毎日新聞連載コラム「シーカヤックで地球再発見」、今回はタイのクラビです。よろしければどうぞ写真クリック・拡大してお読みください。
(3月12日付「帰ってきました」という記事から始まる旅記録の続きです)
以上のようにインドネシア&タイ・カヤックトリップについて、しばらく記載してきましたが、これ以上書き続けるとどんどん長くなりエンドレスになってしまいますので、とりあえずこれくらいにしておこうと思います。詩情豊かな日本の海のことも書きたくなってきましたしね。ですので、もっと何か聞きたいことのある方がいらっしゃれば、あるいはご感想などがあれば、メールでもください。sunnyrain@nifty.com
なお、この記事から読み始めた方は、上の記事から下の記事に読み下がっていくというより、まず右のカテゴリ欄の「東南アジアカヤックトリップ」ってのをクリックして全旅記録をいったん出しまして、その中の一番下の3月12日付「帰ってきました」という記事から1記事ずつ順を追って読み上がっていくと流れが分かりますので、そこんところよろしくです。
今回旅したエリアも、広い広い「水の惑星」というカヤックフィールドの観点からすれば、もちろん極小の点のようなスポットです。
地球はでかい星です。どうせだから、もっと色々旅しなきゃなって思います。
特に体力と時間のある20代の人たち、面白いのでガンガン、カヤックトリップしてください。もちろん何歳の方でも関係なく、興味があればどんどんカヤックトリップしてみてください。そして色々情報交換とかしましょう。で、その際、よろしければアイランドストリームでフォールディングカヤック買ってくださいね。カヤックトリップという旅のスタイルはサーフトリップやダイビングトリップというスタイルに比べていかんせん遅れていますが、カヤックこそ、この暗黒の大宇宙の中にあってひとり美しくブルーに輝く宝石のような水の惑星「地球」の息吹をディープに体感することのできる、最良のトリップツールなのです。そこんところの今一度の認識もひとつよろしく~。
上の写真はこの旅の中で最も印象に残ったシーンのひとつで、ロンボク島スコトン・バラ地区の悪がきどもです。ホテルの木に登って果物取ったりしてホテルのこわいオヤジに追い掛け回されていましたが、すごく人懐っこい奴らで、ぼくらはすっかり仲良しになりました。みんないい表情してるので、クリックして拡大して見てやってください。インドネシアは、政治はとことん腐敗してるし経済はボロボロだし天災はすぐ人災に直結して半端じゃない犠牲者が出るしってことで、もう国そのものがメチャクチャで近い将来崩壊するんじゃないかなってすら思いましたが、こういうガキどもと親しくなると、「こいつらがハッピーに生きていけるようなよい国になりますように」って願わずにはいられませんでした。こういう顔した正統派悪ガキどもって日本では絶滅してしまいましたしねえ。
こういうガキと遊んでて思うことは、やっぱり世界平和が大事やね。
という殊勝なことを言っておいて、とりあえずここでのトリップ記録は締めくくっておきます。また下の写真、よろしければクリック拡大してインドネシアの離島の海の美しさを味わってください。
(3月12日付「帰ってきました」という記事から始まる旅記録の続きです)
先述しましたようにマングローブ、奇岩・巨岩群ときて、次は「島々」です。その3要素が、クラビーにおけるシーカヤックの醍醐味ということになります。クラビ~プーケットにかけての広い湾には、数百はあろうかというおびただしい数の有人・無人島が点在していて、本当にじっくり巡ろうとするならば1ヶ月はあっという間にたってしまうでしょう。
実はこの旅の前に色々思案しました。「津波後のこの地域にノコノコと能天気にカヤックなど漕ぎに行っちゃっていいんだろか? 心から楽しめるのだろうか? 自然の猛威の記憶が生々しい場所に自然を愛でに行くってそれ、なんか不謹慎じゃないかなあ?」と。しかし考えた結果、別にいいんだという結論に至りました。第一、そうやってツーリストが躊躇して来なくなると、現金収入を観光に頼る現地人の生活はより苦しくなってきます。もう2年もたつのだからそこまで気にすることはない。あまり悲劇に囚われすぎて今ここの喜び楽しみを曇らせる必要もない。そのように、実際行ってみて思いました。
さて、クラビー川河口から出艇してそのまま海に出て、もちろん島々にも渡りました。沿岸付近の海水は川からの泥水や生活用水などが入っていて結構濁っていたのですが、沖合いに向かうにつれてだんだんだんだんと水も澄んできて、10キロも離れた無人島にたどり着くと、もうそこは典型的な「南の島」という感じの、ライトブルーの海水と珊瑚礁、そしてヤシの木が潮風に涼しげにそよぐという、絵葉書のような風景が展開されていました。
毎日毎日南西の風が吹き、午後になると割合強くなって夕方弱まるというパターンが繰り返されました。地元の人は毎日のように「今日は物凄く風が強い」とか言っていたので、10数キロの島渡りには神経を使いましたが、せいぜい7,8m/sくらいで、そう心配するほど物凄いってことはありませんでした。また波もそれほど立たず、カヤックを漕ぐ分には別段支障ない状況でした。むしろ適度な風波によって、「波そのものの動きがダイレクトに乗り手の身体に伝わる」、というスキン地(フォールディング)カヤックの特性を実感することができました。
ぼくは日本にいるときはいつもポリエチレン、FRPなどの素材のいわゆるリジット(固い)製カヤックに乗っています。リジットの場合、ニュアンス的に海水を「跳ね返す」「流す」「切る」というフィーリングで進んでいく感があります。一方フォールディング系のスキン地カヤックは、船体布がリジットに比べてソフトであり、また骨組みのポール全体が共振して「しなう」ので、波うねりや潮の流れなど海の運動がよりリアルに身体に伝わってくるという実感がすごくあります。なんとういうか、ビリビリっときます。それがなんとも、いいんですよね。というわけで、最初、フォールディングはリジットより劣るいわば代替品のようなものとして見ていたところがありましたが、実際に漕いでみるとこれはまたひとつの深い世界観がある乗り物なんだなと思うようになりました。考えてみるとそういう船ってのは他にないし、サーフィンでもウィンドでも皆、リジット素材を使っていて、波のダイナミズムを振動としてビリビリ感じるという味わいは、ない。余談になるけれど、先日紀伊長島の方でシーカヤックアカデミーというシンポジウムがありまして、その時にお会いしたフェザークラフト代理店のO氏も「ダイレクトに波のエネルギーが身体に伝わってくるのがスキンカヤックの醍醐味です」とおっしゃっていて、ああなるほどさすが年季の入った人はよく分かってるなあ、と思いましたが、そういうことなのです。水の惑星「TERRA」の鼓動を全身でfeelすることがシーカヤックという乗り物のひとつの大きな醍醐味だとするならば、フォールディングカヤックはもっと評価されて乗り手が増えていってもいいのではないかと思います。これは感性の高い人の乗り物だと思います。
しかし、贅沢ですが、もっと時間がほしかったですねえ。一ヶ月ほど、カヤックにテントを積んで島々をあちこち渡り歩いて、しらみつぶしにあちこち探索したいものでした。それくらいしても飽きない、よいフィールドだということです。
(3月12日付「帰ってきました」という記事から始まる旅記録の続きです)
タイはメシがうまいです。そこらじゅうに屋台があって牛、ブタ、シーフード、チキン、野菜などなど、さまざまなに料理された食材が店先に並んでいて、店のオバちゃんに「これとこれとこれちょうだい」と伝えて白飯にぶっかけてもらえば一丁上がりです。ぶっかけメシだけでも無数のバリエーションがあるし、屋台ごとに味が違う。ほか麺類、スープ、煮物、炒め物なんでもあるし、第一活気があって楽しい。屋台のメシを食いに行くだけのタイ旅行というのも立派なひとつの旅といえると思います。
朝市などにいっても実に色んな素材がズラーっと並びに並んでいて、ずーっと見ていて飽きません。下の写真はカエルや鶏の生々しいやつですが、「うわ~キモイ」とかフヤケタことを言うなかれ。最近日本でも地産地消などと言って見直されることが多い「食材」というやつですが、日本のファーストフード化した、いつどこで生産されたのかよく分からない切り身とか冷凍食品とかをオチョボ口して食ってるほうがよほど不潔で気持ち悪い変態行為なのであって、それに比べてこっちの方は実に「メシを食う」って輪郭がはっきりしていて、非常によいです。料理好きの人とかがタイの朝市に行ってずらっと並んだ素材を見ると、もう胸がキューンとしてきていてもたってもいられなくなっちゃうんじゃないでしょうか。
日本って道路交通法や衛生上、屋台がほとんど存在しないけれど、ほんとはニートとか主婦でパートに行くのも時給安すぎてアホらしいと思ってるような人がバンバンやりゃあ面白いのになと思います。実力主義の世界で、美味しければ人はたくさんきて、儲かります。人気の屋台は人がたくさん押し寄せ、例えばおっさん一人で客のオーダー順に料理していったりするので、出てくるのが非常に遅いことも多いです。40分とか普通に待たされたりします。しかし、それでいいんです。本来メシはゆっくりと楽しみながらいただくものであって、ガーと早食いするってのはエレガントさに欠ける、非常に貧しい行為なのではないでしょうか。
(3月12日付「帰ってきました」という記事から始まる旅記録の続きです)
クラビ川河口のマングローブジャングルを掻き分けパドルを進ませると、しばしモスリム系漁民、モーケン人の集落が出てきます。モーケン人は古来、カバンと呼ばれる家船で生活し、インドネシア、マレーシア、タイ、ミャンマー沿岸を季節によって旅する漂泊の民族でしたが、タイでのモーケン人は大部分が定住しているようです。
ミャンマーのメルギー諸島やインド領のアンダマン諸島、ニコバル諸島という多島海にいるモーケン人は、いまだに漂泊生活していると言われています。海との共生生活をしているだけあって、一説によれば2004年暮れのスマトラ沖地震の際にも、潮の流れの変化や波うねりのかすかな異変にいち早く気づき、みんな高台に素早く避難したので、大津波がやってきたにもかかわらずほとんど人的被害がなかった、とも言われています。特にミャンマーは軍事政権でなかなか情報が入ってこないため、「謎が謎を生む」という感じですが、海の観察眼の鋭さによってかなりの部分被害が軽減されたというのはどうやら本当のようです。少し前の「ナショナル・ジオグラフィック」誌にも取り上げられていました。http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/feature/0507/index4.shtml 参照。
で、クラビー川河口付近の定住モーケンの集落に近づきますと、まずどこかに設置された町内スピーカーのようなものからコーランの独唱が聞こえてきます。マングローブやヤシの木が熱帯のギラつく太陽光線に照らされる中コーランが流れるという図柄は、なんともシュールに思えたりしましたが、よくよく考えると世界でイスラム教徒が一番多いのは東南アジアです。インドネシアもそうですが、東南アジアのイスラム教徒はイスラム以前の精霊崇拝も残しつつ、なんとなくうまい具合に混交していることが多いようです。余談ですがぼくなりに色んなものを見てきて、混交性こそがアジアのアイデンティティではないだろうかと思うようになりました。混交性とは要は多様性を重んじる、他者を尊重する、異文化をも受け入れるという発想のことで、それはさらにアレンジしだいでもっともっと21世紀的な素敵な叡智になっていくんだろうと思います。
水際に立てられた高床式の家からおっさんらがこちらに手を振り「ハロー」と声をかけてきます。そんな感じで海からは結構人懐っこい人たちでしたが、逆に上陸してあたりを歩くと結構「なんだこいつは?」みたいな感じで、妙な視線を浴びせかけられました。ヨソモノはめったに来ない場所なのでまあそんなもんでしょう。水牛、ヤギ、ニワトリ、アヒルなどがそこらを歩き回り、子供らが粗末なゴムまりのようなボールでサッカーをし、だだっ広い草原のような広場ではおっさんらがタコ揚げしていました。みんな真剣な顔しておかしいんだけれど、どうも東南アジアでは凧揚げは大人の遊びのようです。
別に「海洋民~!」「海洋漂泊民の末裔~!!」って感じではなかったです。まあ人は民族とかそういうものよりも生活環境のほうが影響が大きいんでしょうね。それからどうも東南アジア全般に目に付くことですが、みんなゴミをそこらにポイポイ、海にポイポイ、すべては水辺に垂れ流しというシーンをまのあたりにしてきました。これだけはいったい何考えてんだろうかと思いました。
なお、ネットでちょっと調べていると、なんとミャンマーのメルギー諸島に行くシーカヤックツアーがプーケットから出ているのを発見してしまいました。http://www.seal-asia.com/seakayaking/index.htm すげえなと思いました。誰かぜひ行ってみてきてください。
(3月12日付「帰ってきました」という記事から始まる旅記録の続きです)
クラビーは石灰質の奇岩、巨岩、断崖絶壁が見事な地帯として有名ですが、中でもライレイ~アオナン海岸にかけて数キロの区間は、シーカヤック的にも特筆に価するエリアです。そこらを流している観光船は、「この地球上で最も素晴らしいダイナミックな景観を誇るエリアです・・・」うんぬんかんぬんとアナウンスしていたりして「ほーう、大きく出たな!」と笑ってしまいますが、しかしいずれにせよ確かに見事なことは見事です。このあたりにはシットオントップカヤックがレンタルされており、結構楽しんでいる人たちも見かけました。できれば1日かけてじっくり漕ぐと、非常に面白いエリアです。
ここらは特に、写真のようにツララ状のまるで刺ささってくるかような鍾乳洞系の岩がひときわの太古感を演出していて、カヤックから見るとまさにリアルそのもので、味わい深かったです。たとえば、ほんとはカヤックの尻の下に泳いでいるのはアジとかタイとかサヨリとか系の普通の魚ですが、なんとなくそういう奴らではなく、アンモナイトとかシーラカンスとか三葉虫とかそういう、超大昔の連中が闊歩しているような錯覚にとらわれる瞬間がありました。ひたすらボーっと漕いでるとよくそんなイメージがふと浮かび、心の中で絵画的に色彩が踊りまくったりするのですが、そういうのも楽しいです。
乾季(11月~3月くらい)はよほどのことがない限りでかい波は来ないので初心者向けのフィールドですが、ただ地形的に風が巻いてきたり、瞬間的な突風が起こったりするので、それだけは気をつけたほうがいいと思いました。
以下の写真、よろしければクリックして拡大して見てやってください。
(3月12日付「帰ってきました」という記事から始まる旅記録の続きです)
先にインドネシアの記録をダーッとアップしましたが、実際に先に行ったのはタイの方でした。1月末にタイ・バンコクに入り、夜行バスでタイ南部のクラビー・タウンに行き、町外れを流れるクラビー川河口沿いにあるゲストハウス(安ホテル)に宿泊し、そしてそこを拠点として河口のマングローブ樹林帯やクラビ沖の多島海をフィールドリサーチしました。
そもそもこの旅では、秘境探索的な意味合いというより、いつかアイランドストリーム絡みで東南アジアでのシーカヤックツアーを催行してみたいというところからのフィールドリサーチも兼ねていましたが、そういった観点からもこの周辺のフィールドはかなり面白いと感じました。
マングローブ探検(超広大なエリア)、美しい無人島めぐり(物凄く美しい)、奇岩・巨岩・断崖・洞窟(世界的に有名)探索、その他色々なカヤッキングスタイルが可能だし、カヤック以外にもロッククライミング、サファリツアー、天然温泉めぐりなどなどさまざまなアクティヴィティが可能です。クラビータウンはプーケットのように観光ズレしているわけでもなく、かといってド田舎というわけでもなく、ちょうどいい感じの大きさと開け具合の町です。ここを拠点としてあちこち足を運ぶことのできる、ある意味アウトドアにとって理想のロケーションだと強く感じました。またクラビー川河口沿いに夜に立ち並ぶ屋台のメシが非常においしく、ゆるーいタイ音楽が流れる中、海風がそよいでくるその雰囲気も抜群で、ぼくは毎日足を運んでいました。
クラビーは素晴らしいです。こういう場所を探していました。滞在中、この地で旅行会社を営む、現地在住の日本人の方と親しくなり、近いうちに必ずカヤック絡みのツアーを企画しようという話などで盛り上がりました。東南アジアの人は一緒に仕事をするとなるといかんせんチャランポランで信頼しずらいのですが、やはり日本人は安心できるものがあります。またインドネシアよりもタイのほうが、旅しやすいと言えます。
まずクラビ川の河口に広がるマングローブ林の写真です。
マングローブジャングルの中は風も波もさえぎられていて非常に穏やかで、あまり奥の水路まで深追いしない限り、どんな初心者でも楽勝で漕げます。気分は大冒険、実は安全、というやつです。
マングローブジャングルの中の水路は幾重にも枝分かれしていて、迷路のようになっているので、あんまり深追いすると本当に迷ってしまう。この両サイドには猿がいたり木にヘビが巻きついていたり、オオトカゲがいたりしてなかなか野性味に溢れている。最初、オオトカゲを「ワニ」かなと思っていましたが、東南アジア全域に生息する体長1mにもなる結構大きなトカゲがこのあたりには多くいて、結局そいつが正体のようでした。なおそのオオトカゲはコモドオオトカゲとはまた別のものです。
2004年の津波の被害は、クラビー川河口付近ではほとんどなかったようだが、それはこのマングローブが防波堤になったからだと思われる。
手足を泥状の水底に突っ込んでいる。ここらは汽水域で水をなめてみるとしょっぱい。流れは通常ほとんどないが、干満の差が結構大きく、時間によってサーっと川のように流れることもある。
マングローブ林の中をカヤックで進むのは、秘境探検めいた風情がある。
いったいどこまでマングローブジャングルが続くのか、何時間も漕ぎ続けたが果てしなく、気が付くとどこにいるのはさっぱりわからなくなっていた。で ちょうどその時にうまい具合に出くわしたシジミ漁の一家。
(3月12日付「帰ってきました」という記事から始まる旅記録の続きです)
再びロンボク島に戻り、スンギギという観光地でタクシーを拾ってロンボク島南西部にあるスコトン・バラ地区に行きました。何度も繰り返しますが、バリ島のすぐ右横にあるロンボク島は非常に海の美しい、東京都の倍ほどの島です。で、その南西部にあるスコトン・バラという地域はいわゆる多島海で、小さな名もなき島が無数に点在しています(100以上あるだろう)。地図を見るからにそのエリアはインド洋からのうねりも遮られる穏やかな地形で、最高のカヤックフィールドです。ここには絶対行っておかなきゃいけないと思っていました。
しかしぼくが行った時にはツーリストは一人もいず、その界隈に一軒だけある「スコトン・インダー」というビーチフロントの安ホテルの宿泊客は、ぼくただ一人でした。確かにカヤックでもない限り、退屈で退屈で死にそうになるような、海以外な~んにもない場所です。逆にカヤックにはこれ以上なく適していました。どの島も潜ればさんご礁がリッチに広がり、またあまり海がシケになることもこともない地形なので、カヤック初心者でもぜんぜん大丈夫なフィールドだと実感。またド田舎ローカルなのでうざい物売りなどもまったくいず、誰にも邪魔されないでカヤック遊びに集中できるという利点があります(これが結構大事な要因)。ぼくはここにカヤックハウスを建てて冬季の間カヤック・アイランドホッピングツアーを催行したいなと思いました。そもそもこの旅では、アイランドストリームの業務と絡めて、カヤッキングツアーを催行できるような場所がないかなというフィールドリサーチの意味があったわけですが、そんなわけでツアーをシミュレートするような意識でこのナイスな多島海をパドリングしていました。
しかしやはり海が非常によいせいか、リゾート開発の計画が進行中らしいです。開発されたら多分ダサく俗化し、うるさい物売りやスリやかっぱらいのようなよろしからざる人々も増えるだろうということで、嫌だなあと思いました。
毎日毎日、
カヤックに乗ってあちこちの島をはしごして夕方帰る、
帰るとホテルのレストランで食事、
食後そのホテルのオヤジとダラダラと話した後、
部屋に戻って本を読む、
という日々を繰り返しました。
そこのオヤジは指名手配中の凶悪犯のような顔をしていましたが、別に悪人ではなく、普通に気のいいオヤジでした。いかんせん宿泊客はぼく一人だったので夜は退屈といえば退屈でしたが、逆にこういうところではなぜかどんな難しい本でもスイスイ読めので不思議に面白く、やはり普段「雑念」というものがどれほど邪魔をしているのかがよくわかりました。
↑ギリ・ナングという島。シュノーケリングで静かな人気がある。安い宿泊施設もある。カヤックではスコトン・インダーからスッと渡れる。
↑島に上陸してはシュノーケリングする日々でした。島は、いくらでもありました。
↑島と島の間の水路をめぐるのも楽しいものでした。
↑美しいインドネシアの離島の最大の難点は、白砂、ヤシの木、珊瑚礁と判を押したようにみんな同じということである。非常に贅沢な悩みだけれど、ある意味、長期間いると飽きる。日本で死ぬほど忙しい日々を送り、一週間ほどとことんゆっくり過ごして、「ああーもう帰りたくなーい」というところでよい思い出のまま帰るというのが、ベスト。
↑それにしてもロンボクの子供たちはとても人懐こい。
↑南の島でのどが渇いたときはココナッツジュースが一番だ。中身のやわらかい部分をスプーンですくって食べるとおいしい。スコトンバラ周辺には、漁師一家族しか住んでない島とかもあって、そういう島に行くとなぜかどこでもココナッツを器用にナタで割って出してくれた。
↑沖の無人島に行けばより海水は美しくなる。
(3月12日付「帰ってきました」という記事から始まる旅記録の続きです)
フローレス島からさらに東のレンバル島、アロル島、ティモール島へとフォールディング(折りたたみカヤック)をかついだ旅を続けて行きたいところでしたが、ここらでちょっと時間的な余裕がなくなってきたのと、今一度ロンボク島に戻って島南西部の「スコトン・バラ」という多島海を思う存分パドリング・リサーチしたいという考えがあったので、再び戻ることにしました。バスか飛行機がどっちにしようか迷っているところ、ちょうどロンボク島に戻るクルージングツアーのボートが出発するところだったので、大急ぎで荷物をまとめて乗り込みました。プラマ社という旅行会社が主催する、ロンボク島~フローレス島を往復するツアーで、前にぼくが予約してキャンセルになったやつとはまた別会社のものです。ぼくが乗り込んだとき、往路のみで船を去るお客さんたちのお別れパーティをしている最中で、なんだかとても楽しそうでした。立ち去る人たちと入れ替わるように、ぼくが復路の仲間としてメンバーに加わったというわけです。実際、ここのクルーもお客さんもすごくフレンドリーで感じがよく、昼はところどころの無人島に立ち寄ってシュノーケリングや釣りに興じ、夜はずっとギターを弾いて歌を歌いまくって面白おかしく過ごしました。日本のへんてこな歌を何曲か教え、みんなで酔っ払ったように輪唱したりしました。
インドネシアの旅行会社やツアーはえてしてとんでもなくええ加減なのに当たってしまいがちですが、このプラマ社だけはすごくきちんとしていて、またホスピタリティ溢れるスタッフが揃っているので、イチオシにお勧めです。
しかし復路でもまたリンチャ島の同じコースをトレッキングしてコモドオオトカゲを見に行くことになるとは思いませんでした。ガイドも前と同じニイチャンで、ぼくはよっぽどコモドドラゴンが好きなんだなと思われたようです。まあ、ああいうのは二度、三度見るものでもないですね、研究するのでもない限り。
↑非常に楽しい連中だった。
↑またもやドラゴンに再会。
↑背後から見たドラゴン。
↑この日も強烈に暑かった。荒涼とした大地をひたすら歩き、大粒の汗が毛穴という毛穴から噴き出した。
↑コモドオオトカゲの巣。夜、巣の中に入って眠り、朝になると抜け出して獲物を探しに行く。
↑このようなシカも格好のコモドオオトカゲの獲物だ。
↑いかつい水牛もコモドオオトカゲにはかなわない。コモド、リンチャ島には色んな野生動物がいる。コブラもいるらしい。
↑クルージングボートからずーっと見えていた、スンバワ島北部にある、sungians島。ここはちょっと気になった。2000m級の立派な山がそびえる無人島。
↑トレッキングにも向いてそうだが、全く誰も住んでいず、登山ルートなどあるわけもなく、間違いなく遭難するだろうという。またマラリア蚊やコブラがうじゃうじゃいて、住めたものではないとクルーは言っていたが、明らかに山のふもとで煙が立ち上がっていて人の気配がした。もし犯罪を犯してどこか絶対につかまらない場所に逃げるしかない状況になれば、ここに逃げ延びるとよいかもしれない。
↑スンバワ島北部のフローレス海をひたすら西に向かったが、ここの海はイルカが非常に多かった。時折、数百頭がピョンピョン飛び跳ねるシーンにも出くわした。
↑このような、普通ではまず行くことができない無人島に停泊して、思う存分シュノーケリングを楽しんだ。
↑楽しかったクルージングももうちょっとで終わり。
(3月12日付「帰ってきました」という記事から始まる旅記録の続きです)
コモドオオトカゲを観察して再びフローレス島・ラブハンバジョーに帰ってきて、今度はそこを基点としてカヤックを漕ぎました。周辺は島がとても多く、もちろんカヤッキングに向いています。この、コモド島、リンチャ島を含めたスンバワ島~フローレス島間の多島海域は、速く複雑な潮流により外界から隔たれた独自の生態系が展開されていて、一年くらいじっくり探査してみる価値のあるフィールドだと感じました。
またこの海域は海洋生物保護区にも指定され、手付かずの珊瑚礁が展開されるダイバーの聖地でもあり、海外からインドネシアに移住してきてこの海にノックアウトされた外国人ダイバーもかなり多いらしく、「コモド周辺の海域ほど生態系のクレイジーな場所はない、一生かかって探索する価値のあるフィールドだ」と熱中している人もいるらしいです。
この海域をカヤックで漕いで、「ああおれもこんなところにまで来たんだなあ」という感慨がありました。ラブハンバジョーの近辺は生活用水垂れ流しにより海水がかなり汚いのですが、ガンガン漕ぎ進み島々が現れては去ってゆくにつれて海も美しくなり、そして多くの無人島群も人間臭がなくなり、むしろ人間の歴史などはるかに超えた、まるでコモドドラゴンが象徴するような太古の相貌を帯び始めるようにすら見えてきました。そういう中でやがてカヤックの胴を打つ寄せ来る潮波はまるで水の惑星「プラネット・アース」の鼓動のように感じられ始め、ぼくは緩やかに流れるブルーの水の上に浮かぶ浮遊感を意識的にじっくり味わいつつ目を瞑り、海によってひとつにつながる地球のさまざまな自然についてイマジネートしました。
ナイアガラの滝について想い、 セントローレンス氷河について想い、 シベリアのタイガとツンドラの大地を想い、 アフリカのサバンナに吹き渡る風とカバとチーターとヒョウとアフリカゾウとヌーの大群を想い、 アラスカのオーロラとか南氷洋のオキアミをガアアアーってでかい口を開けて食うザトウクジラとか千島海峡を漂う8mのヤナギクラゲとか渡り鳥とかベニザケとかオットセイとかトドとかニホンオオカミとかステゴザウルスとかこの惑星のさまざまなありとあらゆる自然や生きとし生きけるものについて色々、イマジネートしました。
やはりカヤックは素晴らしい。地球の息吹・鼓動をリアルに体感し、イマジネーションを喚起し、心の中の世界を広げてゆくための最強のトリップツールだと思いました。
その後そのまま漕いでコモド島、リンチャ島に行くことも可能でしたが、そこまでの時間はありませんでした。「またいつかきっと」、と思う。
↑フローレス島の漁村、ラブハンバジョーの漁村の風景。インドネシア語で「ラブハン」は「港」の意味、「バジャウ」は「海洋民族」の意味だがそれを繋げて「ラブハンバジョー」と呼ばれるようになったらしい。海洋民族だから環境意識とかすごく高いのかなと思うけれど案外そうではなく、生活用水垂れ流しでかつそこらのゴミをポイポイ海に捨てまくるので、インドネシア全体にいえることだが人の集落周辺の海は汚い。逆に人がいない場所はすごく美しい。
↑沖へとパドルを進めれば進めるほど、ここらの自然は太古の風貌を帯び始める。
↑ここらの海域は漕ぐ価値のある場所がたくさんありすぎて困ってしまう。またいつか絶対来よう、そのときはもっと時間をかけてじっくり探索したいなと思うけれど、実際は旅において「二度目」というものはほとんどないものだ。自然は一期一会である。「またいつかきっと」と思いつつ、おさらばしていく。「おさらばだけが人生だ」というのがカヤックトリップの本質なのかもしれない。
↑このあたりの海域はどこでも、潜ると手付かずの美しい珊瑚礁が目白押しで、カヤックであちこち巡りながらシュノーケリングするのがとても楽しかった。
↑こういうビーチもあちこち無数にあるが、だいたい潜ると見事な珊瑚礁が展開されている。
↑潮の流れの速い、島の岬の先端。潮流によって外界から隔絶された独自の生態系がキープされている。ここにしか住まない生物にとって、潮汐流が神なわけだ。またその潮汐流を司る、月や太陽の引力や地球の自転も神なわけだ。
↑荒涼とした赤茶けた断崖絶壁には、いっそうの太古感が感じられる。
↑再びラブハンバジョー港に戻ってくると、強烈なスコールに見舞われた。向こうからやってくる雨粒がはっきりと見える。ぼくはカヤックの上で体感するスコールがとても好きだ。熱帯のスコールは非常にはっきりしていて、気持ちがよい。ここまでのやつはあっぱれな感じがする。
(3月12日付「帰ってきました」という記事から始まる旅記録の続きです)
その後、スンバワ島サペからフェリーで7時間かけてフローレス島ラブハンバジョーという港町まで渡り、そしてそこから別のボートをチャーターしてリンチャ島まで渡って島内をトレッキングし、コモドオオトカゲを観察しました。
ちょうどスンバワ島とフローレス島の間の海域はいわゆる多島海で、大小数百個はあろうかというほどの島々が点在しています。島と島の間には速く複雑な潮流が交錯していて、その影響で島々には外界からの影響を受けずに特有の進化をとげてきた生態系が今でも残っています。中でもかなり大きな面積を持つコモド島、リンチャ島には、そのルーツが白亜紀までさかのぼる、世界のトカゲ類の中でも最も巨大な古代生物「コモドオオトカゲ」が野生の状態で約2000頭生息し、保護されています。そいつは「コモドドラゴン」とも言われ、成長したオスは体長3m、体重は100キロを超えるいかつい巨漢となります。シカ、水牛、野ブタなど島にいる動物を狩って食べていますが、時折人も襲うことがあります。
昔、シーカヤック絡みで自然観を深めるための本を片っ端から読んでいるうちに、ライアルワトソンの「アースワークス」という本に出くわし、そこに出てきた人食いコモドドラゴンの話が非常に印象的で、ずっと心に残っていました。いつか必ず会いにいかなければならないと思っていましたが、ひとまず念願がかないました。ちなみにライアルワトソンのいくつかの著書は、シーカヤッカー必見です(特に「風の博物誌」)。
こんなやつらが未だに生息しているってことはそれだけまだまだ世界は広いってことで、その「まだまだ世界が広い」ってことを実際に肌で感じ入り自分の中の世界を広げるためにもやはり色んな場所を旅しなきゃなって思います。余談ですがぼくは自分のちっぽけな周囲のことや世間の常識的価値観しか知らないいわゆる「世界が狭い」人が生理的に苦手で、また他人がどうというより自分が「世界が狭い」状態になってくるとだんだん具合が悪くなってきます。そんなわけでこのコモドドラゴンのような存在は大切です。
↑ノッシノッシと歩く時の腕の動かし方に、非常に恐竜を彷彿とさせるものがある。この鋭い爪や口の中の牙には雑菌がもうとんでもなくワイルドに繁殖しまくっており、噛まれたり引っかかれたりするとそのウイルスによって敗血症にかかって絶命してしまうという。
↑よく見ると、目とか結構かわいい。
↑こいつもかわいい顔している。爬虫類愛好家にはたまらないだろう。
↑リンチャ島の風景。はるか向こうの雲の下に見えるのはコモド島。ペンペン草しか生えないような荒涼とした大地に、ヤシの木が点在する。物凄く暑く、摂氏40度くらいあったのではないだろうか。すべての生物から水分を奪い去ろうとするかのような太陽光線の灼熱。バーーっと晴れたかと思えばサーっと雲が覆い、あるいは向こうから雷雲がやってきてスコールがバババババーと降って去っていく。その繰り返し。あっけらかんとしていて、四季のある自然場所のような細やかな情感はない。焼け爛れたような大地、そんなところにコモドオオトカゲはいる。
↑このいかつい顔が恐竜的だ。獰猛な、人食い顔をしている。1973年に食われたスイス人ツーリストのルドルフ氏は発見された時にはメガネと時計だけだったというが、まさに食後メガネと時計だけペっと吐き出したあと、こんな顔してけだるそうに昼寝する姿が目に浮かぶようだ。。
↑一見全くやる気なしのようにも見えるが、実はこうやって周りの土とか木に同化し、自らの気配を消しながら虎視眈々と獲物を待ち、獲物が近づくともう目にも止まらぬ速さで腹部に飛び掛り、ハラワタを食い破ってしまう。嗅覚が発達しているが、目や耳はあまりよくないらしく、また脳も多分あまりよくないらしく、数メートルの距離から野球ボール大の石を全力投球でぶつけても、「ん? 蚊か?」くらいの反応しか見せない。逆にいったん襲い掛かると決めたならばしつこくしつこくストーカーのように相手を追い詰めるということらしい。しかしこの表情、実にいい。
↑コモドオオトカゲの餌食になった水牛の骨。
↑これも餌食になった水牛の骨。いい感じの冒険的な雰囲気をかもし出している。
↑ガイドに案内されてこんな感じでトレッキングする。ヨーロッパ系のツーリストが多い。時期的なものかどうかはしらないが、バリより東に行って以降、一人の日本人にも出会わなかった。日本人のバックパッカーって一時、どこにでもいたけれど最近は減っているのだろうか?
(3月12日付「帰ってきました」という記事から始まる旅記録の続きです)
ロンボク島マタラムの停留所を出た長距離夜行バスは、またすぐに止まりました。で、前回の日記の最後に書いたような展開になったあと、ギターを持った盲目の男が入ってきてひとしきり詩のようなものを詠み、ギターを弾いて歌い出しました。バリからロンボク島へのフェリーの件と同じで、こういうやり方で小銭を稼いでいる人もインドネシアのあちこちで見受けられます。別に上手くはなかったですが、ギターのコード進行がちょうど大昔のアメリカの盲目のブルースマン、ブラインド・ウィリー・マックテイルがよく使っていたものにフィーリングが似ていて面白かったので、ポケットに入っている小銭をあげました。すると、隣の席に座っているジイサンが、自分の胸の辺りを指差して「コソン、コソン」とぼくの顔を見ていいました。このジイサンはぼくがバスに乗り込んだ時から、こっちはインドネシア語がぜんぜん分からないというのにひたすらインドネシア語でバーっと話しかけてきたジイサンで、いつのまにか仲良くなっていました。で、「コソン・コソン」てなんやねん、とインドネシア語の辞書で調べてみると、「空っぽの」という意味でした。要するに、その盲目のギタリストの詠んだ詩や歌は、ぜんぜんハートがこもってないものだということでした。なぜかそのことがとても印象に残りました。この長距離夜行バスには30人くらい乗客がいましたが、外国人ツーリストは一人もいず全員現地の庶民でした。またこのバスの出発地はなんとジャワ島のスラバヤかららしく、昨晩出発してバリ島を経由してきたわけですが、みんなそこから乗ってきた人たちだそうでした。
ロンボク島のラブハン・ロンボク港からフェリーに乗ってスンバワ島に渡り、そこで再びバスに乗ってスンバワ島を西から東へ縦断しました。スンバワ島は東西に長く伸び、ロンボク島のさらに3倍くらいの面積がある比較的大きな島です。バスは夜通し走り続け、気がついたらビマという町に到着していました。で、このビマから「サペ」という港町まで行くのに別のバスに乗り換えなきゃいけないらしくて、眠い目をこすりながら重たい荷物をバスから降ろすと、次に乗ることになる目の前のバスはなんとまあボロボロのシロモノ。さっきまでのやつはエアコン、トイレ付きのメルセデス・ベンツ社のVIPバスだったのですが、お次のやつは昭和24年くらいに日本でも走っていたような感じの小さいオンボロバス。乗客の荷物は屋根の上に山のようにうず高く積み上げられ、乗客はおしくらまんじゅうのようにギュウギュウ詰めに詰め込まれる、サスペンションのないバスはちょっとした凹凸でガンガン揺れる、ヤクザな顔をした運転手はガケすれすれの山道を親のかたきのように飛ばしまくるということで、一気に目が醒めてしまいました。2時間くらいそうやって走って、サペという港町にまでたどり着きました。サペ港は、フローレス島へ渡るフェリーや、またフローレス島の南にあるスンバ島やティモール島へいくフェリーも乗り入れています。ちなみにスンバ島というのは、数十年前まで首狩りという風習が行われていた場所で、また島の南東部には今でも「奴隷制」が残っているという、それはそれはすごいところです。行ってみたかったのですが、今回はその時間がありませんでした。なおスンバ島とスンバワ島は名前は似ていますが、違う島です。ぼくがいたのはスンバワ島です。サペという港町です。なおこのスンバワ島の南には、レイキーピークという非常にすばらしい波が立つサーフポイントがあって、サーファーには知る人ぞ知る島としてあこがれられています。あのミクシーにもレイキーピークのコミュニティが存在します。
朝の6時ころにサペに着きましたが、フェリーの出発時間はなんと昼の12時頃だということでした。この何もない、やたらとゴミの転がった港で6時間も待たされるのはやりきれないなあ、と思っていましたが、他の乗客は「まあこんなもんや」という感じで、悠長に構えていました。またこのころになるとさすがに長旅を共有してきた乗客同士、顔見知りとなり、みんな和気あいあいのムードになっていました。まあ焦らずひとまずゆっくりメシでも一緒に食おうやということでテーブルを囲んでダベリ話しなどしながら飯を食っていると、それぞれどこから来たという話になり、やがてお前ところの宗教はなんだという話になってきました。インドネシアはマレー系、ニューギニア系、中国系などなどの血筋がミックスし、さらに細かい民族・部族が混交&共存している、いわゆる「るつぼ」です。また宗教も、島ひとつ隔てただけでまるっきり変わったりします。たとえばバリ島はヒンドゥー教ですが、ロンボク島、スンバワ島はイスラム教、そしてフローレス島ではキリスト教文化圏になります。そんなわけで同じバスに乗り、同じような顔してる人でも、実はぜんぜん出自が違ったりします。で、かつまた、そんな違いをいちいちどうこういう人はいません。朝飯食ってるテーブルにも結局、イスラム教徒、キリスト教徒、ヒンドゥー教徒、仏教徒がいたわけですが、その違いがわかった途端に、むしろがぜん親密な感じになりました。多分外国人であるぼくがいることも意識してだと思いますが、6時間もフェリーを待っているうちに、「異文化、異教徒同士、みんな世界平和って感じで仲良くいこうぜ兄弟」みたいなノリになってきました。こういう庶民のオープンさ、フレンドリーさに新鮮さと好感、共感を抱きました。
多文化国家のインドネシアは民族間、宗教間の紛争もたびたびあり、悲劇が繰り返されてきた歴史もありますが、そういう異文化が衝突するときは必ず「政治」「イデオロギー」が絡んでいます。しかし本当は異文化同士いがみあわずなかよくやっていこうぜ、というのが政治・経済・イデオロギー抜きの、普通の庶民が持っているナチュラルな感覚だろうと思います。こういうなにげないひとときに多くの本質が含まれているとぼくは思いますが、こうやって見知らぬ他者とよい時間をすごせただけでも結局、ボートクルージングツアーのキャンセルによってバス移動になったけれどそれはそれでよかったという気分になりました。ボートクルージングでは、普通の庶民に会うことはまずないですからね。
で下の写真は、時間が有り余ってる中でサペの港の周辺の集落を歩いて撮ったものです。
↑こんな馬車が結構走っています。2,3キロくらいの移動には大活躍するようです。
↑水辺にぎっしりと建物が軒を連ねている。ただ、みんなゴミをそこらじゅうにポイポイ捨てるし、生活用水も垂れ流しなので、これはインドネシア全体に言える事だけれど、人の集落に近い海の水は非常に汚い。
↑ これもそう。一見すごく風情があるけれど、いかんせん生活用水からゴミまで垂れ流しなので、実際に見えると水はかなり汚い。
↑こういう家が多い。
↑ギター弾いてインドネシアフォークソングをやたらとでかい声でがなっていたニイチャン。
↑アジとイワシを掛け合わせたような魚が干されていました。
↑スンバワ島も敬虔なイスラム教徒が多く、モスクも多い。
ぼくらが乗ることになるフェリーは12時ごろにやっと来たけれど、そこからさらに2時間ほど待たされることになる。
サペの港に停泊しているアウトリガーカヌー。これで上の写真のようなイワシみたいな魚を採る。夜中、集魚灯をたいて魚を呼び寄せて漁をするそうだ。
↑停泊したフェリーと岸壁の間にもぐりこんで釣りするガキ。船が動いて落ちたらどないすんねん、というのは日本人的発想で、こういうやつらはすばしこいから絶対に落ちないのである。
このようなカヌーも、ちょっとしたモノを運んだり釣りしたりするのに大活躍していた。丸木をくりぬいた、いかにも「カヌーです」という感じのカヌー。
(3月12日付「帰ってきました」という記事から始まる旅記録の続きです)
ギリ・トゥラワンガンからいったんロンボク島のマタラムという町までいって、その町外れにあるバス停で、フローレス島行きのバスに乗ることになりました。また、そこまで行くのに旅行会社のエージェントも一緒でした。最初、絶対一緒について行かなければならないと言われたとき、「このオッサンなに抜かしてやがんねん。自由にさせてくれよ。またまたそうやってガイド料とかなんとか言ってゼニせしめようという魂胆やろ」と思いましたが、ぼくが泊まったバンガローのスタッフのあんちゃんに、「いや、絶対に一緒に行ってもらわなきゃだめだよ。港もバス停もゴチャゴチャしまくっててどれがどの路線バスの停留所か多分まったく分からないだろうし、またあんたが買ったチケットにはエージェントが一緒についてくる料金も含まれている。彼にはあんたをバス停まで案内する義務がある」と言われて、それで来てもらうことにしました。なおフローレス島までのバスチケットはフェリー代も含まれて325000ルピー、日本円にして4500円くらいという非常に安いもので、しかもエージェントの取り分は10%そこそこで、つまり儲けが450円くらいということになります。そんな値段で一日拘束されるというそんなやり方で商売が成り立つのか不思議で仕方なかったし、そもそもこっちはこっちで気ままに旅したいのでわざわざ来てもらうのもなんだったのですが、結局一緒にきてもらって正解でした。場所といいバス停までの乗り継ぎといい、もうややこしくてややこしくて、おまけにバス停ではわけの分からん物乞いや押し売り、得体の知れないおっさんがあちこちうごめきまくってて、背中に20キロ近いカヤックを背負う身でそんな彼らにまとわりつかれ、自分の路線の停留所を探し当てるのは過酷極まりないものでした。一緒に来てくれたエージェントのおっちゃんはすごくいい人で、色んな話をしました。個人経営である彼の旅行代理店の収支やオフィスの家賃の額や生活費など生々しい話から、さらにインドネシア経済の現状までいろいろとその本音を語ってくれ、なんとなくインドネシア人のリアルな日常というものに触れたような気がしました。結局、450円で彼の一日を拘束してしまうのは悪いなあ、という気分でいっぱいだったので日本円にして3000円ほどチップを渡しました。このチップは高いか安いかというと、インドネシア的には非常に高いチップということになりますが、そういうのはどうだっていいんですよね。インドネシアではいい人とよからぬ人が非常にはっきりしていて、よからぬ人間というのはいかにしてこちらからゼニをせしめようと変なハングリー精神を丸出しにしてまとわりついてくるのでウザくてたまらないのですが、いい人は気さくでアジア的ともいえるデリカシーがあって阿吽の呼吸で通じ合えるものがある、一緒にいてとてもいい時間をすごせるわけなんですね。で、そういう仕事をしてくれる人はとても貴重であり、それくらいのお金ははした金だというわけです。
インドネシア現地の空気を吸ってみて、インドネシア社会は、1997年のアジア通貨危機のショックから立ち直れてないなと強く感じました。それによって、「経済発展」という最大にして念願の夢が根元からボキリと折れてしまったわけなのですが、それ以来、インドネシア全体がヴィジョンというのか目標を見出せないままのように見受けられてなりませんでした。その結果として、たとえば「俺は商売で成功して絶対財をなしてやるぞ!」みたいなポジティヴなハングリーさではなく、「今日一日のゼニカネをいかにして色んな奴からチョロまかしてやろうか」、というマイナスのハングリーさをこちらに向けてくる方々に悩まされ続けました。商売で儲けようとするなら、信用とか責任とか大事にするでしょう? それよりも今とりあえずゼニせしめれたらええ、というヒップホップで言うところのハスラー精神が、そこら中に蔓延しているわけです。毎日毎日気を抜けないわけです。
そういう中で、良心的な人に出会うと、とてもホッとします。
ぼくのエージェントは商売人というよりも非常に敬虔なイスラム教徒で、一日5回は礼拝するそうです。ぼくといるときも「ちょっとここで待っててくれ」といって祈りにいっていました。別に排他的ではなく、異教徒にも非常に寛容でした。日本のマスメディアなどでイスラム教徒っていうのは、テロとか何か事件が起こった時しかその存在を取り上げられなくて、結局タリバンとかああいう過激で異様に排他的なイメージをもってしまいがちなのですが、あんなのは仏教におけるオウム真理教みたいに特殊な例であって、普通のイスラム教徒っていうのはだいたいがすごく寛容的で優しいんですね。また一緒にいて、やはりアジア同士というか、黙ってても分かり合える部分があるという空気を感じました。
バスが出発するまで彼と色んな話をしてアドレスとか交換して、で、彼とサヨナラしたあとバスが出発してしばらくするとバスが止まりました。そして運転手の横に座ってる助手みたいなオッサンがぼくのところに来て言いました。「あなたは外国人だから、特別料金として700円追加で徴収いたします」。・・・・・・・・って、なんでやねん。
(3月12日付「帰ってきました」という記事から始まる旅記録の続きです)
先述したギリ・トゥラワンガン島に滞在中、島の旅行会社でボートクルージングツアーのチケットを予約しました。ロンボク島からさらに東にあるスンバワ島、フローレス島へとボートで渡っていくツアーなのですが、道中、普通ではまずいけないような無人島にあちこち立ち寄ってシュノーケリングしたり、適当なところで停泊して釣りしたりしながら移動していくというなかなか魅力的なネイチャーツアーです。そして到着地のフローレス島に近づくと、その近所にあるコモド島に立ち寄ってコモドオオトカゲを観察しに行くトレッキングもコースに含まれています。4泊5日のツアーで船中泊、専用のコックさんがクルーとして乗り込んで朝、昼、晩とご飯を作ってくれます。それで料金は一人950000ルピー、日本円にしてなんと約1万3千円!。もちろん途中で持ち込んだカヤックでパドリングもバンバン満喫できるだろうと非常に楽しみにしていました。大小17000個もの島々を有するインドネシアの中でも、結構島の多い海域をこのツアーでは旅することになるわけですが、一体どんな場所が待ち構えているのかと思うと興奮してなかなか寝付けませんでした。
また、こういうクルージングツアーとタイアップして、うちのアイランドストリームのカヤックツアーとコラボレーションしても絶対とんでもなく面白いと直感し、まずは下見しなきゃいかんなといくことで行く前から勝手に盛り上がってしまっていました。
ところが出発前夜になって、ボートのエンジントラブルによりクルージングツアーは欠航ということになってしまいました。次のツアー催行は1週間後になるらしく、どうしようかとぼくは悩みました。このツアーはあまりにも魅力あふれるものだけれど、一週間も時間をつぶすのはもったいなさすぎる、日数的にも無理だ、それに一週間後も絶対に催行するかどうかは間近になってみないと分からない、ということを言われたので泣く泣く諦めることにしました。で、代わりに、バスとフェリーを乗り継いでスンバワ島経由でフローレス島に行くことにしました。いずれにしろ今回の旅では、世界最大の爬虫類・コモドオオトカゲを生で見るというのがひとつの目標でもあったわけですが、彼らの生息するコモド島、リンチャ島に行くにはフローレス島のラブハンバジョーという港町まで行ってボートをチャーターする必要があるわけです。あるいはフローレス島からロンボク島に向かう同じようなボートクルージングツアーももしかしたらあるかもしれない、という話だったのでそれに期待するという意味も込めて、結局、バスで旅することになりました。
(3月12日付「帰ってきました」という記事から始まる旅記録の続きです)
ギリ三島へのアクセスはまず、バリ島東部のパタンバイというひなびた港町からフェリーに乗って約50キロ離れたロンボク島のレンバルという港町に渡ります。で、そこからシャトルバスに乗り換えて約2時間、バンサールという北西部の海岸に到着します。そして次はアウトリガーボートに乗り換えて、ギリ・アイル、ギリ・メノ、ギリ・トゥラワンガンとそれぞれ行きたい島へと渡ることになります。いずれもバリ島のビーチリゾートよりもはるかに美しい、絵に描いたような南の島です。別記事にも書いたとおり、何日間かじっくりカヤックで探索するにも最適です。どの島にも宿泊施設があります。安宿からかなり高級ホテルまでそろっていますが、バンガロースタイルの簡素な宿が多いです。ギリ・トゥラワンガンが一番開けていて、ビーチ沿いの道にレストランやバーが結構並んでいます。といっても、車もバイクも走っておらず、「チドモ」と呼ばれるレトロな馬車が唯一の交通機関だったりします。面白いです。
バリ島のクタやウブドなどの主要観光地にひしめいている旅行代理店で、フェリー、バス、ボート代をすべて含めたギリ島行きのチケットが簡単に手に入ります。日本円にして2000円ほどと非常に安いです。ただその移動に丸一日かかることと、便が大幅に遅れたり乗り継ぎが間に合わなかったりすることが日常茶飯事なので、結構疲れます。ぼくが行った時もフェリーが大幅に遅れ、そのおかげでバンサールからギリへのボートの時間が間に合わず、大変でした。インドネシア人はそういう場合、絶対に責任を取ったりきちんとした代替案を出すことがなく、「今日はもうボートなくなったので、はい、明日また各自チケット買って自分で行ってください~」と言い放ってあとはもう知らんぷりするというのが普通です。そこで、「いや、乗り継ぎに遅れたのはオマエラの責任だ、絶対ボート出せ」と諦めずに粘ると、「じゃあ一人500円ずつ出したら特別チャーターで出すことにする」とか、結局そういうところに落ち着きます。インドネシアの特に交通機関は、何かにつけて500円とか1000円とかこまごまとした金額を余分&不当に要求してくることも多いです。しかしまあそうスムーズに行かないことも旅のうちだと割り切って考えると、別にたいしたことはありません。「次は何が起こって、どんなわけわからんこと言い出すかな」と楽しむのもまた、インドネシア旅行の味わいのひとつだといえます。
また、交通機関を使わず、バリとロンボクの海峡をカヤックで渡ることも可能だけれど、インド洋からの南うねりが常に入ってきていて、風もよく吹くのでこれもまた結構ハードだと思いました。ちなみにそのロンボク海峡には「ウォーレス線」という分類上の境界線が引かれていて、バリより左は熱帯雨林系で、一方ロンボク島より右に行けば行くほど乾燥した気候となり、動植物や地質的にオーストラリア大陸との共通項が見られるようになるとされています。そんなラインはまあ人間が決めたラインであり、実際に線が引かれてあるわけでももちろんないけれど、「ウォーレス線」とか「北回帰線」とか「赤道」とかそんなところをカヤックで渡ったぜというその実感は、地球スケールのロマンチシズムを刺激し、ある種の人間の胸をキューンとさせるものがあるように思う。
バリからロンボク島に渡るフェリーはかなり古く、日本で昭和30年代に使われていたような中古が今でも使われています。たいした波じゃなくても、結構揺れます。なぜか出船までの時間、やたらと物売りの人々が勝手に乗り込んできてあれ買えこれ買えと、まあそれはそれは非常に賑やかでした。出船するとそういう連中はいつの間にか消えています。また、ストリートチルドレンみたいなガキンチョ5人くらいが船内でギター弾いて歌うたってチップを要求してきますが、その歌がド下手だったりするので非常に笑えました。