再びライアテア島に戻り、無人のモツ(小島)に住む漁師一家と二日間過ごしたあと、今度は外洋側から再びタプタブアテアのマラエ(聖地)へ。
ここでちょいと沈思黙考。
はるかアジアから渡ってきたポリネシアンはここを起点にさらなる未知を求めてハワイやイースター島やニュージーランドへ散っていった。
言わばカヌー文化の聖地。しかしその後、未知の地はなくなり、やがて外洋航海カヌーの伝統も途絶えた。結局、地球も物理的に有限だったってこと。
そしてその後、世界は物理的有限性の下、陣取り合戦の争いに明け暮れることとなり、それが今日まで続いているのは誰もが承知のこと。
環境問題も同じ。
だけど、地球の物理的有限性と表裏一体性をなす感覚的無限性というものを考えたとき、まだまだ未知は続くのではないか? 例えば自然と人との調和による心の豊かさなんて、まだまだ原始の段階だろう。AIがさらに進化していくこれからは人間性の体現たる文化芸術の領域が大事になってくるが、キーになるのは人と自然との関係性になるとぼくは思う。
そう考えるとき、自然との究極の対話といえる外洋カヌー航海術の価値が再び浮上し、するとこのタプタブアテアのマラエの意味合いも一段と深まるだろう。
ぼくはこの地で最大の敬意をもって、地球の物理的有限性に対する感覚的無限性という言葉をささげた。
しばらくして人がやってきたのでそろそろ行こうかと動きだすと、何と近づいてきたその人は数日前にタハア島のキャンプ場で一緒に過ごした双子のフランス人兄弟だった。再会のハグと握手。さらにその後、この旅の初日に世話になった人に偶然出会い、6人乗りのアウトリガーカヌーの練習の人が足らんから、漕ぎ手で参加してくれということになり、乗らせてもらった。ワーと呼ばれるアウトリガーカヌーで、現代タヒチ人のスピリットを体現する乗り物。
マジ漕ぎ練習だったので、写真はGoProのみ。
旅が深まると起こるシンクロニシティ。
吉兆。