プリミティヴクール

シーカヤック海洋冒険家で、アイランドストリーム代表である、平田 毅(ひらた つよし)のブログ。海、自然、旅の話満載。

紀伊水道横断 中紀~徳島・伊島

2017-11-11 11:05:08 | 紀伊水道カヤックトリップ

 先日、久々に中紀から紀伊水道を渡って徳島の伊島へ。
 人口200人足らずの、ダイナミックな海岸美と時間が止ったひなびた漁村があるだけの、潮流の中の島。
 
 港は結構大きく、島と島に挟まれた地形から、大昔は避難港・風待ち港として交通の拠点になっていたと思われる。実際、大昔は日常的に手漕ぎの舟で紀伊水道を渡り、紀州と徳島を往来していたのだろう。その中継地としてもよいロケーションの島。

 紀伊水道横断は直線距離にして最低25キロ、航行距離として30~35キロを漕ぎ続けなければ渡れず、途中荒れてきたら逃げ場がないし状況によっては5~6時間以上休みなしで漕がなければならないシチュエーションになることもあり、シーカヤッキングとしては最も難易度の高いコースとなります。

 普段しっかりトレーニングを積み、スキルアップに努めている人のみ渡ることができる海峡ですが、コンディションを見極め、ナヴィゲーションできるならばこういう場所も漕げるというのが、シーカヤックの実力だと言ってもいいでしょう。


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百代の過客

2008-12-21 12:50:48 | 紀伊水道カヤックトリップ
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 (紀伊水道カヤックトリップの話の続き)
 紀淡海峡を渡り淡路島南岸をトレースして沼島を経由し鳴門海峡を渡り徳島に入るルートをとった。
 
 鳴門海峡は一部分を外すと実はそんなに渡るのは難しくない。
 そのやばい一部分というのが鳴門大橋の下の、
 ちょうど写真のこの辺りというわけだ。
 
 庭の植木に水やりする時ホースの口を指で絞って水の勢いを調節するのと同じ原理で、島と島の間隔が狭いところで潮流は勢いを増す。加えて鳴門海峡は
 ①水深の浅いところから深いところへ一気に水が流れる構造、
 ②広いところから急に狭まる構造、
 ③両サイドにある小島が障害になって流速に格差ができる構造、
 などの要因により、激しい渦ができやすくなっている。

 この写真はカヤックからじゃなく、観光船の上からとったやつ。
 ちょっとシーカヤックじゃ無理だからね(潮止まりをうまく読むと渡れるけど)。
 岡崎・大手海岸に上陸しキャンプを張り、一日休息日を作って渦潮を見にやってきた。
 安全な船の上でじっくり眺めてイマジネーションを巡らせた。

 このエネルギー感と、常にひとつにとどまることなく次々と生成変化していく姿形が、心の琴線に触れる。
 いろいろなことについて考えた。
 
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 ここの潮流は、旧石器時代にまで繋がる深いルーツを持つ、
 「日本神話」にも登場する。
 その冒頭部分・・・。

 世界のはじめに陸はなく、海だけがあった。
 天の神が空から海に棒を差し入れ、クルクルかき回した。
 再び棒を抜きあげ、
 棒の先から滴り落ちた塩でできたのが最初の陸地で、
 オノゴロ島と呼ばれる島だった。
 オノゴロ島とは現在、淡路島の名で知られている。

 棒で勢いよくかき混ぜた時の流れや渦が、
 この鳴門や紀淡海峡、
 あるいは明石海峡などの潮流だったってわけ。
 まず自然現象として一致している。

 実際潮の流れの速い場所の風景って、
 すごくフレッシュというか、初々しいフィーリングがある。
 そいつを神話の冒頭に持ってくる所が示唆的だ。

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 その後、天からオノゴロ島に、
 男の神と女の神が一人づつ派遣されることとなった。
 イザナギノミコトとイザナミノミコト。
  「私の身体の余分に作られた一部分と、
 あなたの身体の欠けている一部分とを
 くっつけ合わせましょう」とイザナギは言った。
 そこで二人はセックスし、
 他の島々が次々と生み出されていったのだった。

 四国、九州、壱岐、対馬、本州・・・と、
 日本の国土が誕生した。
 それらは「大八島」と呼ばれた。
 「八」というのは末広がりの無限性を意味する。

 実際、日本には6852個の島々がカウントされるが、
 神話の上ではすべてこの二人によって作られたとされている。

 では、その辺のことと、
 実際の人間文化の流れがどのように一致していくか。
 そこに神話ってものの神髄がある。
 さらに考えてみる。
 
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 国境などなかったはるか昔、先史時代、
 日本列島は旅の途上のあらゆる民族が集まる、
 ターミナル駅というかゲストハウスというか、
 空港みたいなものだった。

 ある奴は黒潮に乗って東南アジアから島伝いにやってきた。
 ある奴は朝鮮半島からやってきて、
 またある奴はアリューシャン列島あたりからやってきた。
 実に色んなところから来たやつがたむろしていた。
 日本人のルーツは少なく見積もって
 7、8種類の民族が混血したものだといわれている。 
 
 イザナギとイザナミの「セックス」ってのは、
 そんな異民族、異文化同士の和合、融合の象徴だと、
 ぼくは考える。
 神話というものの性質上そうに違いないのである。
 何よりセックスとはコミュニケーションである。
 淀んだ対立や闘争ではなく、親交・融合によって
 フレッシュに生成変化し、
 無限の可能性を切り開いてゆくという、
 生活上の智慧、自然の叡智、
 ナチュラル・ウィズダム。

 昨今の世界情勢を見ても分かる通り、
 今も昔も、異民族、異文化同士の争いが、
 人類最大の危機というか、最悪の「淀み」なのだ。
 その回避方法っていえば大げさかもしれないが、
 その示唆を神話の最初に持ってくる所に、
 「祈り」のようなものをぼくは見て取る。
 ま、こんな説を唱えるのはオレだけだけどね。
 
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 日本神話って展開的にだんだんだんだん権力くさくなって、
 つまんなくなってくるけれど、
 王権支配の話が出てこない最初の展開(神代)は、
 自然感覚とイマジネーションと祈り、
 人間社会と自然界
 体感と詩的直観、
 などなどさまざなテーマで読み解くことができる。
 
 閉鎖的で淀んだ島国根性や村人根性ではなく、
 グローバルな視野でものごとを見つめるスケールのでかさ。
 お互いの長所をたたえ短所を補いあう多様性、寛容の精神。
 流れる潮のように
 淀むことなく新しい発想を生み出していくファンキーさ。

 このもっとも古いものの中に、
 もっとも新しいもののヒントが隠されている。
 そう考えるとこのメチャクチャな21世紀初頭の、
 混沌、閉塞をぶち破ってゆく道筋のヒントも見えてくる。

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 さて、現在の世の中は目まぐるしく変化しているようにみえるが、
 そいつは新製品とかそんなものが目まぐるしく変わるだけで、
 本質の価値観はなにひとつ変化せず、
 肝心の社会構造やオッサン・オバハンらの意識などは、
 旧態依然と淀んだままだ。
 だが、小さなところで少しづつ
 ポジティヴな渦潮は生まれてきている。
 シーカヤック文化とか、カヤックトリップ・カルチャーとか、
 そしてそう、アイランドストリームとかな。


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洞窟

2008-12-21 11:41:48 | 紀伊水道カヤックトリップ
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 徳島・阿南海岸を南下し日和佐周辺に入ると海岸洞窟が連続するゾーンになった。
 シーカヤック日本一周の際など何度かこの海岸線は漕いでいるが、一個一個の入江や洞窟をしらみつぶしに進むのは今回が初めてだった。数にして100じゃあきかないんじゃないかな、無人の海岸線にいい感じの洞窟だらけ。
 非常に気に入った。

 海岸洞窟に出入りするのはシーカヤックならではの特権で、
 その光と闇のコントラストが味わい深い。

 岩には硬い部分と比較的軟らかい部分がある。
 もともとは一枚の閉じた岩だったものが、
 何百万年、何億年と雨、風、波にさらされることによって、
 軟らかい部分だけが少しづつ少しづつ削られていき、
 やがてこんな感じの洞窟となる。
 地球のダイナミックな鼓動が生んだ造形アート。

 海に揺られながら悠久のタイムスケールに想像力を巡らせる喜び。
 アウストラロピテクスとかマンモスとか類人猿、
 ティラノザウルスとかブロントザウルスとかプテラノドン、
 シーラカンスとか三葉虫とかアンモナイトとか原初のアミノ酸、
 地球とか月とか銀河系とかブラックホールとかビッグバン、
 いろいろについて想像した。

 洞窟を出入りするごとに光と闇が交互に過ぎていき、
 何億年の昼と夜が過ぎ去っていった。
 シーカヤックのスピードで。

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 日和佐周辺の海岸線は断崖絶壁、洞窟、美しい浜が続く素晴らしいシーカヤックフィールドだ。日帰りではなく3,4日キャンプしながらじっくり散策してみると最高だろう。人の気配ではなく、野生の気配が色濃いのがなによりいい。地形的に北風の風裏、南風の風表になるので、10月~12月初旬くらいかベストだと思う。もちろんアイランドストリームでも1泊2日のキャンプツアーするぜ。


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夕陽と満月と朝日

2008-12-20 22:58:39 | 紀伊水道カヤックトリップ
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 先月行いました紀伊水道単独カヤックトリップにて。
 ○月○日、和歌山・加太から紀淡海峡を渡り、
 友ケ島から眺めた夕日。
 こいつが非常によかった。

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 ↑西の空で味わい深い夕焼けが展開されたあと、
 ↓東の空からニョキっと満月が現れた。
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 松の木のシルエットが日本的ないい感じを醸し出していた。
 夜は月を眺めながら酒を飲んだ。
 友ケ島に多く繁殖している鹿の鳴き声があちこちで、
 まるで月に吠えるようにこだまする夜だった。

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 こちらは朝日。徳島県・阿南海岸、北の脇海水浴場にて。
 一晩この浜でテント張って寝て朝、出艇するときに荷物をパッキングしながら見たやつ。
 こいつを眺めているとふと近くの漁港あたりから町内放送があり、「海上風警報、最大瞬間風速20mになるでしょう」とのアナウンス。
 嵐前の静けさってやつ。
 このあと2時間ほどしてから実際、強烈かつものすごく冷たい風が海上で襲いかかってきた。今年一番の寒気が上空に入り、昨日までのポカポカ陽気が一転、そしてこの翌日は最低気温が氷点下まで下がり、各地で初雪がぱらついた。
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紀伊水道一周ツーリング

2008-11-17 22:38:41 | 紀伊水道カヤックトリップ
 先日から紀伊水道一周ツーリングに出ています。湯浅、加太、友が島、鳴門と漕ぎ進みそこから南下し、今はちょうど徳島・阿南海岸に上陸しテントを張った後歩いてネットカフェまで来てくつろいでいるところです。この後、阿南海岸からまた紀伊水道を横断し、日の岬を経て湯浅に帰る予定です。ですが、もっとゆっくり漕いでいろいろ探索したいところで、あんまり帰りたくない気分です。

 大海にたった一人、ほかから見ると吹けば飛ぶ木の葉のようなはかなげな存在だけれど、ひとつの意志とテーマを持って着実に進み続けるカヤック。シーカヤック一人旅はいいね、いろんなものと裸のサシで向き合っている強い実感がある。

 大昔の海人は人力でこの紀伊水道を日常的に行き来してたんだよね。
 和歌山のみかんも、海の道を通じた徳島との交流ではぐくまれた産業だしね。
 アイランドストリームの拠点である湯浅は、紀伊半島の「西側」だけれど、紀伊水道という視点で見れば「東側」なんだよね。きっと大昔の海人はそういう海からの視点を持ってただろう。だって大昔は陸にほとんど道はなく(日本は元来山だらけ、森だらけなのだ)、海路しかなかったわけだ。そんな人たちは海から発想するしか手立てがないだろう。。ちなみに日本という国は大陸的価値観からするとファーイーストだけれど、海的視点で太平洋を基準としてみるとファーウェストだ(ファーイーストなんて呼び方はモロに西洋中心主義で嫌いだね)。
 海を支点にものごとを捕らえると発想がまったく変わる。
 そして元来人間は海を支に生活し、移動し、発想してきた。
 そういうことを今一度考えさせてもらったね、この海の上で。

 また淡路島周辺の流れというのもインスピレーション深いものがあるね。
 日本神話も、この潮の流れと淡路島誕生をモチーフにした伝承からスタートするのも、非常に興味深い。
 海人の「体感」と「イマジネーション」を基にしているのがよくわかる。
 鳴門海峡の激しさは岡本太郎が絶賛した火炎式縄文土器の激しい文様にもよく似ている。
 アイランドストリームといううちの屋号にも似ている。
 まあ、このへんのことを話すと長くなるのでまた今度。
 
 えー、海上と同様、陸に上がっても歩きまくります。3キロでも5キロでも歩いて渋い銭湯やおもろそうな店などを探します。しかし、鳴門にしろ阿南にしろ、閑古鳥鳴きまくるシャッター街の駅前、このうらぶれたわびしさはなんなんだろう。歩きつかれて場末のワビサビ感が極まったような焼き鳥屋ののれんをくぐり、まったくやる気のなさそうな店主のおっさんとカウンター越しに話しながらビールを飲んでいるとなんだか胸がキューンとしてきました。
 しかしこの胸のキューンとした感じもまた旅情そのもので悪くないです。

 さて、このネットカフェでもうちょいゆっくりしたいところですが、隣のブースでネットしているおっさんの独り言と咳払いがやたらとやかましいのでテントに戻ろうと思います。
 また明日からオーシャントリップ、満喫したいと思います。


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