古代の葦船「EXPEDITION AMANA(エクスペディション アマナ)」で2021年、アメリカ西海岸から4,000km離れたハワイ諸島へと航海を目指す石川仁さんを、クラウドファンディングで応援しよう。
仁さんは2,3年前に一度うちのお店にも来てもらったことがあって葦船の興味深い話を色々と伺ったのですが、葦船とは極めて自然とのつながりが強い船だと感じました。特に印象に残ったのは、一本一本の葦の中にいろんな微生物が生息しているのだけれど、砂漠のように茫漠たる大洋をゆく航海が深まってくるにつれて、それら微生物たちとも一緒に旅をしている、生きとし生けるものみな同じ仲間として運命を共にし、この惑星を航行しているという実感が真に迫ってくるという話でした。これはすごいなと思いました。それはそのままバックミンスター・フラーのいう「宇宙船地球号」みたいなものの縮図で、葦船の航海とは、究極の共生思想かもしれないなと、そのとき思った次第でした。
この閉塞して生きずらくなっている日本において、海文化こそ、ひとつの大きな希望だとぼくは思っています。
だけどそれは自分たちで「作って」いかなければ、もはや、存在しない。
近現代で、日本古来の海文化もあらかた消えてしまった。
だけど考え方を変えると逆に、新たに「作っていく」面白さがある。
老若男女・年齢職業関係なく「真剣」に「作る」という対象物があるというのが、面白いんだ。そして海はいついかなるときも「本物」だから、ゆえになにがしか真摯に海に関わる、携わるということで、それがそのまま本物志向のクリエイトということになる。
そんな中でも石川仁さんのこの葦船での大航海は、最先端を行くものとなるだろう。
なぜなら葦船という、最古の道具を使うわけだから。
最も古いものが最も新しい、なぜならそこがすべての創始点だから。
仁さんの葦船に一緒に乗り込んで、一緒に航海してみたい気持ちにかられます。もちろんそれは無理な話ですが、まずはサポーターとして同じ感情、感覚を共有しながら、その行方を見守っていきたいと思います。
微々たる支えかもしれませんが、葦の中の微生物のように一緒に航海する気持ちを楽しみたいと思います。
よろしければ皆さんもぜひサポートしてください。
それはただの支援ではなく、クリエイティブな共有となるに違いないでしょう。
https://readyfor.jp/projects/expedition-amana
今年1月に完成していた原稿、そこから出版社探したり何やらかんやら、本だすのにこれほど時間かかるとは思わなかった。だけど誰に頼まれたわけでもなく好き勝手書いた本としては早いリリースなのかもしれない。
https://www.amazon.co.jp/dp/4839701768/
著書「インスピレーションは波間から
~自然の教えを知る、シーカヤック地球紀行~」の発売が11月13日となりました。
13日に全国書店で発売されますが、
アマゾンには既にページがアップされており、
内容紹介も記載されていますので、どうぞご覧ください。
また先行予約していただければ幸いです。
https://www.amazon.co.jp/dp/4839701768/
なお表紙写真の下の部分はオビがくるのですが、
現段階では外した状態で載せています。
ちなみにオビ文やコピーなどは下記のようになります。
・関野吉晴氏(「グレートジャーニー」の探検家)
〔オビ推薦文〕より抜粋
……カヤックと一体化した人魚(著者)の身体は、生態系に溶け込み、野生の感性・理性・霊性を使って、独自の自然観・世界観を紡ぎ出していく。海やカヤックに関心はなくても、十分読みごたえがあり、たくさんの人に読んでもらいたい素敵な本です。
・鎌田東二氏 (宗教哲学者・京都大学名誉教授)
〔解説〕より抜粋
……カヤックの装着と操行に魅せられた著者は、<身体感覚を総動員することによってこの「水の惑星」と深く対話し、進むべき道を導きだしていく叡智>を探っていく。このとき、カヤックはかぎりなく音楽に近づく。それはもちろんつねに海の波音と共にあるものだが、もっと深く地球の歌を、この水の惑星の歌を呼び込んでくる。
〔裏オビのキャッチコピー〕
水の惑星の音色を聴きに行った――黒潮の長流に漕ぎ出してみると、太平洋はそのたゆたいの深みから、太古の人類の知恵とこの星に可能な未来を、五感にじかに語りかけてくるようだった。
ということですが、上記アマゾンのサイトで購入できるほか、できましたら書店で予約、購入していただけるとなおありがたいです。またカフェやショップをされている方は、本書を仕入れて販売していただけるとさらにありがたいです。それから、ぼくを呼んでいただければ貴店で販促スライドショー&トークイベントを開くことも可能です。
●ショップやカフェ等のお店様が、出版社から直接本書を仕入れる場合の取引条件
・注文部数に関わらず、定価の20%引き(1584円)で卸します。
・1回の注文が5冊未満の場合は、送料は着払いです。5冊以上は元払い。
・配送は宅急便を使います。
☆めるくまーる社
郵便番号101-0051 東京都千代田区 神田神保町1-11 信ビルディング4F
03-3518-2003
info@merkmal.biz
よろしくお願いいたします。
Alfa Mist - Antiphon - full album (2017)
最近よく聴くアルバム。
海や自然とより深く繋がるための「物理的ツール」としてカヤックやSUPなどがありますが、「精神的ツール」はぼくは音楽だなと昔から思っていて、過去に死ぬほど色々と聴いてきましたが、最近のヒップホップ的なジャズ、またはジャズ的なヒップホップには、なかなか面白いのが多いですね。
その中でも特にいいなと思ってよく聴いてるのが、これ。
このブログでも昔からよく言っていますが、海の波やうねりって音楽的なリズムやグルーヴみたいなものだし、またジャズやヒップホップの「グルーヴ感」ってやつもまた、海の波やうねりみたいなもの。両者はとても相性が良くて、例えばシーカヤックを漕いだ後すぐの体で音楽を聴くと、より身に染みてくるものがある。
体に刻まれた海感覚と、演奏のリズムやグルーヴとが呼応し、調和するってわけ。
というわけで、ジャズそのものもヒップホップそのものもよく聴いてきたけれど、なぜかジャズとヒップホップを掛け合わせたやつにはあんまりいいと思うモノがほとんどなかった。昔、そのタイプの音楽で「アシッド・ジャズ」と言われるものもあったけど、同様にそれほどいいなと思わなかった。
その理由が最近分かった。
ドラムが機械的な打ち込みのやつばかりだったから。
それが分かったのは、最近、きちんと一級のドラマーが叩いているジャズ+ヒップホップが増えきたのだけれど、リズムに人力のゆらぎが入るととても自然な感じで、ジャズの繊細さも浮き出てきて凄くよくなるということに気づいたからだった。
みんな思ってたんだろうな。
ドラムマシーンって、なんか貧しいなと。
そんな批評性も感じる。
だから最近、ヒップホップ的なジャズや、ジャズ的なヒップホップをよく聴いてるんだけど、
その中でも特にいいのがこれ。
自分の海感覚にもよいインスピレーションを与えてくれる。
特にドラム、聴いてみて下さい。
「シーカヤックで再発見 紀州の海」というテーマで毎月一回、毎日新聞で連載させてもらっている記事ですが、今回で5回目となり、11月2日に掲載していただきました。湯浅湾最南端の「白崎海岸」についてのものです。新聞記事ってやっぱり、淡々とした文章が求められて苦手だけど、まあこんなもんでしょう。
どうぞ写真をクリック&ズームしてご覧下さい。
なお、ズームできない方のために元原稿を下に記しておきますので、もしよろしければこちらもご拝読ください。
「特異さ漂う岬 太古の面影、時空越えて」
海の世界は、岬のあちら側とこちら側とで、大きく変わる。
風や波、潮はもちろん、生態系、海水の色彩、航行の安全性や難易度、景色や空気感までもが変わる。シーカヤックの荷室にテント、寝袋、食料を積み込み数日以上の海旅に出る際にも、岬が大きなターニングポイントとなる。ひとつの海域を過ぎ去るちょっとした感傷と安堵感、そして新しい世界に突入する期待と不安とが心の中で交錯する、旅情がひときわ掻き立てられる特別な場所なのだ。
中でも湯浅湾南端の「白崎海岸」は、岬の持つ特異感が際立っている。湾内から外海へ、いざ漕ぎ出でようと気持ちを引き締め直し、紀伊水道の向こうに霞んで見える対岸の四国や淡路島の方角に目を向ける。凪ならば徳島まで6時間、淡路島まで5時間で行ける距離だ。船首を動かし、コンパスが南西を指し示すと、複雑に入り組んだ南徳島の海岸線が脳裏に描き出される。北西方向に向くと、鳴門の渦潮やさらに彼方に展開される瀬戸内海の島々の形が心に浮かび上がってくる。
少し角度を変えただけで想い描かれる世界が大きく変わる。シーカヤックで使用する「デッキコンパス」は想像力を喚起する道具なのだ。
そしてコンパスが南を指すと、黒潮の世界である。紀伊半島では岬一つ南に向かうごとに、グラデーションのように黒潮の影響が濃くなる。美浜町の日ノ御碕、印南町の切目崎、白浜町の市江崎が大きな境目となる岬であるが、ここ白崎はその起点だ。そして最南端の潮岬まで来ると黒潮はダイレクトにぶち当たり、亜熱帯の海になる。ぼくは熱帯の海より、まるで絶妙な絵筆のタッチのように南国風情の濃淡が感じられる紀伊半島の海が好きだ。そしてそれを肌身でリアルに捉えられるシーカヤックは素晴らしい乗り物だと思う。
白崎の岬としての特異性は、航海の起点という意味だけではなく、空と海の青をよりシャープに引き立て異彩を放つ、珍しい白亜の石灰岩が担っていることはもちろん言うまでもない。2億5千年前に赤道付近にあったものがプレート移動によって今ここにあるという不思議。その地球のダイナミズムは、リゾート化された陸からよりも、人工物が目に入らない海からの視点の方が、より心に響く。シーカヤック特有の、水面すれすれの目線でそばに近づくと、まるで時空を越えてやってきた太古の巨大生物のような存在に思えてくるのだ。
毎日新聞にて「シーカヤックで再発見 紀州の海」というテーマで月イチ連載中の最新記事は先日5日に掲載。
今回は湯浅湾の中でもひときわトリップ感の強い秘境「黒島」について書いてますが、よろしければ写真をクリックしてズームしてご覧下さい。
なお、毎回記事の写真を載せてますが、いつも読みにくいと言われますので、元原稿も合わせて下記にコピペして張っておきます。
【4億年の歳月が刻む洞窟、黒島】
由良町の衣奈海岸沖約1.7キロに威風堂々とそびえ立つ無人島・黒島には、風波によって削りこまれた海食洞(洞窟)や水路が無数と思えるほど数多く存在する。貫通した穴、袋小路の空洞、予期せぬ場所から抜け出せる迷路、差し込む光が神秘的に内部の海水を照らす通路などなど、おそらく100以上はあるだろう。他の船では入ることのできない幾多の洞窟や水路を巡ることは、シーカヤックならではの特権的な楽しみだ。
その中に身を置く感覚は独特で、岩壁の神々しい重厚感が心身に響く。
百万や千万の年数では、これくらいの洞窟は形成されない。1億年程度でもまだまだ「青二才」だ。ここは4億年前の地質であり、気の遠くなる年月を経た風格が、シーカヤックという敏感な乗り物を通すことによって、我が身にずっしりのしかかってくる。
シーカヤッキングで出くわす、ふと、地球の鼓動を感じる瞬間。それをぼくは「プラネット感覚」と呼ぶ。
ここは悠久の地球時間が身体の芯を通り抜けてゆくひとときが味わえる無人島だ。
干潮時に一カ所だけ顔を出す浜がある。そこから素潜りするとルリスズメダイ等の熱帯魚を湯浅湾内の他所よりも多く見ることができる。黒潮の影響が強い場所なのだ。島全体が南方系植物群の北限地となっていることからも、それは分かる。「ハカマカズラ」という、実が数珠に使われる亜熱帯植物も生育する。博物学者の南方熊楠は生前、その北限はここから約50キロ南の田辺湾・神島だと思っていたが、後年の調査により黒島が北限だと判明した。琉球諸島や鹿児島県の屋久島、佐多岬、高知県の足摺岬など黒潮の「沿線」に生える「アコウ」の森も北限に近い。その他珍しい亜熱帯系の植物もここには多数存在している。
一方、北方系植物の南限でもある。また瀬戸内海沿岸や西日本に分布する植物の東限だともいわれる。生態系的に「クロスロード」に位置するそのユニークさは、地形的複雑さと相まって、感覚的回路をも交錯させる。五感を研ぎ澄ませシーカヤックで巡ったときの「トリップ感」がとりわけ深い島なのだ。もしどこかの観光立国ならば、国を挙げての景勝地に指定されるかもしれない。それが人知れずひっそりと存在するところに、紀州の海岸線の奥深さがある。
毎日新聞にて「シーカヤックで再発見 紀州の海」というテーマで月イチ連載中の最新記事は先日10月5日に(「湯浅湾・黒島」について)、掲載していただきましたが、ふと考えると前回9月7日に掲載の「湯浅湾・鷹島」の記事をこちらに載せるのを忘れていましたので先にその記事の写真を載せておきます(黒島の記事は近日中にアップします)。ぜひ、写真クリックしてさらにズームしてご覧下さい。
と、毎回記事の写真を載せてますが、いつも読みにくいと言われますので、元原稿も合わせて下記にコピペして張っておきます。面白いのでぜひぜひお読み下さい&よろしければフェイスブックなどでシェアしてください。
【古代航海の「ハブ港」 クジラのような形 無人島・鷹島】
南北両方向から見ると漫画のクジラのような形をした無人島・鷹島には美しい浜が2カ所ある。いずれも広川河口沖の防波堤完成以来、山からの砂の供給が減少し、潮流が変わった影響もあって、痩せたゴロタ石の浜になっている。漂着ゴミも多い。海岸線を自在にゆくシーカヤッカーにとって全国どこでも出くわす現象だが、この島では特にそれが目立つ。
南東側の弓なりに広がる入江には現在、海上釣り堀が設置されている。波風を遮断する地形で、周囲がどんなに荒れても、この入江だけは穏やかだからだ。それは古代から変わることなく、縄文時代前期の5000~6000年前には、集落が存在した。住人たちはここを拠点に南は伊豆諸島や八丈島、北は東北地方あたりにまで長距離航海し交易する「海洋民」だったようだ。この島でのみ作られた「鷹島式土器」(和歌山市の「風土記の丘」資料館に展示)が、全国各地で単体として出土するのがその証拠である。
その際に使われたのが、シーカヤックと同様に手漕ぎの「丸木舟」だった。もちろん当時はコンパスも海図もない。五感を総動員して海と対話し、波風を読んで日本列島を縦横無尽に渡っていったのだ。
信じ難いが、荒唐無稽な話ではない。私自身、2000年~2001年にシーカヤックで湯浅湾から太平洋を北上し、津軽海峡を渡って北海道一周、そして日本海を南下して九州、四国の外周を回りまた湯浅湾に戻るという、日本一周航海をした。
長い人類の歴史と共に寄り添ってきたカヌー、カヤックは、理にかなった完成度の高い乗り物で、それくらいの航海もできるのである。
空からの目線で見ると、鷹島から南下するとすぐ太平洋に出られることがわかる、北上すれば瀬戸内海を経由して、日本海や東シナ海にまで足を伸ばせる。長距離航海をする交易の民にとってこの島は、全国に開けた「ハブ港」だったのではないだろうか。
その後、サハリンにまで商路を開いた豪商や、オーストラリアやハワイ、アメリカ大陸にまで生活圏を広げた漁民に代表されるように、紀州の海洋民は地球規模のスケール感を持って国内外へと繰り出していった。和歌山は、近世まで日本の海文化の中心地だったのだ。鷹島縄文人はその始祖といえるだろう。
「熊野古道」に比べると忘れられた存在の「熊野海道」だか、そこにはスケール大きく、豊かな文化が眠っている。世の中が閉塞感に覆われている昨今、今一度そこに目を向けてみる価値がある。