冬山は寒く風が強く、雪が進路を妨害し、滑落の危険があり、多くの登山者が死んでいる。未知の世界に進む冒険家、好奇心の強い向こう見ずのおバカさんだけが雪山に迎えられる。
この句の雪嶺は、山頂というよりは、山頂と山頂を繋ぐ稜線だろう。稜線に向かう登山道をラッセルして歩いているのだ。太陽は天頂近くにあり丁度作者に反射光が当たっていて眩しく感じられるのだろう。登山道の両脇は自然林か熊笹に覆われているかもしれない。
この句の光の道は、天国に向かう霊界の道のようでもあり、神々しく感じられたのである。こういう光景にであうから冬山登山は止められなくなるのだ。上村直巳は、アラスカ、マッキンリーで帰らぬ人になったが、羨ましいくらい幸運な人生だった、と私は思う。
蜘蛛は糸を出して網を張ると思われているが、実際は糸を張る蜘蛛と張らない蜘蛛はほぼ同数だそうである。この句の蜘蛛は、間違いなくアシダカグモ(足高蜘蛛)、又はコアシダカグモである。イエグモ、ヌスットコブ(盗人蜘蛛)、軍曹などとも呼ばれる。亜熱帯起源のこの蜘蛛は、日中は物陰などに潜み、夜になると隠れた場所から這い出る。そして天井・障子・壁などで脚を広げて静止し、接近してきた昆虫(ゴキブリ・ハエ・ガ・カ・ハサミムシなど)を捕食する。人間への攻撃性はなく、網で家屋を汚すなどの実害もないので、むしろ保護すべき小動物である。
私も、母から「この蜘蛛は害虫を食べてくれるから、殺してはいけない」と言われていた。実際、薪の隙間など狭いところにこの蜘蛛を見つけると、まん丸に固まって動かない。いわゆる擬死(死んだふり)である。
さて、作者に「蜘蛛俳句の豊狂」、という称号を贈りたいと思うが、迷惑だろうか。
ハクサイ(白菜)
全国で問題になっている熊の出没。原因は、暖冬による冬眠期間の減少、食料である木の実類の減少、鮭の遡上減少などである。熊と出会うと、爪で引っかかれたり、噛まれたり大怪我をするし、死に至ることもある。
さて、百年間見かけなかった伊豆半島の修善寺や河津に熊が目撃されたという。熊が海からやって来るはずはないから、箱根方面から山地の尾根伝いに来たはずだ。だとすれば、途中のスカイラインや函南、熱海、韮山、伊東などにも現れる可能性がある。イノシシ、シカは昔から確認されているが、熊が加わったら危険で、山歩きが出来なくなるかもしれない。
トウガラシ(唐辛子)
MLBワールドシリーズで、ナ・リーグのチャンピオン、ドジャースがアメリカンリーグのチャンピオン、ヤンキースを、4勝1敗で降し、優勝してしまった。昨年は、MVPのベッツやフリーマンがいたのにもかかわらず、ポストシーズンに出場したものの、地区シリーズで3連敗して敗退してしまったたが、今年は地区シリーズでパドレスを、ナショナルリーグ戦でメッツを倒し、ワールドシリーズでヤンキースを倒したのだから本当にすごい。
そして、今年のドジャースに優勝の魔法を掛けたのは、どうやら大谷翔平君らしいのだ。仲間を明るくし、奮い立たせ、結束させ、幸運を招き入れたのは、どうやら大谷君らしいのだ。彼は、あと9回は優勝したいと言っているそうである。
ところで、私の身勝手な願望では、三勝三敗で第七戦でにもつれ込み、大谷君が逆転さよなら満塁ホームランで、MⅤPを取ることであったが、2試合も少なく終わってしまった。実に残念である。ドジャースにとっても、1試合500億円以上稼ぐらしいから、1000億円失ったことになる。
いずれにしても、今年の大谷君のWSはケガをしたりでさっぱりだった。代わりに、フリーマンが頑張ってMVPを取ったのが良かった。又、来年は、投手と打者の二刀流が復活するから、楽しみである。
さてこの句、近所の黄金色に実った田んぼに案山子祭があったそうで、ドジャースのユニフォーム17番を着た、間違いなく大谷君の案山子が立っていたそうである。
もってのほか(食用菊)
40代のころ、あるお坊さんがNHK「こころの時代」で「人間は、この世へ何をしに来たのか、皆忘れて生れてくる。そして、ほとんどの人は、思い出さずに死んで行く。だから、思い出した人は幸せだ。」と言っていた。当時の私は、「何をしにこの世へ来たか」全く考えたことがなかった。しかし、天下の孔子様さえ論語で、「五十にして天命を知る」と言っているのだから、私などの凡人は、ゆっくり時間をかけて考えたら良かろう、と思った。そして、しばらくして作った俳句が、掲句である。しかし、この句は「焼き物を作るために来たか?」という疑問文の句であって、「来たのだ」と断定しているわけではない。
さて、今年、車椅子テニスの小田凱人君(十八才)が、パリ五輪で金メダルを取ったが、その時のインタビューに応え、「俺はこのために生まれてきた!この金メダルを獲るために生まれてきました俺は!」と喜びを伝えた、という。私は、小田君のインタビューを見た時、本当に驚いた。
そこで思い出したのが、二十五年前のやはり十八才の西武の松坂大輔投手が、初対戦でオリックスのイチローを3打席3三振に取った時のインタビューに「自信が確信に変わりました!」と言ったのである。スポーツに秀でると、若くても言葉の世界も豊かで、名句が衝いて出るようである。いやはや、恐れ入りまする。
シュウメイギク(秋明菊)
城下町の武家屋敷、両側に白い土塀が続く一本の細い通りがある。そこの屋敷内に、一本の桐の木がある。
「桐一葉」という季語が成立したのは、紀元前の中国、前漢時代に作られた思想書「淮南子(えなんじ)」の説山訓が由来で、「桐の一葉が落ちるのを見て天下の秋を知ること。衰亡の兆しを感じること」である。明治になって坪内逍遙の戯曲に、新歌舞伎となった「桐一葉」が作られた。家康に滅ぼされた豊臣秀頼の冬の陣直前の大坂城内における物語である。従ってこの句から私は、武家屋敷の静寂と桐一葉による栄枯盛衰を感じたのである。
さて最近は、立冬が過ぎてもなかなか気温が下がらず、秋が短く突然冬が来るという予報がある。気候変動、温暖化が、ひしひしと私達の生活を脅かしている。
ホトトギス(杜鵑草)
「ホトトギスは、花の紫色の斑点の様子を鳥のホトトギス(杜鵑)の胸にある斑点に見立てた」と辞書の解説にあるが、果たして本当にそうであろうか?逆ではないのか?つまり、鳥が先か、草が先か、という問題である。
蔵に沿う一本道の桐一葉 紅
奥入瀬の汀ゆるやか水の秋 〃
秋夕焼いまは一人となりにけり 心
悠々と二羽の白鷺刈田道 〃
大谷君の案山子稲田の黄金色 流水
降る雨やひと雨ごとに秋深む 〃
秋雨や青ランドセル青き傘 豊狂
丹那路や黄金稲田に富士の傘 〃
窓越しの猫と目が合う秋日和 コトリ
秋晴れや逃げるトンビと追うカラス 〃
銀杏降る微動だにせぬ西郷どん像 凛
蟷螂や影にも闘志あふれおり 〃
水澄みて川底笑う秋の川 信天翁
川音に離れず揺るる紅葉狩 〃
境内に異臭立ち込め秋を知る 淡白
突然に茎伸び伸びて彼岸花 〃
野良猫の窪みの温み枯落葉 釣舟
秋蒔きの畝を一本均しけり 〃
タムラソウ(田村草)
作者は先日、三井記念美術館で行われている特別展 「文明の十字路・バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰」を観て来たそうである。
アフガニスタン・バーミヤン遺跡には、イスラム原理主義組織タリバンによって破壊された、高さ五十五メートルの東の太陽神と西の弥勒菩薩の二体 の大仏がそびえていた。展覧会では、バーミヤンの石仏とインド・ガンダーラの仏像、そして日本の法隆寺な ど奈良の古寺をはじめ各所に伝わる仏像や仏画等で、そのお顔立ちの違いなどを辿ることができるそうだ。
古代中国の五行説で金は秋にあたることから、秋風を「金風」と呼ぶ。やはり、五行思想で、「春」は「青春」、夏は「朱夏」、秋は「白秋」、冬を「玄冬」と言ったので、秋は白とも言われる。
さて、この句は、作者が展観してきた「弥勒菩薩」に「金風」を採り合わせただけである。私情を挟まず、見たもの聞こえたものに季語を斡旋する。俳句の原点のような句と言えるだろう。
ヨメナ(嫁菜)
金風や弥勒菩薩のお顔立ち コトリ
色の無き能登に吹く風声も出ず 〃
雲の峰万次郎越す編隊機 豊狂
コスモスや鎮守の森の道案内 〃
群青の海すべりゆく望の月 凛
灯さずにいましばらくは月の友 〃
寿ぎや儀式の接吻天高し 心
秋の雲行くあてあるか問われけり 〃
青柿もゆるり色づく秋分かな 流水
湯河原をやや遠ざけて秋夜かな 〃
夏過ぎて待ちわびし風ほほ流 信天翁
川波の白きを岩へ秋はじめ 〃
稲光まだまだ序章かも知れず 紅
店頭の眼鏡洗い機秋日影 〃
燕去る辿り着けよと声欠ける 淡白
思うように摘んで役満秋の空 〃
朝涼や目覚めて五体確かむる 釣舟
バカの壁また読み返す夜長かな 〃
年とらぬ老人ばかり盆踊り 流水
かりそめの熱き吐息や藍浴衣 〃
ひぐらしや無人の街の赤信号 豊狂
秋茜伊豆の山々舞い遊ぶ 〃
庭仕事蚊取線香虫スプレー コトリ
東京の空から見えぬ天の川 〃
新生姜香りほどけて朝の風 信天翁
音立てて小玉スイカ真っ二つ 〃
盆踊り炭坑節で輪の中へ 心
白桃を供えて愛を確かめて 〃
快晴の終戦記念日水美味し 淡白
五輪見てストレスたまる原爆忌 〃
熱帯魚指揮するもののいるように 紅
拾わんとすれば落蝉泣き喚く 〃
蜩や木霊にのりて谷巡る 凛
ヒロシマに夾竹桃の花咲けば 〃
ひぐらしは目覚まし時計山の家 釣舟
花木槿今日一日を仕舞いけり 〃
タマアジサイ(玉紫陽花)
盆踊りは、伝統的な昔ながらの盆踊りもあるが、最近の新しい盆踊りは、六本木ヒルズ、サンシャインシティ、大崎ニューシティ、みなとみらい、築地本願寺などで開催される大都会の各地域による人集めの手段として開催されているようである。
それらは日にちもまちまちで、特にお盆開催とは限らない。音楽も、伝統的な炭坑節、東京音頭、花笠音頭などの他に、新しい「きよしのズンドコ節」や子供のための「ドラえもん音頭」なども作られ、様々に演奏されている。インバウンドの外国人のための盆踊りさえある。
さてこの句、盆踊りで老人たちが踊っているが、手さばき足さばきは若い頃と少しも変わらず元気に踊っているのである。句だけを見ると、老人だけが踊っていて不気味だと誤解されそうではあるが、実際はそうではない。子供や若者、外人たちも入り混じって大勢踊っているのでご安心ください。
クチナシ(梔子)
(みずぶろに ゆっくりつかり ゆうはしい)
我が家には、扇風機はあるがエアコンがない。昼間、30度を越える時はたまにあるが、静かにしている限りそれほど汗はかかない。夜はせいぜい27度ぐらいで、寝苦しいことはほとんどない。
但し私は、真夏の早朝の日が昇る前の4時過ぎから2時間くらい外仕事をすることにしている。草刈りや薪割り、畑仕事などだ。しかし、早朝であっても肉体労働は暑くてたまらない。そんな時、汗をぐっしょりかいたら、体を冷やすのに水風呂が最も効果的だ。日中の猛暑でも、水風呂に入って汗を流せば、熱中症になることはまずない。
「水風呂へ流し込んだる清水かな 一茶」という句があるが、長野県信濃町生まれで、晩年は故郷に住んだから、その時の句だろう。江戸時代だから、小川の水を竹の樋で風呂に引き込んだのかもしれない。清水を風呂に引き込むなんて、羨ましい限りである。
ヤブカンゾウ(藪萱草)
(えんていや ほほえみふくむ つじじぞう)
真夏の暑さを表現する季語には、暑し、燃ゆ(炎ゆ)、灼く、油照り(脂照り)、暑熱、暑気、大暑、極暑、酷暑、猛暑、溽暑、炎暑、炎天、炎昼、炎帝と、様々である。
この句の「炎帝」とは、中国太古の伝説的な神の名で、南方に位置し、夏の季節をつかさどる神。五行思想で〈火〉にあたる位置にいるところから,三皇の一人,神農と結びつき,炎帝神農氏と呼ばれ,伏羲と黄帝の間に入る帝王として歴史化されたそうである 姓は姜(きょう)。
さてこの句、暑さ極まる炎天の中、触ったら火傷するかもしれない高温の石地蔵様、暑がるどころか、微笑んでいるというのだ。それに対して人間は、暑い暑い、何という暑さか、温暖化の影響だろうか、冷房をどうするああする、などと不平不満である。この辻地蔵のように微笑んで過ごしたいものである、と作者は思っているに違いない。
ところで、炎帝も神、地蔵も神。天にまします炎帝と地にまします辻地蔵。神と神が対峙して、一体何を語り合っているのだろうか。愚かな人間を懲らしめようと、大災害の鉄槌を与えようとしていなければ良いのだが・・・・・。いずれにしても、その困り果てた人間を救うのが地蔵のはずである。
ヤマユリ(山百合)
この句の前書きに、「為し残せしこと」とある。そこで、この四つの「作者がもう絶対しないであろう、出来ないであろうやり残したこと」を考察してみる。
チンドン屋とピアノには、楽器演奏という共通点がある。作者は、音楽を聞くのが大好きで、相当な音楽通なのだが、とうとうピアノ演奏には至らなかった。但し、後悔しているとは限らない。後悔しているとしても、ほんの少しだろう。
初恋をせずこれからもすることがない、ということは、生涯恋をしたことがない、ということになる。しかし、それではつまらない。あくまで、少年時代の淡き純粋なプラトニックな初恋を指しているのである。「初戀」が、旧字体になっていることから、それが窺われる。作者は、恋多き男に決まっている。
過去の日本人の、どのくらいが生涯に富士登山をしたか、全く分からないが、多く見積もっても2,3割程度ではないかと思う。作者も、いつかは登りたいと思いながら、年を取って登るチャンスを逃したのだ。
いずれにしてもこの句、前書きをうまく使った句,と肯定することができるし、逆に、前書きがなければ分からないような句は良くない、と否定することもできる。
合歓の花
掲句の作者は、鵜飼を篝火に焦点を当てて炎の力強さを表現している。鵜飼の句と言えば、芭蕉の「おもしろうて」の句や謡曲「鵜飼」の文言が下敷きになっているかもしれない。
つまり、芭蕉の鵜飼の俳句「おもしろうてやがて悲しき鵜舟哉 芭蕉」があるからだ。芭蕉のこの句は、能・謡曲の題目である「鵜飼」を下敷きにして作られた、と言われている。
あらすじは、「安房の国の僧が、老いた鵜使いと出会う。鵜使いによると、『私は殺生の禁制を破った咎めを受けて、殺された鵜使いの亡霊である』と語り、鵜を使った漁の様子を見せた後、闇へ消えてゆく。 鵜使いの悲惨な死を聞いた僧は、甲州笛吹川の石に法華経の経文を書きつけて、老人を供養する。そこに閻魔大王が現れ、殺生の罪により地獄に堕ちるべき鵜使いの老人が、以前従僧をもてなした功徳と法華経の功徳もあって、救いを得たことを知らせる」 尚、この僧は、日蓮と言われている。
芭蕉の句は、鵜飼見物の一夜が更けて鵜舟が帰るころには、あれほど面白がっていた鵜飼であったが、そのまま悲しく切ない思いへと変わってゆくことだ、という意。
見物人を集めるほど人気の鵜飼ではあるが、鵜を飼い慣らし、殺生をする行為を残忍ととらえ、止めさせようとする仏教、特に日蓮宗・法華経の教えが基本になっている。
オオバギボウシ(大葉擬宝珠)