先日の近江八幡ツアーシリーズ中の休日に登った武奈ケ岳。
ブナの樹林帯と、高度を上げると展望が広がる稜線からの景色が抜群にいい。
頂上から見わたせる琵琶湖の風情も素晴らしかった。
反対側に目を転じると、この日は霞んでいて目視では見えなかったが、山々の向こうに、存在感として日本海の気配を感じさせた。海の中の列島、そしてその列島の中の「山と湖」という関係性を強く意識させられた。
大きなスケール感ある自然の姿を、身体イメージとして捉えることのできた一日だった。
先日の近江八幡ツアーシリーズ中の休日に登った武奈ケ岳。
ブナの樹林帯と、高度を上げると展望が広がる稜線からの景色が抜群にいい。
頂上から見わたせる琵琶湖の風情も素晴らしかった。
反対側に目を転じると、この日は霞んでいて目視では見えなかったが、山々の向こうに、存在感として日本海の気配を感じさせた。海の中の列島、そしてその列島の中の「山と湖」という関係性を強く意識させられた。
大きなスケール感ある自然の姿を、身体イメージとして捉えることのできた一日だった。
お久しぶりです。
1ヶ月以上ブランクを空けたのは、このブログ史上最長かもしれませんね。
すいません。
今後の展開などに関わる、ちょっと色々やるべき作業に集中していました。
なかなか今の時期にしかできないことがいっぱいありまして。
さて、2012年から毎年3.11前後の土日のいずれかの日に行っている、東日本大震災の犠牲者への哀悼、復興への祈りを込めて、祈りの聖地である高野山への参詣道を歩く「高野山町石道ピーストレッキング」ですが、今年は第7回目になります。ちょうど3月11日が日曜日になりますので、この日に開催します。
http://islandstream.la.coocan.jp/kouyasan.html
震災から7年もたつわけですが、関西ではもうすっかり終わった、というか、なかったことのようになっていますが、原発の汚染水の問題にしろ廃炉の問題にしろ、収束してない物事が色々山積みになっています。また、復興という名の元に国、政治家、官僚、大企業などがその利権に群らがり恩恵を得、一方肝心の弱い立場の被災者はないがしろにされたままという現状もあります。
水産復興特区問題、仙台空港民営化、巨大防波堤建設、被災地へのカジノ誘致、大資本のショッピングセンターの出店とか、ぼくら関西人はほとんど知らない実態。焼け野原の更地にここぞとばかりに入り込む、いわゆる惨事便乗型資本主義というやつ。
ということを言うと「キミ、左か?」という人もいるでしょうが、別にこれをいいとも悪いとも言ってない。ただ、知らないのはよくないのでは・・・、ということ。
現地では未だに仮設で暮らしてたり、なんとか商売している人もいる。さらに、その仮設ももうそろそろ取り壊すから○月○日までに出て行ってくれ、と追い出されるケースもたくさんあると聞く。出て行け、と言われましても・・・、アパート・マンションやテナントビルなんて津波で流されてないわけだから引っ越しも簡単ではない。引っ越しするなら、新たに己で新築するしか方法はない。まだ若かったらそうすればいいけれど、いい年になってしまってたら・・・・。
去年釜石に行ったときに入った飲み屋なんか、戦後から土地に根付いた歴史ある渋い飲み屋街の仮設だったんだけど、仮設もそろそろ取り壊すから・・・、と、まさに上記した問題に直面してた。ああいうところのオバちゃんやオッちゃんは行くところがない。
そこにガーっと大資本が来たら・・・どうなるかは目に見える話。
まあ、このトレッキングイベントは別にそういう難しいことを語り合う場でもない。そういうのも含めて、歩きながら一人一人考えてみようというイベントですが、ただトレッキングを楽しむ、という意味で参加して頂いてオーケーです。
今日は釈迦ケ岳と大日岳に登った。
この辺の山々はどれもこれもドストレートに仏教名が付いているところがすごい。
もちろん、修験道や山岳仏教の修行の場であることからの、名前の由来だ。
大峰山系も実際に歩いてみると、ぼくなんかにはやはり海の気、黒潮の気を感じる。
と同時に、やはり紀伊半島とは、環太平洋の黒潮流域の中のひとつの島のように思えてくる。
紀伊半島の海を漕ぎ、そして山を歩く。
その行為の中にいろいろな発見があるのだけれど、そこでの感覚を研ぎ澄ませていくということは、黒潮感覚を養っていくってことにもなるんじゃないかな。と言ってもなかなか分からないかも知れないけれど、紀州でシーカヤックを漕いでいると、場所によって黒潮感覚の濃淡ってものがあるのが分かるし(南に行けば行くほど濃くなるけれど、北のほうでもホットスポットみたいな場所がある)、また他国に行って別の海を漕ぐと全身を包む体感が全く違うってのも分かるし、色んな場所と比べてみて総合してもそういう黒潮特有の気みたいなものがあることはぼくには実感としてある、というか自分の中ではもう常識になっている。
で、それは陸に上がって紀伊半島の野山を歩いてみても同様に感じるわけ。
客観的な自然科学の目から見ても、紀伊半島の自然って、とどのつまり「黒潮」が育んだものだし、それならそうと、「紀伊半島とは環太平洋の黒潮流域のひとつの島だ」と捉えた方が色々明確になるし、豊かな発想が導き出されると思うわけ。
あるいは「黒潮の流れの中の中洲」とか。
その中にある、山と森。
熊野、髙野、大峯と、縄文古来からの自然信仰の聖地が世界遺産になっているわけだけれど、そのスピリットの本地、エッセンスとはずばり、黒潮の気なんじゃないかな(実際に熊野三山のひとつ、新宮・速玉大社の「速玉」というのは黒潮のスピリットのことらしい)。そう考えると海と山とがひとつに繋がるわけで、また修験道という大昔からの山の信仰の始祖的存在である「役行者(えんのぎょうじゃ)」が同時に海を感じさせる存在でもあるということにもつじつまが合ってくる。
紀伊半島は面白いけれど、「環太平洋の黒潮流域」、という視点で見てみるとますます面白くなってくる。
ちなみに最近、そういう深い体験を皆さんとシェアする「ディープ紀伊半島トリップ」というオーダーメイドのツアーをスタートしました。興味ある方はどうぞチェックを。
京奈和道が繋がってから俄然大峯山系が行きやすくなった。
先日、久しぶりに近畿最高峰の八経ケ岳へ。
雲海の向こうに熊野灘を見たとき、ああなぜ役行者という山の存在が海を感じさせるのか、感覚的に全部腑に落ちた気がした。歴史上最大のアウトサイダー・役行者とは太古からこの列島に根付いていた自然文化を総じたiconであり、役行者という扉を開くと縄文時代がすぐそこに見えてくる。熊野、大峯、吉野、葛城とはそういう場所。
先日、久しぶりに稲村岳・大日岳をスピードハイク。
ここ数ヶ月間ずっと海の身体になっていたので、
大峰山系特有の「重厚な透明感」みたいな空気感が身に染みた。
京奈和道が繋がって何が一番よかったかと言えば、湯浅のうちから大峰山系の多くの登山口まで2時間ほどで行けるようになったこと。お金もあんまりかからんし。これで吉野・大峰、髙野、熊野、那智勝浦というエリアが2時間圏内に収まった。
アイランドストリームの今後の展開のアイデアも湧く。
例えば紀伊半島の海、山、川を堪能する1週間くらいのオーダーメイドツアーを押し出してみたい。あるいは1ヶ月丸々とか・・。
紀伊半島とは日本の自然文化の原郷、ルーツ的な場所であり、肌身でその本質に触れることは、日本人である限りとても価値のあることだと思います。ですが、当たり前ですが1日2日物見遊山的に観光したくらいではまず分かるべくもない。やはり時間をかけてじっくり全身で味わい、感じ、考えることによって奥深い発見があるわけですね。
その人の人生の糧となるくらいの、自分オリジナルの発見。
ぼく自身の経験上、基本、カヤックとトレッキングで、かなりの領域までに肉薄できるかと思います。そのシンプルな2つが、最良の方法なのです。海や山という、野生のエリアを人力で移動することによって入っていける紀伊半島の自然の本質的世界。日本の自然文化の原郷。それを色んな人とシェアしたい。
交通の便がよくなったことにより、ここ湯浅は、そのためのハブ的な場所だと言えるのですね。
吉野・大峰、やっぱり興味深いね。特に役行者という存在が面白い。空海もいいけど野生哲学という意味では役行者の方がダイレクトに迫ってくるものがある。山の人物ではあるけれど、不思議に海のスケールも感じさせる。
環太平洋的な海文化の広がり、スケール感。
日高川沿いの矢筈岳(810m)、
ここも紀州のアウトドアフィールドとしての懐深さをとくと感じさせる山だ。
登山口近くに気品ある鷲ノ川滝があって、
その周囲から長く続く川沿いの道にかけて、
モミジ、カエデを中心とした紅葉が素晴らしい。
(やはり温暖な紀州、紅葉は11月末から12月か)
そして頂上付近の、
弓の弦をかける部分のようなやせ尾根と、
そこから見える紀伊山地の山並み。
蛇行する日高川。
日の岬から南紀白浜にかけての紀伊水道の光り輝く海。
海の波のように重々と連なる山の峰々を眺めていると、
その向こうは水平線のように、
そして下界は海の底のように思えてくる。
まるで透明度800mの海水のようだ。
湯浅からほど近い日高川沿いには、
ワンデイ・トレッキングにすごくいい山がたくさんあって、
晩秋、初春あたりにぼくはよく訪れます。
ここは真妻山(523m)。
美しい滝と紅葉、360度開けた展望の山頂が見どころの山だ。
(先日行った時は紅葉はまだ、11月終わりから12月頭にかけてがいい)
紀伊山地って本当に山深いところで、
果てしなく続く峰々を山頂から見つめると
押し寄せる海の波のように思えて来て、
不思議に、面白い。
果てしない波の連なりとは、
異文化とか、異国とか、
知らない世界へのイマジネーションを喚起するものだ。
それは重畳とした山々の連なりを見ても、なぜか同じだ。
こういう、一見平凡、だけど非常に味わい深い山に登ってみると
紀伊半島、和歌山は海、山、川といった自然環境に恵まれていて、
ほんといいところだなあと改めて思います。
だけどアウトドア・アクティビティに興じているのはごく少数。
とくに和歌山県民はアウトドアにあんまり理解がない。
(人と話していて残念というか、ガックリくることが最近多い)
奈良、京都は歴史文化、
大阪、神戸は都市文化と、
近畿地方はそれぞれその特色がわかりやすく色分けできるけれど、
和歌山は宙ぶらりん。
「近畿のオマケ」と言われることもありました。
海、山、川と多様な自然がふんだんに残っている自然文化の国。
それが和歌山の特色。ならば、
アウトドア・アクティヴィティの価値をもっと大事にしたらいいはずなのに、
和歌山人はなぜかそこには目を向けない。
なので現状、京阪神の人達にアピールしていくしかないのだけれど、
紀伊半島の自然、その美しさ、素晴らしさ、多様性、楽しみ方を、
アイランドストリームでもっともっと伝えていきたいと思っています。
この真妻山は、地味だけど味わい深い、
和歌山のアウトドアフィールドの懐深さを改めて感じさせる山。
展望のよい山の頂上のススキ原は海のようで好きだ。
光に照らされて風になびく穂は西日の波立つ海面に似ている。
そこから見下ろす下界は、まるで超透明度の高い海の底。
先日の岩湧山に引き続き、
大峰山系の観音峰へ。
紀伊山地には1dayで完結する、
気ままにトレッキングできる山がいっぱいあって面白い。
一回一回が味わい深い短編作品のような山行となって心に残る。
そんなのをたくさん積み上げていきたい。
大峰山系のあらゆる山々から流れ来る水が集まる天河は、
まるで美しい水のターミナル駅、ハブ空港のようなもので、
ここを基点として周囲あちこちの山を登るのが好きだ。
ハブ空港からあちこちへと旅立ってゆく飛行機のように。
そして、頂上に広がる360度の展望は海と同様であり、
見下ろす下界は、超透明度の高い海の底。
山の頂上のススキ原をふと見に行きたくなって、泉南の岩湧山へ。
風になびくススキと頂上から沸き立つ雲。
見上げる大空と見下ろす大阪平野。
いつものメインフィールドの海と違って、
ごく一般の人達がたくさん登り、
頂上でのんびりとした時間を過ごしていて、
いいなと思った。
春から秋にかけて、ずーっと海にいることが多いけれど、
たまに山に登ると、
海化した体の細胞から塩気がすーっと抜けてゆくようで、
すごく気持ちいい。
海から水蒸気が立ち上って雲になり、
雲が山にかかって雨を降らせるように、
自分の身体の水分を通して海と山とがつながったような感覚。
・・・・あまりにも感覚的な話だけど、
海を渡り、山を登るという二つの行為は、
すごくいい心身のバランスをもたらしてくれることは確かだ。