「シーカヤックで再発見 紀伊半島の海」というテーマで、毎日新聞の和歌山版で月イチで記事を連載させて頂くことになりました。この写真は先日7月6日付の第一発目のやつです。
今後ちょっとぶっ飛んだアバンギャルドなことも書こうと思ってるけれど、新聞的に果たしてどこまで許されるのか、ちょっと楽しみだ。
今回はひとまず静かな滑り出し。よかったら写真クリック、拡大してお読み下さい。 まあ、このブログの過去記事とか読んでいただいている方には、おなじみの内容ではありますが・・・。
完全ジャケ買い的に買った分厚い本、
「フライデーあるいは太平洋の冥界」トゥルニエ著と、
「黄金探索者」ル・クレジオ著の、2作一緒に入ったやつ、
まずは黄金探索者の方を読了。めちゃよかった。
作者の祖父は昔、怪しげな文書を頼りに、
インド洋のロドリゲス島にて海賊の隠した財宝探しに半生を費やしたそうだが、
「ジイチャンはなぜそんなことをしたのか」というその「心」を、
小説という形で想像力で迫ってゆくストーリー。
ごく簡単に言うと、一家の没落で失った子供時代の幸福な日々と海辺の家屋敷を取り戻す夢に根ざした黄金探索なのだけれど、この本の海の描写は素晴らしい。星や風やサイクロンや自然の描写もまた実に素晴らしい。世に数ある海の文章の中でも最高峰のひとつだと思う(まあ翻訳だけど)。
この美しさこそ黄金だと思う、
この本、うちの店のライヴラリールームにあって貸しだしも可ですので、
興味のある人はどうぞ。
海観、自然観が深まる本です。
先日25日にうち(アイランドストリーム/The Seventh Sense cafe)で開催した、
濱口祐自ギターライヴ、
素晴らしい夜になりました。
ゆうじさん、すごく気持ちがこもった演奏で、
特に後半のステージ、 ちょっと神がかってるような瞬間すらありました。
それを支えるものすごい技術、
年期、
音の響きへのこだわり、
音楽への愛、
人間味の奥深さ。
心優しいお人柄。
すべてが音に現れている。
本当に素晴らしい名演の現場に立ち会えて幸福でした。
去年、今年とこの同じ時期に野外ステージで開催しましたが、
次回は新しく建てた店内でもやりましょうという話になりました(ハコ内の音の響きが結構いいようだ)。
寒い冬の時期、あるいは雨降ったら室内、
気候、天気のいい日は屋外、
年二回くらいやろかいな、と。
ライヴ後、色んな話をして、
ゆうじさんから「海文化」という言葉が出てきたとき、
嬉しかったですね。
特に和歌山は海文化が大事なんよ。
縄文系海洋民に始まって戦前くらいまでずっと続いてきた紀州の海洋文化ってものがある。古式捕鯨ほかたくさんの新しい漁法を編み出して全国に広めたり、ハワイ、オーストラリア、中南米、カナダなど世界の海に繰り出していった海の民をたくさん輩出しているのが紀州だ。北海道やサハリンまで海路を開いた豪商も輩出している。チマチマ、セコセコしとらん、スケールのでかさがあるってことだよな。
おおらかで豊かな、海文化のノリを取り戻さないと。
今の時代、やはり海の「遊び」の世界が大事になってくるやろな。
シーカヤックとかそうやし、音楽なんかもそう。
まあ、那智勝浦の海で生まれ育ちマグロ漁船まで乗ってる濱口ゆうじさんはシーカヤッカーみたいなもの。
実際、パドル握ると指の感覚が変わるからカヤックはせんと言ってらっしゃるけれど、ものの見方とか感覚とかまあ色々、ほぼほぼシーカヤッカーなのよ。名誉シーカヤッカーみたいなもの。
ぼくもまあ、長年音楽を聴きまくって育った人間だから耳は肥えている自信ある。でも肥えてようといまいと、ミュージシャンから田舎のおっちゃんおばちゃんまで、どんな耳の人が聴いても超一流のギタリストですね。こんな人が同時代に、和歌山県にいるなんて、奇跡的だと思いますね。大げさではなく。
先日、15回目の9.11を迎えた。
2001年9.11米同時多発テロの時、ぼくはシーカヤックの武者修行中で長い海旅をしていて下関付近にいたんだけれど、その後関門海峡を渡って九州西部を南下していくに従い世界情勢は悪化し、やがてアフガン空爆、イラク戦争となだれこんでいった。
あのときジョージ・ブッシュが言ってた言葉を忘れることができない。
「アメリカに従うか否か、従わないものはすべて敵、悪の枢軸、テロリストと見なす」
あれほど腹が立ったことはない。
海旅してると、めちゃ感覚鋭くなるからね。
海ほどリアルな世界はない。そして海のリアルにずっーっと触れてると、世界のリアルへの感受性が高まるようだ。2000キロ向こうの台風からも波うねりは今ここに届けられこの身を揺らすように、水平線の向こうのリアルワールドから届けられた世界のうねりも我が心を揺さぶる。要するにあれは異文化に対する圧倒的な不寛容と強者の傲慢を押しつけた台詞だったが、本当に腹が立った。あの台詞は、ブッシュが、アメリカが、というより、ホモ・サピエンスがこの地球に登場して以来、強者が弱者に言い続けてきた文言、差別や圧政、略奪、蹂躙、戦争の際の慣用句に他ならない。どう転ぶか見当がつかなかった当時の不穏な世界情勢の下、「こいつ、なんてこと言うんだ」と思ったものだ。
あれを聞いて、ぼくは全く違う道をいこうと思ったのだった。辺見庸という作家は当時「私はブッシュの敵である」という本を書いていたが、敵と言ってる時点で、ブッシュの文脈に乗ってしまっていることになる(本自体はいい本だったけどね)。
敵も味方もあるかいな、どっちも関係ない、世界はもっと多様で多元的で豊かなもののはずだ、と思った。
その後アイランドストリームを開いたのだったが、あのときひたすら考えまくったことが運営、活動の根本になっている。世界をあちこち旅する動機にもなっている。今も全然変わっていない。
あそこが自分の初心、原点なんだよな。別にカヤックおたくなわけじゃない。一番鋭敏な乗り物だからカヤックを続けてやってるわけ。世界の多様性、多元性、豊かさに対して常に敏感でありたいからシーカヤックなんだよ。
シーカヤックの神髄、奥義はそういうところにある。
その時読んで一番感銘を受けたのがこの本。「関係の詩学」エドゥアール・グリッサン著、 管 啓次郎訳。カリブの小国マルチニーク島の詩人・哲学者の本だけど、やっぱり奴隷制~植民地時代というとんでもない苦を経てるだけあって、徹底的に考え抜かれている。前世代の抵抗主義者たちの欠点も見据え、乗り越えて洗練されている。つまり反骨精神やルサンチマンが止揚されて、すべての人種が共有できる平和主義の高みに達しているってこと。まるでボブ・マーリーのpossitive vibrationの歌の世界だ。世界の多様性、多元性が主題だ。まあ8割方ちんぷんかんぷんだったが、なぜかビビビーんときた。今読み返すともっと分かるかもしれない。もう一度読んでみようっと。
シーカヤックって本当は、
乗るというより履くものだ。
自分の下半身に履き込み、慣れればなれるほど、
バウ(舳先)の先からスターン(艫)の先まで、血や神経が通った、
自分の身体の一部になる。
そしてシーカヤックって実は、
腕ではなく、軸で漕ぐものだ。
腰を軽くひねって体軸をローテーションさせて漕ぐことによって、
腕だけの負担から全身運動となり、
また無駄な力は必要なくなり、
慣れれば一日50キロとか70キロとか、普通に漕げるようになる。
その体軸を作るにはとにかく漕ぎこむしかないのだけれど、
まあそのうち形にはなってくる。
誰でもできる。時間の問題だ。
だけど本物の軸ができあがるには、
少なくと5年10年はかかる。そして海旅の経験も必要になる。
長年カヤックを履き込むことによって、
端から端まで神経が通った自分の体に一部になり、
そいつを磨き上げた「本物の軸」を使って操ること。
多分これは古武術とかで言うところの、
「臍下丹田」とかそういうものと相通ずるのだろうけれど、
とにかくその軸を通して、軸を中心にして、
風や波、潮の流れとの深い対話、
自然との深い交歓ができるようになる。
波うねりとダンスを踊れるように、
そして黒潮のVoiceや地球の鼓動をヒシヒシと、
実感できるようになってくる。
いわゆるひとつのプラネット感覚。
とまあ、マニアックな話になりましたが、
別にそこまでいかなくても、初心者レベルでも、
カヤックは十分楽しいものです。
入り口、玄関口の敷居も低いですからね。
言いたいのはその奥に行けば行くほど、
さらに深い世界が広がっているということです。
ぼくもいろんな遊びをやりましたが、
やはりこのシーカヤッキングのプラネット感覚ってやつは、
究極的に素晴らしいものだと思いますね。
自分の身体の軸で地球を感じるセンス。
自然とは、海とは、瞬間瞬間に、
リアルな本当の姿を垣間見せてくれる世界。
そいつを捉えた瞬間、
この感覚こそ永久不変のオレ自身の姿だ、と思えますね。
本物の自然との一体感ってのは要するに、そういうことを言う。
せっかく興味を持ってはじめたシーカヤック。
長くやればやるほど自然のいろんな姿が見えてきますから、
ぜひぜひ続けてほしいと思いますね。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
今年はこれまでにも増して、面白い活動をしていきたいと思っています。
ツアー業務と同時に、自然、旅、アウトドア、アートにまつわる、
様々なイベントやワークショップなども開催していきます。
映画上映会や音楽ライヴも頻繁にやります。
ベース基地も改造し、シーカヤックやSUPの基地としてより使いやすく、
もっと快適に、そして誰でも気軽に立ち寄れて
ハンモックに揺られながら音楽を聴いたり、
雑誌を読んだりもできる場所を作っていきたいと思います。
ネイチャーとカルチャーを結ぶ空間、
そいつを築いてゆくことが実はアイランドストリームを始めた頃からの目標でしたが、
それを具現化する年になっていきそうです。
もちろんツアーも充実させていきます。
長年やってきた中で、実にいろんな場所でいろんな経験をさせていただきましたが、
それをベースにして、より面白い発想のツアーを展開したいと思います。
みなさん、どうぞよろしくお願いいたします。
クリスマス前になるとあちこちでクリスマスソングを耳にしますが、
やはりキリスト教の祭日ということで、
ゴスペルタッチの曲にいいのが多いですね。
ちょっと昔風の、ソウル系のやつが好き。
ということでぼくの好きなクリスマスソングベスト5を選びました。
あなたのベスト5は何ですか?
1位 2010年に亡くなったソウル界の大御所、ソロモン・バークの1967年の曲。
まさに1960年代のアメリカ南部のR&Bって感じのサウンドに乗っかる包容力のある声が最高。
2位 ブレンダリーの「Papa Noel」、このかわいい声とメロディがいいですね。
3位 たぶん「ホワイトクリスマス」は古今東西、このドリフターズのバージョンが最高傑作だと思う。
粋なコーラスも完璧。
うわべのオシャレさに溢れた今の時代だけど、このダンディなお洒落さは今、ないね。
4位 クラレンスカーターの「バックドアーサンタ」
昔の黒人ソウルミュージックの典型的なファンキーさがいい
5位 レイ・パーカーjrの「Christmas Time is Here」
色気ある大人のクリスマスソング
9月19日(土)に当店野外ステージ開催の、
「濱口祐自ギターライヴ」の詳細ページ完成。
http://homepage3.nifty.com/creole/yuuji.html
音楽マニアも、まったくマニアでない人も、
老若男女すべての人が楽しめるギタープレイです。
那智勝浦出身、代々マグロ漁師の家系、
黒潮がはぐくんだ天才ギタリストのライヴです。
予約はお早めに。
意外と誰も言わないことだけれど、海のリズムと一体化できる舟・シーカヤックで一日中海に揺られたあと聴く音楽は、普段より何倍にも増して心と身体の奥深くに染みわたってくる。身体の芯にしばらく残り続ける海のリズムと、音楽のうねるグルーヴとがシンクロする感覚とでもいうか。もうぼくは何年も繰り返し言い続けてて登録商標すら取りたいフレーズなんだけど、そう、シーカヤックって特別に音楽的な乗り物なんだよ。
音楽はいつもいろいろと浴びるように聴きまくっているが、
最近よく聴いてるCD2つ。
上のCDジャケット写真は、中米・ベリーズの「アンディ・パラシオ&ザ・ガリフーナ・コレクティヴ」ってグループの「ワティーナ」って作品。
ベリーズ?? あんまり聞かない国だよねえ。
1981年に独立した新興国で、大昔にはマヤ文明でも栄えたベリーズには「ガリフーナ人」と呼ばれる少数民族がいる。1653年頃にアフリカからの奴隷船がカリブ海で座礁し海に投げ出されて助かった人たちは、流れ着いた島々に住み始めた。やがて世代を重ねるごとに先住のアラワク人などと混血を重ねていったが、その混血系の人たちは「ガリフーナ人」と呼ばれた。それがルーツだ。
現在、彼らの集落はグアテマラ、ホンジュラス、ニカラグアなどに分布し約60万人ほどいるらしいけれど、なかでもベリーズに一番多いようだ。で、彼らの言語「ガリフーナ語」は、南北アメリカ大陸において生き残った唯一のアフリカ系言語だと言われているけれど、1981年のベリーズ独立の時期あたりにガリフーナ人たちが自分たちの言語や文化に対する誇りをもって「プンタ・ロック」という音楽を生み出した。アフロ色濃いガリフーナ文化に根差しつつ、ロックやレゲエなど現代ポップ音楽も普通に愛好する若い世代から生まれたものだった。
そしてこのアンディ・パラシオさんはその代表的アーティストなわけ。
聴いてみるとなかなかこの音楽、アフロ系の割に地味なんだけど、「島」とか「半島」とかを想わせる独特の哀愁があって、いいんだよねえ。以前このブログでも触れさせていただいたセネガル沖の島国「カーポ・ヴェルテ」音楽の哀愁感にも、通じるものがある。
ユーチューブで参考までにチェックを。
http://www.youtube.com/watch?v=nt6oOzyG9ec&feature=related
ちなみに前述したカーボ・ヴェルテとベリーズは、いずれもカヤックトリップ的にも興味がある国なんだけど、ベリーズは下記のような国だ。
http://www.belize.jp/seizi.html
で、もうひとつ、下の写真はインドのタブラ奏者/エレクトリック音楽家のカーシュ・カーレイと、ラヴィ・シャンカールの娘であるシタール奏者、アヌーシュカ・シャンカールとのコラボ・アルバムである「水の旅」という作品のCDジャケット。
これがまた、聴けば聴きこむほど美しい。
ユーチューブの参考としてはこちら。
http://www.youtube.com/watch?v=QUcVRAA4m8Q
特に後半がすごくかっこいい曲。
なお、彼らの音楽も、インド古典を完璧にマスターしつつ、現代テクノロジーを自然に使いこなしていてすごく聴きやすい。
カーシュ・カーレイ1974年生まれ。
アヌーシュカ・シャンカール1981年生まれ。
これくらいの世代になると、古典とテクノロジーを頑張って「融合する」、というより、そもそも両方が自分の中に存在するので融合もへったくれもなく、それの共存がごく自然なスタイルなんだろう。そこが面白い。
で、ちょっと飛躍するけれど、シーカヤックなんて追求してると、ものすっごい古い日本のアニミズム的なフィーリングが皮膚感覚として分かるところがある。一方、現代のテクノロジー社会の感覚も現代人として普通に備わっている。それがジレンマでもあると同時に、そこに、こだわりを持ちたい面白みがある。
だからこそ上記のようなミュージックが心と身体にしみ込んでくるってわけ。
いわゆるひとつの「プラネット感覚」。
音楽や文学、ダンスなどカリブの島々のいわゆるアフロ・カリビアン文化はどれもみなすごく魅力的なんだけど、ハイチはとくに絵画が素晴らしい国です。ここにだーっと載せているのはハイチのアート(ヘイシャン・アートと呼ばれる)の作品です。
民衆から生まれたアート、すごいですよね。
これらの絵を見てると、すごくエネルギーを感じるというか、もらえます。
ぼくはお正月にブログやホームページで「デフレや不況だからといってハートまで貧しくならなきゃいけないなんてバカらしい、こんなときこそ感性豊かに生きていきたい」と書きましたが、そんな日本の不景気うんぬんのレベルじゃない、当たり前のモノすらない世界最貧国の、圧倒的な貧困の中でもこんな素晴らしいアートを生み出してきたってことは、豊かなイマジネーション、精神性、強いハートを持つ民族だということが分かります。またハイチの庶民って、ものすごく優しいらしいしね。
CNNやアルジャジーラ放送など見てると一日中ハイチの報道がなされていますが、衣・食の最低限のものすらひどく不足していて、また医者も足りず、医薬品も行き渡らず、なんとか生き残った重傷者も手当を待ちながら死んでいくという状態が続いているそうです。麻酔薬も足りず、麻酔なしで手足を切断したとかそういうニュースも入ってきます。ぼくは最近親シラズを抜いたばかりなので、麻酔なしなんてとんでもない、想像すらしたくないことです。
20万人が亡くなったと言われていますが、さらに生き残ったもっと多くの数の人たちが地獄の中で苦しみ、これからも続いていくことになる。
何かできることがないか、と思うものだけどひとまずはお金だろう。このファースト・ライフラインの修羅場を抜けるのもそうだし、復興にも莫大な費用が必要となってくる。ぜひ募金に協力してみてください。
赤十字はこちら
http://volunteer.yahoo.co.jp/donation/detail/1301013/index.html
ヤフオクでたまったポイントなどでも換金できるそうなのでよろしければ。
ユニセフはこちら
http://www.unicef.or.jp/
前回、前々回の記事の続きで話させていただきますが、まあそういうわけで、想像力の問題で、シーカヤックを漕いでて、もしここで海が荒れてきたりしたら怖いだろうな、なんて意識も心の片隅で常に働かせていたりもします。またおかげさまで世界のあちこちへカヤックトリップする機会にも恵まれているわけですが、もしかしたらいつか行くことになるかもしれないし、あるいは何らかの拍子に自分がその場にいたかもしれないということで、ハイチの地震のことがかなり気になっている次第です。シーカヤッカーとして、荒れた海に身を置くとほんとに怖いっていうのの延長線上で、地震で家とかが倒れてきたらとんでもなく怖いし痛いだろうなと考えてしまいます。気の毒でなりません。
今日の朝日新聞朝刊を見ていると、15年前の神戸の震災関連の記事が「忘れないで語り継いでゆこう」という論旨で何面にも渡って掲載されていたけれど、一方ハイチ地震の記事はほんの少々といった具合だった。
現時点で起こってる地震災害だぜ。
誤解しないでもらいたいのは神戸のことを取り上げることをうんぬん言ってるんじゃなくて、その文脈でなぜハイチへの想像力に繋げた紙面にならないのか、ということだ。そのバラバラ感に、とりあえず感が匂った。
冗談きついというか、一種のブラックジョークかと思った。
※写真は、インド最南端コモリン岬に行ったときのものです(前々回の夕日の写真も同じです)。ここでは海上はるか彼方に観音浄土の地「ポータカラ」があるという信仰が古代からあり、数多くの人たちが平和への祈りをささげたという場所。これにちなんで海のはるか彼方で起こったハイチ地震の犠牲者の冥福をお祈りするとともに、一日も早い復興を願ってやみません。
ハイチで大地震がありましたが、なぜよりにもよってハイチなんだろうか、神も仏もあったもんじゃないなという気がしました。もともとから政情が極めて不安定でクーデターや無法状態が続き、人々は食糧不足にあえぎ人口の80%は1日2ドル以下での暮らしを余儀なくされ、衛生状態が極めて悪く感染症の宝庫と言われ、また人口1万人に比して医者が2人しかいない世界最貧国のハイチで、さらに追い打ちをかけるようにこの大災害。CNNで1日中ニュースが流れているけれど、支援するにしても首都ポルトー・プランスの飛行場は滑走路がひとつしかなく、一方港は壊滅状態、またドミニカから続く陸路も救援物資が届かず業を煮やした民衆が犠牲者の遺体で道路封鎖し始めた・・・、という具合に陸、海、空すべての道が閉ざされ、ひどいことになっているようだ。衛生状態の悪さ、水・食糧のなさ、無法地帯の治安、クローズドの出入り口・・・。
この先一体どうなるんだろうか?
ところで、同じ島の陸続きであるドミニカ共和国の一人当たりの国民総所得8000ドルに対してハイチではわずか560ドルであるということも知ったが、ではなぜそんなにこのカリブ諸国の中でも際立って貧しい国なのだろうか? どうやらその理由は世界最初の「黒人独立国家」であることに起因するようだ。もともとフランスの植民地で、西アフリカからの黒人奴隷を酷使し林業やコーヒー・プランテーションによって切り開かれた国だったが、フランス革命などのドサクサにも乗じてナポレオンに反旗を翻した黒人奴隷たちが決起し、1804年にフランス軍を追い出しついにハイチ革命が成功、独立宣言をしたのだった。
世界初の奴隷解放、そして黒人による共和国の誕生。
というわけで颯爽としたスタートを切ったハイチだったけれど、他の植民地がハイチの例をまねて独立決起などしないよう見せしめとして、宗主国フランスから多額の賠償金を要求されたり、国際的に孤立させられたり、いろいろと意地悪をされ続けた。そして20世紀に入るとナチス・ドイツが介入、第二次大戦後はアメリカの内政干渉、また内的にも軍事独裁政権による政情不安定が現在まで続き、果ては世界の最貧国にまで落ち込んでしまったわけ。
そしてそんなことはおろか、存在すら忘れ去られていた国、ハイチ
そこに今回の大地震。
個人的にハイチといえば、以前アフリカ文化や自然哲学などに興味があっていろいろ本を読んでる際に、上記したような歴史的背景を知ったことを思い出す。アフリカからの奴隷が北中南米に連れ去られ各地に散って行く先で、土地ごとにアフリカ文化に根ざした新しい音楽や民俗が生み出されていったわけだが、その中でもハイチのものが最もアフリカ色が濃く残っていたらしい。それはゾンビーの映画で有名になった「ブードゥー教」という土俗に代表されるが、きちんとした人類学の本を読むとゾンビのおどろおどろしさなどひどい誇張で、それより偉大なるアフリカの哲学的世界観が根底に流れていることも知った。そんなアフリカ色濃かったハイチで黒人最初の独立国家が生まれ、そして世界最貧国にさせられたという皮肉には、いろいろと考えさせられるものがあった。またアフリカの自然哲学と、日本の縄文文化には相通じるフィーリングがあって、そこには自分自身のシーカヤック観や自然観もなにがしか影響を受けているんだろうな、ということも思った。
2001年9.11米同時多発テロが世界の不均衡や非対称性について深く考えさせられるひとつのきっかけになったように、このハイチ地震でも、貧困問題や南北問題や世界の不条理を、世の中全体が深く考えざるをえない大きな事件となるだろう。何より、被災地の庶民の人たちは何の罪なく世界の歪み、歴史の因業をリアルに背負わされているわけで、あまりにもかわいそうである。以前衛星放送でレッドホットチリペッパーズのベーシストのフリーという人がハイチに行き、恐ろしく医師が少ない中、医療ボランティアとしてかけまわる保健師の女性を訪ねる番組を見たことがあるが、とんでもない状況にもめげず前向きに生きているやさしい庶民の姿が映し出されていた。そんな彼らが被災しているということを思うと胸が痛む。
言葉がありません。
できることとして、まずは募金に協力するしかないだろう。
http://www.unicef.or.jp/index.html