前回「6日目」記事からの続き。
平戸島~五島列島の海旅 7日目。中通島・青方/船崎海水浴場~久賀島・久賀湾内・深浦
朝6時出艇。まだ暗いうちに出艇。
今日はかなり北風も強くなりそうだ。できるだけ午前中までにめどを付けておきたい。
今日が一番の難関だ。
予定では久賀島まで漕ぎ、明日福江島の福江港付近でゴールしたい。
というのも今後しばらく、あまり海況のよくない日が続きそうだからだ。
またフィリピン付近に900ヘクトパスカルという、化け物のような台風がある。 そいつからのウネリが入ってくるかもしれない。そうなったらもうお手上げだ。今日と明日の両日で、できる限り五島列島の海と深く対話してみたい。
串島の沖を通るあたりから風波が出始めた。断崖絶壁に当たった波ウネリが複雑に干渉し合い、ねちねちとした嫌な波になっている。漕ぐと言うより、しのぎ続けるというパドリングになる。島をぐるりと周り、焼崎鼻の先端のところまできて思った。
「五島列島とは、外洋の瀬戸内海である」と。
瀬戸内海では、潮の流れがあるけれど、外海からのでかい波うねりは入ってこない。
一方、外洋に面した太平洋や日本海側の海岸では、時にでかい波うねりが入ってくるが、ヤバい潮流はほとんどない。
だが、ここ五島列島は、その両方がある海域なのだ。
特に外海からの波うねりと速い潮流がぶつかり合う瀬戸や湾の出入り口では、複雑かつでかい波がガンガン上がる。そしてそこが切り立って突き出た岬の先端になっていたら、一層難易度が上がる。
かなりヤバい海域だよ。
「瀬戸内カヤック横断隊」みたいな、集団でのカヤック旅は無理だろう。
多分誰か死ぬ。
横断隊は、外洋からの波ウネリが入ってこない瀬戸内海だからこそ、できる。
ただ、たくさんのコース取りを考えて工夫しながら進んでいくことができるので、面白い海域だというのも確かだ。潮の速さ、方向、潮止まり時間などを予測し、地形と風向きと波うねりの立ち上がり方を穴があくまでじっくり観察し、すべての状況を把握しながら時間配分を考え、進みゆく。雲の流れ、潮の音、地質、地層、植生、生態系・・・・、自然界のありとあらゆるものが発する暗号のようなサインをじっくり読み解き洞察し、危なく見えるシチュエーションの中でもどこかに存在する、一番安全なルートを見いだし、進んでゆく。
身一つ、むき出しの裸状態で大自然のまっただ中に入り込み、前後裁断、研ぎ澄ませた五感で一瞬一瞬に向き合う。
誰が助けてくれるわけでもなく、全ては己の状況判断にかかっている。
自分の生命や魂をかけての、真剣勝負。
これ以上の「自然との対話」なんて、あるだろうか?
ぼくが長年シーカヤッキングに敬意を抱いているのは、そういう理由からだ
日の島、有福島の外周は断崖絶壁のクラポチスとそこにぶつかる潮流がヤバそうだったので、若松瀬戸の中に入る。若松島と有福島を隔てる橋の下をくぐって滝河原瀬戸に出た。中ほどにある相ノ島に渡ってそこで潮待ち休憩。10時過ぎ。島から瀬戸を眺める。5~6ノットの潮が走る瀬戸。潮止まりに近い時間のはずだったが、瀬戸全体が大きく北に向かって流れている。所々にタイダルレースや潮波が出ているが、これなら渡れるだろう。渡りながら沖を見ると、瀬戸の出入り口で外洋ウネリと潮がぶつかり、ギザギザした白波が崩れているのが目に入った。
このコース取りが最良だった。外回りで行ってたならば、「猪ノ倉鼻」あたりで修羅場となっていただろう。
ちなみに並べている写真では穏やかに見えるだろう。
それは穏やかなところでしか写真を撮っていないからだ。
手を休めるとフリップする場所では余裕がないので、写真などないわけだ。
滝河原瀬戸を無事通過しても、次々難関が現れる。
とにかく一瞬一瞬集中して、岬々をやり過ごしていくしかない。
しかし、おっかないなと思いつつ、どこか安心感もある。
どこから沸き上がってくるのかは分からないが、自分自身への信頼感からくるのか、それともカヤックという乗り物への愛着心から来るのか、安心感みたいなものも常にそばにある。集中力も途切れない。波に対峙しつつ、周囲を観察して景色を味わう余裕もある。
ただ、今一度引き返して、同じ場所をもう一度漕げといわれたら、絶対に嫌だと言うだろう。
難所難所を抜けていくことに、確かな達成感がある。
だが積み上げてきた積み木を崩されるのは嫌だ。
バッチャンバッチャン潮とうねりがぶつかる折紙鼻を越え、久賀島にさしかかった。12時半過ぎ。
順調と言えば順調。思った通りの進み具合だ。
最難関、久賀島北西端の玄魚鼻を越えるのはさすがに無理だった。
そこは明日朝一番に越えることにする。そのことを想定して細石流の港に入り、そこまでとすることに。だが、やたらと風が強く、港にはスロープがなく、脇の浜もでかいゴロタ石ばかりで、テント泊地としてよいとは言えず、移動することに。
久賀島の奥深い湾の中に入っていった。
小値賀島で知り合ったアイランドスツーリズムで働く若者が、久賀湾の奥がどうなっているのか興味があるという話をしていたという理由もある。かなり大きな島だけど人口たった300人という、忘れ去られたような島。小値賀島のカラオケスナックのおばちゃんは「あの島には自動販売機もないらしいよ」と言っていた。さすがにそれは冗談だろうけど、手つかずの自然が残っているということは確かだ。
そこに大きく食い込んでいる湾。
入り口付近は北欧あたりのフィヨルドを感じさせるような風情があった。
中に入ると一転、穏やかでのどかな湾が広がり、ごくごくまばらに建物が見える。
湾の中ほどに弁天島という無人島があるほかは、のっぺりとしていて、特に地形・景観的な面白さはない。
奥の奥まで行ったが、港もなく、上陸できるような浜もなかった。海岸線はカキ殻がびっしり入りついた石が敷き詰められていて、上がるとカヤックが傷だらけになる。上陸場所を探すのに苦労した。結局、最初の細石流の港が一番ましだった。かといってまた外に出て風波の中を漕ぐのは勘弁だ。
2時間以上湾内を巡って、うち捨てられたような番屋の横に強引に舟上げした。
次記事「8日目 最終日」に続く
まだ夜が明けきらぬうちに出艇。折島の石油備蓄タンクが見える。島全体で国内需要の一週間分の原油が貯蔵されているという。
早朝、まだ風が出ていない時間帯の福崎鼻。
若松島と漁生浦を結ぶブリッジ。ここをくぐり抜けると向こうは潮流の世界
相ノ島に上がって休憩。滝ヶ原瀬戸の潮流をスカウティング。一見穏やかに見えるけれど、この入り江を外に出ると潮がざーっと流れている。
所々に潮目やタイダルレースができている。時間ごとに大きさや形状が生き物のように変化する。
折紙鼻の難所を抜けて安全地帯へ。
細石流の港の一番奥。小石が転がる干潟。シオクグという塩性湿地植物が自生していた。芝生みたいな草で、潮が満ちて水没しても生存できる種だ。
度田舎の久賀島の中でも最も最果ての地、細石流のバス停。週一本しかバスは来ないらしいが。
たまたまゴミ捨てに来た土地のおばちゃんに話を聞くと、昔は小学校もあった村だったらしいが、現在ここには五戸の家しかないとのこと。寂寥感のある場所だ。ここも大昔は隠れキリシタンの里だったらしい。
島の中央部まで切り込んだ湾の奥にまで入っていく。こののどかな島は弁天島。
ところどころポツリポツリと集落や建物が点在するほかは、本当に何もない。しかし何もない、というのは大自然を愛でる者にとっては褒め言葉なのである。湾の奥の奥まで行ったが、代わり映えしなかった。一カ所教会があったが、それは「牢屋の窄」と呼ばれる、キリシタンの拷問の場所だった。1868年、久賀島全島のキリシタン200人が捕らえられ、全員が12畳ほどの狭い空間に押し込まれ、8ヶ月間厳しい拷問を受け続けた。43人が殉教している。そこに現在、聖堂が建てられ、牢跡には殉教記念碑が建てられている。それも海から見ることができた。
一カ所だけあったスロープに、強引にカヤックを引き上げた。