一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

1955   老木も負けず錦の紅葉かな   貴美

2018年05月31日 | 岩戸句会 第五句集「何」

 私の俳句は、ロータリークラブでお世話になっていた、佐恵さんからお誘いいただいたのが始まりでした。それまでは、俳句とは全くの無縁でした。元々、季節感や観察眼に疎い性分で、語学力も乏しかった、と俳句の世界に入って、改めて思い知らされた次第です。

 雲水先生や句友の皆さんのご指導のお陰で、なんとか俳句っぽいものが作れるようになりましたが、まだ門に入ったばかりの文字通りの入門者です。「拙さは伸びしろ」と勝手に解釈して、長い俳句の道のりをゆっくり道草しながら楽しんでいきたいと思っております。今後ともよろしくお願い致します。 

 

老いた妻お屠蘇で酔ってあなた誰

新年会果てて静かなピアノバー

穏やかに空を仰いで涅槃の日

窓越しの庭の牡丹と日を過ごし

箱根道梅桃桜一斉に

 

左膝痛み治らず春惜しむ

大凧が風に暴れる相模川

梅雨空の雲を間近に八ヶ岳

滝を背に梅雨の晴れ間の露天風呂

山百合をみごとに咲かせ箱根道

 

釣れたのは木屑のみなり鮎解禁

時の日よホームに来たら閉まるドア

父の日のネクタイ今年は何色に

干ばつも大雨もあり土用の日

満場の拍手のごとし紅葉舞う

 

荒肌に新蕎麦つるり備前焼

手に取ればひんやり重し富有柿

機中から鳥の目になり秋の山

秋鯖や父は刺身で食べたがる

冬の浜夏の話題の二人連れ

 

冬構家の主人は何もせず

年の暮長寿秘訣のときめきを

年の瀬に電車の中で寿司ランチ

里は霜富士は肩まで雪化粧

しっとりとお蕎麦屋デート除夜の鐘

(岩戸句会第五句集「何」より 斎藤 貴美)

シモツケ(下野)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1954   道楽の仕事となって去年今年   沙会

2018年05月30日 | 岩戸句会 第五句集「何」

  かれこれ、雲水先生にお会いしてから十数年が過ぎました。一度陶芸に触れたくて、向かいの山の自宅から噂を聞き尋ね来て、岩戸山の岩戸窯へ・・・。現在も、私の美容サロンの茶碗は、すべて自作の岩戸焼を使用しています。

  俳句は、海老名で雨宮絹代先生が、お客様という縁で始めていましたが、句会がなくなり、ほどなく多留男先生の句会にお誘いいただき、現在に至りました。

 私の俳句は、いつまで経っても五七五の小さな日記です。一句一句、その時その時の情景や風物が思い出されます。上手くなる予定は全くないのですが、思い出作りとしてこれからも続けていきたいと思っています

 

初日記厚きノートの一ページ

それぞれの別れ近づく春隣

東風吹いて波音高き岩の浜

老いること味わい深し麦の秋

げんげ田に踏み込みランチタイムかな

 

オクターブ高きおはよう秘湯の初夏

夏めく日髪結い上げてハグをして

相傘の静けき夜や梅雨の雷  

晴天を掃く如若竹騒ぐ朝

逝く叔父の名付けその日を紫陽花忌

 

短夜や寝息給うも縁の内

どの色も透き通っており喜雨の森

深緑を濃淡にして日射し降る

まだ誰のものでもあらぬ青き柿

夏の夜は話したきこと多くあり

 

送り火も題目も消え日暮れかな

どっすんと日は落ちゆける良夜かな

良き友と美酒を従え羽田発

頬杖と秋の夜長と名画かな

秋高し旅してみたき雲ひとつ

 

住職も塔婆も変わり秋の暮

白露やもう十分と母逝きぬ

帰り花人は心に生きるもの

冬ざれや探しもの又探しもの

沈む日に赤を濃くして冬紅葉

ブロッコリー

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1953   転びても起き上がればよし青田道   佳津

2018年05月29日 | 岩戸句会 第五句集「何」

 市の俳句教室に一年通いましたが、進歩どころか少しも興味が湧きませんでした。そんな時、偶然に多留男会に入ることが出来ました。居心地が良くて、九年の月日が流れました。

 今回、雲水先生から句集発刊のお話がありました時、下手な句を載せて良いものかと、一瞬思いました。けれども私の人生で残すものはこれしかない、と思い返しました。

 掲句は、拙いのを承知の上で新米の私の句を、多留男先生が取り上げて下さいました。当然一点も入っておりませんのを「誰も取ってねえんだよなー」と、仰いました。勿論、愚作を承知で励まして下さったのでしょう。

  この時、一人で歩いて行かなければならなくなった自分を励ますつもりの句なのです。あの時の、暖かい光景を思い出しながら、九年間休まず作句して参りました。後、いつまで続けられますことか…。今後共、よろしくお願い致します。

 

水芭蕉ふた株ばかりの白さかな

菜の花の咲きゐる椀の病院食

昼の鯉ぽこんと花を吐きにけり

坂下り風の道あり鳳仙花

簡単服少しおどけし妣の顔

 

海底に骨落としたる夏の夢

高原の霧のしづくを夏薊

一滴のレモン汁効き今朝の秋

ログ屋根を何実ころげる夜更かな

秋蝉の一声空のかぎりなし

 

海霧の暮れて顕はる島あかり

お持たせの菓子の紙音秋うらら

潔く裸身をさらす烏瓜

百幹の杉の霊気や行く秋ぞ

補聴器をはづし素の音秋ひそか

 

霧昇る天の岩屋を開けるごと

片隅にくらす気安さ石蕗の花

凭れきし髪やはらかや七五三

算盤の音のきこゆる冬障子

滴りて雪の笑窪となりにけり

 

梵鐘へ降り込む雪へ返す音

十二月氷砂糖をカチと噛む

仰ぎ見る大注連縄に雪の声

日のひかり風の詩きき掛大根

似顔絵の若き横目に年歩む

(岩戸句会第五句集「何」より 杉浦佳津)

 

スイカズラ(忍冬)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1952   夕顔や静かに闇が始まりぬ   鞠

2018年05月28日 | 岩戸句会 第五句集「何」

 この句は、初めて句会で皆さんの支持をいただいた句です。特に芸大の平山郁夫さんの事務所にいた村井良一さん(となみ)さんから「僕もとてもいい句だと思い、選句しました」と誉めていただきました。上手く俳句ができないので、いつも止めたい、と思っていたので、とても励みになりました。

 もう一人は、西行さくらさんで、いつも拙い私に、一から色々と教えていただきました。お蔭で、今日まで続けて来られたのだと思います。

本当に、お二人には感謝しています。これからもよろしくお願い致します。

 

美しき早春の旅始まりぬ

来し方の遠くで迎う雛の眼

嫁がない娘待ってる雛の宵

目黒川桜の中を流れけり

春の海群青世界鳶一羽

 

船人の海に突き出る桜かな

女子会やおかめ桜で舌鼓

母の日や天地無用の箱届く

ひらひらと光透かして竹落葉

梅雨晴間メールのパリはすぐ隣

 

紫陽花が雨の光となるところ

さくらんぼ口に広がる初恋よ

夏椿今日の夕日を惜しみけり

水音に耳が慣れゆく月涼し

暫くは蓮一面に身を包む

 

眠れぬ夜庭一面に月涼し

晩秋の唐招提寺甍波

通夜の雨ひととき止みて紅葉散る

晩秋の月の道行く薪能

初冬に息子と見るよディオール展

 

吹き上がり大仏撫でる落葉かな

冬の月重たきまでに澄みにけり

目が覚めて寒月の美にはっとする

冬木立夕日大きく呑み込みぬ

大寒に鵺の名碗美術館

(岩戸句会第五句集「何」より 高杉 鞠)

シラン(紫蘭)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1951   北上はいま翠靄に芽吹く時   さくら

2018年05月27日 | 岩戸句会 第五句集「何」

東北の春は ゆっくりと雪が解け  ゆっくりと近づく。

待ちくたびれた頃、 靄がかかった様に樹木が淡い緑に包まれ

私達女学生は 、紺のズボンから襞スカートに履き替え、生き返った様な心地でした。

人生の後半の旅の句も終着駅が見え隠れしてきた。それが、ささやかな私の足跡となりました。

 

残雪のイーハトーブに風ぁ吹く

子規庵や小さき宇宙に木の芽雨

三春には枝垂桜がよう映える

水底で春光仰ぐ茶室かな

遅桜此処に三年庵跡

 

老桜五木の村を語り継ぐ

五月雨るる匂い立ちおり伎芸天

漣の さす湖や鮎の里

青楓慈悲の阿弥陀がふり返る

烏賊釣りや眠らぬ海の集魚灯

 

紅の花京を乗せ来し湊かな

八丈の闇の闇より青葉木菟

嵯峨野往くただサヤサヤと竹の春

万感の摩文仁の浜や夏の果

戦史館カタカナの遺書夏逝きぬ

 

ひそとして尾花を映す余呉の湖

行き行きて行きて梓の水澄みて

波を吹く江差の軒に冬近し

冬たんぽぽ基地まん中の高速路

漱石忌子規手ほどきの愚陀仏庵

 

やさしさや五島の冬も土までも

冬の川虚構と現の宇治十帖

元寇の防塁埋まる冬の浜

やませ吹き浄土ヶ浜を塞ぎゆく

キッキッとマイナス四度を踏んでみる

(岩戸句会第五句集「何」より西行さくら)

 

ムラサキカタバミ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1950   死者生者送り送られ花ふぶく   貞次

2018年05月26日 | 岩戸句会 第五句集「何」

  古句に「様々のこと思ひ出す桜かな  芭蕉」桜が咲き出すと、口をついて出る一句である。十四年前、母は癌で亡くなった。余命三か月の母を見舞いに、息子を連れて花冷えの東京の実家を訪ねた。帰り際、立って歩けない母は、私を見送る為、必死の形相で三和土まで這って来た。玄関の外で、雨の中四つん這いになって私を見詰めた。母も私も今生の別れを実感した。冷たい雨の中を、涙を拭きつつ駅に向かった。その後、私は別れの衝撃が引き金となり、うつ病で二年間苦しんだ。今でも、桜の頃に甦る母の姿である。

父と母を看取った姉も、四年前心臓病で急死した。花のふぶく日に、父母の眠る墓に姉の納骨を終えた。

  「年々歳々花相似たり。歳々年々人同じからず」劉廷芝の詩の一節である。普遍的な人の世の有様であろうか。去る桜時、お客様の老婦人とカウンター越しに、故里のこと、父母のことなどに話が及んだ。やがて老婦人は、遠き眼差で「これから何回桜を見られるかしら」と言った。そして、しみじみと「来年お花見が出来たら幸ね」と静かな笑みを浮かべて言った。ガラス窓の青空に、吹かれ流れる花びらを、老婦人も私も無言で見続けた。

 

引き算の生き方願ひ去年今年

手術跡なでてしみじみ初湯かな

春はあけぼの幸せ色の卵焼き

春光や孔雀おごりの羽ひらく

鍵っ子の二階より吹くしゃぼん玉

 

はんなりと暮れてゆくなりさくら山

おぼろ夜やふはりと鍋の卵綴じ

連峰を神と仰ぎて田水はる

耳順の日無垢の眼となる春の虹

薫風や庭師は庭に昼餉とる

 

何するもまず腕まくり梅雨晴れ間

直といふものの涼しき杉桧

白糸の滝百弦の音幽か

何話すでもなく夫婦夕涼み

天地の気息ひとつに桐一葉

 

村を出る川がひとすじ秋の声

菜箸の焦げて不揃ひ茄子を焼く

峡水の剣びかりに鵙の晴れ

清冽な山の日とどく白障子

つっぱりの力を抜かれ干大根

 

足るを知る生活かそけく石蕗の花

生ざまは顔をつくりぬ木の葉髪

一筋の瀬の音を抱き山眠る

無垢の木に墨糸打ちぬ寒日和

ぬきん出し杉のこゑきく深雪晴れ

(岩戸句会第五句集「何」より栢森貞次)

コウホネ(河骨)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1949   祭りの夜裏で汗するボランティア   清海

2018年05月25日 | 岩戸句会 第五句集「何」

ある夫婦の7年の歩み。

  2011年。真鶴元年、東日本大震災後、夫婦は真鶴へ移住。夫婦の夢はセカンドライフ・・・・・のはずが、夫は会社を辞められず現役続行。

  妻は自身の両親と夫の父親の三人を自宅で看ることに。そんな中、2014年、妻の肺がんが見つかる。しかし、すでに全身転移のステージⅣ。この時、余命四週間と宣告されるも、今も尚、しぶとく生存。

  2016年暮、夫は現役最後の日、会社を出て真っすぐ向かったのは何と床屋。頭を丸めて帰宅し、副作用で髪の抜けた妻に、「これで一緒だよ」と帽子を取って見せた。夫は、この日から妻の介護に専念。夫は、妻の介護ボランティアを志願してくれたのだ。丸坊主はその表れである。

 2017年さて、表題の句は、妻がこの夏、貴船まつりで駐車場整理のボランテイアをしていた夫のことを詠った句であり、この妻というのが私である。

  2018年、もうすぐ八回目の真鶴の春。「清海がいなくなると寂しいね」と夫が言う。その日が一日でも長く伸びますように。夫のボランティア精神=愛に支えられ、二人三脚で前進あるのみ。

 

故郷の赤城山から空っ風

冬空をキラキラ舞ってく花火がドーン

孫二人嫁にもひとつお年玉

坂凍る散歩の足も早まれり

大寒に違わず白き花舞う宵

 

芽柳のやわらかきかな風誘う

菜の花を見ていて勇気湧いてくる

鳥の恋枝しなわせて追っかけっこ

鳥啼きて合図のごとき雨上る

腕を組み悟りを開くか雨蛙

 

はば海苔を干す手休めて道案内

着信音ホーホケキョと鳴く胸ポッケ

味噌溶きて緑鮮やか若布汁

炎昼にうつらうつらと猫になる

青梅や香も実もジャムに閉じ込めり

 

氷水食べ比べたる軽井沢

風揺らぐ誰と結ばん水引草

バッタの仔窓にしがみつきドライブす

鮮やかな赤にうつろう唐辛子

秋の声振り向けば誰いたのかと

 

天空に穴の開きたる冬の星

シクラメン去年の株が花盛り

水仙の香りも強し仏様

こんな夜は手袋買いに仔狐も

寒卵割って朝から頑張るぞ

(岩戸句会第五句集「何」より 大塚清海)

ムラサキカタバミ

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1948   移ろいのぽつり秋蝉誰に鳴く   美部

2018年05月24日 | 岩戸句会 第五句集「何」

 三年間の期限付き。2017年夏、ここ熱海伊豆山に単身移住した。東京のマンションが建て替えになったための仮住まい。縁もゆかりもない、顔見知りの犬さえいない、まさに源頼朝、幽閉状態。バルコニーからぽつり海を眺める毎日が続いた。

 季節が秋へと移ろい始めた頃、買い物の帰り道。いつも気になっていた、岩戸窯と書かれた案内板。覗いてみようかなぁ。が、普段はかなりの人見知り。第一印象も自慢ではないが良くはない。しかしその日は何故か、案内板の示す坂を上がっていた。誰もいない、帰ろう、そう思った瞬間、不審者を見つけたのか、怪訝そうに、こちらを睨みながら、窯から降りてくる初老人・ジャン・レノ。手には鎌を持っていた、と思う、多分。ど、どうする俺。

 そして・・・。一時間後には、岩戸窯のバルコニーでビールを飲んでいた。誘われるがままに、テニスや興味もなかった俳句の会にまで参加させて頂いた。

 そこで初めて詠んだのが冒頭の句。それから、沢山の諸先輩方と知り合い、ご懇意にして頂いた。俳句との出会いは、今まで気にも留めなかった雑草や野鳥、月のない闇夜までも、新鮮で楽しい発見を運んでくる。

もう、ぽつり鳴く蝉はいない。

 

ポテチだよ君トーストねと落葉踏む

値段知り急に輝く新秋刀魚

ジオラマの街に灯る秋の暖

傷ぐちに降り染みるかな阿蘇の雪

目を閉じて顎あげた頬にさくら

 

空っぽの頭の上に凧ゆれる

振り向けば君の瞳に初日の出

おでん鍋海山里が肩を組む

君見えぬ桜ことしも咲きました

くつ眺めオール漕ぐ花筏乱れ

 

指先に雫の飾り雨蛙

ケロヨンの頭押さえて丈比べ

夏の果主人のいない水鉄砲

口にも降臨島とうがらし台風

秋の海流木くわえ犬走る

 

虎落笛袖を伸してバイク人

六ぶて六ぶて六ぶててぶくろ

膝さすり靴を磨いて春を待つ

手を振り手を振り木枯し帰る

桜道ドナドナ歌う母移す

 

寒桜目白とカメラが目白押し

夏の果ベンチで並ぶ蝉骸

春告げん独裁者たちへの方法華経

十五夜と気付くとちゃっかり顔をだし

猪くらい友のいびき荒れ狂う

(岩戸句会第五句集「何」より 清野美部)

 

スイバ(酸い葉)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1947   陽炎や聞けば聴こゆる風の音   一煌

2018年05月23日 | 岩戸句会 第五句集「何」

 熱海に居を構えて十年、都会の俗界から回避できる心の拠り所を求めて、探しました安住の地です。山々の四季の移ろいや相模湾の多彩な色模様、リビングの窓に舞うウスバカゲロウ、裏庭で山野草を発見、沢蟹に出会うなど自然を介して学ぶ事が多いこの地に愛着を抱いております。

  この句は、初めていただきました「天」です。私には多くの別れがあり一人法師。儚くゆらゆら揺れる陽炎の趣深い奥に「見えないもの」「聴こえない音」を意識して詠みました。積極的に耳を傾けないと聴こえてこない音、いつも亡き父、母、弟、夫の声が聞くことができるように、穏やかな心でありたいと思います。 

 そして、常に私の傍らには大勢の声がありますから、決して孤独ではないと…。俳句の十七文字に隠されている「見えないもの」を紐解く面白さに魅了されております。短い言葉に集約する難しさはありますが、とにかく俳句は言葉の組み合わせが面白い。語彙を高めて鑑賞力を磨き、先生のご指導を仰ぎながら、皆さまとの有意義な句会のひとときを過ごすことを願っております。今後とも宜しくお願い申し上げます。

「俳句」は、全くの初心者で気恥ずかしくて、句集に載せていただいて良いものか、と悩みました。雲水先生のお言葉で決心がついた次第でございます。先生に厚く御礼申し上げます。俳句にお誘いくださいました友人に感謝を致しております

 

桜貝納めて贈るオルゴール

春浅し寄せいる波も貝がらも

梅白しうつろう風情今昔

目黒川桜の色香人の色

学生とわが声まじり卒業歌

 

さまざまにわが道照らす新樹光

草若葉利休鼠の雨寂し

風光る美酒の色はエメラルド

紫陽花や窓一面に雨の地図

華氏という名の香水もとめけり

 

あの頃に戻れるかしら夏帽子

夏衣透けし白色整えて

うすき影うすばかげろう羽光る

夏祭り法被の色は海の色

桔梗の蕾ふっくりふっくりと

 

椋鳥の来て熱き紅茶の欲しきころ

一人酒ふわりと香る菊日和

蕎麦の花ゆらゆら風と気晴らしか

赤い橋影を動かす月明かり

凍て星のきらりきらりと峠道

 

冬ざれの庭の色消し風過ぐる

山茶花の白を散り敷く石畳

凛として濃き紅色や冬薔薇

冬木立残るひと葉を風さらう

身に響く音多かりし冬日かな

(岩戸句会第五句集「何」より 大澤一煌)

ナルコユリ(鳴子百合)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1946   秋麗三年振りのタキシード   海人

2018年05月22日 | 岩戸句会 第五句集「何」

 娘の結婚式の為に新調したタキシード。それから二年、姪の結婚式があり再び袖を通した。穏やかな気候の中で列席者の笑顔が溢れている。そんな光景に立ち会える事は幸せな事だ。次に着る時はおそらく、豪華客船クルーズのパーティーになるだろう。このタキシードは、私を幸せな気分にさせてくれるアイテムなのかもしれない。

 月曜から金曜迄は仕事に追われ、土曜・日曜はテニス三昧。この様なイベントや旅行が無ければ、毎日の単調な生活の中で感じた事以外は、なかなか俳句には出来ない。しかし、あと何年続くか分からないが、そんな毎日を幸福な時間と思い、今後も年を重ねていきたい。

 現役を引退したら、何日か費やして芭蕉の奥の細道を辿りながら、吟行をするのも夢の一つでもある。全てを歩きながら、という訳にはいかないと思うが、気になる場所を巡っていけたら良いかなと思う。

 それまでは、自然を読み取る観察眼と、表現力を磨く努力をしなければいけないとは思うが、同時に自分の句風を築いていけたら本望だ。

 

海女小屋に海女の声無しならい吹く

緞帳の如く凍雲山隠し

今一度布団に戻る余寒かな

頬白の絵手紙一筆啓上す

春うらら潮目で変わる海の色

 

朝寝してうつらうつらの秀句かな

酔うており桜の舞に酔うており

葉桜や真白きべべの宮参り

雨蛙雨を呼ぶやら雨が呼ぶやら

山若葉緑黄緑深緑

 

青嵐湖面に描く風の道

からころと金魚の浴衣通り過ぎ

雲の色雲の形で夏を知り

鯔跳びて遥か雲仙煙吹く

百日紅近くて遠き生家かな

 

バーボンとジャズとナッツと秋の夜

老いたれば色なき風の如く生き

野に座せば山より高き紫苑かな

それぞれに帰る家あり秋の暮

木の実落つ水に浮くもの沈むもの


野ざらしの地蔵も眠る小春かな

寒の凪一時にして白波に

夜祭の秩父山麓冬花火

朝焚火漁師差し出す茶碗酒

こんな夜は愛しき人と新酒

(岩戸句会第五句集「何」より 御守 海人)

スイレン(睡蓮)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1945   笑いヨガの教室に湧く初笑い   薪

2018年05月21日 | 岩戸句会 第五句集「何」

〈ヨーガ、 yoga(梵)。古代から伝わるインドの宗教的実践の方法。精神を統一し、物質的束縛から解脱をはかる。現在では健康法の一つとしても行われる。〉                 

 私は、三、四年前から週一回、近くの公民館の体操教室に、かなり真面目に通っている。市の社会福祉協議会から女性の先生が来て下さり、一時間半ほどしっかり体を動かし、指導を受けている。生徒は、ほぼ全員女性の高齢者である。「死ぬまで元気」を合い言葉に、みんな必死でガンバっている。

 ある日 “ 笑いヨガ ”なるものを教えて下さった。まず、面白くなくても声を出して笑う。大声で笑いながらニワトリのように教室内を走り回る。出会う人の目を見て笑い合う。作り笑いでも、  アッハ・アッハ。キャッキャッ。と笑っているうちに、何だか楽しくなってくるのである。窓の外から覗いている人がいたら、異様な光景にびっくりしたと思う。頭をからっぽにして、大声で笑って、走り回って、幼児になったような一刻。開放感を味わえた。“ 笑いヨガ ”またやってみたいと思う。

 

うぐいすや前頭前野に沁みわたる

電柱の天辺に鴉フクシマ忌

陽炎や子ら笑い合いもつれ合い

老兵の囲む盤面飛花落花

唄うようにメルシィーと応え新樹光

 

S・Lの汽笛にはしゃぐみどりかな

筍を抱けば赤子の湿りかな

口中に味無きガムや蝉の羽化

折り返すバス耿耿と蛍の夜

風切羽拾いて挿せり夏帽子

 

冷酒や兄に少しのお説教

腹這いて灼ける河原の石を抱く

コロッケの包みの匂う敗戦日

蛇の子の意地の顎して轢かれおり

爽やかやホップ・ステップ島へ跳ぶ

 

林檎割れば面梟の貌現るる

狗尾草夕日に小骨透けており

露けしや遺影かすかに笑み給う

アンドロイドに瞬き生まれ星まつり

少年の一節伸びて月の影

 

夜廻りの鐘引き返す峠かな

冬山の気魄飲み干す「 一杯水 」

錐揉みに鳶吸い込めり冬青空

オウム貝抱き丹沢山塊眠りたり

ピータンの核の混沌女正月

(岩戸句会第五句集「何」より 石川 薪)

ヒメツルニチニチソウ(姫蔓日々草)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1944   料峭や地球儀を拭く六年生   炎火

2018年05月20日 | 岩戸句会 第五句集「何」

  立春を過ぎて間もない、春風の中でもまだ肌寒い早春の教室。懸命に地球儀を拭いている少年がいた。私には何故か、この六年生に少年の姿が浮かんだ。もうすぐ卒業式、そして、中学生になる初々しい少年の姿である。声変わりも近い、悩み多い思春期の入口にさしかかった少年の胸に、地球儀は何を思い描かせただろうか。これからの未知の世界への期待と不安、どんな夢を抱かせただろうか。

  あの東日本大震災から一年、かけがえのない美しい私達の地球に、今もなお各地で天災や争い、貧困が日々伝えられている。春はまだ遠い。地球儀を拭く少年、少女たちに世界に馳せる明るい未来がやってくる。そんな二十一世紀に一歩づつできることから行動しょう…そんな気持ちになった今日の句会でした。(正太記)

足す言葉、引く言葉はありません。正太さんありがとうございました。

 

春の旅赤旗を読む老夫婦

朧月ガンジーの繰る糸車

啓蟄や汚染残土の仮置場

夜桜やアルミニュウムの投票箱

お通じの心配の無い鯉のぼり

 

竹の子や核ミサイルも土の中

落石の十センチ横雨蛙

パレットに額紫陽花を搾り出す

藪枯し鉄を手にした弥生人

サイレンの一分間や敗戦日

 

平面図だけで建てたり蜘蛛の家

夏の波バッキンガムを崩しおり

黒山は解体作業中の蟻

東京都釣瓶落しとなりにけり

秋場所や絆創膏対テーピング

 

名月や生き残るのは大宇宙

目の子算十匹までの赤とんぼ

初つらら防災小屋の赤いドア

猟銃の一発響く山の奥

湯豆腐や爆破されたらどうするの

 

冬の朝新聞受けにイスラム国

マネキンの赤い手袋指す虚空

ガラス窓三百号の冬の海

どんど焼き両目を剥いた大達磨

これからもとことん平和初詣

(岩戸句会第五句集「何」より 石川炎火)

ウツギ(空木) 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1943   いが栗を跳んで避けいる子犬かな   歩智

2018年05月19日 | 岩戸句会 第五句集「何」

 私の俳号は、「歩智」。歩智は、四代続く我が家の愛犬「ポチ」の名前から採り、漢字にしただけ。長崎出島で、ポルトガル人の飼っていた犬が黒点(?)のある犬だったそうで、その犬の名前は、プッチ=点。それを聞いた日本人達が、「あれはポチ」といい、犬の名前は “ポチ ” “ポチ ”と広まったそうだ。私はその時代に生きていたわけではないから、真偽の程は定かではない。

《歩く智慧》とは、なかなか良い名と思うのだが、《知恵出でて大偽あり》老子。人間、素朴であった時代には平和であったのだろうが、人々の知恵が進み、世の中が乱れているのが今の世。

現在に生き、不遜にも《歩く智慧》という俳号は、考えものでは?・・・・・まあいいか、私を見て誰一人《歩く智慧》とは思わないわけだから。

 

寒の月こうこうと雲寄せ付けず

ふわふわのうぶ毛残して巣立ちけり

老いし身に重き独りの更衣

杉木立箱根全山ひえびえと

歳時記の栞は今朝の柿落葉

 

日の丸に折り跡ありてお正月

旧友の握手握手や花吹雪

黄木香石工は石を仏にす

曼珠沙華ここは江戸城半蔵門

大寒や恵比寿の顔の凛として

 

月は満ち花いまだなし西行忌

水馬背中叩けば棒となり

貼り紙に蛍一匹七百円

なめくじの跡キラキラと父母の墓

西国に手を振り向かう秋の朝

 

火の機嫌とりつつ桜落葉焚く

犬もまた家族となりて納札

冷酒や熱海五郎座幕あける

墨文字の滲む貼り紙夏祓い

笛太鼓神を寝かせぬ祭の夜

 

無花果を裂けば火花の散る如し

枯芝を雪と見まごう寒の月

花冷えやベンチの下の伝とポチ

ジーンズの裾をくるくる折つて初夏

太陽に向かぬ向日葵そだちすぎ

(岩戸句会第五句集「何」より 坂井歩智)

やまつつじ(山躑躅)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1942   緊急の連絡先は春の空   洋子

2018年05月18日 | 岩戸句会 第五句集「何」

  今は、誰でも携帯電話を持ち歩き、緊急の時はいつでも何処からでも電話をすることが出来ます。私も庭仕事の時は、一人で斜面の草取り、草木の伐採、大焚火をするので、携帯電話をしっかり仕事着に入れています。でも、今までに少々危ない目にあっても電話したことはありません。

  家の中では、「あなたは独居老人ですから、緊急用装置をつけてあげましょう」と、熱海市が天井に取り付けてくれました。一日以上人影がないと通報してくれるそうですが、これも5年間使ったことはありません。ところが旅行の時などに、留守を連絡しておかないと、息子のところに電話がかかり、内緒の旅行がばれてしまったりしました。でも、私は誰にも連絡するつもりはないのです。なるようになれケセラセラです。

  誰かの詩に天国にいる犬が、急に仲間から走り出すことがあるそうで、自分のご主人が亡くなった時、一目散に飛んで行くそうです。私も、二十年飼っていた大好きなタローに会えるんだ、と思うと嬉しくなります。きっと仲良しのモモちゃんも一緒に。

  一人暮らしの私は、体力を持続できるように、今はヨガ、水泳、テニスに励んでいます。タロー、モモちゃんも、緊急の時は素早く走ってこられるように、足腰をしっかり鍛えておいて下さいね。 

陽だまりに犬と寄り添う春隣

大手まり青ざめて咲く今が好き

髪切って春一番に吹かれおり

幾年も納戸に眠る鯉幟

風が研ぐ空の青さや花辛夷

 

荒梅雨や二人して見る生命線

布袋草咲けば貴女の誕生日

雷鳴やテネシーワルツを切り刻む

俎板も食器も白く更衣

せせらぎでしばし涼まん犬の舌

 

貴方には桔梗の花の切手貼り

この家の行く末思い草を引く

秋彼岸親分肌の友が逝く

花野行く自然治癒力信じつつ

たおやかにムラサキシキブ揺れるのみ

 

人生の今どのあたり烏瓜

庭仕事休める指に秋時雨

老犬の目穏やか柿をむく

冬帝やクリームシチューに味噌加え

スーパーにあふるる孤独蜜柑買う

 

立冬や願いをもちてわれ老いん

旧友で少し恋人雪見酒

初笑い羽織袴の犬が来て

年寄りに恋の火種やバレンタイン

今日だけは暖房止めて兼好忌

(岩戸句会第五句集「何」より 原洋子)

我が庭のいずれあやめかかきつばた

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1941   午前九時コーヒー新聞赤とんぼ   豊春

2018年05月17日 | 岩戸句会 第五句集「何」

 毎朝、NHKの朝ドラを見ながら朝食をとり、片付けを済ませたあと、二階の自分の部屋へ、揚句のような時を過ごしております。

「毎日何をしているの?」

「テレビばかり見ていてはだめよ」

と言われますが、これでもなかなか忙しく、ボーとしていることは余りありません。

 深夜放送だったと思いますが、「歳をとったらキョウヨウとキョウイクが大事」という言葉を聞きました。キョウヨウは教養ではありません。「今日の用事」です。キョウイクは教育ではなく「今日行くところ」です。この言葉を自分に言い聞かせて生活しております。

 新聞を隅から隅までじっくりと読んだ後は、毎月最終土曜日の「岩戸句会」に提出する俳句を考えます。そうこうするうちに、お昼の準備(妻は殆んど出かけて留守)、昼食、片付け、そしてお昼寝。目覚後は、お天気ならば自然農法の家庭菜園の畑仕事、読書(主に小説)、夕方にはノルディックウオーキングによる散歩一時間。とざっとこんな具合いであります。 

寒林をけものの如く突き進む

寒林を透けて現る大甍

春めくや水面に挑む二羽の鳶

初島の灯影煌めく実朝忌

夕東風や利島新島近寄りぬ

 

五ミリほど蓬の芽にも葉の形

仄暗き露地に散り敷く紅椿

竹の秋霧雨烟る無職かな

鵜篝の照らす水面や翁の目

瘦せ裸十針くっきり手術痕

 

只管に壁よじ登る毛虫かな

車内みなケイタイ覗く夏の昼

炎昼や読経野太き尼導師

送り火や赤き脚爪うずくまる

畑隅の自ずと生れし唐辛子

 

遊石氏夜露言祝ぎ旅立ちぬ

秋の蝶雲の流れに乗りにけり

秋麗喪服きりりと若き嫁

秋の日や虎猫眠るボンネット

秋時雨伊豆の山々鎮まれり

 

海辺よりビルの重なる秋の空

尖塔の鴉一声冬来る

冬服の電車に混じる半ズボン

寝床にてラジオ体操今朝の冬

野良猫の抜け道示す石蕗の花

(岩戸句会第五句集「何」より 関谷豊春)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする