プリミティヴクール

シーカヤック海洋冒険家で、アイランドストリーム代表である、平田 毅(ひらた つよし)のブログ。海、自然、旅の話満載。

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2023-08-29 23:13:00 | 震災や原発に関連する事













 国家ブランディングという意味でも自然を尊ぶ日本古来の文化伝統は環境の世紀でありSDGSの時代の今に凄くマッチするはずだと思うのだが、その観点から述べる識者が意外といない。
 数字教みたいな論点の人は多いが。

 これからの時代、国歌レベルから個人レベルに至るまで、世界のコミュニケーションツールである文化が本当に大事。分断の時代と言われるこの時代において、その真逆の接着性、親和性を持つのが文化ってやつだから。でも文化ってそう簡単に深まるものではなく、50年100年ごときではまだまだ新芽みたいなもん。その点日本は1000年2000年、縄文を入れると10000年、旧石器時代を入れると40000年の深みをもつ自然文化があり、その内実的には地球的リスペクトに値する価値をもっている。
 一方、汚染水海洋投棄は、それを断ち切るに等しい行為だとも言いうる。
 それが死ぬほどもったいないと思うのよ。
 何千兆ドル、何京ドル払っても入手不可能な財産をみすみす手放して、馬鹿だと思うのよ。
 頭大丈夫かって思うわけよ。


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狂ってる、頭大丈夫か?

2023-08-24 21:22:00 | 震災や原発に関連する事



とうとう本当に流してしまうと、「あ〜あ」感がハンパない。海水で薄めて基準値以下にして流せばOK論法でいくと、水銀でもカドミウムでもジャンジャン流してOKと、理屈が成立することになる。

 一方、環太平洋カヌー文化圏としての日本古来の自然文化は素晴らしい、などという僕のような奴の論は危うくなってくる。
 海外の人に「そんなん言うてもキミ、水俣では水銀流すわ、福島では核物質流すわ、ぜんぜん説得力ないがな」と言われて返す言葉なくなってしまうから。

 日本の海人として、情けない。
 こんなん古えのご先祖たちはどう思うのだろうか? あるいは最澄、空海、道元、一休、松尾芭蕉、西行、柿本人麻呂、千利休、役行者、聖徳太子、卑弥呼らはどう思うのか? ご意見を聞いてみたいところだ。

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別の発展の道

2023-08-22 11:08:00 | 震災や原発に関連する事



ついに放射能汚染水を海に垂れ流し、残念で情けなくてならない。海水で薄めてから海に流すなんて、詐欺師の口上みたい。

 実は日本ほど自然が豊かでバラエティに富む国はなかなかない。奥深い自然文化を持つ国もなかなかない。たとえば神道なんて実はインディアンとかアボリジニとかアフリカンコスモロジーに通じるような深みをもっている。
 だけど今回、母なる太平洋に放射能を流す時点で、それらの文化伝統を断ち切ることになる。望むと望まざるとに関わらず、そういうことを意味する行為だ。基準値とか風評とかそんなんじゃなく、プライドの問題。そして国家ビジョンの問題。

 これから21世紀の中後半から22世紀にかけて、文化ってものが世界ですごく大事になってくる。なぜならAIとかテクノロジーが進めば進むほど生産性は平準化し、一方、がぜん浮き彫りになるのが人間の感性やマインドであり、その総体が文化ってやつだから。日本ももっと根本的に、時代の流れ世界の流れに即した全く別の発展の道があるはず、本来は。


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東日本大震災から11年

2022-03-11 19:50:00 | 震災や原発に関連する事







毎年3.11に東日本大震災の犠牲者への哀悼の意をこめて祈りの聖地である高野山への参詣道を歩くイベントを行っていますが、11回目の今年も無事終了。

 年々、自分の中で変わっていく東日本大震災に対する考え方や感じ方を、客観的に見つめ直す作業が毎年の欠かせない習慣になりつつある。それと同時に日本社会はあの時の教訓を今に生かせているだろうかと考えさせられる。

 国家ブランディングも見据えた世界最先端の自然エネルギー開発を究極に追究する産業へのシフトチェンジとか、廃炉技術を輸出するビジネスとか、もっとやりようがあったのでは、あるのではないかと。



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疑心暗鬼の高速増殖炉

2018-10-02 15:36:09 | 震災や原発に関連する事

 先日、広島高裁の異議審決定にて四国電力伊方原発3号機(愛媛県伊方町)の運転差し止め命令を取り消したニュースがあったが、どうも「なし崩し的」な形でどんどん原発再稼働していく流れになりつつあるように思える。
※上記写真は伊方原発に近い山口県祝島の遠景。

 伊方なんて一番ヤバい場所にある原発。事故したら日本終了のロケーションにある。火山だけじゃなく津波、地震、テロもかなり現実味あるし。モンスター台風による高潮と大波が合わさった「潮津波」も可能性がある。それらは争点になんないのかな。

 事故しなくても予期せぬところで悪影響もでるだろうね。たとえばこのなし崩し的で自浄作用が働かない日本の風潮に嫌気が差して、本当に若くて優秀な人材は日本を出ていくだろうし。おれも「日本の海は素晴らしい」なんてどの面下げてガイドできるかと、ほとほと嫌気が差して来てるし。

 あと放射能てのは、目に見えんし五感でもわからんがゆえ、疑心暗鬼という最悪の感情を生む。たとえば最近有名人で若くしてガンで死ぬ人が多いけど、それもしかしたら福島原発事故の影響がそろそろ社会に出だした現れちゃうかと、みんな薄々考えてたりすると思う。

 ほんまは関係ないかもしれんし、いや、あるかもしれん。因果関係調べる術がないから絶対的な答えは絶対にでない。だからがゆえ、不安に思う人はますます不安に思うし、内部被曝しとるんとちゃうやろかとか、考える人はますます考えてストレスたまるだろうなと思う。地震くるたびにヒヤヒヤするのも、あいつの原発に対する考え方気に食わんと友達の人格疑ったりするようになるのもまた、疑心暗鬼のひとつの形態。

 この、疑心暗鬼のマイナス面はあんまし有識者は言わんけど、人間心理としては非常によくない種類のものであろうことは誰もが分かると思う。際限なくとことん膨らんでいく鬼だから。

 原発とは、疑心暗鬼のとめどない泉であり、究極の発生装置である。
 高速増殖炉なんてよく言ったものだ。
 何を高速で増殖させるの?
 疑心暗鬼をである。


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高野山町石道ピーストレッキング無事終了

2017-03-23 13:21:33 | 震災や原発に関連する事

 先日3月11日に開催しました、第6回高野山町石道ピーストレッキングはおかげさまで無事終了しました。

 なお、参加費は、ハタチ基金に寄付させていただきました。

 参加者の皆様、ありがとうございました。


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震災・原発に関するカテゴリ作成

2013-03-21 02:04:47 | 震災や原発に関連する事
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 先日も福島第一原発で、 
 配電盤に入り込んだネズミが感電してショートした事により停電し、
 冷却システムが停止したという恐ろしいことが起こりました。
 世間の反応はシレっとした感じでしたが、
 3.11以前ならば大騒ぎになっていたことかと思います。

 もうこの程度のことは、慣れっこになって、
 感覚が麻痺してしまっているのですね。
 だけど、麻痺してしまったとしても、
 それは人間側の問題で、
 物理的な危なさは変わらない。

 これは海に出る時と一緒で、
 慣れてきた頃が一番危ないことが多い。
 どんなにうまくなろうが経験を重ねようがいい道具を持とうが、
 感覚が麻痺してしまったらだめなんですね。
 実はぼくがシーカヤックで一番気をつけていることは、
 まさにそこの部分で、だからこそ、原発事故に関して、
 この慣れきってしまった風潮が非常にこわく感じてしまいます。

 自分自身でも、常に普通の感覚を思い出すためにも、
 3・11以降このブログに書き留めた震災・原発関係の記事を
 ひとつのカテゴリーにまとめてみました。
 興味のある方はどうぞ。
 http://islandstream.blog.ocn.ne.jp/weblog/cat12419769/



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死の時代 だけど、おれたちの時代 だから

2013-03-15 23:58:40 | 震災や原発に関連する事
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 3月13日、山口まで走った。
 14時からのスラップ裁判(中電によるいやがらせ裁判)傍聴には間に合わなかったけれど、そのあとの「上関原発現状報告とミーティング」と山口県庁前での上関原発建設反対デモに参加。3.11後のこの日本において、既存原発再稼働もとんでもない暴挙だけどそれをさらに飛び越えて、なんで新しい原発を建設せにゃならんのか、経済的価値ってやつから見ても、全く意味が分からない。なにか、ものすごく不気味なものを感じます。

 参加してみて、やはりこういうミーティングとかデモに参加することは大事だなと改めて思いました。政治は裏切る、マスコミも自浄作用なし、企業もそしらぬ顔、専門家は全く公平性に欠ける、自治体もしがらみまみれでがんじがらめ・・・、となると、結局、良識ある普通の市民が声を挙げるしかないのかもしれないな、と。

 それに「ノーと言わないで黙ってると、自動的にイエスってことになる」。

 そんな馬鹿な、と思うだろうけれど、世の中そういう構造になっているのだ。「ノー」とちゃんと表明することによって初めてイエスではなくなる。その人数が多ければ多いほど、機会が多ければ多いほど「ノー」が強くなる。そうなると向こうもおいそれと好き勝手にはできなくなるし、個人はさらに別の個人と繋がり、やがて国境を越えた国際世論にも繋がっていく。物理的にそうなる。
 だから参加できる機会を見つけてできるだけ参加したほうがいいと思った。

 いや、本心ではそんなことしたくないと思っている。ぼくみたいな中途半端者だけじゃなく、たとえ反原発に命を張ってきたような人でも、本心ではきっとそう思っていると思う。人生は短い。たった数十年だ。みんな、ほんとはこんなことよりももっと自分の夢の成就や自己実現にエネルギーを使いたいはずなのである。そして、にこにこ笑いながら山紫水明を愛で、花鳥風月を礼讃したいのである。
 そうじゃない時代、そういうわけにはいかない時代。。

 「みんな原発なんて要らないと思ってるはずなのに、
 なんでワシがこんなことせにゃならんのだ」。
 そう思うのが、人情ってやつだ。

 だけど誰かが声を挙げないと、体を張らないと、
 「イエス」になってしまう。

 ああ、なんちゅう時代。
 
 そんなことを思いつつ、翌14日は反核シンガーの内田ボブさんらとご一緒させていただき、感動的なライヴを観せていただきました。ボブさんの歌は非常に分かりやすく、のびのびと自然体のようでいて、無駄な言葉が一語もなく「てにをは」まで徹底的に考え抜かれ鍛え抜かれた歌詞だと感じました。帰りの車の中でもカーステで歌詞をじっくり吟味しましたが、ますますそう感じましたね。
 特に「おお チェルノブイリ」という曲の、
 「おお、死の時代 だけど おれたちの時代 だから」ってフレーズ。
 前後の歌詞の流れと「だけど」「だから」という言葉を使う時の呼吸、あるいは使わない時の呼吸が、「なんて絶妙なんだ」と感銘を受けました。


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大震災より丸二年

2013-03-11 22:33:46 | 震災や原発に関連する事
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 タンザニア・ザンジバル島から帰ってきてしばらく、バタバタしていました。
 その旅の話は今月中に一気にこのブログに記載させていただきますのでよろしくです。

 さて、大震災より丸二年。昨日は犠牲者への哀悼、被災者への想い、復興への祈りを込めて、そして脱原発、反核、平和の祈りも込めて、祈りの聖地である高野山への参詣道をウォークしてきました。おかげさまで20キロの山道を全員無事完歩。この日のために体調を整えて来て下さった参加者の方々に心よりお礼申し上げます(誰もこなかったらどうしよう・・・、とか思ってましたし)。
http://homepage3.nifty.com/creole/kouyasan.html

 寒冷前線のやってきた昨日はなかなか、自然のダイナミズムを実感する一日でした。なんせ一時間で12度くらい一気に気温が下がったわけですから。朝、沼地の横で休憩していると、なんとも気色の悪い生暖かい風が吹いてきて、まるで沼からカッパでも出てきそうな雰囲気になりました。その後昼過ぎまで気温高めで、シャツ一枚で歩き続けました。13時半頃(ゴールから2キロほど手前)に物凄いスピードで灰色の雲が山間を流れたかと思うと、雨が降り出しました。そしてちょうどゴールするやいなやザザ降りになりました。サテンで茶をしばきながらやりすごし、しばらくすると止みましたが、途端にグーッと冷え込みました。一時間で15度くらいから2度くらいに落ちたわけです。さらに夜にはマイナス5度まで下がったらしいです(ちなみに上の写真は、近くにいたおっちゃんに撮ってもらったのですが、手ぶれしてますでしょ? 要するに急に寒くなってブルったからです)。

 で、やはり自然はすげえなと思いました。まあ町に居ててもこの気温の変化くらいは実感できだだろうけれど、やはりトレッキングという行為にて自然の懐に入り込むことによって臨場感が何十倍も増すところがありましたね。全身で捉える一連の気象の流れと気温の変化。生き物のような脈動というか鼓動というか、吐く息が届きそうな生々しい距離感というか、ほんとにリアルな感覚でした。

 そしてふと考えたことは、こういう、自然のヴァイヴに対して「グレートだ」と感じる心や畏怖心を大切にするために空海はわざわざこんな山奥に高野山を開いたのかもなということでした。そもそも空海の真言密教とは自然のスピリットの中に大日如来の叡智を見いだすっていう信仰ですし。

 で、こういう感覚を分かってると、普通の神経として、原発など容認できるわけがないなとも思いました。人間の小手先など自然にはかなうわけがないのだし、大地震や津波などの猛威によっていつか大事故を起こすに決まっている。思えば、原発推進派のお偉い識者らの顔ぶれを見ていると、どんなに秀才っぽくても自然音痴の面構えをされておられます。
 
 別に自分がアウトドア人間だから言うわけでもないですが、そもそも日本文化って自然文化なわけですし、日本人であるならばもっと自然に触れる機会をもったほうが絶対楽しいし色んな発見がある。で、ぼく自身もそういうことを遠慮せずもっともっと言った方がいいんじゃないか、そのためにカヤックガイドやカヤック旅人なんぞやっとるんだろが、と改めて空海さんに叱咤激励されたような気がした今回の旅路でした。


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ゼニより生命

2012-12-18 09:11:03 | 震災や原発に関連する事
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 今一度世の中を見渡すと、生命より経済、
 人や自然よりゼニゼニゼニって価値観で回ってんだなと改めて気付く。
 21世紀のあるべき価値観が開かれず、
 20世紀の価値観がダラダラ雪崩れ込んできてより肥大化しとる現れだが、
 それによって危機を迎えてる21世紀初頭の今とは、
 20世紀の亡霊にとり殺されようとしてる時代と言えるかもしれない。

 なぜそのことを言う霊能者がいないのだろうか、
 よくよく考えると不思議だ。

 そういや20世紀最大の反逆精神の持ち主だった
 ヘンリー・ミラーやルイ・フェルディナン・セリーヌといったアウトロー作家らは
 実に正直で本質を突いた「ライフ至上主義者」だったんだなと今になってよくわかる。

 もちろん経済や金も大事なんだけど、そんな中でもしがらみに飲まれず、
 いかに経済より生命、ゼニより人や自然というチョイスができる
 人生設計をしていけるかってことが人生最大の目的なんじゃなかろうか
 と改めて思うここ2、3日である。
 それが一番簡単なようでいて一番難しい、
 難しいようでいて簡単なことだから。


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選挙後のつぶやき

2012-12-17 23:51:14 | 震災や原発に関連する事
B

 海人目線で時々思うんだが、「オマエラ迷惑だから即刻原発やめい」
 と、アメリカが怒って圧をかけてくるってことはないんだろうか? 
 なぜなら海も空も環太平洋エリアとして繋がっているわけだし、
 事故起きたら偏西風やジェット気流、また黒潮続流によって
 ウエストコーストを中心に全米が如実に汚染されるわけだから。
 特に縄文時代は海の底だったところに無理やり作って
 ドエライことになる可能性高い六ヶ所村核廃棄物再処理場が事故ると、
 モロにアメリカは危害被る。

 まあ黒潮マニアのぼくの見立てで言うと、
 フクシマから出たプルトニウムは既に、
 黒潮経由でカリフォルニアにまで行ってると思う。
 それから黒潮続流から派生した「北太平洋還流」という渦流が、
 ハワイ東沖からミッドウェーあたりにあるんだが、そいつもクセモノだと思う。
 ここに日本ほか黒潮沿線からのゴミが大量に流れ着いているからだ。

 別名「太平洋ゴミベルト地帯」と呼ばれ、
 実にテキサス州の2倍もの面積のゴミが行き場を失い、埋め尽くされている。
 特に日本からのゴミが多い。ということはフクシマからの・・・。
 田中優氏なんかははっきり
 「数年後ハワイはサーフィンに適さない海になるでしょうね」と言ってるね。
 サーフィンのないハワイって??? 
 
 もちろんハワイもミッドウェーもアメリカである。
 ナショジオあたりでそういう警告記事がなにげに掲載され、
 それが引き金になりアメリカの世論が騒ぎ出し、
 やがて日本に圧をかけてくるってことにならんのだろうか。
 日本のどんな党もアメリカにはよう歯向かわんからな。
 最終的に
 「ったくアメリカはしゃあないのう。
 ほな、原発やめたるかわりに、
 基地全撤退してもらうってことで手ぇ打たせてもらいまっさ」と、
 ならへんのかいな。

 だけれども現実は、アメリカ政府こそ、
 生命より経済、ゼニで動いてるからなあ。
 逆に「日本で原発ゼロなどになったらこっちが儲からんようになるから、
 原発ゼロなどけしからん」とアメリカが圧をかけているという論もあるわけだしなあ。
 オバマの政策として「クリーン・エネルギー」と「国際競争力」のための
 「新世代原発」の推進ってのも掲げてたし。
 グリーンニューディールというのも、新世代原発が軸になってたりしたしな。
 結局ゼニゼニゼニの世の中に、あーあ、だよ。


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ギャンブラー

2012-12-12 16:57:59 | 震災や原発に関連する事
H

先日東北で結構デカイ地震あったけど、内心ビビってた。
というのもちょうど去年の3.11の1カ月後の4月7日にあった同程度の余震でも、
六ヶ所村の再処理施設の外部電源が全部落ちて、
非常用電源でかろうじて冷却できたいう、
人類滅亡の危機一髪事件があったからだ。

つまり全国の原発からの核廃棄物3000トン近くを溜めとるプールが、
「ドッカーン」の寸前だったわけ。
当時ドサクサにまぎれてテレビも新聞もサラっとしか取り上げとらんかったけど、
先日の地震でそれを思い出した。
というか、今回は大丈夫かいなと非常にビビらされた。

すげえギャンブル国家運営や。
背広来たマジメそうな顔したオッサンらは実はすげえギャンブラーだわ。
シーカヤックガイドのオレの安全基準からしたら、
そんなギャンブル性の高いツアーは何億円積まれてもやらん。
みんなそうだろ?
シーカヤックで単独日本一周するより遥かに死ぬ可能性高い原発存続。
この選挙はそこんところが争点だ。絶対棄権せず吟味して投票しようぜ。


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東北ボランティアの旅 その2

2012-11-22 22:57:51 | 震災や原発に関連する事
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 先日行っていました東北ボランティアの旅の続きです。

 岩手県山田湾で三陸カヤックス応援隊のイベントに参加した後、
 宮城県南三陸町で漁業復興支援のボランティアに参加し、
 次に気仙沼でとある役所の庁舎の二階の清掃ボランティアをさせていただきました。

 この写真は、その、気仙沼の時のやつです。
 震災、津波襲来当初そのままの、全く手つかずの現場です。
 優先順位の問題で、まだまだ後回しにされている生々しい現場も
 このように残されているのです。

 時計は3時28分で止まったまま。
 カレンダーは2011年3月でめくられないまま。
 湯呑み茶碗に残された淀んだ海水が当時の現場を物語っていました。
 役所関連の書類が散らかる中、
 かき養殖体験の小学生の作文集が見つかり、読みふけってると胸苦しくなりました。

 昨年来た時には衝撃を受けたましたが、
 今回は強い閉塞感のようなものを覚えました。

 まず第一の理由として、東北復興のヴィジョンが今イチ見えて来なかったから。
 新エネルギー立国なのか、観光立国なのか、農業水産業で盛り上げるのか、
 経済特区を全面に押し出すのか、グランドデザインが見えてこないのは
 ザ日本の問題点の縮図というか濃縮果汁って感じで閉塞感強かったですね。

 で、その中でコンクリートものの土建工事だけが進んでいる現状です。
 先に行った釜石でも、津波対策用防波堤の再建に500億円を投じて、
 工事を進めていました。
 1200億円を投じて建設されたけれど、一瞬でぶっ壊れた沖の防波堤です。
 その一方、仮設住宅暮らしを未だ余儀なくされる人々に対しては、
 元あった場所に住宅や店舗を再建する許可も役所から下りず、
 またその生活がいつまで続くかもわからない現状だったりします。
 その手の話が数多くあるようです。
 あの、コンクリートから人へ、というフレーズは遥か昔の夢のようだ。
 再び、人からコンクリートへ、って感じもしました。

 あと閉塞感を感じたもうひとつの理由は、
 もうぼくら関西に住んでいる人間には、
 東北のことについてかなり意識が薄れているというところだ。
 薄れていると言うか、「なかったこと」、な感じになっている印象がある。
 で、三陸の現場に行ってみるとそのギャップ感に、
 どうも重苦しいというのか、
 取り残されている感が強いというのか、
 なんともいえない気分になりましたね。

 陸前高田の市長も本で書いてたけれど、
 三陸にとって一番まずいことは、
 忘れ去られてしまうことだと強く実感しました。
 復旧や復興も全然まだまだでしたね。
 この写真のような所もまだあるわけですし、
 ボランティアの人手も必要としています。

 各地のボランティアセンターの方たちは頑張っておられます。
 特に(社)気仙沼復興協会の若いスタッフの方々には感動しました。
 物腰は柔らかいし、みなさん謙虚で爽やか。
 遠くから来た者に対して心から歓迎して受け入れてくれている気持ちが
 ぐっと伝わってきました。

 この日は総勢30名以上での作業だったんですが、
 これだけの人がいるとかなり片付きました。
 それが下の写真。

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東北ボランティアの旅、その1

2012-11-15 13:48:56 | 震災や原発に関連する事
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 先日から東北にボランティアの旅に行っていて、
 さっき帰ってきました。

 まずは三陸カヤックス応援隊のイベントに参加しました。
 これはボランティアではなく、一般参加者として。
 岩手県・釜石近くの山田湾にて。

 三陸と言えば、10年前にシーカヤック日本一周した時に、
 気に入って、また土地の人々によくしていただいて、
 絶対また来よう、来よう、来よう・・・、と思ってるうちに昨年の震災が。

 あの震災では、多くの方々と同様、
 たくさんの三陸のシーカヤッカーも悲しい思いをしている。
 命からがら生き延びた方もいるし、
 亡くなった方もいる。
 家族や親せき、家屋や車や財産を失った方もいる。

 そんな未曾有の災害と悲劇を生んだ海で、
 よそから来た者がノホホンとシーカヤックを楽しむなんて
 無理だな、と思っていたし、
 まして三陸のシーカヤッカーの方々にとって、
 なかなか海に出る気になんて、
 ならないのではないか、とも思っていた。

 少なくとも、単独でフラッと行ってそこらを漕ぎまわって、
 というようなスタイルで行くべきではないだろう。

 ・・・だけど気になる。
 こんな状況の三陸の海を、
 いちシーカヤッカーとして今後どう捉えればよいのか
 どのようにかかわっていくことができるのか、
 その辺が、非常に気になる。
 ・・・ということでこのイベントに参加させていただくことにしたのでした。

 一日目は強風、高波のため海には出ず交流会。
 昼間はのんびりまったりしつつ、
 知床の新谷暁生氏の、雨の中でも焚火でメシを焚く方法の
 実地レクチャーなどが行われました。
 その後、カキホタテ食べ放題懇親会~2次会へと進んでいき、
 多くの三陸のカヤッカー達と交流させていただきました。

 ぼくには何もできないけれど、何より、
 ほがらかな皆さんと交流できてよかったです。

 そして2日目は海がだいぶ穏やかになって、
 山田湾を40人ほどでツーリングしました。
 ほんとはすごくきれいな所なんだけど、
 いかんせん天気が悪かったのでいい写真が撮れなくて・・・、
 ごめんなさい。

 やはり海というのは時空を超えた超伝導体みたいなものだ。
 海に出るといろんな感情がこみ上げてくる。
 10年前のあの時一緒に酒のんだ漁師はどうなっただろうかという想いや、
 一宿一飯でお世話になった人たちの心の温かさとかが、
 胸の内でエッセンス化され、シュワシュワと、
 まるで缶ビールを振ってプシュっと開けて吹きこぼれるように、
 こみ上げてきたのでした。

 湾内の小島を巡り、
 日本唯一の「ホタテ海上ドライブスルー」で生のホタテをいただき、
 再び漕いで帰ってきました。

 やはりシーカヤッカー同士、こうして黙って一緒に漕ぐのがいい。
 来てよかった、漕げてよかったと思った。
 悲劇を生んだ海だけど、
 再び平静を取り戻したならば
 漕ぐと気持ちよい海であるのは、他の海とも変わりはない。
 もっともっと三陸の海、漕ぎたいなと思いました。
 また遊びに来たいなと思いました。

 遊び、という言葉に語弊を感じるかもしれないけれど
 そもそも遊ぶという行為は、
 ただ単に「わーい楽しかった~」というだけのことではなく、
 もっと深いものだ。
 遊びの中には、悲しんだり、悩んだり、非常に難しいことを考えたり、
 胸の痛みを覚えたりすることも含まれている。
 だからこそ深いものなのだ。
 自分と向き合い、世界と向き合い、成長してゆくこと。
 soul searching
 だからぼくは本気で遊んでいるのである。
 
 といっても、だけどやはり、
 そう調子に乗ってガンガン漕ぐような状況でもない。
 その後カヤックを車に積んであちこち走ってみると、
 「こんなもん積んで不謹慎かもな」という後ろめたさのようなものも、
 やはり拭い去れなかった。
 まだまだ津波の傷跡が痛ましい沿岸に、
 和歌山ナンバー、赤いシーカヤックを積んだ車がうろうろ・・・。
 なんか人々の目線が突き刺さるような気がしましたね。
 
 だけれども、いつまでも沈んでいるわけにもいかないのではないか。
 Life goes on、生きている人の生活、人生は続いてゆく。
 土地の人でも観光に携わる人々も多いわけだし、
 あまりに自粛ムードが続くのもよくないのではないか。

 すごくジレンマを感じましたね。
 リアス式の三陸海岸そのものは美しく、
 日本屈指のシーカヤックフィールドです。
 「漕ぎたければ漕いだ方がいいんじゃないの?」という気持ちもあるし、
 「やめといた方がいいんじゃない?」という気持ちもあります。
 また、「ここは漕いでも大丈夫だろうけれど、あそこを漕ぐのは
 誰かの気持ちを逆なでしたりすることになる」とか、そういう、
 ローカル独自の事情もあることでしょう。

 そう考えると、だからこそ、地元でガイド業をされている方々の
 力や情報をお借りすることが必要になってくるのでは、と思います。
 現場の人ならば、感情の機微を含んだ微妙なニュアンスも分かるだろうし、
 色々学ぶことがあるでしょう。
 ツアーに参加したり、物品や艇をそのショップを通して購入するようにしたり、
 ガイディングをお願いしたり・・・。

 そうしてちょっとずつ、急には無理だろうけれど、
 三陸海岸のシーカヤックの復興も可能になってくるのではないか 
 と思いました。

 今回は釜石のカヤック専門店「MESA」の草山氏らによくしていただきました。
 ぼくは抜けてるところがある人間なので、
 もしかして失礼になるようなことを言わなかったかなあと振り返っているわけですが、
 復活、復興を心よりお祈りしております。
 
 三陸のカヤックにとってはやはりプロのガイドの方の存在が、
 大事だと思います。以下の方たちが頑張っておられます。

 釜石のカヤックショップMESAさん
 http://mesasanriku.com/ 

 宮古のカヤックショップ SEASONさん
 http://sea-son.net/

 宮城県女川町のカヤックショップ 「アースクエスト」さん
 http://www.h5.dion.ne.jp/~equest/  

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22世紀とか

2012-10-31 23:10:34 | 震災や原発に関連する事
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 「21世紀の新しい価値観」というフレーズは何度も耳にするけれど、22世紀とか23世紀の価値観は・・、と述べる人はさすがに目にすることはほとんどない。
 
 数年前、南インドのラーメッシュワラムでカヤックを漕いだ時、ふとそんなことについて考えた。カースト制のインドでは漁師とか海の民はアウトカーストとされててぼくがカヤックを漕いでたら凄く変な目で見られた。で、仲良くなったのはアウトカーストの漁師ばかりだった。インドは無茶苦茶な国だけどなぜか漁師は紳士的でどこか分かりあえるような所があった。そこで直感的に思ったのは、まあ21世紀には無理だろうけど22世紀とか25世紀とかになるとインド人12億人、中国人14億人の何割か、そして全世界の結構な割合の人数がカヤックとかサーフィンとかやるようになるんじゃないかな、ということだった。
 ザイール人が湯浅湾を漕ぎ、インド人が熊野奥駆けトレッキングし、ジンバブエ人が瀬戸内をアイランドホッピングしたりする姿。

 ま、200年とか500年とかの流れでみると世界は間違いなく国境がなくなっていく方向に進んでいくと思う。21世紀というのはもう10年もたってて、既にみんなが考えることは固形化しているというか、大きな夢がなくなっちゃっているように思う。で、そういう視点もどこかに隠し持ちながら、尖閣とか竹島の問題を捉えるようにした方がいいように思ったりもする。あ、そう考えると原発なんて22世紀には絶対ないよな。しかし処理できない今のプルトニウムは何万年も残る。

 ちなみにこのラーメッシュワラムって所はスリランカとの国境に面していて、海峡の砂洲や小島を漕ぎ渡っていくと48キロでスリランカに着く。スリランカ北部には数年前まで「タミル・イーラム解放の虎」という反政府ゲリラがいたけれど現在はいなくなっている。この海峡を渡るくらいのことは21世紀のうちにできるだろう。


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