板長と呼ばれるレジェンド語り部のガイドで小笠原父島の戦跡を巡った。その後ふと、戦跡も重要だけど遺跡はどうなんだろうと思った。
小笠原に人が住み出したのは19世紀と言われるが、実のところ縄文あたりに海洋民が住んでいたに違いない。目視できる範囲の北硫黄島には2、3千年前の遺跡が発見されているが、父島母島にも同時代の石斧などが出ている(大根山遺跡なるものもある)。カチっとした学説になるには断片的すぎるようだけど、硫黄島より住みやすい父島母島に人が住んでいなかった方がおかしい。そのことが妙に引っかかった。
なぜそんなことが気になるかというと別に考古学的興味というより、縄文弥生あたりに小笠原に人が住んでたとなると、彼らはカヌーでやってきたということになる。もしそうだとすると小笠原はミクロネシア海洋文化圏の北限であり、ヤポネシア海洋文化圏の南限ということになり、必然的にカヌー文化圏のクロスロード的な位置づけが確かなものとなる。すると、環太平洋カヌー文化圏としての重要な場所になってくる。だから戦跡も大事だけどそれ以上に遺跡をもっときちんと調査することも大事なんじゃないかと。
太平洋はパシフィックオーシャンで、パシフィックとは平和、非戦を意味する言葉だ。だけどその名に反して、太平洋戦争や核実験など悲惨な歴史を重ねてきた。しかし本当の太平洋文化のアイデンティティはそんなものにあるはずもなく、実はカヌー文化にある。ポリネシア、ミクロネシア、メラネシア、ヤポネシアに共通するのがカヌー文化であり、それは人が自然を全身体的感覚で読み解いて海を渡っていく叡智。
最も古い文化に繋がる最も新しい文化、それが大事。とするならばやっぱりこれからの太平洋はカヌー文化でしょ、と戦跡を巡ってて改めて思った次第。それは人と自然とを切り結ぶ自然文化であり、平和で持続可能な世界を希求する精神文化でもある。スピリチュアリズムでも精神世界でも宗教でもない、そんな精神文化を育んでいくことがこれからの世の中必要だろうと、今の世界情勢を鑑みながら思った。
まあぼくらカヤックガイドも実はそういう文化性を背負っている。集客や売り上げも大事だけどそういう根本を忘れたくないものだ。それを忘れる時が辞めどきだろう、とこれからのシーズンインに向けて気持ちを新たにするのだった。