一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

3064  梅園に熊現わるる紅葉晴  五郎

2024年11月24日 | 

 全国で問題になっている熊の出没。原因は、暖冬による冬眠期間の減少、食料である木の実類の減少、鮭の遡上減少などである。熊と出会うと、爪で引っかかれたり、噛まれたり大怪我をするし、死に至ることもある。

 さて、百年間見かけなかった伊豆半島の修善寺や河津に熊が目撃されたという。熊が海からやって来るはずはないから、箱根方面から山地の尾根伝いに来たはずだ。だとすれば、途中のスカイラインや函南、熱海、韮山、伊東などにも現れる可能性がある。イノシシ、シカは昔から確認されているが、熊が加わったら危険で、山歩きが出来なくなるかもしれない。

トウガラシ(唐辛子)

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3063  大谷君の案山子稲田の黄金色    流水

2024年11月19日 | 

 MLBワールドシリーズで、ナ・リーグのチャンピオン、ドジャースがアメリカンリーグのチャンピオン、ヤンキースを、4勝1敗で降し、優勝してしまった。昨年は、MVPのベッツやフリーマンがいたのにもかかわらず、ポストシーズンに出場したものの、地区シリーズで3連敗して敗退してしまったたが、今年は地区シリーズでパドレスを、ナショナルリーグ戦でメッツを倒し、ワールドシリーズでヤンキースを倒したのだから本当にすごい。

 そして、今年のドジャースに優勝の魔法を掛けたのは、どうやら大谷翔平君らしいのだ。仲間を明るくし、奮い立たせ、結束させ、幸運を招き入れたのは、どうやら大谷君らしいのだ。彼は、あと9回は優勝したいと言っているそうである。

 ところで、私の身勝手な願望では、三勝三敗で第七戦でにもつれ込み、大谷君が逆転さよなら満塁ホームランで、MⅤPを取ることであったが、2試合も少なく終わってしまった。実に残念である。ドジャースにとっても、1試合500億円以上稼ぐらしいから、1000億円失ったことになる。

 いずれにしても、今年の大谷君のWSはケガをしたりでさっぱりだった。代わりに、フリーマンが頑張ってMVPを取ったのが良かった。又、来年は、投手と打者の二刀流が復活するから、楽しみである。

 さてこの句、近所の黄金色に実った田んぼに案山子祭があったそうで、ドジャースのユニフォーム17番を着た、間違いなく大谷君の案山子が立っていたそうである。

もってのほか(食用菊)

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3061  蔵に沿う一本道の桐一葉  紅

2024年11月11日 | 

 城下町の武家屋敷、両側に白い土塀が続く一本の細い通りがある。そこの屋敷内に、一本の桐の木がある。

「桐一葉」という季語が成立したのは、紀元前の中国、前漢時代に作られた思想書「淮南子(えなんじ)」の説山訓が由来で、「桐の一葉が落ちるのを見て天下の秋を知ること。衰亡の兆しを感じること」である。明治になって坪内逍遙の戯曲に、新歌舞伎となった「桐一葉」が作られた。家康に滅ぼされた豊臣秀頼の冬の陣直前の大坂城内における物語である。従ってこの句から私は、武家屋敷の静寂と桐一葉による栄枯盛衰を感じたのである。

 さて最近は、立冬が過ぎてもなかなか気温が下がらず、秋が短く突然冬が来るという予報がある。気候変動、温暖化が、ひしひしと私達の生活を脅かしている。

ホトトギス(杜鵑草)

「ホトトギスは、花の紫色の斑点の様子を鳥のホトトギス(杜鵑)の胸にある斑点に見立てた」と辞書の解説にあるが、果たして本当にそうであろうか?逆ではないのか?つまり、鳥が先か、草が先か、という問題である。

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3059   金風や弥勒菩薩のお顔立ち    コトリ 

2024年11月02日 | 

 作者は先日、三井記念美術館で行われている特別展 「文明の十字路・バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰」を観て来たそうである。

 アフガニスタン・バーミヤン遺跡には、イスラム原理主義組織タリバンによって破壊された、高さ五十五メートルの東の太陽神と西の弥勒菩薩の二体 の大仏がそびえていた。展覧会では、バーミヤンの石仏とインド・ガンダーラの仏像、そして日本の法隆寺な ど奈良の古寺をはじめ各所に伝わる仏像や仏画等で、そのお顔立ちの違いなどを辿ることができるそうだ。

 古代中国の五行説で金は秋にあたることから、秋風を「金風」と呼ぶ。やはり、五行思想で、「春」は「青春」、夏は「朱夏」、秋は「白秋」、冬を「玄冬」と言ったので、秋は白とも言われる。

 さて、この句は、作者が展観してきた「弥勒菩薩」に「金風」を採り合わせただけである。私情を挟まず、見たもの聞こえたものに季語を斡旋する。俳句の原点のような句と言えるだろう。

ヨメナ(嫁菜)

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3056  年とらぬ老人ばかり盆踊り  流水

2024年09月12日 | 

 盆踊りは、伝統的な昔ながらの盆踊りもあるが、最近の新しい盆踊りは、六本木ヒルズ、サンシャインシティ、大崎ニューシティ、みなとみらい、築地本願寺などで開催される大都会の各地域による人集めの手段として開催されているようである。

 それらは日にちもまちまちで、特にお盆開催とは限らない。音楽も、伝統的な炭坑節、東京音頭、花笠音頭などの他に、新しい「きよしのズンドコ節」や子供のための「ドラえもん音頭」なども作られ、様々に演奏されている。インバウンドの外国人のための盆踊りさえある。

 さてこの句、盆踊りで老人たちが踊っているが、手さばき足さばきは若い頃と少しも変わらず元気に踊っているのである。句だけを見ると、老人だけが踊っていて不気味だと誤解されそうではあるが、実際はそうではない。子供や若者、外人たちも入り混じって大勢踊っているのでご安心ください。

クチナシ(梔子)

 

                         

 

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3020  新之助てふ新米を白粥に  冬華  

2023年12月15日 | 

 コシヒカリ70%の生産量を誇る新潟県で、気候によるリスク分散を図るため、早生品種の「こしいぶき」と晩成品種の「新之助」を開発したという。2017年より販売を開始し、コシヒカリの遺伝子を25%受け継いでいるが、その食味はまったく異なるという。

 さてこの句、新之助、新米、白粥という「し」音の繰り返しが心地よいですね。但し、白粥にしてしまって、新之助の美味さが消えていないか、気になる所です。

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3019  ふる里の駄菓子屋も消え鰯雲  凛

2023年12月10日 | 

 物心が付いた頃、我が家にあった電気製品は、裸電球とラジオのみだった。それから洗濯機が来て、冷蔵庫、テレビ、黒電話、蛍光灯が来た。自転車とリヤカーがスクーターになり軽自動車になり、普通車になっていった。

 当時の田舎には小さな雑貨屋があり、そこには子供たちのための駄菓子、大人のための食料品、農具、金物、酒、たばこ、燃料などを揃えていた。

 地域によっては、子供たち専用の駄菓子屋もあった。この句の駄菓子屋は、作者の年齢を考えると、ウン十年前に足繁く通った駄菓子屋なのであろう。

 産業革命以後の科学文明は、幾何級数的に変化している。生まれるものと滅びるもの、その変化に右往左往せず、地道に生きていきたいと思うこの頃である。最近は、パソコン、スマホは当たり前、自動運転の車やドローンのタクシーが完成間近である。しかし、科学は進歩しても、戦争はなくならない。人類は愚かのままだ。人類破滅を危惧するのも私だけではあるまい。

 さて、あるものを詠うのが俳句の基本ではあるが、この句のように無いもの、無くなってしまうものを詠うこともできるのである。

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3017 鵙高音国宝立正安国論  釣舟 

2023年11月23日 | 

(もずたかね こくほうりっしょう あんこくろん)

 平清盛(1118~1181)が武士政権を起こし、朝廷にまで権勢を誇った平家時代は、壇ノ浦の戦いによって25年の短命に終わった。替わったのは、源頼朝の起こした鎌倉政権であったが、源氏も滅ぼされ、北条氏に取って替わられた。

  鴨長明の「方丈記」によると、鎌倉幕府が成立するまでに、京都では様々な自然災害や大火があった。

1177年      京都の大火 (安元3年4月28日)

1180年      京都の竜巻 (治承4年)

1180年      福原遷都  (治承4年)

1181~1182年 養和の飢饉 (養和年間)

1185年      京都の地震 (元暦2年7月9日)

1185       頼朝により鎌倉幕府が開かれた。(文治元年)

 そういった社会不安の中から鎌倉幕府が誕生し、「鎌倉新仏教」と称する仏教が勃興したのだ。法然(浄土宗)・親鸞(浄土真宗)・栄西(臨済宗)・道元(曹洞宗)・日蓮(日蓮宗)・一遍(時宗)によって始められた六宗である。

 北条政権になってから、室町幕府が成立する1336年(建武3年)までの、鎌倉時代150年間も、地震・暴風雨・飢饉・疫病などの災害が相次いだ。当時鎌倉にいた日蓮は、執権北条時頼に「立正安国論」を提出した。しかし、時頼から「政治批判」と見なされて、翌年に日蓮は伊豆国に流罪となった。市川の中山法華経寺には、国宝の「立正安国論」がある。

鴨長明 1155~1216

親鸞  1173~1263

道元  1200~1253

日蓮  1222~1282

一遍  1234~1289

さて、現今の日本では、2025年問題などと、世界規模での危機意識を煽っている人々がいるようだが、自民党政権による政治の腐敗と堕落、日本の経済的没落のこの30年を鑑みると、あながち荒唐無稽とは言えない。

 社会不安は第一に、(地震、風水害、気候変動、食糧危機)など、政府が関与しても修復できないような大規模な自然災害から始まるのが常である。社会の不安から混乱へ、治安が悪化し、内乱や戦争に発展する危機を孕んでいる。

食用菊(もってのほか)

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3015  下校時の鞄跳ねてる秋麗  豊狂

2023年11月20日 | 

 (げこうじの かばんはねてる あきうらら) 

  新型コロナのパンデミックがようやく収まったけれど、11月なのに早インフルエンザが猛威を振るっているという。10月27日時点の全国では、学級閉鎖2939学級,学校閉鎖55校に及んでいる、という。

 しかし、雨にも負けず、風にも負けず、雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持っている子が、熱海にはたくさんいるようで心強い。

 この句、背中の鞄に焦点を当て、元気な子供の様子をとらえている。秋麗という季語の斡旋によって、作者の微笑みさえ見えてくる。

鰯雲(鱗雲、鯖雲などとも)

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3014  行く秋の我に神なし仏なし  子規

2023年10月27日 | 

 明治を生きた子規は、俳句、短歌、小説、評論など多方面にわたり創作活動を行い、漱石や虚子などに俳句を指導し、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした。

日清戦争に記者として従軍、その帰路に喀血し、次第に結核に侵されていった。以後35才で亡くなるまでの7年間、子規庵で句会や歌会を催し創作活動を行った。しかし、病床の子規にとって、やり残したことが多々あったはずである。

「まだ死にたくない。神様、仏様助けて下さい」と懇願し祈ったに違いない。しかし、病は重くなるばかりで、その苦痛に耐えかねて掲句になったのであろう。

ソバ(蕎麦)の花

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3013  石山の石より白し秋の風   芭蕉

2023年10月25日 | 

「青春、朱夏、白秋、玄冬」と季節を色で示すのは、陰陽五行思想からきている。この句の「白し」は、秋風のことを言っているというよりは、秋の深まりをも言っている、と解釈すべきである。つまり、

「古来、秋は白いと言われているが、近頃は朱夏の暑さも収まり、白秋はすっかり深まって、ここの石山の石より白いのである。そこに心地良い秋風が吹いている。」

ウド(独活)

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3012  御祝詞朗々として無月かな   釣舟

2023年10月19日 | 

(おんのりと ろうろうとして むげつかな)

 江戸時代までの日本人の夜となれば、ほの暗い蝋燭の明かりで、家族と過ごす時間のみが豊かに流れていた。そんな夜の生活の中で、夏の猛暑が去って涼しくなり、屋外に出ても蚊が少なくなり、月が如何に大きな存在であったかは、想像に難くないであろう。

 日本人にとって、旧暦で月日が動くのも、月とのかかわりがし易かったであろう。毎月の1日は月がない朔であり、7日は上弦、15日は満月、23日は下弦、そして1日に戻る繰り返し・・・一日の半分が夜となれば、昼の太陽以上に、夜の闇における月の存在は人々にとって大きかったのである。

 落語で「おい、八つぁん、天気もいいし15日だから遊びに行こうぜ」という、満月の夜の月明かりを頼みにして、夜遊びに誘う会話が成り立つのである。

月は一年中存在し、最も鮮明に見えるのは、空気が最も澄む冬である。しかし、季語としての月は、冬ではなく秋である。これは単に、夏は蚊が多く冬は寒いので、屋外での鑑賞に耐えないからである。

 現代日本人は、室内外を問わず、電気による照明という実に明かるい夜の生活をするようになった。テレビなどの娯楽があり、屋外に出て月や星を眺める習慣を全く失ったといっても過言ではなかろう。

 又、天の川(銀河)などは、夜空が明るすぎて日本国内のほとんどで見ることができない。日本の小学生の半数が、魚は切り身であると思い込み、月の満ち欠けを知らない、という話を聞いたことがあるが、信じるに足る恐るべき話である。夜空は、暗いほど星が良く見え、月の明るさが増すのである。 

 さて、江戸時代以前の人々にとって、秋に月を愛でる夜時間はたっぷりあった。いわゆる夜長である。14日の夜から20日の夜までの月の名前をみれば、月に対する人々の暮らしようが、よく分かる。

 又、月に関する言葉の数を見ても、日本人の月に対する愛着がどんなに強かったかが、分かるであろう。尚、十五夜や十三夜にお供えをして月を祭る風習は、日本以外にはないそうである。以下、月に関する言葉と意味を調べて見た。 

小望月、待宵・・・明日の十五夜を待ちかねて、満月を恋うている

名月、無月、雨月・・・一年で最高の満月を愛でる。なくても愛でる。

十六夜(いざよい)・・・月の出が遅いのをいざよう(ためらう)

十七夜・立待月(たちまちづき)、

十八夜・居待月(いまちづき)、

十九夜・寝待月(ねまちづき)、臥待月(ふしまちづき)

二十夜・更待月(ふけまちづき) 

下弦の月 満月と次の新月の間の半月をいう。逆Dの字で次第に欠けて行く。

二十三夜待ち 陰暦23日の夜半過ぎに月待ちをすることで願い事が叶うと言われている。

二十六夜(にじゅうろくや) 陰暦26日の月のこと。

虧月(きげつ) 満月から新月までの間の、次第に欠けて細くなってゆく月のこと。

晦(つきごもり) 月隠り(つきごもり)が転じたもので月の末日、晦日(みそか)のこと。

中秋/仲秋 陰暦8月15日のこと。秋(陰暦7、8、9月)の最中にあたるところから中秋という。

月待ち 月の13日・17日・19日・23日などの夜に人々が集まり、月の出を待って拝む行事のこと。

月見 観月(かんげつ)ともいう。特に陰暦8月15日と9月13日の月を観ることをいう。

月の頃 満月前後の月の眺めの良い頃のこと。

寒月(かんげつ) 冷たく冴えた冬の月のこと。

月天心(つきてんしん) 冬の満月は頭の真上近くを通り、天の中心を通っているように見える。

雨月(うげつ)/雨夜(あまよ)の月 雨で見ることのできない名月を言う。恋人の姿を想像するだけで実際には見られないことに例えて言う。

雪待月(ゆきまちづき) 今にも降り始めそうな雪催いの空にかかっている月のこと。陰暦11月をいう

薄月(うすづき)月が霞んではっきりしない。そのような夜のことを薄月夜(うすづきよ)という。

明月(めいげつ) 清く澄んだ月のことで、名月をさす。

弓張月(ゆみはりづき)/弦月(げんげつ) 弓のような形をした月のことで、上弦または下弦の月。

天満月(あまみつつき) 満月のこと。天満星(あまみつほし)は夜空一面の星をさす。

月白、月代(つきしろ)/額月(ひたいづき) 月が出ようとしている時、空が明るくなる状態をいう。

田毎(たごと)の月 小さく区切った棚田ごとに映る月のこと。

月宿る 月がその夜の座を占めること。

白道(はくどう) 月が天球上に描く軌道のこと。

月明かり/月光・月華(げっか)・月明(げつめい) 月の光、または月の光で明るいことをいう。

月下(げっか) 月の光のさす所。夏の夜に咲く純白の大輪を月下美人という。月下香(チュベローズ、オランダ水仙)は夜強い芳香がある。

月夕(げっせき)月が煌々と照っている夜のことで、陰暦8月15日の夜をさすこともある。

月前(げつぜん) 月光が照らしている範囲。他の勢力の前で影が薄くなった存在を月前の星という。

月影(つきかげ) 月または月光のこと。更に月の形、月の姿、あるいは月の光で映るものの影のこと。

月の氷 澄み渡った夜空に冴えた月が氷のように見えることや、月光が水に映って煌く様子をいう。

月の剣/月の眉 三日月の異称。

月の霜/月の雫 月の光が冴えて白いのを霜にたとえて言う言葉。同じように月の雫と言えば露をさす。

月の鏡 月の形を鏡に見立てたもので、満月または晴れ渡った月のこと。

月の真澄鏡(ますかがみ) 月影を映す池の面を澄み切った鏡に例えた言葉。

月の盃(さかずき)弓なりに反った月を盃に見立てていう言葉。

月の船 夜空を海に見立て、月が動いて行く様子を船に例えた言葉。

月に磨く 月の光に照らされ、景色が一段と美しくなること。

月に明かす 月を見ながら夜を明かすこと。

月色(げっしょく)月の光または月の色のこと。同じように月の光をさすものに月気(げっき)がある。

月の顔 月または月の光のこと。

月輪(げつりん)月の異称。月の形が丸く輪のように見えるところから言う。

月魄(げっぱく) 月または月の精や神をさす。

月暈(つきかさ) 月の周囲に見える光の輪のこと。

夕月(ゆうづき) 夕方の月のこと。

掩蔽(えんぺい)/星食(せいしょく) 月が恒星や惑星の前を通って隠す現象。

黄昏月 黄昏時に西の空にかかる細い月のこと。

宵月 宵の間に見える月のこと。また宵の間だけ月のある夜のことを宵月夜という。

朧月(おぼろづき) 春の宵などの仄かに霞んだ月のこと。その夜のことを朧夜または朧月夜という。

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3009 岩戸句会 8月

2023年09月10日 | 

伊豆山の花火に鎮魂手を合わす   伊豆山人

盆の月初島照らす灯台か       〃

  

夕散歩追尾執拗アオマツムシ    豊狂

夏の夕破れ幟と仕舞屋と       〃

 

猛暑日の真夜中に聞く蝉時雨    流水 

寝苦しき闇を切り裂く救急車     〃 

 

かくれ湯へ長き廊下や虫の宿    吟

邯鄲や答え待つかに間を置いて   〃

 

雲散って空の青さや夏薊      黒薔薇       

小川路きらきら泡ふく沢蟹     〃

                         

静けさを奏でる小川赤とんぼ    信天翁

秋立ちてせせらぎの音風の音     〃

 

遠ざかる昭和夾竹桃の白      紅

連山の青き嶺々雲の峰       〃

 

小ヤモリが葉っぱの裏で雨宿り   ことり

夏休みこのひとときは陶芸家    〃

     

ボンベ引きずり共に夏生きる    余白

疎開先蝉の鳴く声父の森       〃

 

縁の糸ただ一心に墓洗う      心

今生を惜しみて鳴ける秋の蝉    〃

     

赤とんぼ廃墟に沈む夕富嶽     吠沖

こころのなかあちこち迷走夏颱風  〃

 

七夕や湯気立ちの釜銀河菓子    翠風

七夕や満天の星朝茶事       〃

 

休み窯空のこころにちちろ鳴く   釣船

原爆忌・敗戦日・盆・無為徒食    〃

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3008 暮の秋チーズが好きになりました  釣舟

2023年09月07日 | 

 60年前10歳の頃、生まれて初めてチーズを食べさせらた。多分、雪印のプロセスチーズである。第一印象は、臭くて不味いと思い吐き出してしまった。これを見た父は、太平洋戦争の軍隊帰りで非常に厳しかったし、私がチーズ嫌い、と分かったので、ほとんど毎日食べさせられたのだ。ところが2,3年経ったある日、突然「あれ、このチーズ旨いな」と思ったのだ。

 私がこの経験から導いた結論は「どんなに不味いものでも、食べ続ければ美味しく感じるようになる。何故ならば、どこかで誰かが美味しいと思って食べているから、この世に存在し、誰かによって作られているのだ」

 子供は、香りの強いもの、例えばニンジン、ピーマン、ホーレンソウ、メロンなどが嫌いなようである。しかし継続的に我慢して食べることによって、クサヤ、鮒寿司などどんなに臭くて不味いと思っていても、美味しいと思うようになり、好きになっていくのである。今では、父の様々な食の強要について、大いに感謝している。現代では「子供に嫌いな食べものを強要することは、親として良くない」という風潮が強くなっている。

 別の例でいえば、左利きの子供を右利きに矯正するのは、最近は良くないとされているようである。しかし、脳や身体的機能の成長を考えると、矯正した方が有利なのである。イチロー、松井秀喜、大谷翔平、村上宗隆など、野球選手に右投げ左打ちの一流選手が多いのは、一塁ベースが近いから有利、という理由だけではないのである。

ムクゲ(木槿)、(宗旦木槿、底紅木槿とも)

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3004   風鈴に一茶の蠅を吊るしけり  釣舟

2023年08月06日 | 

  風鈴の起源は、中国から僧侶が持ち帰ったものが青銅製の大きな「風鐸」であり、ガランガランという鈍い音には厄除けの意味があったらしい。その後小型化した風鈴にも呪術的な意味もあった、という。風鈴は、法然が「ふうれい」と名付けたことに由来すると言われている。

 風鈴は、おわん型の「本体」を糸で吊るし、内側に鳴らすための「舌(ぜつ)」を吊るし、風を受ける「短冊」を吊るす。構造的には3つの部品と糸の4つである。その短冊にどんな俳句を書こうか、と俳を作る私は考えた。

 風鈴の俳句としては「くろがねの秋の風鈴鳴りにけり 蛇笏」を思い出すが、風鈴の句はふさわしくないだろう。

「やれ打つな蠅が手をすり足をする 一茶」

「閑さや岩にしみ入る蝉の声 芭蕉」

「滝の上に水現れて落ちにけり 夜半」

とっさに思いついた夏の句を3句。上げ出したら切りがないのでこれ以上やめておくが、この中では、やはり一茶の蠅が面白いかなと、私は思った。あなたならどんな俳句を選びますか。

風鈴ではないが、風によって鳴るチャイム

 

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