正岡子規と鶏頭と言えば、「鶏頭の十四五本もありぬべし」を思い出す。俳句をやっている人なら、誰でも知っているだろう。
さて、昭和20年代に、この句の評価をめぐって「鶏頭論争」と言われる論争が起こり、以後も現代に至るまで俳人や歌人、文学者の間で延々と論議の対象となっている。
○この句は1900年9月、子規庵で高濱虚子などを含む計19名で行われた句会に出された。これが子規の生涯で最後から三番目の句会という。
この日の子規の句会では、いつものように一題十句で「鶏頭」の題が出された。子規庵の庭には、鶏頭が十数本実際に植えられており、子規はこの時、鶏頭の句を合計9句を提出している。以下はその内の6句。
「鶏頭の十四五本もありぬべし」
「堀低き田舎の家や葉鶏頭」
「萩刈て鶏頭の庭となりにけり」
「朝貌の枯れし垣根や葉鶏頭」
「鶏頭の花にとまりしばつたかな」
「鶏頭や二度の野分に恙なし」他9句
「十四五本」の評価をまとめてみると、
◎ 掲句は、句会で2点しか入らなかった。
◎ 虚子の選で「子規句集」が編集されたが、虚子はこの句を選ばなかった。
◎ 歌人長塚節が「この句の(良さの)わかる俳人はいまい」と斎藤茂吉に語った。
◎ 最近では、坪内稔典氏が「駄作」としている。
「俳句は、本来575のみで論ずるべきだ」そういう観点からすれば、「鶏頭が14、5本はあるだろう」としか解釈できないのだから、どんなに想像力の働く人間でも、取り上げるべき俳句とは言えない。
しかし、この俳句に付随して「作者が死を目前に控えた正岡子規」「結核」「母と妹」「虚子」など様々な付録も評価の材料に入れるとすれば、節や茂吉のような高評価になるかもしれない。
このように、どこにでも転がっているような平凡な作品が、あるときから名品になるようなことは、俳句以外にも世の中にはいくらでもあるのだ。
タラノキ(楤の木) ウコギ科の落葉低木