メリークリスマス!!
当店代表、平田 つよしの2作目の著書、「海がたり 黒潮ストリート」(「黒潮ストリートの知恵」より改題、ぷねうま舎刊)が、本日12月24日に刊行されました。
全国の大きな書店で買えますし、またアマゾンでも購入できます。
アマゾン紹介サイトはこちら
https://www.amazon.co.jp/dp/4910154124/
オビの文言は下記のとおりです。
『──心の眼で捉えた、黒潮のメッセージ──
カヤック冒険譚、くろしお物語。カヤックを突き上げる波、踊らせるうねり、海のラーガ(旋律のうねり)とビートに身をゆだね、嘘のない生命感と繊細な身体感覚を研ぎ澄ませて、「海」をかたり、文明の危機と向き合う。
延べ三千日以上、黒潮の海と対話し続けてきた冒険者による、壮大なスケールの黒潮文明論──紀州・熊野から出雲、九州西岸(平戸島、五島列島、甑島)へ、そして奄美から琉球へ、その道は列島の自然文化と歴史の成り立ち、さらには祈りと祭りの起源をたどる「いのちの海旅」であった。原発事故やコロナ禍が語る人類史的な危機を乗り越えるための、黒潮回廊のヴィジョン』
という紹介文です。
なお、本作は前作「インスピレーションは波間から」(めるくまーる社)と対になった作品で、前作はアジア〜太平洋諸島〜東アフリカを舞台にした地球紀行でしたが、本作は日本列島の黒潮流域が舞台になっています。カヤック旅を主とした紀行文学ですが、カヤックを漕ぐことは「目的」というより、「手段」と言った方がよく、言うなれば裸の感性で自然の懐に入り込んだ詩的感覚や直観を「縦糸」に、そして原発事故やグローバル資本主義、民族や宗教の分断、コロナ禍といった現代世界の諸問題にたいする考察を「横糸」に、ひとつのタペストリーを編むように、またストリートの語り部のようにかたった、未来志向の作品です。
「物語」というより、「語りもの」といった感じでしょうか。
アウトドアガイド/シーカヤッカーの余技ではなく、あくまで一作家としての自負を持って書いた作品です。逆にだからこそ、より深いカヤック礼賛、アウトドア礼賛にもなっていると思います。
「ただの遊びで、ここまでのことができる。海を感じるというアングルから、ここまでの本質を見通せる。こんな時代にあっても、ここまでのヴィジョンを見いだすことができる」、
というレベルを目標にして書いたわけですが、出版社はそこのところの面白さで原稿を採用してくれたようです。版元のぷねうま舎は哲学系に強い小出版社ですが、版元選びもベストチョイスだったと思います。その筋のベテラン編集者とタッグを組み、入魂の作品に仕上げました。
あとの評価は読者の方にお任せします。
‥‥と以上のように書くと、小難しい作品のように思えるかもしれませんが、貫かれているメッセージはシンプルで、「ただ、生きていりゃええやん」ということ。
自然を感じ、味わうという豊かさは誰にでも享受できる最良のもので、本書はその手引きとでも言えるでしょうか?
古いジャズの曲に「The best things in life are free」という曲がありますが(ここでのfreeとは自由というより無料という意味)、たしかに、海も山も川もみんなのもので、それを心底味わうことは人生最良にして、お金には代えがたいもの。そしてそれを楽しむための身体は、万人にひとしく無料配布されたもの。
相次ぐ若い芸能人の自殺に象徴されるように、もともと生きにくい世の中だった上に、コロナ禍でさらに生きにくくなった昨今ですが、そんな中でもよりよく面白く生きるための、一つの羅針盤のようにして書いた作品です。
本日12月24日に発売されるのにも、意味があります
(読後「なるほど」と、わかって頂けるかと思います)
また本作と対になった前作「インスピレーションは波間から」(めるくまーる社、2019年)も好評発売中です。
こちらも合わせてよろしくお願いいたします。
https://www.amazon.co.jp/dp/4839701768/
そして大峰奥駆道縦走に続いて11月半ばから後半にかけて、湯浅から伊勢・二見ケ浦までの「紀伊半島一周カヤックトリップ」を行っていました。カヤックにテント、寝袋、食料、水などを積んで昼間こぎ、夜は浜辺でテント泊という、一筆書きの旅です。
こちらも同じく3作目の書き下ろし著書「海と山のソングライン」の取材という名目でしたが、それ以上にハードトレーニングを行った感がありました。普通にツアーガイドだけやっているとどうしてもカヤッカーとしてのポテンシャルは落ちてしまう所があるので、ちょうどよかった、1石2丁だったと思います。
紀伊半島の外洋、とくに枯木灘から熊野灘にかけてはなかなかの荒海で、ところどころ日本でも有数の難所というえるゾーンが立ちはだかります。ここを自分の判断力とパドリングで一周することができるならば、あとは時間さえ許せば日本一周も可能だといえるような、バロメータ的な基準となる海だとも言えます。
そして今回、やっぱりシーカヤックという乗り物はすごいなと改めて思いました。寄る辺ない大海原でまるで一寸法師のように頼りなげだけど、着実に目的地へと進めゆくことのできる乗り物。身一つで大波の合間を渡っていくなんて、冷静に考えると有り得ないわけで、でもそんな有り得ないことを可能にする道具、それがシーカヤックであるということを実感し、不思議であると同時に、ぼくはすごいものに携わっているんだなという思いが、何度となくこみ上げてきました。
自然の息吹、地球の鼓動を、もっともダイレクトに感じることのできる乗り物。
そこから繋がってくる、豊かな世界。
そんなものを存分に表現したいなと思います。
久しぶりの投稿。
前回投稿以後、いつものように秋のカヤックツアーをこなしておりましたが、その合間、まず10月後半に「大峰奧駆道」を5泊6日で縦走してきました。
1300年以上前から存在する修験道の道で、吉野から熊野・本宮大社までの区間を歩いたわけですが、さすが修行の道ということもあり、なかなかハードな道行きでした。なお、この縦走は第三作目の著書「海と山のソングライン」の取材も兼ねていたという事で、ここではまだ詳しい旅の話に触れるのはやめておきますが、なかなか深い体験になったと思います。何日もの間、人里はおろか人工物もほとんど見ることのない山道というのは日本ではなかなか稀少なのですが、だからこそ野生のただなかで大自然と対峙している濃厚な実感がありました。ほとんど人と出会うことなく、道なき道をいくような場所を歩いているときにはまさに、だれも知らない奥地に迷い込んだような感がありましたが、その実、1300年の間に何百万人もの人々が歩いてきた道なんだということを考えると、不思議な気分に陥りました。
そんな形跡すら感じさせないわけですから。
あるのはただただ木々と草花と岩と土くれ、そして向こうに見える山々の重なりだけ。
圧倒的な野の気配があるのみ。
だけど確実に人間の手によって道としてつながり、そこをたどってゆくと迷わずに熊野まで歩いてゆける。
人と自然との、絶妙のバランス関係。
色々と新たなる発見があり、自分自身のヴァージョンアップを計れたような旅だったように思えます。