先月末の、内田正洋氏を迎えてのキャンプツアーも、おかげさまで非常にいいイベントとなりました。
http://homepage3.nifty.com/creole/oct3031tour.html
当初、10月30日~31日に企画していたものが台風接近により延期になって、で、11月末になったんですよね。知らない人はこの時期、海辺のキャンプってイカレてんじゃないの? って思われるでしょうけれど、温暖な紀州では、逆に天候にさえ恵まれれば蚊や虫もいないし、焚火のありがたさも身にしみるし、逆にいい季節だと言えますね。最近はウェアもいいものがたくさんありますしね。最高ですよ。
一日目(27日)は前日の北風がやや残っていたけれど、快晴、ぽかぽか陽気のシーカヤックツーリング日和になりました。みんなでやびつ海岸の断崖地帯を漕ぎ、陸からは入れないとっておきの浜に上陸後、完全にキャンプモード。昼食後、テントを設営し、流木を集め、さっそく焚火を開始しました。
日が短いこの時期、13時過ぎから西日モードになり、15時前にはもう夕暮れ空の様相を呈し始めるのですが、南西に面したこの浜では、刻一刻と移り変わってゆく空の色彩模様が素晴らしく、見とれてしまいます。そして何よりこの後、帰路に着かなくてもいいってのが愉快だし、誰も干渉してこない秘密の空間で自由気ままに過ごせるぜアッカンベ~、ってな感じの開放感が最高でした。そんな中、海と空のまばゆい色彩、風にそよぐがけっぷちの草花、上昇気流を捉えて優雅に飛ぶトンビの姿などに目を奪われつつ、ビールをプシュっと開け干物などを焼きながらゆっくりと歓談するグループ、夕飯の支度をするグループ、海からの食材をゲットするため再びカヤックを漕ぎだすグループと、自然に役割が分かれました。
「おおーかっこいいなー。火のそばで夕飯の支度をする女たちと、西日を背に受け獲物を持って帰ってくるカヤックハンターの男たち。実に絵になるな。まるでアリュートのカヤック村みたいだぜ。」
そう言ってご満悦の内田氏は焚火奉行をしながら、昼食後からずーっと飲んでいました。
内田さんは年々酒の量が増えている感じで、体だいじょうぶですか?と思ってしまいます。
しかし焚火の前で酒を飲む内田氏っていうのも、非常に存在感があります。
「そういう内田さんもまるでアリュートのカヤック村の酋長みたいでっせ」と誰かが言いました。
というわけで非常に絵になるぼくたちでした。
対岸の徳島に沈んでゆく夕陽をしばし眺めた後、夕食&酒。
みんなでカヤックの魅力や旅について語り合いました。
みんなほんとにシーカヤックや旅を愛しているのだなと、うれしくなりました。
そんな流れの中でやがてスペシャルゲスト・内田氏のディープなトークが始まり、夜はズブズブと更けていきました。
今回のイベントのテーマは「旅」ということだけあって、
「旅することによって、他では得られないスペシャルなもの(知識や情報や経験やヴィジョンなど)を賜る、ってのが旅という言葉の語源なんだよ」
と、柳田国男の引用から話は始まりました。
(「タブる」というのがそもそもの旅の語源らしいが、漢字で書くと「食ぶる」、とも「賜ぶる」とも書く。つまり旅から特別な何かを賜る、吸収する、見出すという意味だろう。そしてあらゆる旅の中でも最もスぺシャル感が強いのが、そう、己の存在を賭けて海というグレイトな世界と対峙する、シーカヤック旅なのである)。
そしてそこからインディアンのヴィジョンクエストの儀式の話や海洋文化の話に展開していき、さらに日本社会の現状から日本文化のルーツ、日本中の方言の語源の解説などに行ったかと思うと、民俗学とか考古学とか文化人類学的な話にも繋がり、はたまた内容が固くなりそうになると、パリ・ダカールラリー参戦中に事故で鼻がもげて手で無理やりくっつけて今に至るってな話などにも脱線、そうかと思うといつのまにかマザーテレサの崇高な話になったりと、ぶっ飛びつつスジが一貫していて非常に面白いトークとなりました。
みんな揺らめく焚火の炎を見つめながら話に引き込まれる・・・。
・・・・それにしてもずーっと飲みっぱなしだけれど飲めば飲むほど話がさえてくるっていうのは不思議というかなんといいましょうか。酔いどれ詩人とかそういう感じにも受け止められるのですが、同時に脳のどこかがシャキーンと覚醒している感じもあって、そこのところはさすがシーカヤッカーだなと思いました。とっさの時のこともあるし、ツーリング中、海旅中、脳みそまで酔っ払ってしまってはだめなんですね。また「おもろい話を頼みます」というぼくの依頼に対し「分かってるよ、期待は裏切らねえから」という無言の義理堅さがひしひし伝わってくる。だけど酔ってないとあのディープ感、渋っぶいズブズブ感は出せない、というわけで、バランス感とかすごいなと思いました。普通の人じゃ絶対無理ですね。
「先祖と同じ道具を使ってると先祖が風や波に対して何を感じ取り、何を考えてこれを作ったのかが分かる」と、古代アリュートが使った古いパドルの話をされているときにふと思ったのですが、やはり内田氏の最大の魅力は、ヴィジョナリーであることですね。常に未来のあるべきヴィジョンを見ているように思える。
実際、未来とは最新の流行にあるのではなく最も古いルーツの中に暗号のように隠されているものである。人の心が求める本質部分は昔も今も変わらない。「なぜ」「何を求めて」・・・、ルーツの中には、そんな作り手のシンプルな本質の、時空を超えた息吹が宿っている。ソウルってやつだ。しかし日常の雑務やしがらみにもまれてると、しばしソウルがお留守になる。進むべき道も見えなくなる。だから迷いそうになったらルーツ、根源に立ち返るわけだ。氏が語源とか民俗学とか考古学とか文化人類学とかに造詣が深い理由もよくわかるし、と同時に重箱の隅をつつくような学問的正誤にこだわらない理由もよくわかる。
内田氏は自分の肉感を通して見えてくる新しい日本の海洋文化のあり方、ひいては自然文化というヴィジョンにこだわっているのだ。
その辺のところぼくにはピンとくるし、触発されるものがある。
アイランドストリームが目指しているものとバイアスが共通なんですね。
非常にリスペクトする人物である。
だけど酒の量はちょっとヤバいんじゃないかと思います。
翌日は結構風がでて、やびつ海岸の先端の宮崎の鼻まで行こうとしたが途中で引き返し、ツーリングして戻りました。
沖の風波がまとまって結構うねりも出ましたが、それもまたいい体験となりました。
ぽかぽか陽気のコンディションと北西風強いコンディション。
いずれも冬期におけるやびつ海岸の典型的なもので、その両方が味わえるキャンプツアーでもありました。
みなさん本当にありがとうございました。
で、無事に終わってほっとしたその足でまた8時間ほどかけてドライブして宇和島までいったので、さすがに疲れまくりました。