプしようかなと思った。だけど明日になるとおそらくフィリピン付近にある900ヘクトパスカルを切ろうかという勢いの台風からのでかいウネリが入ってくることだろう。また今後しばらく風も出そうだ。順調にゴールできるのは今日しかない。

 ゆっくり味わうように進み続ける。
 所々、4,5ノットの潮流ゾーンに出くわす。素直な流れなのでどうということはない。

 北水道を横切り、多々良島、尾根尾島、竹ノ子島という小島をはしごしながら渡りきり、福江港の北側にある漁港にてゴール。
 最後、南からのうねりが入ってきていた。
 遠くの台風ウネリだ。
 明日から結構でかいうねりが入ることだろう。
 絶妙のタイミングでゴールできてよかった。

次記事「平戸島~五島列島の海旅 まとめ」に続く

 久賀島西岸の野性的な光景。荒れた中でなく、穏やかな状態で見る絶景ほど楽しいものはない。

 

 久賀島西岸の洞窟。

 

 久賀島西岸の見事な海食崖。

 キャンプしたくなる浜がたくさんある。

 久賀島、田ノ浦近くの教会。田ノ浦は砂洲が伸びて湾口をふさいだ、天然の良港になっている。開発が進んだ内地にはもう残されていないタイプの砂嘴港があるのは、僻地中の僻地である久賀島ならではだろう。空海の乗った遣唐使船もここから出港したと言われている。


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平戸島~五島列島の海旅 7日目

2016-11-04 14:58:09 | 平戸島~五島列島への海旅

前回「6日目」記事からの続き。 

 平戸島~五島列島の海旅 7日目。中通島・青方/船崎海水浴場~久賀島・久賀湾内・深浦

 朝6時出艇。まだ暗いうちに出艇。
 今日はかなり北風も強くなりそうだ。できるだけ午前中までにめどを付けておきたい。 
 今日が一番の難関だ。

 予定では久賀島まで漕ぎ、明日福江島の福江港付近でゴールしたい。
 というのも今後しばらく、あまり海況のよくない日が続きそうだからだ。 
 またフィリピン付近に900ヘクトパスカルという、化け物のような台風がある。 そいつからのウネリが入ってくるかもしれない。そうなったらもうお手上げだ。今日と明日の両日で、できる限り五島列島の海と深く対話してみたい。

 串島の沖を通るあたりから風波が出始めた。断崖絶壁に当たった波ウネリが複雑に干渉し合い、ねちねちとした嫌な波になっている。漕ぐと言うより、しのぎ続けるというパドリングになる。島をぐるりと周り、焼崎鼻の先端のところまできて思った。
 「五島列島とは、外洋の瀬戸内海である」と。
 
 瀬戸内海では、潮の流れがあるけれど、外海からのでかい波うねりは入ってこない。 
 一方、外洋に面した太平洋や日本海側の海岸では、時にでかい波うねりが入ってくるが、ヤバい潮流はほとんどない。
 だが、ここ五島列島は、その両方がある海域なのだ。
 特に外海からの波うねりと速い潮流がぶつかり合う瀬戸や湾の出入り口では、複雑かつでかい波がガンガン上がる。そしてそこが切り立って突き出た岬の先端になっていたら、一層難易度が上がる。
 かなりヤバい海域だよ。
 「瀬戸内カヤック横断隊」みたいな、集団でのカヤック旅は無理だろう。
 多分誰か死ぬ。
 横断隊は、外洋からの波ウネリが入ってこない瀬戸内海だからこそ、できる。 

 ただ、たくさんのコース取りを考えて工夫しながら進んでいくことができるので、面白い海域だというのも確かだ。潮の速さ、方向、潮止まり時間などを予測し、地形と風向きと波うねりの立ち上がり方を穴があくまでじっくり観察し、すべての状況を把握しながら時間配分を考え、進みゆく。雲の流れ、潮の音、地質、地層、植生、生態系・・・・、自然界のありとあらゆるものが発する暗号のようなサインをじっくり読み解き洞察し、危なく見えるシチュエーションの中でもどこかに存在する、一番安全なルートを見いだし、進んでゆく。

 身一つ、むき出しの裸状態で大自然のまっただ中に入り込み、前後裁断、研ぎ澄ませた五感で一瞬一瞬に向き合う。
 誰が助けてくれるわけでもなく、全ては己の状況判断にかかっている。
 自分の生命や魂をかけての、真剣勝負。
 これ以上の「自然との対話」なんて、あるだろうか?

 ぼくが長年シーカヤッキングに敬意を抱いているのは、そういう理由からだ

 日の島、有福島の外周は断崖絶壁のクラポチスとそこにぶつかる潮流がヤバそうだったので、若松瀬戸の中に入る。若松島と有福島を隔てる橋の下をくぐって滝河原瀬戸に出た。中ほどにある相ノ島に渡ってそこで潮待ち休憩。10時過ぎ。島から瀬戸を眺める。5~6ノットの潮が走る瀬戸。潮止まりに近い時間のはずだったが、瀬戸全体が大きく北に向かって流れている。所々にタイダルレースや潮波が出ているが、これなら渡れるだろう。渡りながら沖を見ると、瀬戸の出入り口で外洋ウネリと潮がぶつかり、ギザギザした白波が崩れているのが目に入った。
 このコース取りが最良だった。外回りで行ってたならば、「猪ノ倉鼻」あたりで修羅場となっていただろう。

 ちなみに並べている写真では穏やかに見えるだろう。
 それは穏やかなところでしか写真を撮っていないからだ。
 手を休めるとフリップする場所では余裕がないので、写真などないわけだ。 

 滝河原瀬戸を無事通過しても、次々難関が現れる。
 とにかく一瞬一瞬集中して、岬々をやり過ごしていくしかない。
 しかし、おっかないなと思いつつ、どこか安心感もある。
 どこから沸き上がってくるのかは分からないが、自分自身への信頼感からくるのか、それともカヤックという乗り物への愛着心から来るのか、安心感みたいなものも常にそばにある。集中力も途切れない。波に対峙しつつ、周囲を観察して景色を味わう余裕もある。
 ただ、今一度引き返して、同じ場所をもう一度漕げといわれたら、絶対に嫌だと言うだろう。
 難所難所を抜けていくことに、確かな達成感がある。
 だが積み上げてきた積み木を崩されるのは嫌だ。

 バッチャンバッチャン潮とうねりがぶつかる折紙鼻を越え、久賀島にさしかかった。12時半過ぎ。
 順調と言えば順調。思った通りの進み具合だ。
 最難関、久賀島北西端の玄魚鼻を越えるのはさすがに無理だった。
 そこは明日朝一番に越えることにする。そのことを想定して細石流の港に入り、そこまでとすることに。だが、やたらと風が強く、港にはスロープがなく、脇の浜もでかいゴロタ石ばかりで、テント泊地としてよいとは言えず、移動することに。

 久賀島の奥深い湾の中に入っていった。
 小値賀島で知り合ったアイランドスツーリズムで働く若者が、久賀湾の奥がどうなっているのか興味があるという話をしていたという理由もある。かなり大きな島だけど人口たった300人という、忘れ去られたような島。小値賀島のカラオケスナックのおばちゃんは「あの島には自動販売機もないらしいよ」と言っていた。さすがにそれは冗談だろうけど、手つかずの自然が残っているということは確かだ。
 そこに大きく食い込んでいる湾。

 入り口付近は北欧あたりのフィヨルドを感じさせるような風情があった。
 中に入ると一転、穏やかでのどかな湾が広がり、ごくごくまばらに建物が見える。
 湾の中ほどに弁天島という無人島があるほかは、のっぺりとしていて、特に地形・景観的な面白さはない。
 奥の奥まで行ったが、港もなく、上陸できるような浜もなかった。海岸線はカキ殻がびっしり入りついた石が敷き詰められていて、上がるとカヤックが傷だらけになる。上陸場所を探すのに苦労した。結局、最初の細石流の港が一番ましだった。かといってまた外に出て風波の中を漕ぐのは勘弁だ。

 2時間以上湾内を巡って、うち捨てられたような番屋の横に強引に舟上げした。

次記事「8日目 最終日」に続く

 まだ夜が明けきらぬうちに出艇。折島の石油備蓄タンクが見える。島全体で国内需要の一週間分の原油が貯蔵されているという。

 

 早朝、まだ風が出ていない時間帯の福崎鼻。

 

 若松島と漁生浦を結ぶブリッジ。ここをくぐり抜けると向こうは潮流の世界

 

 相ノ島に上がって休憩。滝ヶ原瀬戸の潮流をスカウティング。一見穏やかに見えるけれど、この入り江を外に出ると潮がざーっと流れている。

 

 所々に潮目やタイダルレースができている。時間ごとに大きさや形状が生き物のように変化する。

 

 折紙鼻の難所を抜けて安全地帯へ。

 

 細石流の港の一番奥。小石が転がる干潟。シオクグという塩性湿地植物が自生していた。芝生みたいな草で、潮が満ちて水没しても生存できる種だ。

 度田舎の久賀島の中でも最も最果ての地、細石流のバス停。週一本しかバスは来ないらしいが。
 たまたまゴミ捨てに来た土地のおばちゃんに話を聞くと、昔は小学校もあった村だったらしいが、現在ここには五戸の家しかないとのこと。寂寥感のある場所だ。ここも大昔は隠れキリシタンの里だったらしい。

 

 島の中央部まで切り込んだ湾の奥にまで入っていく。こののどかな島は弁天島。

 

 ところどころポツリポツリと集落や建物が点在するほかは、本当に何もない。しかし何もない、というのは大自然を愛でる者にとっては褒め言葉なのである。湾の奥の奥まで行ったが、代わり映えしなかった。一カ所教会があったが、それは「牢屋の窄」と呼ばれる、キリシタンの拷問の場所だった。1868年、久賀島全島のキリシタン200人が捕らえられ、全員が12畳ほどの狭い空間に押し込まれ、8ヶ月間厳しい拷問を受け続けた。43人が殉教している。そこに現在、聖堂が建てられ、牢跡には殉教記念碑が建てられている。それも海から見ることができた。

 

 一カ所だけあったスロープに、強引にカヤックを引き上げた。

 


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平戸島~五島列島の海旅 6日目

2016-11-04 12:51:04 | 平戸島~五島列島への海旅

前回「5日目」記事からの続き

 平戸島~五島列島の海旅 6日目。小値賀島~中通島・青方/船越海水浴場

 朝10時過ぎ、小値賀島を出艇。
 ちょうど満潮時。潮止まりに近かったが、それでもところどころに潮目ができていた。

 結局、今日を含めて小値賀島周辺には5日ほどいたことになる。 しかしまだまだ足りない。あと残りの日数、この周辺をカヤックフィッシング&キャンプしながら巡るのもいいかもしれない、という気もした。20キロ四方くらいのエリアに小さい有人島、無人島が無数にあって、コンパクトにまとまりつつ、バラエティに富んでいる。一週間ほどのんびりゆったり、海を漕ぎ、上陸して土地の人々と会話し、自然と文化の全体像をつかむにはこのくらいのスケール感が最高なのだ。またいつか小値賀諸島のカヤック旅をしてみたい。

 ちなみに五島列島最北部の小値賀島や宇久島は、昔も今も他の五島列島の島々とは異なる文化圏のようだ。
 実際、宇久島は佐世保市、小値賀島は平戸市になっている。
 また、島同士でライバル意識が結構強いようで 、お互いをどこか上から目線で論評しあっている。そもそも宇久島や小値賀島の住人は「五島の人間」という意識がないようで、ぼくが小値賀島で「ここら五島の人達は冬は何してるんですか?」とか聞くと怒られた。
 五島とは、中通島より以南のことをいうようだ。
 また宇久島と小値賀島も互いに異なる島として張り合っている。
 
 ぼくはてっきり、 宇久島や小値賀島のことを「上五島」というと思っていたけれど、
 上五島とは、これから漕ぎ下る「中通島」のことをいうらしい。

 ということは、出艇して6日目にして今日、いよいよ五島への海旅に入っていくということになる。

 野崎島を左手に、津和崎瀬戸の沖、中通島先端部の最も高い山「番岳」443mを目指して進む。
 ひとつの海域を過ぎ、また新たなる海域に入るときの、去りゆく寂しさと新たなる世界への興味とが交錯する、なんとも言えない旅情。サウダージ。

 中通島先端部に来ると、高い山の崖っぷちに道路が続き、山の中腹に仲地、江袋といった集落が点在していた。僻地感がたっぷりで、いかにも隠れキリシタンの里という雰囲気だ。キリスト教禁制、弾圧下のもと、300年以上もの間、信仰の火をともし伝え続けてきた人達の隠れ里にふさわしい、峻厳さと美しさとが同居する景色だ。これからさらに秋も深まり、北西風の強い冬場になるとよりいっそう、厳しさと重厚さが増すのだろう。また、だからこそ一層、穏やかな春を迎えた日の優雅さも、息を飲むほどのものとなるだろう。
 
 江袋の港に入って昼食。 
 坂道を上がり集落や教会を巡ってみようかとも考えたが、 かなりの急坂で、上り下りして散策するとなると半日ほどはかかるだろう。ということで昼食後出艇。北の風が入り、だんだん波が上がってくる。深い内湾を有する奈摩湾の入り口を越えて矢堅目の岬を過ぎると、かなりの風波が出始めた。断崖や岩礁にぶち当たって複雑になった返し波だ。おそらくここから先、福江島までは岬の先端と瀬戸の出入り口が要注意となるだろう。海図を見ると同じような要注意ポイントが無数に出てくる。先が思いやられるなと思った。
 岬を越えて青方の北側の船崎の海水浴場に上陸。
 今イチ雰囲気がいいと思えない浜だったので、対岸にある祝言島の浜でキャンプしようと移動。ところがそこもまた浜の傾斜が急で、かつゴロタ浜で一個一個の石が大きすぎるのでキャンプ不適地だった。結局もう一度漕いで戻った。
 6キロを無駄に漕いだ計算になる。 
 何やってんだ、オレ。 

 次記事「7日目」へと続く

 一日のカヤッキングが終わり、上陸した船崎の浜。このとき干潮時で、夜の満潮時には砂浜のほとんどがなくなるほど潮位があがってきた。対岸左手が祝言島。その名前がいいなと思って渡ってみたが、キャンプできそうな浜が見つからなかった。

 中通島の最北部周辺は、切り立った断崖絶壁がそびえ、所々洞窟も点在していた。

 

 仲地の港。オレンジの建物はキリスト教会。

 

 中通島沖北西部沖に浮かぶ小島。

 江袋の港で昼休憩。まったく誰もいなかった。

 山の斜面のかなり上の方に道路が通っている。ぽつっと白い物が家や集落だ。
 いにしえの隠れキリシタンの地。


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平戸島~五島列島の海旅 5日目

2016-11-02 22:56:06 | 平戸島~五島列島への海旅

前回「4日目」記事からの続き

 平戸島〜五島列島の海旅。 5日目

 前日は野崎島から小値賀島へ渡って一泊したが、この日はズルしてフェリーで六島に渡った。
 人口3人の島だけど、可能性一杯の島だ。

 島出身で長年JICA職員として世界中を歴任したのちUターンで帰って来られた小金丸さんや、地域興こし協力隊の宮本さんらが、荒れはてた島を開墾し、自然滞在観光やエコビレッジ的な島として再生させようと頑張っている。また若い人達が移住して来ても無理なくやっていけるようなインフラ作りを目指して地道に活動してる。

 かつては300人以上が住み、農漁業が盛んで、江戸時代には捕鯨の基地になっていたこともある。また島周辺の潮がとても速く、今のように動力船のない手こぎ櫓櫂舟の時代、潮止まりの時間をきちんと読まないと無事に島に戻ってこれなかったことから、「時間厳守の島」という異名を持つ。動力船の時代の今はそこまで神経質になることなく、むしろ島時間でおおらかに過ごすことができるだろう。

 周囲が3キロほどとちょうどよいサイズで、ぐるっと一巡りするのも時間がかからず、コンパクトにまとまっている。学校の跡地や空き屋群、高麗芝の広い草原などもあり、有効活用もできそうだ。
 一日案内してもらって、サイズ的にも景観的にも可能性豊かな島だとおもった。

 これからインフラを整え、農漁業に滞在型観光、 それらで食べていけるとなると、十分豊かな生活が送れるだろう。都会で忙しく働き自分を見失って鬱になったりするくらいならばこういう島でのんびりゆったり暮らす方が遙かに人間らしい生き方だと思えるが、いかがだろう? 

 夜は小金丸さんの船でイサキ釣りに連れてっていただいた。
 釣ったでかいイサキの刺身を宮本さんの家で食べ、そのまま宿泊させていただいた。
 またここで、小値賀町の観光への取り組みや、町の組織である「アイランドツーリズム」 の問題点、改善すべき点などをたっぷり教えて頂いた。

 小金丸さん、宮本さん、ありがとうございました。応援しています。また友達つれていきます。
 みなさん、五島列島の六島にぜひ注目を。

次記事「6日目」へと続く


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平戸島~五島列島の海旅 4日目

2016-11-02 17:23:06 | 平戸島~五島列島への海旅

前回「3日目」記事から続く 

平戸島~五島列島の海旅 4日目 野崎島から小値賀島へ

 今日も早朝からテントを揺らす嫌な風が吹いていたが、今日こそは出艇したかった。
 昨日停滞して一息つくことによって、この海域の傾向や今後の旅のスタイルなどがおぼろげに見えてきた感がある。旅の前にはいつも、ある程度のテーマやコースは決めておくが、旅が始まってしまうと結構行き当たりばったりになる。そう言ってしまうとテキトーな漂白の旅のように聞こえるだろうが、海の状況、風や天候の状況、その土地の空気感などなど、実際に行ってみて臨機応変に対応していかなければ危ないし、またたとえ予定通りに行けたとしても予定をなぞるだけなんてあまり面白くないからだ。パドルを海に差し込んでダウジングし、海水をなめてみた味の具合で行き先を決める。それが旅の安全と充実度に繋がるとでも言おうか。
 それがカヤックトリップというもの。
 とにかくここのところ毎日のように北東の風が吹いている。それも10m/sクラスの結構強いやつ。 そしてこの海は北東に大きく開けているので、長い距離の海面を渡ってきた風が大きな波うねりを生じさせる。
 プラスアルファ、対馬海流と、島の間を流れる潮流がある。
 潮と波ウネリがぶつかるとかなりでかい、しかも不規則にカヤックを揺らす潮波が立ち上がる。こいつが一番やっかいなのだ。ウネリだけならばまだいい。潮流だけならまだいい。
 その両者がぶつかり、複雑に干渉し合うとやばいのだ。
 それがここの海。
 今年は異常気象気味で、いつもならここまで北東は吹かないと色んな人が言うが、旅人にとって例年のことはあまり関係ない。とにかく今ここで北東の風が連日吹いている。なので、出来るだけ早く風裏になる西側海岸に回りたい。

 西側に回るには2つの難関がある。島の南側に津和崎瀬戸、北側に六島瀬戸があり、そのどちらかを通過しなければならない。どちらも海図では4~5ノットの潮流と書いてあるが、こういうところでは実際、ピンポイントで7,8ノット流れている場所があったりするものだ。
 おまけに今日は大潮である。そいつとぶつかる外洋からのうねり。
 また、 野崎島には漁師がいないので、潮止まりの時間を聞くことができなかった。
 とりあえず干満の時間だけは分かっている。
 となると、目星を付けた時間帯にある程度近くまで漕いでいって瀬戸の外で様子を見る。そして潮止まりの兆候が見えてきたところで渡ってしまう。
 それが一番いい方法だろう。
 マジでやばいと思ったら引き返す。

 ということで朝イチまず南下し、津和崎瀬戸を目指した。やはり嫌なウネリが入っている。どんより曇っていて雨がぱらついているのがまた、鬱々とした気分を増長させる。アウェイの知らない海の難所を行くときのなんとも言えないナーバスさ。瀬戸に近づけば近づくほど潮の影響が出始め、波うねりの形状が変わり、まるで海底からくる不思議なエネルギー体のように、カヤックを揺らす力が不規則になる。沖の瀬戸の水路あたりを見ると、かなりでかい白波が崩れている。とりあえず岬の先端の「一ツ瀬」という岩礁の手前まで来て様子をうかがったが、オーバーヘッドの崩れ波が炸裂していてちょっとやそっとで行ける状況ではなかった。
 ここで色々葛藤する。
 もしかしたらそのやばい状況はほんの数十メートルほどで、岬を越えると俄然穏やかになっているかもしれない。いや、なっていないかもしれない。オーバーヘッドの潮波が押し寄せるゾーンが何キロも展開されていて突入したは最後、最後まで漕ぎきらなければ抜け出せないのかもしれない。
 沈したらロールで起き上がるしかないが、フル過重のロールは大変そうだな。
 上陸して高台からスカウティングできれば一番いいけれど、切り立った断崖で、上がれるような浜がない。 
 まだ最大満潮まで時間がある。多分今、かなり潮が走っている時間帯だろう。
 この場所で潮止まりを待っているのも大変なので、一旦引き返して出直すことにした。
 
 港に戻って、しばらく休憩。
 再度出艇し、今度は北の六島瀬戸から行ってみることにした。
 若干潮波が落ちついてきたように思えたからである。またバウ(舳先)を北に向けたときの方が腰の入ったパドリングができる感じだったからである。実はこの「漕ぎ味」というのも潮や波がかなり影響するもので、カヤックが自分に教えてくれる貴重な海の情報なのだ。腰の入った力感ある漕ぎができる時の方がそうでない時よりもカヤックとの一体感も生まれ、テクニックも繰り出しやすい。何より不安感や鬱々とした感情から解放される。
 ということで、体感を信じて、南回りの津和崎瀬戸をやめて北回りの六島瀬戸を回ることにした。

 だけど、 六島瀬戸周りの方が陸からの視覚的情報が少なく、未知的な部分が大きかった。またものの本によると、六島周辺も潮が速くて有名で、明治39年に村の舟が近辺で転覆し、何人も死者がでた事故があったらしい。そしてその後この島は「時間厳守の島」と言われるようになったという。つまり「潮止まりの時間帯でなければ危なくて島に近づけない、きちんと潮止まりの時間を守って動け」、という戒めにまでなったというわけで、いっそうここの瀬戸のヤバさに彩りを添える話になっている。
 「ヤバさを感じたらヤバいゾーンのまっただ中に突入する前に引き返す」という前提で進んでいった。
 うねりと潮波がぶつかっている場所は確かに2,3あったけれど、こちらの方が視界が効いてコース取りもしやすく、けっこうあっけなく瀬戸を通過できた。時間的にも潮止まりに近かったと思うが、それでも川のように流れていたのは確かだった。

 安全地帯に抜け出たときのホっとした瞬間。 
 身体の全細胞が喜びに溢れるかのようにざわめき、超でかい声でシャウトしまくった。
 まあ、こういう感覚の中毒になってしまったらまずいのだけれど、だけどすごく生きている実感や感謝の念がわき起こる、いい瞬間だと言えるだろう。そして周囲の海、山、島、空、雲、鳥、木々、すべてのものがいとおしい気分になってくる。
 「自然との一体感」とは、こういうことをいうんだなという実感。
 漕ぎ抜けてみる、野崎島がとてもいとおしい存在に思えてきた。
 野生の鹿と隠れキリシタンの島、いつかまた来たい。心底そう思った。

 目の前ででかいブリが小魚を追ってボイルした。
 そのエネルギッシュな生命感、躍動感が胸にしみた。
 
 写真はいずれも安全地帯に出てからのもの。
 その後、心地よくツーリングし、小値賀島の港に近づき、そのそばにある船瀬海水浴場に上陸。そのまま歩いて島のゲストハウスまで行き、一泊した。ゲストハウスの隣りにあるカラオケスナックが唯一、晩飯が食える場所でそこで酒を飲んでいると、色んな人と知り合いになった。
 島にまつわる色んなことを教えてもらった。 

次回「平戸島~五島列島への海旅 5日目」へと続く

  

 


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平戸島~五島列島の海旅 3日目

2016-11-01 17:46:58 | 平戸島~五島列島への海旅

前回「2日目」記事からの続き

平戸島~五島列島の海旅 3日目

 早朝まだ暗いうちから強風がテントを揺らす。北東の風、風速10m/sといったところか。防波堤の上に立ち、徐々にぼんやり明けてきた外海の海面を凝視すると、遠くで白波が崩れ尾を引いているのが見える。行くかやめとくか、かなり悩んだ末に決断。
 海には出ず、丸一日野崎島をトレッキングすることにした。
 この決断にはいつもかなり悩む。「やめとく」と決めてから、のちのち風波が収まってくることもある。状況によってはそれを見て再び臨戦態勢を整え、出艇することもあるが、一旦停滞すると決めたらその決断はぎりぎりのところでの直感からくるものなので、それに従った方がいい。直感とは無意識裏に納められた数々の海旅経験によって醸造されたものだからだ。いったん気を緩めて現場を離れた時、行けるような気になってくるというのはひとつの人間心理だけど、そこには希望的観測も入っている。最前線で熟考した上でビビンときた判断の方がより現実的で信頼に足ることが多い。
 今日はたとえ風が止み、べた凪になっても海に出ないことにしよう。いや、絶対に出ん。二半岳の頂上まで登り、周囲の島々を見渡し、近辺の全体像を把握しよう。島を色々見て回って今後の作戦をじっくり考えよう。そう思ったら気楽になり、自由な一日として俄然楽しくなってきた。朝っぱらから酒飲んでも別に問題ないわけだからな。

 野崎島は周囲15キロあり、300メートルを超える山々が島の背骨のように連なり、平地はほとんどない。全島天然林に覆われていて、約500頭以上の野生の鹿が生息する島だ。隠れキリシタンの歴史もあり美しい教会も残っている。昭和30年代には600人以上の住民がいたらしいが、その後急激に人口が減少し、現在はこの島に存在する「自然学塾村」の管理人一人が住んでいるのみで、実質上は無人島になっている。ただ、隣の小値賀島からのフェリーの発着が毎日あり、観光客が結構訪れている。ぼくが逃げ込んできた港も現在工事中で、作業員のおじさんに聞くところによると、教会(野首天主堂)が世界遺産候補としてノミネートされたことにより、よりいっそうの来島客を見込んで港に売店やトイレなどを建設中とのことだった。そのおじさんと色々雑談し、廃校になった学校を改修した宿泊施設(前述した自然学塾村)や教会のこと、また山の頂上まで登るコースや古代の祭祀場だった巨石の神社までの道のりなどを教えてもらった。

次記事「平戸島~五島列島の海旅 4日目」に続く

 和歌山の沿岸でもよく見かけるアコウの木があちこちで自生していた。アコウは黒潮に
乗って種子が運ばれてくる亜熱帯植物だが、さすがここは対馬暖流の通り道だ。

 

 昔、600人以上が住んでいた島だけあって、山の斜面には段々畑の跡地が残っている。
 

 鹿はあちこちにいる。すごく優雅で平和な光景に見えるけれど、実は彼らにとって
過酷な現実が展開されている。メス鹿を巡り、オス同士の争いに勝ったボス鹿だけが
子孫を残すことができ、破れた牡鹿は食料の限られた島の中で飢え、やがて死んでゆくという。
シビアだが、そうすることによって淘汰され、 増えすぎることによる種全体の滅亡を回避
しているようだ。もちろんそんなことを一頭一頭の鹿は意識していないだろうが、種の
見えざるホメオスタシスが働いているというわけだ。

 

 二半岳(306m)の頂上から西の方角を眺める。小値賀島周辺にたくさんの小島が
点在してして、一個一個をじっくり巡って漕ぎたい気持ちにかられる。まあそんなことしていると
何日かかるか分からないのでこの旅では無理だけれど、いつかカヤックフィッシング&
キャンプしながら一週間くらい巡ってみたい。
 

 二半岳から北の方角を眺める。目の前は現在住民3人だけが住んでいるという六島だ。
 その向こうは宇久島。潮の流れは速いが、穏やかな季節、島々をカヤックで巡りゆくには
 最高のロケーションだ。 
 

 二半岳頂上から東を眺める。向こうは平戸島だ。昨日、この海を渡ってきたというわけだ。
 対馬暖流の通り道、モロに黒潮系の海の色だ。風はより強くなり、12m~15m/sくらい
に上がっている。見ての通り、白く尾を引く波に一面覆われている。やはり停滞してよかった。
 

 二半岳頂上から南を眺める。地球の丸いラインが意識できる。
 黒潮ブルーと地球のライン。
 そして未だに生々しく身体に残っている、昨日対馬暖流を横切ったときの体感。
 実感とイマジネーションとが混じり合う、「プラネット感覚」が起動する瞬間だ。 
 

 二半岳山頂への道。かなり石がゴロゴロして荒れた登山道で、クロックスで歩くのは
しんどかった。 
 

 明治15年に設立された野首天主堂。当初は木造だったが、隠れキリシタンの人々が日々の労働でこつこつと
なけなしのお金を貯め、念願叶って赤レンガの本格的な教会として建設された。 
 

 島の北西斜面に鎮座する「王位石(おえいし)」。古代の信仰の対象とされ、
航海の安全を守るシンボルとして奉られていたという。なんとも不思議な岩の形状と
配置だが、自然岩説、人工説の両方があるらしい。後日、小値賀島で元博物館の
学芸員だったという喫茶「おーがにっく」のマスターに聞くところによると、もともとあった
自然岩に上のフラットな岩を乗せたのだろうという。つまり半分天然、半分人工と考えるのが
一番理にかなっているらしい。 
 

 島の所々に朽ち果てた家々がうち捨てられている。中には布団がそのまま敷かれていたり、
生々しい生活の気配も残っている。
 

 これはダムである。ここで集められた水は3キロ西側にある小値賀島に
海底パイプを通して送られる(小値賀島は人口2000人以上住んでいるが、
平坦な土地で川がなく、水が供給できないので、この野崎島から運んでいるというわけ。 

 廃校になった学校の校舎や運動場を改修したという宿泊、キャンプ施設が島内にある。
常駐者がひとりいて、また毎日スタッフが小値賀島からフェリーで通っているらしい。
 どんなシステムになっているのか知りたいと思い、「見学させて下さい」と建物の中に入っていったが、
掃除中の一人の男性に怪訝そうな目で見られ「どうやってこの島に来たんですか」と聞かれた。
「シーカヤックで平戸島から渡ってきました」と答えると、ますます変な目で見られて、
「ここは小値賀島のアイランドツーリズムの事務所で手続きをしてからしか立入り出来ない
ことになっています」と冷たくあしらわれた。まあ仕方ないと思ったが、後日ここでは、修学旅行の
小中学生を相手に港の中でカヤック体験もやっているということを知った(後日小値賀島アイランドツーリズムの
スタッフの数人と知り合いになり、この組織の問題点も含め、かなり色々教えてもらった)。
ということはある意味、同業者だ。仕事でカヤックに接していて、シーカヤック旅に興味を
全く示さないなんて・・・・、と、逆に疑いの目を持ってしまった。
 「シーカヤックのこと、分かってやってんの? 」と。
 シーカヤックとは、旅をしてこそ、その本質が分かる乗り物なのである。
 このやりとりをしていると奥の方から坊主頭の若い兄ちゃんが出てきて、その彼は
ぼくの話に興味しんしんだったが、ぼくの居場所ではないなと思ってぼくの方から早々に立ち去った。
(後日、この坊主頭のニイチャンと再びあい、夜一緒に酒飲みながら色々話したかったと言ってくれた)。


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平戸島〜五島列島の海旅  2日目

2016-10-14 20:48:04 | 平戸島~五島列島への海旅








 
 前記事「平戸島~五島列島の海旅 1日目」から続く

2日目、今日早朝に離陸し、平戸島から五島灘海峡を渡って五島列島北部の野崎島へ。

いやあ、結構大変だった。風、潮、複雑な複合波系のデカイ波うねり。この写真では分からないだろうけど、一瞬たりとも気が抜けない。連日の強風で木も曲がってる。

ほんとはもうちょっと南の上五島町の先端部分を目指したけど潮と波の関係により野崎島で上陸。

こういう海峡なんかを横断すると、達成感とともに生きていることの感謝の念が湧いてきますね。こうやって生きていられるだけでじゅうぶん、と。

なお、ここは対馬暖流の通り道になっている海で、海のフィーリング的に黒潮系。高台から見ると潮目がはっきりして面白かった。

 「3日目」へ続く


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平戸島〜五島列島の海旅 1日目

2016-10-14 20:31:37 | 平戸島~五島列島への海旅











突然ですが、現在、小遠征中で、長崎平戸島から五島列島に渡り、五島の島々を巡るカヤック旅をしています。

昨日平戸島の千里ヶ浜海岸からスタートして南東岸を南下し、最西端の宮之浦近くの高島の浜でテント泊。

2日目へと続く


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