(3月12日付「帰ってきました」という記事から始まる旅記録の続きです)
ロンボク島マタラムの停留所を出た長距離夜行バスは、またすぐに止まりました。で、前回の日記の最後に書いたような展開になったあと、ギターを持った盲目の男が入ってきてひとしきり詩のようなものを詠み、ギターを弾いて歌い出しました。バリからロンボク島へのフェリーの件と同じで、こういうやり方で小銭を稼いでいる人もインドネシアのあちこちで見受けられます。別に上手くはなかったですが、ギターのコード進行がちょうど大昔のアメリカの盲目のブルースマン、ブラインド・ウィリー・マックテイルがよく使っていたものにフィーリングが似ていて面白かったので、ポケットに入っている小銭をあげました。すると、隣の席に座っているジイサンが、自分の胸の辺りを指差して「コソン、コソン」とぼくの顔を見ていいました。このジイサンはぼくがバスに乗り込んだ時から、こっちはインドネシア語がぜんぜん分からないというのにひたすらインドネシア語でバーっと話しかけてきたジイサンで、いつのまにか仲良くなっていました。で、「コソン・コソン」てなんやねん、とインドネシア語の辞書で調べてみると、「空っぽの」という意味でした。要するに、その盲目のギタリストの詠んだ詩や歌は、ぜんぜんハートがこもってないものだということでした。なぜかそのことがとても印象に残りました。この長距離夜行バスには30人くらい乗客がいましたが、外国人ツーリストは一人もいず全員現地の庶民でした。またこのバスの出発地はなんとジャワ島のスラバヤかららしく、昨晩出発してバリ島を経由してきたわけですが、みんなそこから乗ってきた人たちだそうでした。
ロンボク島のラブハン・ロンボク港からフェリーに乗ってスンバワ島に渡り、そこで再びバスに乗ってスンバワ島を西から東へ縦断しました。スンバワ島は東西に長く伸び、ロンボク島のさらに3倍くらいの面積がある比較的大きな島です。バスは夜通し走り続け、気がついたらビマという町に到着していました。で、このビマから「サペ」という港町まで行くのに別のバスに乗り換えなきゃいけないらしくて、眠い目をこすりながら重たい荷物をバスから降ろすと、次に乗ることになる目の前のバスはなんとまあボロボロのシロモノ。さっきまでのやつはエアコン、トイレ付きのメルセデス・ベンツ社のVIPバスだったのですが、お次のやつは昭和24年くらいに日本でも走っていたような感じの小さいオンボロバス。乗客の荷物は屋根の上に山のようにうず高く積み上げられ、乗客はおしくらまんじゅうのようにギュウギュウ詰めに詰め込まれる、サスペンションのないバスはちょっとした凹凸でガンガン揺れる、ヤクザな顔をした運転手はガケすれすれの山道を親のかたきのように飛ばしまくるということで、一気に目が醒めてしまいました。2時間くらいそうやって走って、サペという港町にまでたどり着きました。サペ港は、フローレス島へ渡るフェリーや、またフローレス島の南にあるスンバ島やティモール島へいくフェリーも乗り入れています。ちなみにスンバ島というのは、数十年前まで首狩りという風習が行われていた場所で、また島の南東部には今でも「奴隷制」が残っているという、それはそれはすごいところです。行ってみたかったのですが、今回はその時間がありませんでした。なおスンバ島とスンバワ島は名前は似ていますが、違う島です。ぼくがいたのはスンバワ島です。サペという港町です。なおこのスンバワ島の南には、レイキーピークという非常にすばらしい波が立つサーフポイントがあって、サーファーには知る人ぞ知る島としてあこがれられています。あのミクシーにもレイキーピークのコミュニティが存在します。
朝の6時ころにサペに着きましたが、フェリーの出発時間はなんと昼の12時頃だということでした。この何もない、やたらとゴミの転がった港で6時間も待たされるのはやりきれないなあ、と思っていましたが、他の乗客は「まあこんなもんや」という感じで、悠長に構えていました。またこのころになるとさすがに長旅を共有してきた乗客同士、顔見知りとなり、みんな和気あいあいのムードになっていました。まあ焦らずひとまずゆっくりメシでも一緒に食おうやということでテーブルを囲んでダベリ話しなどしながら飯を食っていると、それぞれどこから来たという話になり、やがてお前ところの宗教はなんだという話になってきました。インドネシアはマレー系、ニューギニア系、中国系などなどの血筋がミックスし、さらに細かい民族・部族が混交&共存している、いわゆる「るつぼ」です。また宗教も、島ひとつ隔てただけでまるっきり変わったりします。たとえばバリ島はヒンドゥー教ですが、ロンボク島、スンバワ島はイスラム教、そしてフローレス島ではキリスト教文化圏になります。そんなわけで同じバスに乗り、同じような顔してる人でも、実はぜんぜん出自が違ったりします。で、かつまた、そんな違いをいちいちどうこういう人はいません。朝飯食ってるテーブルにも結局、イスラム教徒、キリスト教徒、ヒンドゥー教徒、仏教徒がいたわけですが、その違いがわかった途端に、むしろがぜん親密な感じになりました。多分外国人であるぼくがいることも意識してだと思いますが、6時間もフェリーを待っているうちに、「異文化、異教徒同士、みんな世界平和って感じで仲良くいこうぜ兄弟」みたいなノリになってきました。こういう庶民のオープンさ、フレンドリーさに新鮮さと好感、共感を抱きました。
多文化国家のインドネシアは民族間、宗教間の紛争もたびたびあり、悲劇が繰り返されてきた歴史もありますが、そういう異文化が衝突するときは必ず「政治」「イデオロギー」が絡んでいます。しかし本当は異文化同士いがみあわずなかよくやっていこうぜ、というのが政治・経済・イデオロギー抜きの、普通の庶民が持っているナチュラルな感覚だろうと思います。こういうなにげないひとときに多くの本質が含まれているとぼくは思いますが、こうやって見知らぬ他者とよい時間をすごせただけでも結局、ボートクルージングツアーのキャンセルによってバス移動になったけれどそれはそれでよかったという気分になりました。ボートクルージングでは、普通の庶民に会うことはまずないですからね。
で下の写真は、時間が有り余ってる中でサペの港の周辺の集落を歩いて撮ったものです。
↑こんな馬車が結構走っています。2,3キロくらいの移動には大活躍するようです。
↑水辺にぎっしりと建物が軒を連ねている。ただ、みんなゴミをそこらじゅうにポイポイ捨てるし、生活用水も垂れ流しなので、これはインドネシア全体に言える事だけれど、人の集落に近い海の水は非常に汚い。
↑ これもそう。一見すごく風情があるけれど、いかんせん生活用水からゴミまで垂れ流しなので、実際に見えると水はかなり汚い。
↑こういう家が多い。
↑ギター弾いてインドネシアフォークソングをやたらとでかい声でがなっていたニイチャン。
↑アジとイワシを掛け合わせたような魚が干されていました。
↑スンバワ島も敬虔なイスラム教徒が多く、モスクも多い。
ぼくらが乗ることになるフェリーは12時ごろにやっと来たけれど、そこからさらに2時間ほど待たされることになる。
サペの港に停泊しているアウトリガーカヌー。これで上の写真のようなイワシみたいな魚を採る。夜中、集魚灯をたいて魚を呼び寄せて漁をするそうだ。
↑停泊したフェリーと岸壁の間にもぐりこんで釣りするガキ。船が動いて落ちたらどないすんねん、というのは日本人的発想で、こういうやつらはすばしこいから絶対に落ちないのである。
このようなカヌーも、ちょっとしたモノを運んだり釣りしたりするのに大活躍していた。丸木をくりぬいた、いかにも「カヌーです」という感じのカヌー。