プリミティヴクール

シーカヤック海洋冒険家で、アイランドストリーム代表である、平田 毅(ひらた つよし)のブログ。海、自然、旅の話満載。

護摩壇山~龍神岳・霧氷スノーシュー

2012-01-31 20:14:31 | インポート
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 先日の高見山では、山や霧氷は良かったけれど人心の荒廃を見せつけられてしまい後味が悪かったので、昨日口直しに和歌山・護摩壇山へ霧氷スノーシュートレッキングに行ってきました。

 高野龍神スカイライン沿いにあるここは駐車場から即、スノーシューを履いて徘徊できるという、なかなか他にはない立地条件にあります。
 スノーシューでは人の足跡のない樹林帯の中を入っていったり、雪の中に寝転んだり、樹木を抱きしめたり、無音の中のかすかな生き物の気配に耳を澄ませたり、動物の足跡を見つけたりと、自然の息吹を生で感じ取ることにその魅力があります。
 山というとどうしても山頂を目指してザックザクと歩いていくスタイルになりがちですが、スノーシューはその呪縛から自由なところにも、よさがあります。
 登頂を目指すのももちろん素晴らしいですが、それも気にせず、寄り道、立ち止まり、のんびり、沈思黙考、「こんな所へ入っていってもおもろいかもな」っていう探索などなど、自分のリズムで楽しむことができるっていうのは、カヤッキングにも通ずるものを感じます。
 まあ、シーカヤックほどのスーパー・バックカントリーな遊びには遠く及びませんが、とても気に入っている遊びのひとつです。 

 山頂からは、紀伊水道の海が望めます。
 北には友が島、そしてそこから目線を南にもっていくと、
 なんと湯浅湾のかるも島までが確認できます。
 この真下の写真がそうなんですが、クリックして拡大してよく見てください。
 右が「ヨコカルモ」、左が「タテカルモ」です。
 さらに左の端のほうに鷹島のてっぺんも見えます。

 湯浅湾は同じ湾内でも、北海岸と南海岸とでは微妙にフィーリングが違います。
 南に行けばいくほどかすかに黒潮の息吹が濃くなってきます。
 夏期ほぼ毎日この海をシーカヤッキングしているからこそわかる微細な差違ですが、
 ちょうどこの「かるも島」を起点にして、北と南とで微妙に雰囲気が変わります。
 自分の家の庭のように慣れ親しんだフィールドも、
 こういう山からの視線で、それも雪の中から眺めることができるなんて
 まったく面白いもんだな、和歌山ってバラエティ豊かだな、と感慨深いものがありました。
 
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高見山・霧氷トレッキング

2012-01-31 14:31:18 | インポート
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 先日、奈良県と三重県の県境にある高見山に登り、霧氷を見に行きました。
 
 霧氷は写真をご覧の通り美しかったけれど、
 けっこう、「なんだかな~」という思いにさせられる
 一日でもありました。

 ここはこの時期、近鉄榛原駅から「霧氷号」という
 直通バスが出ているくらい人気がある山で、
 この日だけでも多分300人以上は登っていたのではないでしょうか?

 で、かなり混雑していたのですが、
 別にそのことに対して「なんだかな~」と思うわけではありません。
 人が多いのは分かり切って登っています。
 それよりも人がたくさん来るのが百も承知のはずなのに、
 それに対してやたら憤慨しながら歩くおっさんについて言っているわけです。

 山の中腹辺りの登山道で、歩くのが非常に遅いおばちゃんがいました。
 そして、その後ろにだーっと10人くらいの列ができていました。
 ぼくもその後尾付近にいたのですが、問題は最後尾にいるおっさんです。
 ブタ革の奇妙な革ジャンを着て登っている彼はイライライライラしながら、
 やたら「チッチ」と舌打ちを繰り返していました。
 彼の悪意が背後からビンビン伝わってきました。
 「しゃあないやん、こんだけ人多かったら遅い人もおるやろう。
 いたわったれや」と思いつつちょっと広い場所に出てきたので、
 おっさんを先に行かせようと止まって横にそれると、ぼくのすぐ後ろを歩くぼくの同行者に、
 「急に止まって危ないがなオラ」と、毒気たっぷりの言葉を浴びせかけました。
 その言い方の、異様に感じの悪いこと。

 「おいちょっと待てやおっさん、なんちゅうモノの言い方するんじゃ」と、
 ぼくは反射的に言い返しました。ついでにノシイカにしてやろうかと
思っちゃいましたが、我に返りました。
 美しい自然の中でのいざこざほど美しくないものはないわけです。
 そんなエレガントじゃないことをするくらいならば死んだ方がましです。
 というわけで放っておきましたが、嫌な気分は尾を引きました。

 そして下りの途中で、また別のマナーの悪いおっさんがいました。
 人の背後にいきなり割り込んできたかと思うと、その脇からスルスルっと抜け出て、
 人の歩く前方の雪の中にスライディングする、変な野郎。
 「びっくりしたー、あっぶねーなー」と言うと、
 振り返って「なんだコラ、殺すぞお前」とか暴言を吐き、また雪中をスライディングし、
 猛スピードで去って行きました。
 このおっさんはちょっと挙動不審でイカレちゃてる感がありましたので、
 完全無視しましたが、これまた嫌な気分が残りました。
 というか、病んだ精神のようなものを感じました。
 だって「殺すぞお前」だぜ。いきなりそんな言葉出すか? 普通。
 こっちはシーカヤックガイドなんぞを生業としているわけで、自分で言うのもなんだが、
 ごつい系のガタイをしている。一方向こうは貧相で小柄なおっさん。
 そういう関係性の中であえて彼が使用する究極の言葉には、
 非常なる不気味さを感じさせられました。

 ぼくは自然の中でこんなことって、出くわしたことがないんですよね。
 少なくともシーカヤックでは一度もないですね。ありえない。
 もちろんガラの悪い漁師などに出会ったこともあるけれど、ある意味正直者で、
 ここまでの毒気を感じたことはない。
 インドやアラビア半島やベトナムやインドネシアで漕いだ時も、
 世界のどん底と言われるインドのとんでもないスラム街を歩いた時も、こんな感じの病んだ心
 みたいなものに出くわしたことはない。ちょっとびっくりしちゃいました。
 
 たとえば電車に乗るとよく邪悪な雰囲気を漂わせつつブツブツ独り言を言ったり、
 駅員に食ってかかっていくような変なおっさんっていますよね。
 チンピラとかとは別の意味でかかわり合いになりたくない輩。
 よっぽどストレスがたまってるか、つまらない人生を送ってるんだろうなと、
 思っちゃいますが、その毒気をそのまま自然の中にも持ち込んでくる人もいる。
 そういう連中とは無縁な人生を送りたいものだと思いました。
 だけど多いですよね、そういう輩、今の日本。

 山は美しかったですよ、すごく。


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風の博物誌、ライアル・ワトソン

2012-01-27 00:41:14 | インポート
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 旅やアウトドアの現場に持っていきたい、あるいは旅やアウトドアを意識しつつアームチェアで読みたい定番というか、クラシック化しているような本が何冊かある。そんな中でこの「風の博物誌 上・下巻」ライアル・ワトソン著、河出文庫ってのはすごく気に入ってる本のひとつ。

 ライアルワトソンはイギリスの科学者で、動物学や植物学や海洋生物学、人類学や地球環境学、地理学や地質学などなど多数の学問を修め、ジャンルを超えた恐ろしいほどの博学と、世界中を旅する中での豊富なフィールドワークを基にした、スケールの大きい「自然学」を作り上げた人だ。
 著作も多く、日本では80年代から90年代前半くらいまで、かなり読まれていた印象がある。

 パターンとして作風を何種類かに分けることができるけれど、特に地球の持つ「神秘性、美しさ、聖性」をより輝かせ、世界はまだまだ広くて素晴らしいものなんだよと人々に知らしめるためにその博学とフィールドワークの成果を駆使しましたというような作品群が、その一つ。
 あともうひとつ多い作風として、自分の直感や経験に基づいた仮説を、立証しようとして書かれたものもよく見受けられる。そいつは特に「超常現象を科学する」みたいな、いわゆるニューエイジサイエンス的な作品に多い。

 ぼくが好きだったのは「水の惑星 地球と水の精霊たちへの讃歌」(河出書房)、「未知の贈り物」(ちくま文庫)、「アースワークス 大地の営み」(ちくま文庫)などで、作風としては前者のパターンに該当するものだ。白洲正子や中上健二、栗本健一郎などとの対談も収録されている「ロスト・クレイドル」ってのも読みやすくいい本だったな。一方「ロミオ・エラー」(ちくま文庫)、「スーパーネイチャー」(蒼樹書房)、「生命潮流 - 来るべきものの予感」(工作舎)、など、ちょっと最後まで読めなかったか、読んだはずだけど今や内容を完全に忘れちゃってるようなやつは、後者のタイプのものが多かった。

 ライアル・ワトソンの、前者の系列の作品。風や波、星や魚や鳥の歌声といった一見当たり前に見える自然そのもののあり方、地球そのもの存在こそが「神秘」なのだと讃えるような作品を読んでいると、ほんとに地球に生まれてきてよかったなと思える、マジックがあった。
 大インテリでありながら、この人、詩人なんだよね。

 ワトソンのような、情緒やフィーリング、やわらかな感性やユーモアというものをふんだんに散りばめた、しかもジャンルの枠を超えたスケールの大きい自然科学書なんて、特に日本の学者ではほとんど書く人が見当たらない。たとえば地質学なら地質学だけ、考古学なら考古学だけの目線で、もちろん詩的要素など皆無、文献解説ばかりを並べた無味乾燥な本が図書館の本棚に並び、「シロートは黙っとけ」みたいな妙な排他性と威圧性を感じさせられるノリが日本のアカデミックなジャンルの大半を占めているような気がする。
 あるいは思想のジャンクフードみたいな、はやりの本。
 ワトソンの本は全くその逆で、「大人おとぎ話」的な、味わい深い豊かさがあった。
 ちなみに彼の本を読んでる時期にシーカヤックに出会ったからこそ「シーカヤックを極めてみよう」と思った、ひとつのきっかけでもあった。

 で、彼の本、なぜか90年代後半くらいに入って急に、世の中で読まれなくなった。
 自分の仮説をちょっと無理に立証しようとした、「捏造」事件が発覚し(捏造の詳細はこちらに詳しい)、評判を落としたことがあったが、それも影響したのか、ぜんぜん読まれなくなっちゃった。 
 後者の悪い目がでてしまったようだ。
 その後、ワトソン本は「トンデモ本」とか「オカルト」とか言われるようになって、すっかり落ち目になってしまった。最近名前を聞かないなと思っていると、どうやら2008年に亡くなったらしい。
 おれは非常に悲しかったな。

 後者の悪い目っていうのは、ワトソンはイギリス人であり冒険家的な気質もあったからこそのものだと思うが(科学におけるフロンティアの探究みたいな)、だからといって詩的で美しい作品群まで評価を下げてしまわれるのは非常に心苦しいことだ。
 この人ほど、この地球を心底愛した科学者はそういないのではないだろうか。
 だいたい今、誰がこんなにスケールのでかい地球よみものを書いてくれるってんだ?

 と、非常に前置きが長くなったけれど、この「風の博物誌」ってのは、ライアルワトソンの数ある著作の中でも、最高傑作のひとつだ。誰かが張ったレッテルや評判に釣られて食わず嫌いなんて、ばかげている。他人の目ではなく、己の目で判断しないとね。多分、エコやアウトドア文化が浸透してきた今の時代こそ読まれるべきじゃなかろうか。どんな内容か、帯を引用しよう。

 「風は天の息である。地球という一つの大きな生命体の血液循環系と神経系の役割を果たし、創造の手助けもしている。だが、人間は風について間接的にしか知ることはできない・・・。
 様々な科学の成果を駆使し、世界中の宗教、美術、文学、音楽の中に現れた風の姿を追い、この不可解な自然力をトータルに捉え、ユニークな生命観を展開する、(見えないもの)の博物誌。」

 そしていきなり、宇宙の「ビッグバン」から地球の創成に関する話が始まる・・・・。
 こいつを読んでいると、そこらに吹くただの風を感じるだけでも、地球がとても愛おしく感じられてしまうし、フィールドに出たくていてもたまらなくなってしまう。なお作家の椎名誠は、この本をこの世で一番好きな本のひとつだと言っているらしい。また、こいつを読んで感動したけれど、文中に「風の写真は存在しない」というフレーズがあるのを見つけたある編集者は、「いや、そんなことはない」と逆の意味で触発され、世界中のあらゆる風に関する写真を収集しまとめ上げて一冊の本を作り上げた。確かに風そのものは見えない現象だけれど、竜巻や、海面の白波、吹雪の様子や、ちぎれた雲の流れなどでその存在は十分表現することができるってわけ。「世界風紀行、見えない風が見える」環境デザイン研究所編、学研、という本がそれだ。下の写真はその本の表紙。

Kaze


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2012年上半期ツアー

2012-01-25 10:52:58 | インポート
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 アイランドストリームの今年上半期のカヤックトリップツアーのスケジュール、大まかなところが決まりましたので下記の通りお伝えいたします。なお、ほかにも産湯海岸や南紀田辺湾、福井高浜ツアーなどなどツアーメニューはたくさんあるけれど、あまり細かく挟んでいくと分かりずらくなってしまうので、ひとまずはこれだけ記しておきます。その他の日程は通常の湯浅湾シーカヤックツアーとなります。
 今年は5月21日に金冠日食があったりしますので、それにちなんだツアーも組んでいます。また3月11日には震災一年ということで、犠牲者への哀悼、被災者への思い、復興への祈りを込めて、祈りの聖地である高野山への参詣道をロングウォークをします。その他厳選メニューばかり、きれいな写真入りでフィールドの解説も入れてますので、見るだけでもそれなりに楽しめるかと思います。要チェック! 
 (※写真は6月15日~17日に行う高知県西南岸ツアーのシュノーケリングポイントのやつです)

☆3月4日(日)
【南紀・志原海岸~日置川河口ツアー】
 春を先取り!! 黒潮ブルーがまぶしい、南国風情のフィールドトリップ。
http://homepage3.nifty.com/creole/shihara.html

☆3月11日(日)
【高野山町石道ロングウォーク】
大震災から一年。復興への祈りを込めて、聖地・高野山へトレッキング。
http://homepage3.nifty.com/creole/kouyasan.html

☆3月18日(日)
【那智勝浦海岸ツアー】
 洞窟や小島の多い、南紀きっての極上フィールドをゆったり周遊。
http://homepage3.nifty.com/creole/nachitour.html

☆3月22日(木)
【美浜~日の岬ツアー】
 海旅のロマンティシズムを掻き立てられる好コース。
http://homepage3.nifty.com/creole/hinomisakitour.html

☆3月24日(土)~4月10日(火)
【湯浅湾シーカヤック&桜花見ツアー】
 ほっこりシーカヤックツーリングの後、秘密のパワースポットで桜花見。
http://homepage3.nifty.com/creole/hanamiyuasa.html

☆4月12日(木)~4月16日(月)
【近江八幡春うらら桜花見ツアー】
 岸辺の桜と春の風情を楽しみ、ヨシ群落の迷路を縫いゆく
http://homepage3.nifty.com/creole/suigoutour.htm

☆5月20日(日)~21日(月)
【南伊勢・金環日食観察キャンプツアー】
 珍しい海跡湖を海から訪ね、翌朝金環日食を観察。
http://homepage3.nifty.com/creole/kinkan.html

☆6月10日(日)
【湯浅湾~南紀田辺湾50キロチャレンジツアー】
 魂を鼓舞し、明日への扉を開くロングツーリング。
http://homepage3.nifty.com/creole/longtour.html

☆6月15日(金)~6月17日(日)
【高知県西南岸シーカヤック&シュノーケルツアー】
 極上のフィールドをシーカヤッキング&濃密なさんごの海をシュノーケリング。
http://homepage3.nifty.com/creole/oodou.html



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市江崎~すさみ近辺シーカヤック

2012-01-23 01:32:16 | インポート
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 今日、と思っていたけどもう昨日になるか。
 南紀の市江崎~すさみ近辺をシーカヤッキングしました。
 いわゆる「枯木灘」海岸ってところ。

 この海岸線って岩礁地帯が陸からかなり沖の方まで続いてるんですよ。
 おまけに外洋からのうねりが入るので沖の変なところでいきなりブーマー(暗礁の上でガーっと波が盛り上がる現象)がよく起こる。結構漕ぎにくい海岸線で、漕ぐとすればブーマー地帯を避けるためにかなり沖を進んでいくことが多いのですが、そこをあえてじっくり岸沿いをトレースしていくとなかなか面白い発見があります。

 細心の注意を払って岸沿いを行くと奥行きの深い入江があったり陸からは近付けない焚火キャンプに適した浜や洞窟があったりと、楽しめます。ですが、かなりシーカヤックをやってる人でも気づきにくいと思う。
 普通は沖を漕ぎますからね。

 ここの海の魅力は何といっても黒潮がダイレクトに来ていることですね。
 水温は20度近くあり、手を入れるとかなり暖かかったです。
 その海水に全身包まれながら進むわけでやはり心身の底から
 あっためられる感覚がありました。
 風波結構あったけど、冬って感じではなかったですね。
 途中ウミガメも見ました。

 黒潮の濃厚な場所で一日漕ぐと、3日くらい感覚残りますね。
 独特のエネルギーチャージ感がある。

 ここは3月にツアーやりますのでよろしく。


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シーカヤックとアフリカの魂

2012-01-22 23:25:29 | インポート
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 今でも聴きまくっているけれど昔ロックやジャズを聴きまくっていた時、そのルーツをさかのぼってさらに古いブルースとかを聴き、そしてもっと源を探っていくと黒人奴隷の故郷・西アフリカに源流があるってことを知り、アフリカ文化に関する本を漁ってた時期がありました。
 ロックやジャズやレゲエやブルース。皆さんも大好きだと思いますが、一体なーんでこんなに心にグっと来るんだろうか? なにかシークレットがあるんかな?っていう好奇心からちょっとそこにこだわり、それをテーマに大学の卒論を書くまでに至ったことがありました。

 まあそういう関係もあってアフリカ文化の本はかなり読み込んだわけですが、特に面白かったのがこの「アフリカの魂を求めて」ヤンハインツ・ヤーン著、黄寅秀訳(せりか書房)、って本ですね。
 で、アウトドアと関係ないように見えてすごく関係ある本だと思うので簡単に紹介させていただきます。まあ、冬のアームチェア・アウトドアシーズンは感性を深めるためにこんな話題も大事なんだよね。

 「アフリカ」とひとえに言っても大陸なので凄く広く、一筋縄では行かないところがありますがそれでも文化として共通するところは、「万物にスピリットが宿る」と捉える多神教の世界観・宇宙観になりますね。アフリカの自然って凄いってことはみんな承知の事実だと思いますが、その大自然を畏れ、敬い、喜び、悲しみ、自然とともに生きる中で培われた自然観の伝統があるのです。
 
 ではその特徴は何なのか。非常に簡単に言いますと、生命至上主義というか、生きとし生けるものが持つパワー、生命エネルギーを尊び、そこに神を見い出すという文化ですね。まあそれは神道とか縄文文化とかとも同じですが、特にそいつを称える表現として「リズム」と「色彩感覚」を重んじるというのがアフリカの伝統文化最大の特徴だと言えます。そこは他の似通ったアニミズム文化と比べても突出しています。
 万物に神が宿る、その神とは「ントゥ」という名で表現されていて、「ムントゥ」(人間)、「キントゥ」(事物)、「ハントゥ」(時間と空間)、クントゥ(様相)、と、「ントゥ」は森羅万象に偏在しますが、その「ントゥ」さんという目に見えないエネルギーを、アフリカ人たちは特にリズムと色彩感覚で表現してきたというわけです。
 アフリカ人ってリズム感凄いでしょう? 
 またアフリカの民族衣装の色彩感覚って凄いでしょう?
 それは要するにそういうところから来とるというわけですね。
 目に見えないものや感覚を大事にする文化って、
 インドとかもそうだけれど、すごく深いんですね。

 で、南北アメリカ各地に奴隷として連れてこられた際に、
 そのエッセンスは、それぞれの地で異文化と接触し、
 新しい文化を生みました。
 北米ではジャズやブルース(ロックはその息子)
 ジャマイカではレゲエ、プエルトリコではブーガールー、
 キューバではルンバやサルサ、ハイチではコンパ、
 マルチニークではズーク、ベリーズではプンタロック、
 コロンビアではクンビア、アルゼンチンではタンゴ、
 そしてブラジルではサンバやボサノバ、などなど、
 各地に飛び散り、また新たな色彩を花開かせたわけですね。

 で、それらを聴いていてグっと来るのと、
 カヤックで自然に触れることによってグっと来るのとは、
 めっちゃ共通項を感じるのですが、
 それは多分そういうところから来てるんだと思います。
 また根底には「奴隷制」「植民地」という、
 とんでもなく悲惨極まりないバックグラウンドがある。
 けれどどれを聴いてもエネルギーがありポジティヴでしょう?
 そこが人種を超えてグっとくるところなんですよ。
 彼らの歴史に比べるとおれらの悩みなんてちっぽけだもん。
 
 ぼくがシーカヤックに乗り始めたのは20代後半なんですが、
 初めて乗った瞬間、うわあアフリカっぽいなあと思いましたね。
 だって海の波うねりってリズムそのものじゃないですか。
 そしてエネルギーと色彩感にあふれている。
 プラス、すっげえ縄文っぽいし、インディアンぽいし、アボリジニーっぽい。
 これは一生追求していくべきワールドだなあと直観しましたね。

 またこの本で、色んな黒人詩人の存在を知ったというのも勉強になった点です。ナイジェリアのウォレ・ショインカとか、セネガルのレオポルド・セダール・サンゴール、ビラゴ・ディオップ、キューバのニコラス・ギリェン、マルチニークのエメ・セゼール、エドゥアール・グリッサンなど。ちょっと「植民地からの独立~」という政治性が強すぎたりして読みにくいんだけど(だってレオポルド・セダール・サンゴールなんてセネガルの初代大統領になってんだぜ)、こういう流れからのちのちの世代にはきっと黒人のすごいアウトドア詩人とか、出てくると思いますね。
 アフリカ人もインド人も、みんなシーカヤックやる時代は
 いつか来ると思います。


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宇久井半島 那智勝浦

2012-01-21 00:22:21 | インポート
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 黒潮通る沿岸の、ちょこっと突き出た岬や小島みたいな場所が好きだと、
 ちょっと前の「江須崎島」の欄でも書きましたが、
 先日も同じような陸繋島である那智の「宇久井半島」に行ってきました。

 今より海面が高かった縄文時代には本土から切り離された島だった場所で、
 今は砂洲で繋がっています。そういう所を陸繋島(りくけいとう)というのですが、
 亜熱帯・暖地性の原生林がひときわみずみずしい空間です。

 ここは10年ほど前に行ったきりで久しぶりだったのですが、
 数年前に自然観察センター的な「宇久井ビジターセンター」という施設ができたようで、
 周囲に自然散策道が整備されていました。

 以前は釣り人が岩場に出るためのケモノ道のようなマニアックなトレースしかなかったのですが、あまりにきれいに整備されていてびっくりしました。ちょっと落胆気味な気分になりましたが、でも植生は保たれるわけだし、より多くの人がここのよさに触れることができるわけで、それはそれで悪くないかと思い直しました。
 それにしても、こんな場所に立派な施設を、お金あるんですね~。
 その驚きの方が大きいかな。

 さて、ここの半島から見る熊野灘の大海原も黒潮がとうとうと流れているのですが、黒潮ブルーってほんとに独特で、深い群青色というか、確かに黒みがかってるんですね。
 暗い黒ではなくて、深い黒。

 以前長嶋茂雄が
 「サバを漢字で書くと、いわゆるひとつの魚へんにブルーですね~」という言い方をしていたことがありました。
 またプロ野球では「イ・スンヨプ」という韓国人選手の「ヨプ」の部分に当たる漢字が日本のワープロソフトになくて雑誌などで、「李承ヨプ選手、注※ヨプ=火へんに華」というヘンテコリンな表記がなされていることがありました。

 そのノリに習って言うと、黒潮ブルーてのは漢字に当てはめると
 「青へんに黒」となりますね。「ブルーへんにブラック」。

 なお、10年くらい前にここに来た時は、この下の写真のようなボコっと突き出た岩が特徴的な場所があったのですが、今回そいつを再度見たくて歩きに歩きまわったけれど、とうとう見当たりませんでした。この背後にはちょうど沖縄の「ウタキ」のような森の切れ目の4畳半くらいの空間があり、そこに天空からのこもれ陽が差し込んでいて冬枯れの落ち葉がキラキラ光り最高に美しかったことを、昨日のことのように覚えています。
 下の写真の場所、だれか知らないっすかね~。
 知ってたら教えてください。
 sunnyrain@nifty.com まで
 
P10101411


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「ザ・ナット」、タスマニアンアボリジニーの聖地

2012-01-19 03:27:35 | インポート
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 前回の文章を書いていて、
 アボリジニー繋がりでふと、南半球タスマニアをカヤックで旅した時のことを思い出しました。

 タスマニア北部の海岸線に「タスマニアのエアーズロック」とも言われる
 「ザ ナット」という名の巨大な岩山があります。 
 写真がそうですが、ちょうど海に突き出す岬のような形でとても風格があり、
 その昔には、タスマニアン・アボリジニーの聖地とされていました。
 
 ん、なぜその昔なのか? 今は聖地じゃないのか?
 と思うかもしれませんが、要するに今はもうタスマニアン・アボリジニーは
 この世にいないのです。過去には最大3万6千人いたのですが、
 白人の入植者に滅ぼされ、1876年に地球上から消え去りました。

 で、聖地だけが残っているというわけです。

 ここの外周をカヤックでぐるーっと一周したことがあるのですが、
 その時は結構風波が出ていて断崖に当たるクラポチス(返し波)に悩まされ
 なかなか大変でした。
 しかし海面から見上げる「ザ ナット」はすごくワイルドかつ神聖で、
 畏怖感がありながらも一人ぼっちで漕ぎ進むぼくをどこか見守ってくれているような、
 いいどっしり感がありました。
 そう思っていると、もちろん偶然でしょうが、風波がやんできました。

 そうして無事巡り終え、今度は頂上まで登りました。
 てっぺんで大海原を見つめたとき、ハートにガツンとくるというか、
 グッとこみあげてくるものを覚えました。
 海という世界の広大さが、めまいを伴って、よりリアルに感じられたのです。
 地球を青く彩る海水。人間のスケールをはるかに超えた圧倒的な質量。
 その果てしなさ、寄る辺なさにおいて、宇宙そのものだなと思いました。
 ちっぽけな人間の身体にとっては宇宙も海も一緒、無限の世界です。
 
 目の前に広がる大海原が大宇宙で、
 足元にそびえる「ザ ナット」は大宇宙を旅する宇宙船。
 そして自分自身はこの宇宙船に守られてつつ、一緒に旅している。
 そんな錯覚というか連想が、湧きあがってきました。
 
 で、なぜか、この「守られてる感」っていうのは、
 ニュアンスは違えども、昔のタスマニアンアボリジニーたちも、
 同じように持っていたんじゃないかなあ、と思ったりしました。

 聖地とは、場所独特の空気感を伝えるメディアみたいなもの。
 そこを訪れ、カヤックという超敏感な舟を漕ぐことによって
 時空を超えて空気感を共有し、
 この世から消え去っていったタスマニアンアボリジーの生きた証というか、
 体温のようなものを感じた気がしたのでした。

 かわいそうに、タスマニアンアボリジニーたちよ。
 さぞ辛かったろうよ。
 あんたらがこの「ザ ナット」を愛したように、
 おれもこの「ザ ナット」で感じたことを大事に胸にしまって、生きていくぜ。 
 時々は思い出すぜ、こんな感じでな。


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オン ア ウォークアバウト

2012-01-18 16:54:12 | インポート
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 レッドホットチリペッパーズの「One Hot Minute」というアルバム。
 シーカヤックの行き帰りの車の中などで何百回聴いたか分からないほど、
 聴きこんだ1枚です。

 この作品を貫く、龍体のようにへヴィにうねりたくるグルーヴ感は、
 朝から晩まで海を漕ぎ波うねりの感覚が刻み込まれた身体で聴くと、
 心の奥底からグっとくるというか、
 細胞がワサワサとざわめく感覚に囚われます。

 1995年に発表されたもので、多分これを作っている時期、
 よほど嫌なことがあったのか、「思い出したくもない作品だ」
 と本人たちは言っているらしい。
 そしてその言に釣られてかロック評論家の評価も低いようですが、
 評判など別に知ったこっちゃない。 
 間違いなくロック史上に残る傑作だと思います。

 全曲好きだけど特に「Walkabout」というファンキーな曲がとても好きです。
 「ウォークアバウト」っていうのは、
 アボリジニーが成人になる際に、オーストラリアの原野を
 何カ月も歩き続け、大地とひとつになり、
 人生のヴィジョンを見い出すという儀式だけど、
 多分そいつにヒントを得て作られた曲でしょう。

 特に歌詞がかっこいいんだけど日本語に訳すると途端にダサくなるので内容を簡単に要約すると、
 「おれは歩いて旅に出ることにした。本物のおれ自身に出会うために、森羅万象の本質を見抜くために。心をオープンにして広い視野を持ちつつ、街を歩き、砂漠を歩き、山を歩き、荒野を歩く。2本の足をシャッフルさせ、ストライドさせ、踊るように、時には早く、時にはゆっくり、時には空を飛ぶように歩く。己の足で歩き続けると、ほとんどの憂鬱な感情は癒される。おれはアボリジニーの賢者のように、本物の人生のヴィジョンを見いだす。おれはどこまでも歩き、おれ自身の限界をこえてゆく」
 って感じになる。
 あらゆる意味でロックのよさ全開の名曲ですね。
 
 で、この曲をぼくは自分自身のトレッキング&カヤッキングの際のテーマソングとしているわけですが、you tubeでいうとhttp://www.youtube.com/watch?v=J1MwPDtPjbsここで聴けます。まあ、ちゃんといい音質で聴かないとよさが分からないかもしれませんが。
 また、韻の踏み方とか言葉を選ぶセンスも素晴らしいので英語の歌詞もそのまま載せておきます。
 よろしければどうぞチェックを。

I think I'll go on a walkabout
And find out what it's all about - and that ain't hard
Just me and my own two feet
In the heat I've got myself to meet

A detective of perspective eye
I need to try and get a bigger eye - open wide
bloodwood flowers in my gaze
walkabout in a sunny daze - do me now
On a walkabout

You could do it in the city
You could do it in a zone
You could do it in a desert
You could do the unknown
On a walkbout

High desert skies are what I spy
So fly - you've got to wonder why
The stingrays must be fat this year
Moving slow in my lowest gear
The digirido original man with a dream
I believe the Aborigine
On a walkabout

You could do it with a shuffle
You could do it with a stroll
You could do it with a stride
You could do the unknown
ON A WALKABOUT

A walk could cure most all my blues
bare feet or in my two shoes - 1, 2,
I think I'll go on a walkabout
Find out what it's all about - can't hurt to try
Use your legs to rock it wide
Take a ride to the other side


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三峰山霧氷ハイク・スノーシュー

2012-01-16 15:25:22 | インポート
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 先日、奈良県と三重県の県境に位置する三峰山(みうねやま・1235m)に、
 霧氷を見に行きました。

 登山口から山頂近くまでは普通に登山し、
 山頂近くでスノーシューに履き替え散策しました。
 冬型の気圧配置で風強く、時折吹雪いたりして
 展望はよくなかったですが、
 霧氷はしっかり堪能できました。

 霧氷とは、空気中の水蒸気や水滴が樹木の枝などに当たることによって凍結、あるいは昇華して起こる現象です。ところで霧氷と樹氷とはどう違うねん? とよく思いますがカヌーとカヤックとの違いみたいなものでどっちでもいいと言えばいいのですが、厳密に言うと樹氷とは霧氷の一種で、霧氷には他にもより粒の大きい粗氷(そひょう)、霜状になった樹霜(じゅそう)などがあります。要するに「霧氷」という大きなくくりの中に樹氷、粗氷、樹霜という3つの現象がありまして、だいたい樹氷ができるような条件の場合、同時に木によっては粗氷ができていたり樹霜ができていたりもするから、総称として「霧氷」と呼んでいるのだと思います。
 カヤックをカヌーと呼んでも問題ないように、
 樹氷と言ってもなんら差し支えないでしょう。

 霧氷という化粧をまとうことによって、
 通常は平凡な木々も気品や神秘性といった、
 極上の詩情を醸し出しますね。

 この三峰山は厳しい冬山登山という感じではなく、
 (といっても基本的な冬山装備は必要ですが)、
 歩きながら徐々にその景観にチューニングを合わせてゆき、
 美しい霧氷のポエジーと一体化するとノリで、
 時には立ち止まったり寝転んだりと、自由に歩けるところがいい。


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鏡石山トレッキング

2012-01-16 14:19:58 | インポート
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 先日、鏡石山をトレッキングしてきました。
 和歌山北部の海南市から金屋町に抜ける古道を通るルートで、途中紀伊水道が大きく見渡せるビューポイントがでてきたり、陶芸工房が見学できたり、意外と長い雑木林の縦走道が続いたり、あちこちに通じる小道が錯走しどこに通じているんだろうかと想像をかき立てられたりと、派手さはないけれど満足いく歩きが味わえる里山でした。

 こういう、なかなか着眼点が届きづらいけれど、
 着眼してみると案外面白いコースってのも世の中には
 無数にありますよね。

 鏡石山の名前の由来は、その昔、山頂付近にある岩々が夕日に照らされることによって鏡のようにキラーっと反射し、それによってふもとの下津あたりの海で操業する漁師がまぶしすぎて仕事にならず、たびたび岩を煙でいぶしに行ったという逸話からきています。
 ほんまかいな? と思いますが、昔の漁師は「山立て」と言って、山を見て現在位置を把握するというナヴィゲーションを行っていましたから、本当なんでしょうね。
 人々の暮らしの中で、海と山とが繋がったものとして捉えられていた昔の里山、里海文化を感じられるちょっとした面白いエピソードです。

 その岩々も、今はもうその面影は残っていないようです。岩の一部のみが残っている部分が、一番下の写真です。
 これではまったく分かりませんね。


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旅のガジェット

2012-01-12 22:21:17 | インポート
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 よく聞かれることの一つとして、参考までに、
 旅のお伴としていつも持参するものたちを紹介させていてだきます。

 左から順に、まずはiphoneです。このいかついのがiphoneか? と思われるかもしれませんが、これは落としたり濡らしたりのラフなアウトドア仕様に耐えうるよう、ハードなケースでカバーしている状態です。海に出る場合はさらに下の防水アクアパックに入れ、首にぶらさげた上でライフジャケットのポケットに入れておきます。仕事柄、漕ぎながら通話もメールも可能な状態にしておく必要があるわけです。もちろん緊急連絡用としてそうしておく必要もあります。そして何より、どこででもネット検索できるのが便利ですね。知らない土地の温泉の場所とか、お店の所在とか、すぐに探せますから。
 この部分は革命的だと思います。
 ちょっと不満な点はバッテリーの消耗が早いことと、海外使用での料金体系が分かりにくすぎることですね。よく調べないで海外で使うと、ちょっとネットしたたけで、あるいは下手すりゃ電源を入れてるだけで10万とかの請求が来ることもあるらしいです。細かく調べて持っていきゃええやん、という話もありますが、別にケータイのためだけに人生やってるわけじゃあるまいし、そんなことに時間を費やしている暇はないですよね。ということで海外には持っていかないです。
 GPS系のアプリなども、ぼくはあまり使ってないですね。その辺はあえて、アナログで行きたいですから。
 まあ、知らないだけなのかもしれません。またよい使い方などありましたら、教えてください。

 そして左から2番目はipodです。
 ここには1000曲以上の音源を常に入れ替え、知らない曲がたっぷり入っている状態にしまして、そこここで聴きまくっています。車ではカーステに繋いだままにしてますし、テント泊のカヤッキングでは夜のお伴として欠かせないです。海外では移動の時とか聴きまくっています。
 特にカヤックって、波うねりのリズムに波長を合わせていく音楽的な要素の強い乗り物ですので、長時間海を漂った後聴く音楽は、乾いたスポンジのように心に沁み入ってくるものがあります。
 ぼくはそこから見えてくる感覚にこだわりを持っています。まあ一種の瞑想ですね。
 昔は小型のラジカセとか持ちつつ旅したこともありますが、そのことを思えば革命的に変わりました。何百枚のCDを持って旅するのと匹敵するわけですから。
 またpodcastもよく聴きますね。世界中の知らない音楽をタダでチェックできますし、また面白いトーク番組も探せばたくさんあります。去年にフィジーのカンダブ島を旅してる時なんかはロバート・ハリスの番組を聴きまくっていました。
 ロバートハリス、最高ですね。
 なおipodではメールやネットはしないです。
 iphoneを通信用、ipodをオーディオ用としてぼくは完全に使い分けています。

 左から3番目のやつは、ソニーの電子書籍リーダーです。
 これには凄く期待していました。なんせ旅をするときに一番重いものが本です。でも読書こそ、旅の大いなる楽しみのひとつです。日常ではなかなか頭に入ってこない内容も、不思議と旅先では、特に海外ではすんなり入ってくる傾向にあります。斜め読みもいいですし、ガッツリ読破もいい、いろんな本が読みたいです。ですが持って行ける本は非常に限られます。そこへいくと電子書籍ならば何千冊も、家の本棚どころかちょっとした図書館、本屋の陳列棚くらいの分量を持っていくことができます。
 これを革命と言わずして何を革命と言うのでしょうか?
 というわけで目がチカチカせず特に読みやすいこいつをゲットしたわけですが、ハードは悪くないけれど肝心のダウンロードできるソフトのあまりにしょぼいことに悲しくなりました。ありがちなビジネス本とかハウトゥー系ばかりで読みたい本が全然ないのです。自分の持ってる本をスキャンさせて取り込むという方法もあり、それを「自炊」と言いますが、手間が恐ろしく面倒でやってられない。そこで自炊を代行するサービス屋さんが出てきたわけですが、既得権益層に猛反発を食らって去年見事にポシャリましたよね。
 旅する者にとって、また読書好きな者にとって、ぼくは電子書籍にはすごく未来を感じているのですが、何か新しいものが出てくるとすぐ足を引っ張る旧勢力が茶々を入れ、結局物事がちっとも進んでいかない一例です。いつまでたってもバブル以降の「失われた●×年」モードでズルズルいく流れの典型がここにも見られるようでやるせなくなります。
 電子書籍が充実すると、うずもれた過去の良書が再び読まれるようになるとか、いい面もたくさんあるのにね。
 やってみなきゃ分かんないのにやる前から決めつけるというのは、
 高齢化社会の悪い部分だと思います。
 ということでこのリーダーはいつのまにか使われなくなり、
 故障してそのままになっちゃっています。
 
 そして一番右のノートですが、実は、案外これが一番大事だったりします。
 フィールドリサーチなんかの時には、何でもかんでもこれに書き込みます。デジカメが広く普及する以前には、「メモスケッチ」と言って、見えるものや感じることすべてを言語として表現して記載していたことがありました。写真で取ると確かにのちのちまで残るけれど、言葉にしようとするともっと感覚とかセンスとかを総動員しなきゃいけないわけです。ただ見るのではなく、ただ聴くのではなく、より意識を集中して見聞きしなければなりません。そして一番的確な言葉を捜し出す。そういうやり方で感性を鍛えましたね。でアウトドアの場合、感性を磨くことが安全にも繋がってくるものです。下手な小手先のテクよりこっちのほうが大事だ、というのがぼくの実感です。それが深い楽しみにも繋がってきます。
 もちろん知り合った人の連絡先とか日記、誰かが言った印象に残ったフレーズなどもメモします。
 カヤッキングでもライジャケの中に入れて漕ぐことも多いです。
 濡れてもどうせ¥100均で買ったものだから、しれたものです。


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西高東低

2012-01-12 01:12:28 | インポート
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 冬場は西高東低で等圧線が狭くなると、
 北西風が吹き海は荒れますが、
 緩むと穏やかになり、
 心地よいカヤッキングが楽しめます。

 上の写真は荒れたやつで下の写真は先日の湯浅湾ツアーのものですが、
 表情がまるっきり違いますね。

 防波堤の沖側や断崖絶壁のキワというのは、
 波のパワーを減じることなくそのまま跳ね返すので、
 返し波と沖から来る波が合わさっていやな三角波が発生しますが、
 これをクラポチスと言います。
 これだけは避けたい波のひとつ。

 このタイプの返し波は何キロも沖を漕いでいてもお尻に感じることができます。
 逆にお尻の微妙な揺れ具合で、
 遠く離れた場所の地形が分かったりすることもあります。

 波や体感がひとつのメディアになることもあるわけです。
 ですがこの波では漕がない方がいいですね。


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那智勝浦沿岸カヤッキング

2012-01-07 05:25:56 | インポート
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 先日、熊野古道の大雲、小雲取越えトレッキングしたあと、
 那智勝浦沿岸をカヤッキングしました。

 トレッキングも面白いけれど、やはりカヤッキングは、
 トリップ感の深み、体感のリアルさ、自然との一体感の生々しさ、
 海面を滑りゆく心地よさ、波うねりのリズムと同調する音楽的快感、
 重力からの解放感、そしてイマジネーションの広がりという意味において
 次元が違うというか、アウトドアにおいてひときわ突出した
 king of king,lord of lord だな
 という実感を改めて噛みしめながら、漕ぎ進みました。
 
 ここら辺は南国・紀州の中にあってもひときわ温暖な場所で、
 特に太陽光線の輪郭がひときわ鮮やかというか、
 太い感じがします。
 真冬でも天気のよい日には春みたいな陽気となります。
 この日は日本各地で大荒れ、高野山あたりでは大雪が降ったのですが、
 ここではまさに春でした。

 洞窟と小島が無数に点在する極めて魅力的なスポット。
 海上から那智の滝が見えたり、
 水路を入ってゆくと雰囲気ある湖に通じていたり、
 1級フィールドですね。

 今回は岸ぎりぎりをこれでもかというほどトレースして
 岩一つ一つの配列を暗記するかのごとく、漕ぎました。
 プランクトンの少ない冬の海は、ため息ができるほど
 美しいものです。

 紀伊半島はホームグラウンドであるので、
 定期的にあっちこっち巡回パトロールせにゃあいけませんのですが、
 パトロールの度に新しい発見があったりして、
 今回のここの巡回も非常に面白かったです。
 
 このフィールドもまた、今年のツアーコースのひとつとなります。


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大雲・小雲取越・熊野古道

2012-01-06 18:05:55 | インポート
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 先日、熊野古道の大雲・小雲取越えをトレッキングしてきました。
 大雲取越え15キロ、小雲取越え15キロ、
 計30キロ、1泊2日の行程、小口の集落でテント泊。

 雲取というのは、
 雲が掴めそうなくらい高い峰々が連続する道であるところから来ています。
 那智大社から本宮大社へと抜ける巡礼道ですね。
 今回20キロ近い荷物を背負っていましたが、
 結構ハードでしたね。

 急な上り下りが多く、熊野古道最大の難所として知られていますが、
 ここも古来からまつわる様々なエピソードが面白いコースです。
 特に那智の滝辺りから急坂を2時間ほどかけて登り切ったのち、
 下りに入る「八丁坂」を歩いていると出てくる「ダル」という妖怪の話。

 こいつに取り憑かれると全身の力が抜け、動けなくなったり意識を失ったり
 死んでしまうこともあるらしい。
 しかしメシを食うと回復するとも言われている。

 要するに今でいうハンガーノック、シャリバテのことだけど、
 人の気配のまったくない無音の山奥、
 風に揺られる木々がきしりあう音のみが人の声のように響き渡る
 ここを歩いていると確かに、「妖怪」って言った方がサマになるな、
 という気がしました。
 かの南方熊楠もダルの妖怪にとりつかれ、メシを食って治ったそうです。

 またここは「亡者の出合い」とも呼ばれ、死に別れた親兄弟や親せき、
 知り合いなどが歩いている姿が見える場所であるとも言われています。
 それもまあ、非常に簡単に言ってしまえば、
 ハンガーノック状態の中で見る幻覚のことだと思いますが、
 きつい登りを終えてようやく下りに差し掛かった時、
 誰しも思わずホッとして気を抜きますよね。
 疲労と空腹がピークに達している中で、気を張った状態から一気に気を抜くと、
 そんな状態になるのはよくわかります。
 科学的に言ってしまうと非常にそっけなくなる話を、
 伝説的に持ってくる昔の人のイマジネーションは面白いなと思います。

 考えると、ここで亡者に出会った幻覚を最初に見たその人自身も、
 もうとっくに亡者になっています。
 大昔からおそらく何十万人もの人たちがここを歩いただろうけれど、
 彼らはその時実際に亡者を見たのか見なかったのかそれは分かりませんが、
 過去の人たちはみな既に亡者になっているわけですね。
 そしていつかおれも亡者となる。
 考えてみると不思議というかはかないというか、
 なんともいえない気持ちになりますね。
 ここを歩いた人はみんなきっとそんなことを思っていたんでしょうね。
 ということはおれも亡者目線で物思いしたってことになるわけです。
 
 移り変わってゆく時の流れと、
 ずっと変わらない場所のフィーリング、。
 歩きながら結構いろいろ考察しましたね。
 たとえば未来に亡者になっているであろう自分自身と、
 今歩いているおれ自身とが出会う、
 なんていうシュールなシチュエーションとかね。

 そう考えると、もっと人生、有意義にやっていかなきゃあかんなと思いました。
 と思いました。


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