(タイ南部カヤックトリップのラスト記事です)
タイのカヤックトリップの記事、まだまだ色々話題あるんだけどキリがないのでこれくらいにしておきたいと思います。
最後にトラン沖のハイ島という所にいったんですが、やはり多海島。視界の中にたくさんの島々や石灰岩の奇岩が現れる光景はタイ南部の海域ならではのもので、次はあの島に渡ってみたいぜ、あの奇岩の裏っ側はどうなってんだろうかと、好奇心がとめどなくすぐられる感がありました。カヤックで実際一個一個回ってるとキリがないんですが、次の島、また次の島を求めて永遠に旅を続けたくなってくるようなムードを醸し出しているこの海域には、ぜひ皆さんをお連れして戻ってきたいものだと思いました。
それから、やっぱり海外にいると日本のことを色々考えます。
ちょっと距離を置くことによって見えてくるものがあるわけですが、やはり原発のことがまっさきに脳裏に浮上してきますね。だけど、人類史上最も忌まわしい出来事のひとつと言いうる原発事故を起こしながら、未だに原発再稼働の方向とか、ありえないです。
狂ってるとしか思えないですね。
反対派とか賛成派とかそういう次元ではなく、
そもそも原発なんて全くいらないものです。
不完全な人間ごとき生き物が取り扱うシロモンじゃない。
先日11日の震災一年の日に犠牲者への哀悼、被災者への思い、復興への祈りを込めて高野山への巡礼道をロングウォークしましたが(参加者のみなさまお疲れ様でした。コンディションにも恵まれて、少人数で、無事に歩きぬくことができました)、その時も歩きながら原発のことを考えていました。
原発、今すぐ止めて廃炉にしなきゃいかんと思いますね。
次、事故起こしたらもう終わりだもん、日本。
で、地震の活動期に入ってる日本。
・・・というと決まって、じゃあ電力どうすんだ? という答えが返ってきますが、
ちょっと調べれば分かりますが、火力で全部行けるんですよ。
それも天然ガス・コンバインドの発電ならばコストもかからんし、
シェールガスとか、コールヘッドメタンとか、石油より遥かに埋蔵量も多い
資源はまだまだあるんですよね。
「イランのホルムズ海峡封鎖によって原油が
高騰する危険性も鑑みればやはり原子力に頼らざるを得ないのが現状だ」
とかなんとかエセインテリのおっちゃんがよくテレビなんかで言及なされていますが、
賢いように見えて実に底の浅い考えだと思いますね。
(ちなみにぼくはホルムズ海峡をカヤックで漕いでるんですがよろしければこちらもチェックをば。)
天然ガスコンバインドで繋ぎながら
次世代の自然エネルギー発電を徹底的に研究すりゃあいい。
色んなしがらみや利権構造がヘビのように絡みまくって
新しい方向に行けない日本。そりゃあ若者は絶望してニートになって当たり前だよ。
ちゃんとした原発関連の本を何冊か読めばすぐわかることだけど、
別に原発なくしたところで電力が足りなくなることなんてない。
(おれとすれば多少足りないくらいでいいんじゃないの?街の明かりはドギツイし、
と思ったりするけれど、幸か不幸か原発なくてもドギツイままをキープできる)。
さっさと 「我々は間違っていた。日本の原発は今すぐ、すべて廃炉にします」
と宣言したらかっこいいのに。
そうすりゃ、海外も「おおっ」と思うだろうし、特に海外の若者たちに受けるだろう。
(日本は高齢化社会だけど世界には若者ばかりの国もたくさんある。中東のジャスミン革命なんかもユースカルチャーから発生した。日本だけの定規で決めつけてしまうとよくないし閉塞感で窒息しちまうぜ)。
日本車とかモノは有名だけど、人の顔がぜんぜん見えない日本。
円だけがポリシーだって思われてる現状を挽回するチャンスでもあるのにな。
それかスーパーマニアック的に自然エネルギーの最先端を徹底的に行くと、
そっちのほうが長い目で見りゃ「円」にとってもいいはずなのにね。
おれとすりゃ日本って何が面白いかっていうと気持ち悪いオタクアニメなんかじゃなく自然が面白いんだって世界のあちこちを周ればまわるほど実感することなんだけど、だけど今ぼくは以前言えた「旧石器~縄文12000年の歴史を持つ自然カルチャーの国から来ました」というセリフが胸を張って言えない。このタイのトリップでも50カ国くらいの人と出会いましたが、それを言うのをためらっちゃう部分がどうしてもある。それが歯がゆくて仕方ないですね。
過剰なる自意識と電磁波と雑音にまみれた都会から離れて自然と交感することってほんとに大事なことなんだけど、それに気が付いている人は年々増えている一方、全く意識にない人も多いですね。で、そういう人たちが国を動かしているのが現実で、ぼくは時々日本にいるのがほんとに嫌になることがありますね。狂ってるような人も多いし・・・。
あまりにも経済効率一辺倒、金かねカネカネカネカネと鳴くセミの、
センス悪く知的レベルの低い、無神経な大合唱が耐えられなくなる時がある。
でもそんな中でも楽しくやっていきたいですね。
「楽しく、優雅に生きることが最大の復讐である」って言葉があるように。
ウミツバメの巣を取る現地の人たち。シットオンのカヤックで取っていた。ぼくが近づくとびっくりしてひっくり返っていた。「ガハハ」と笑顔になるところが、タイ人のおおらかさでいい。
(タイ南部カヤックトリップの続き記事です)。
10日もいたスリン島、立ち去る時は胸がキューンとしましたね。
その後はクラビを経て、さらに南部のトラン沖にあるハイ島に行きました。
いずれにせよカヤックで知らない場所を漕ぐってことは、
旅としてもひときわスペシャルなものです。
普通の旅はまあ、その場所に対して、通りすがり的なニュアンスになるけれど、
カヤックでのトリップは、
自分の判断でナヴィゲーションしていく中で、
心に染みいってくるものが全然違います。
ある場所に対して、
普通の観光が「ちょっと会話した」程度の交わりだとすると、
自分で判断してカヤックを漕いだならば、
「徹夜で語りあった仲」みたいな記憶の残り方になります。
このプラネットアース上の美しい自然と、
たくさんダチになりたいものです。
(タイ南部カヤックトリップの続き記事です)。
スリン島には海の民、モーケン人の集落があります。
もともと彼らは何百年にも渡って定住せず、
カバンという家船に乗り、船の上で生活する人たちでした。
ミャンマー、タイ、マレーシア、インドネシアに至る海域を
国境を越えて移動し、その時々に貝やナマコ、魚などを採集して
つつましやかに暮らしていました。
ミャンマーのモーケン人は未だそのようなシージプシー的な暮らしをしていますが、
タイ側の彼らはタイ政府によって半ば強制的な定住政策を施され、
南スリン島で暮らしています。
ぼくは北スリン、南スリンとカヤックでくまなく漕ぎまわった後、
彼らの集落を訪れました。
気の優しい人たちで、一人の青年の家に招かれ、コーヒーをごちそうになりました。
定住するようになった彼らが幸福なのか不幸なのか、
もちろんぼくにはそんなこと詮索したり言ったりする権利はありません。
ただ、海上を小舟で移動する生活について、色々想像したりしました。
先日の記事でも書きましたが、ここ10年ほど自分がカヤックに携わってきたことについて、色々まとめる作業をしていまして、スリン島でも10年前にシーカヤック日本一周した時の日記なども読み返していました。
当時、ちょうど毎日毎日海に出てカヤックを漕ぎ、夜は海岸際でテントを張って寝るという生活をしていました。はじめは大変でしたが、だんだんそっちの方の生活に慣れてくると今度は逆に、家の中で寝るのが妙な感じで落ち着かない、というリズムに変わっていきました。テントならば薄皮一枚で外の風や海の状況がすぐに分かります。自分が一連の気象の流れの中にいることを皮膚感覚でとらえながら過ごすことができます。ところが家の中っていうのは空気が止まっているでしょう?
それがすごく気持ち悪く感じるのでした。
というのも、海生活してると、どっちから風が吹いてきてそれがどのように変化するか、
波に変わった兆候が表れていないか、そいつを常に把握していないと不安になるんですよね。
海は荒れたら危ないわけだから、未然に変化の兆候を察知しなきゃいけない。
というと何やら苦行のように思えるかもしれませんがそうではなく、
そっちの方が大いなる世界に属している感じがして、気持ちよかったのです。
だからむしろ喜んでテント暮らしをしていました。
実は今でもそんな傾向はありまして、
風がどっから吹いてるかというのを基本的に把握しながら日々を送っています。
(シーカヤックのガイディングの基本でもありますね)。
都会でそれを感じないで日々を過ごしたとすると、
自分が本当に意味のない歯車以下になった気がして、
気持ち悪くなってくるところがあります。
で、きっと彼らもそういうところ、あるんじゃないかなあと思います。
だって、ぼくよりも遥かに長時間海にいるわけですから。
しかもメディアの天気予報なんてないわけだから。
また元来、あまりモノを持たない人たちですが、
それも、偉大なる海に抱かれて生きていると実感していると
それだけで満ち足りてしまって、あまり余計なものは
いらなくなるんじゃないかという気がしました。
それも幸福なのか不幸なのかこちらが取りざたする権利はないですが、
2004年のスマトラ島沖地震の際に津波が襲ったとき、
海の兆候の変化にいち早く気づいた彼らは先に高台に上がり、
ほとんど被害がなかったと言われています。
要するに海のリズムとどっぷりで生きていたから、
察知できたわけですね。
もし中途半端な海との付き合いだったならば、
一族もろともやられちゃってたかもしれません。
彼らは今でも基本的に漁をしていますし、また、
海岸線のキワキワに家を建てています。
完全に海から離れるというのはなかなかできないだろうと思います。
子供たちが大人になる頃、どんな状況になるのでしょうか。
海岸線スレスレのモーケン人の集落
村の女性たちは賭けごとに夢中でした。実際に現金を賭け、みんな必死な顔していました。
男たちはのんびりしていました。言葉がなかなか通じないのでコミュニケーションは難しかったけれど、言葉がなくとも、同じアジア人特有というかモンゴロイド特有というのか、なんかこう空気が重々しくならない感じがありましたね。
彼は子供のころから海で泳ぐことが最大の遊びなので、小さいころから潜るのが上手い。大人になると素潜りの達人になる。
(タイ南部カヤックトリップの続き記事です)。
今回のタイでもそうだったけど、
日本にいる時には意識しないけれど海外に出ると、
日本人であることをを意識しますね。
というのも、必ず、
「どこの国から来た」と聞かれますから。
「日本から来ました」と答える時点で、
そのことを意識することになります。
で、日本人であるおれとは何ぞや、と、
とりあえず考えることになりますが、
やはり日本人であるおれとは、
花鳥風月な国から来たネイチャーボーイであり、
海洋民の子だというところに至りますね。
自然を見る目とかやっぱり白人とは違うし、タイとか東南アジア人とも違う。
またカヤックトリップのほんとのディープさも、
おれが日本人だからこそこだわるんだろうな、って感じる部分も、
色んな国の人見てて分かる。
スポーツか、バカンスか、冒険か、というのが
白人の海に接する視点で、
食べるための魚介類を取る場所、というのが、
東南アジア系の人たちの視点です。
ぼくらはもっとこう、メンタルな多様性の部分を求めていると思います。
ですが、そういうことも原発によって何も言えなくなってしまう悲しい現状があります。
「1万年の歴史ある縄文の流れをくむ自然文化がぼくたちにはあります」
と言ったとします。
「ふーん、じゃあなんで、原発事故を起こして自然を取り返しつかなくしちゃって、そのうえまだ稼働するわけ?」
と返されちゃうと、全く何も言えなくなってしまいます。
スリン島ではさんごが結構死んでました。3年前にアンダマン海全体で水温が上昇し、それが原因でかなりの広範囲にわたって壊滅状態になっているようです。特にエダサンゴ、テーブルサンゴ系がやられちゃっていました。