一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

232  今朝掃いて夕べ降り敷く桜蕊   泉女

2011年04月30日 | 

けさはいて ゆうべちりしく さくらしべ) 

 

 山桜もあっという間に散ってしまった。これからは、シベ(蕊)が降り、更に桜の実が降って来る。花びら同様、これらの掃除はなかなか厄介である。

 

作者のお宅にも見事なソメイヨシノがあるが、門から玄関までのアプローチまで、毎日の掃除が欠かせない。

 

そして、もうしばらくすると我が家の山桜は、足の踏み場がないくらい大量の実を落とし、踏み付けると汚れるし、洗濯物などに落ちたら紫に染まってしまう。それを防ぐためにも、毎日の掃除が欠かせないのだ。 

 

シロヤマブキ(白山吹)

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231   木洩れ日を浴ぶ空っぽの目白の巣

2011年04月29日 | 

ある年の春、轆轤を回していると、鳥が騒いでいるのに気付いた。

外に出てみると、作業場からわずか数メートルほどの雑木林の中で、ヒヨ、メジロ、シジュウカラ、ヤマガラなど二十羽余りが枝から枝へ、枝から地面の方へとしきりに鳴きながら飛び回っていた。その近くでウグイスまでが谷渡りの警戒音を発していた。

 

私はこの異常な光景をしばらく観察することにした。というのも、私は作業場のガラス越しに餌台を置いて、飛来する鳥を観察して楽しんでいるが、いつもの小鳥たちは小屋の中の私が少しでも動こうものなら、たちまち警戒して飛び去ってしまう。ところが、この時には、こんなすぐ近くにいるにもかかわらず、私には目もくれない。それが不思議でならなかったからだ。

 

小鳥たちの飛び回る様子から、問題はどうやら地面の方にあるらしいことが分かってきた。しかし、そこは丈が二メートルほどの笹に覆われていて、何があるのか全く見えない。

何か特別な食料でもあるのだろうか。小鳥たちの好物はどんな虫だろうか。どんな実だろうか。いやこの時期に木の実でもあるまい。それならば蟻だろうか、ミミズの大発生だろうか。それとも、動物の死体にウジでも湧いているのだろうか。いや小鳥がウジを群がって啄ばむだろうか・・・

 

数分経っただろうか。私は、唯憶測していることに我慢できなくなって、真相を確かめることにした。地面を四つん這いになり、びっしりと生い茂った笹を掻き分けて、慎重にゆっくり進む。ほんの2メートル進んだだけで、ぽっかりと視界が開けた。すると、1メートルほど先に、幹の直径五センチほどの小さな犬柘植が現れた。四つん這いのまま見上げると、その先端のすぐ下に、地表から高さ1メートル余りだろうか、中は見えないが、小さな鳥の巣が目に付いた。よく見ると、巣の下に青大将が柘植に絡みつき、雛を呑み込もうとしているではないか。まだ目も開いていない生まれたばかりの雛は、既に半分ほど呑み込まれていた。青大将は、逃げる気配も見せず、じっと動かない。

 

そう言えば、自分の頭よりはるかに大きなヒキガエルを、ヤマカガシが飲み込むところを観察したことがある。大き過ぎてとても不可能と思えたが、三時間余りかけてとうとう呑み込んでしまった。その時も、最後までその場所を動かなかった。

 

目を右に転ずると、雛から至近距離の枝で、殊更激しく鳴き続けている小鳥がいた。メジロだった。雛の親は、このメジロに違いなかった。

メジロが日頃どのように鳴いているのか、気にもしていなかった私だったが、それ以来、庭のあちこちで囀るメジロに気付くようになった。

 

他の小鳥たちも、青大将を威嚇しているつもりなのだろうが、近づいては逃げ戻ることを唯々繰り返しているだけだった。

 

この状況で、青大将と雛の大きさから判断すれば、呑み込むのにたぶんあと数分しかかからないだろう。青大将も小さいが、そう思わせるほど雛は小さかった。

 

私は、雛を救出することも考えたが、青大将の口から雛をうまく切り離すことは、とてもできそうになかった。仮にできたとしても、雛の命は手遅れに思われた。

私は這いつくばったまま、しばらくその情景を観察していたが、青大将は全く動かず、飲み込むのに予想外の時間がかかりそうだった。もしかすると、私が見ているので、警戒してじっとしているのかもしれない。私は、後ずさりして藪を出ると仕事に戻った。

 

それから一時間ほどして、現場に戻ってみたが、蛇も雛も親も、鳴き騒いでいた小鳥たちもおらず、空っぽの巣が春の柔らかい木洩れ日を浴びているばかりだった。

 

ヤマブキ(山吹)

 

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230 相性の筆は一本 白椿

2011年04月28日 | 

 作者伊丹三紀彦は、俳句の切れの位置を、作り手の側から明確に示すために「分かち書き」を提唱した。

 

 つまり、掲句の「一本」と「白椿」の間にある空白の一マスがそれであ 

る。しかし、この句の場合、そんな空白はなくとも同位置で切れていること

は、誰が読んでも歴然としている。

 

 さてこの句、確かに何本筆があっても、一番使い良くて手に馴染む筆は、

ず1本あるものだ。筆ではないどんな道具であろうとも色々集めてみて

も、究極は一つになってしまう。

 

ミツバツツジ(三つ葉躑躅)

 

 

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229   春惜しむ横たわりたるミルク缶

2011年04月27日 | 

 

嬰児を育てているのだろう。家の台所かどこかの隅に、役目を終えた空の粉ミルク缶が転がっている。ようやく離乳食の時期に入ったのだろう。嬰児の睡眠時間も長くなり、体重も増え、子育ても少しづつ楽になってきた。

 

親には早く成長してほしい思いもあるが、横たわるミルク缶から、過ぎ去ってしまった大変だった時間を振り返り、春を惜しむ思いとともに感慨は深い。

そして、育児はまだまだ続くのだ。

 

 

(シャガ)著莪

 

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228   他人事と思えてならぬ春の果

2011年04月26日 | 

 単に、過ぎ去る春が、春の過ぎ去ることが、他人事と思えてならない、というわけではない、と思う。

 

この作者の身近な親しい者に、ある変化が起こったのだ。例えば、孫が合格したとしよう。しかし、他人事にしか思えない。身内の誰かが亡くなったとしよう。しかし、他人事にしか思えない。

 

本来なら喜んだり悲しんだりするべきなのに、そういう感慨が湧かない自分を訝しがり、自責の念にかられているのだ。

 

自殺した伊丹十三監督に「お葬式」という映画があったが、制作動機はこの句の主題に他ならない。葬式に泣き屋を雇う国もあるというが、意外と現実はそんなものかもしれない。

 

 

 13才になりました(モモ)

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227   花吹雪ほかには何もなかりけり

2011年04月25日 | 

この句は「花吹雪」だけで句が成立している。つまり「ほかには何もなかりけり」は蛇足であって、575、17文字を成立させるために付け足しただけである。そう言えば、

 

松島やああ松島や松島や   田原坊

 

 という句があるが、これも松島以外に余計なことを言いたくないからできた句なんでしょう。但し、この句も震災の前と後では、解釈が丸っきり違ってしまった。

  

 

 

 

 

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226   花吹雪窯場談義に死のことも

2011年04月24日 | 

私の仲間に「日本尊厳死協会」の会員が数人いる。病気が治る可能性がないと判断された時、「延命のための医学的措置を行わない」でもらうことを生前明記し、実行してもらうための組織だ。

 

このような協会が組織される、ということは、医学や法制度に人間性を無視する矛盾があるからに他ならない。

 

 しかし私は、更にもう一歩踏み込んだ「安楽死」を認めることが必要ではないだろうか、と思う。日本の自殺者が年間3万人を数えるというが、健常者のそれではなく、末期癌患者など生きることに苦しんでいる人の死ぬ権利「安楽死」を積極的に推進すべきだ,と思うのだが・・・・・ 

 

  既にオランダでは、認められているそうだ。

 

ヤマブキ(山吹)

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226   妻抱かな春昼の砂利踏みて帰る

2011年04月23日 | 

 「俳句は、非定型・無季俳句・川柳などあらゆる短詩を含む」とする私の解釈が出来上がったのは、様々な分野の様々な俳句に出会ったからだ。(但し、短歌は含まない)

 

十人十色というが、自他の人生に対する、社会に対する、俳句に対する考え方は、人によって様々だ。これが優秀でこれが駄目で、などと選別する必要はない。こうでなければならない、というような決め付けをせず、幅広く容認する姿勢が大事だと思う。

 

さてこの句、初めて見た時「こんな句も作っていいんだ、俳句も随分いろいろできるんだ」と,視野を広げてもらった。

 

800度

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224   窯焚きの炎柱春暁の箒星

2011年04月22日 | 

(かまたきの ほばしらしゅんぎょうの ほうきぼし)

 

この夏の計画停電が話題になっている。以前にも書いたが、日本の町は無駄な電気を消費し、余りにも明かる過ぎる。夜空が明かる過ぎて、星を眺めることもできない、いわゆる光害だ。

 

さて、14年前のことだが、都会でもアメリカのヘールさんとボップさんが発見したヘールボップ彗星を肉眼で眺めることができた。一等星よりも明かるかったのだ。

 

 その余りにも大きな彗星であったため、「宇宙人の宇宙船がやって来る」というような噂が広がったり、カルト教団の集団自殺を引き起こしたりした。天文学者は別として、人間の知識や判断は、その程度のものかと、暗澹たる気持ちになった。

 

 

 600度

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223   新入りの気負いほぐれて四月尽    潤

2011年04月21日 | 

心機一転の入学や就職、転勤や転居、結婚など、私達の暮らしには様々な変化がある。そのどれを取っても、年齢や性別に関係なく新入りだ。

そんな時人は「さあ、頑張らなくっちゃ」などと気負うものだ。しかしそんな緊張感は、3日とは言わないが、せいぜい一ト月しか続かず、再び平凡な「日常」が始まる。

しかし、場合によっては「五月病」が待ち受けているかもしれません。お気を付け下さい。

 

 

西洋シャクナゲ(石楠花)

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花吹雪ここから二人で逃げようか  

2011年04月20日 | 

222

 

花吹雪ここから二人で逃げようか  遊石

 

 花吹雪の舞う中、仲間と花見をしている。少し酔った作者が、隣の女に囁いた。「ここから二人で逃げようか」仲間を出し抜いて、とんずらする・・・・少し色っぽく、句会受けを狙った他愛もない平和な俳句のはずが・・・・

 

 とうとう私の知り合いの中に、海外へ避難する人が現れた。この俳句の冗談が冗談でなくなってしまった。地震・津波・原発の余波は、俳句の解釈にまで影響を与えている。

 

日本タンポポ

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燕一閃茫洋たりし海のあり

2011年04月19日 | 

221 

 

燕一閃(いっせん)茫洋(ぼうよう)たりし海のあり

 

海を眺めながら愛や未来を語ったり、外国や広い世界を夢見たり、都会の疲れを癒したり・・・・そういうつもりで作った句なのだが、そんな悠長なことは、夢となってしまうのか・・・・・

 

地球の汚染に新たに福島原発の放射能が加わり、太平洋にその汚染水が流れ始めた。母なる海は、これから一体どうなるのだろう。宇宙船地球号は・・・・・

 

こんなに大きくなりましたワン

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薄く濃く色をかさねて山桜

2011年04月18日 | 

220

 

薄く濃く色をかさねて山桜 

 

山桜は、遠くから眺めるのがいい。黄緑や緑のキャンバスに白や薄桃色を散らして美しい。「山笑う」という季語もここから生まれたのに違いない。

 

この句の「薄く濃く」には、遠近の山の連なりと山桜そのものの濃淡が含まれているのだろう。油絵を描いているような、画家の句のように思われるが、作者は、料理の先生。

 

 

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初燕戸籍調べの巡査来る

2011年04月17日 | 

219

 

初燕戸籍調べの巡査来る  野里女

 

最近、都会で増えているのが、都会の餌をねらっているカラス、ヒヨやムクドリ。猛禽類も増えているらしい。減っているのがスズメとツバメだという。

 

ツバメは、典型的な夏鳥で、南方から渡って来る。農作物の害虫を捕食するので、古くから大事にされていて、人間の家の軒下を安全な住処としているのも異例だ。

 

ツバメが減っている理由としては、都会では巣の材料である泥が減っていることと、泥が接着しにくい壁材料が原因らしい。スズメも巣作りの場所が減っているかららしい。

 

さて、ある家に営巣したツバメのカップルが、次の年も同じカップルかどうか,戸籍調査したところ、メスは別のオスを連れて戻った。

遅れてやってきた憐れモトカレは、しばらく巣の周りをうろついていたが、諦めてどこかへ去って行ったという。

 

 

キスイセン(黄水仙)

 

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金箔の酒酌み春の法螺話

2011年04月16日 | 

218

 

金箔の酒酌み春の法螺(ほら)話

 

日本酒に金箔を浮かせる商品が出回るようになって、どのくらいになるだろうか。正月などのめでたい席になどと喜ぶ人もいるだろうが、なんという悪趣味だろう、と私は思う。

そんな酒が手に入ると、酒好きの来客を待つことになる。

 

そんな時によく現れる男がいる。世には法螺話の好きな御仁がいるものだ。法螺は、嘘とは違う。騙す詐欺とも違う。実際、彼の話は、数億の金が飛び交い、いい女が何人か現れ、有名人もよく現れる。しかし、過去のことなので、証人もいないし検証する訳にもいかず、一応信じるしかないのだが、人畜無害なお話だ。しかし、そろそろ彼のネタも尽きる頃かもしれない。

 ああ、なんと平和な光景であろうか。

 

 

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