一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

142   冬夕焼果てに戦火のあるごとく   稱子

2011年01月31日 | 

作者は、夕焼から戦火を想像した訳だが、戦火とは何か。最近のイラク・アフガニスタンなどの戦争では、爆発音・煙・建物の破壊などから夕焼けは想像できない。

 

私は、東京大空襲などのB29の焼夷弾による大火災を想像した。当時の日本家屋のほとんどは木造だったので、一夜に何万もの住宅が一挙に消失している。

 

しかし、私は戦後生まれだから、戦争も戦後のどさくさも全く知らない。体験談や残骸の写真などで見聞きした、あくまで想像でのこと。ということは、作者も想像なのだろう。

 

 但し、東富士演習場は熱海の西に位置し、箱根を越えて演習の爆発音がよく聞こえる。冬夕焼と爆発音、作者はこの二つから「大空襲の戦火」を想像したのかもしれない。

 

 ところで、アメリカは、ベトナムに懲りず、イラクに懲りず、アフガニスタンに懲りず、次は何処に懲りないのだろうか。

 

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141   一月 岩戸句会

2011年01月31日 | 岩戸句会

冬夕焼果てに戦火のあるごとく     稱子

日を追いて鉢を動かす四温かな     〃

 

シクラメンオール電化のショールーム  炎火

嫁が君音信途絶え五十年        〃

 

日の暮に少し間のある枯木道      章子

一斉に霧笛ハッピーニューイヤー    〃

 

初旅や父母の墓前の雪だるま      豊春

寒椿こぼれる坂を登りけり       〃

 

掃初や庭の先なる相模灘        歩智

今年こそ大きく鈴振り初詣       〃

 

冬銀河君あれば今日誕生日       正太

十字切る祭壇昏し嫁が君        〃

 

初夢や若き笑顔の母と会う       遊石

初夢やゴミ箱に入り空を見る      〃

 

酢なまこや笑い上戸の小さき嘘     洋子

犬の鼻いつまで続く冬旱 

 

腑に落ちてまた寝につくや寒の水    薪

煌々と光る高層嫁が君

 

たどりつき淋しき宿り牡丹鍋      狭心

魅せられしまなこはルビー雪兎 

 

 

四本のレールがくねり冬銀河            鼓夢

辻々の街はさざめくどんど焼

 

元朝となれり鼓膜が敏感に           雲水

元朝の茅の輪廻りの刻にいて

 

 

 

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140   降る雪や明治は遠くなりにけり   草田男

2011年01月29日 | 

 「この句には、(や)と(かな)の二つの切れ字があるけれど、いいのですか?」という質問を受けました。私の意見としては、

 

   切れ字は、一つの方が、焦点がはっきりして失敗が少ない、とでも言っておきましょうか。しかし

 

   切れ字が二つは、駄目ではない。あくまで、ケースバイケースです。逆に、どんどん作ってみて下さい。必ず、この場合は良い、この場合は止めた方が良い、というケースがあるはずです。

 

   この句の「明治は遠くなりにけり」は知っていても、「降る雪や」を知らない人が意外と多いのです。

つまり、「降る雪や」以外に春夏秋冬、新年のどんな季語でも構わないのです。季語が動く、季語が定着していない、という訳です。しかし、ここが俳句の難しいところですね。

 

   では、この句の場合は?

季語の(降る雪や)と(明治は遠くなりにけり)が絶妙なバランスを保っている、と思います。

 

   「降る雪や」ですが、「降れる雪」「雪が降る」「雪降れり」など、切れ字を使わないやり方もあるのですが、作者はそうしなかった。

 

   結論は、切れ字は二つあって良い、但し、バランスをよく考えること。

 

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139   福寿草佳き名に応へひらきけり    朱夏

2011年01月28日 | 

 世には、ヘクソカズラ(屁糞蔓)、ママコノシリヌグイ(継子の尻拭い)なんていうひどい名前の植物がある。又、、イヌフグリ(犬陰囊)、ハキダメギク(掃き溜め菊)だって、迷惑な名付けだ。オミナエシ(女郎花)だって、字はいただけない。

 

その逆に、福寿草とは佳い名を付けてもらったものだ。

 

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138   大寒の白鎮まれる休み窯    鬼房

2011年01月27日 | 

この句は、全く意味が分からない。

 

 分からないのは、①白とは何のことか?例えば雪の白?それとも、白磁などの焼き物の白?

 

②どこで切れているか、それとも切れていないのかも、分からない。

大寒の白 / 鎮まれる休み窯」と詠むのか、「大寒の白鎮まれる / 休み窯」と読むのか?

つまり、鎮まれるのが「白」なのか、「休み窯」なのか?

 

この句、角川の「第三版俳句歳時記」に載っているのだが、選者は分かっていたのだろうか?

 

どこも切れていないとして素直に読むと、

「大寒という寒さが最も厳しい今日の日の白が鎮まっている、休み窯であることよ」

 

チンプンカンプンである。鬼房さん、又は誰か、教えてちょうだい!!

 

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137   麦踏みや土のやわ肌ふれてゆく   嫩女

2011年01月26日 | 

日本人の主食は?と問われたら、誰でも米と言うだろうが、実際は、麦と半々なのだ。麦には、小麦・大麦など色々あるが、パンやうどん、ラーメン、菓子、パスタ、味噌、醤油、ビールなどにも加工され、用途は広い。

  

私の子供の頃、つまり昭和30年代には、どこの農家も米と麦の二毛作をしていた。しかし、どうした訳か、いつのまにか麦作りを止めてしまった。おかげで、麦の自給率は、わずか10パーセントという。

  

 私は、父に連れられて、親戚の農家の田植えや麦踏みの手伝いをしたのを記憶している。霜柱の立った麦の畝を、たぶん長靴で蟹歩きに少しづつ進む。麦は高さ5~6センチほどだったろうか。

 

 確かに、この句のように、土はふかふかしていた。そんな「柔肌」を踏み固めるのだ。

 

寒かったはずなのに、寒さの記憶がないのはどういうわけか?きっと、柔肌のせいだろう。

 

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開き直りこそが秘訣  その4

2011年01月25日 | つぶやき

あと10日で立春。しかしそれは、あくまで暦の上でのこと。まだまだ、寒い日は続く。

『「三寒四温」という季語がありますが、「春ですか?冬ですか?』と問われたら、大概の人は「春」と答えるのではないかと思います。3より4の方が多いのは、子供だって知っていますから。しかし、実際は冬の季語です。こういう納得しがたいことも結構あります。

さて、今回の兼題は、「冬萌」です。こんな言葉と出会うと、日本人に生まれて良かったなあとつくづく思います。 

 

 

・野良猫の冬萌の庭すうと抜け      2gawa
・冬萌の枝の高みに飛行雲
・冬萌の枝の張りけり素脚の娘

 

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136   備前より信楽旨し雪見酒    遊石

2011年01月25日 | 

日本酒、焼酎、ビール、ワイン、ウィスキー、ブランデーなどを飲むための器は、材質も大きさも形も色合いもそれぞれに違う。

 

カップ一つあれば、実際どんな酒でも飲めるのだが・・・日本人は、酒の種類によって器も変えなければ気が済まない。

 

ある大学教授がロンドンに留学した折、一軒を家具付きで借りたのだが、代々受け継いできた食器のシンプルさや数に驚いたという。洗い終わると皿は、皿立てに戻すそうだ。

 

さてこの句、日本で雪見酒と言えば、やはり日本酒だろう。日本酒と言えば、陶磁器のぐい呑。作者は、その中から備前と信楽のぐい呑を選び、呑み比べ,信楽「で呑んだ方」が旨い、と感じたのだ。信楽が旨いわけではない。

器によって、同じ酒の味が変わる。料理通ならではの句だ。

  

 

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135   ブーツマフラー帽子手袋犬の紐

2011年01月24日 | 

 最近は、朝4時前後に起きる。ゆっくり風呂に入ってからブログをやる。最近恒例の血圧を測る。6時を過ぎて次第に外が明るくなるのを待って、着替えを始める。2匹の犬は、回りでぴょんぴょん飛び跳ねる。「エーい、邪魔だ、静かにしていろ」などと言いながら着替えるのである。

 

 この句は、その時に身に付けるものを、唯順番に並べただけ。

 

 まず、ブーツ。といっても長靴なのだが、昔の黒長靴と違って履き心地が実にいい。私は、最近薪割りなどの屋外の作業は大抵この長靴を履いている。

 

次はジャンバー(これは省略)、そしてマフラー。マフラーも何枚かあるが、最近は筒になった便利なニットのネックウォーマー(というらしい)を被る。そして帽子を被り・・・・

 

そして、スキー用の薄手の手袋を嵌める。今までは、軍手を使っていたが、軍手より暖かく意外に丈夫である。

 

 そして、ようやく1才のオスのデンに紐をかけて、1時間の散歩に、いざ出発!13才のモモは、紐を掛けない。

 

この句、12月の句会に投句したが、全員に無視された。つまらない句なのだろう。

 

しかし、私にとっては、この冬の朝の生活として、日記としてかけがえのない句なのだから、無視されても一向に構わない。

 

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134   朝焼けの薄紅加え枇杷の花

2011年01月23日 | 

あってもないような地味な枇杷の花。このままでは可哀そうなので、朝焼けの薄紅を加えてみました。いかがでしょうか?少しは、美しく目立つようになったでしょうか?

 

 俳句にも、お化粧が必要な時があるのです。ということは、たまには、厚化粧が必要な時もあるのかもしれませんね。

 

 「この句、薄紅を加えて美しくなったのは、枇杷の花だけではない、他に誰かいたんでしょう?本当はそちらを言いたかったのでは?」

 

 「うむむむ・・・・・なかなか読みが深いですなあ」

 

 

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133   大寒や晒す陶土に鳥の糞

2011年01月22日 | 

粘土で形を作ると、その次に削りという作業があって、大量の粘土屑が出る。それを良く乾かしてから水を加え、泥状態にしたものを素焼きの鉢に入れて乾かす。

 

 その粘土に鳥の糞があった、ただそれだけのこと。

 

 私にとって、糞は単なる迷惑に過ぎない。しかし、家や暖房を持たない鳥の立場になってみると、この寒さをどうやって過ごしているのか?それを考えると、糞はまさに生きている証拠である。

 

つまり鳥の糞は、私にとっての安堵であり、喜びでもあるのだ。

 

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132   大寒の夜を徹して仔犬鳴く

2011年01月21日 | 

13年前の大寒の頃、生まれて3カ月の仔犬を貰った。車に乗せてから鳴き出し、一晩中鳴かれたのには往生した。モモと名付けた。

 

 ある日、近くのペンションに泊まった若い女性たちの騒ぐ声がするので、よく聞いてみると「あら、可愛いわね」などと言っている。行ってみると、やはりモモだった。

 

女性の声がすると、いつでもどこへでも跳んで行ってしまうのには、困った。原因は、3カ月間飼われていた家の娘さんの影響ではないか、と思う。

 

そして、4月のある日、モモは突然いなくなってしまった。お尋ね写真を何箇所か貼ったり、保健所にも連絡したが、とうとう帰って来なかった。人懐っこかったから、きっと誰か良い人に引き取られて、幸せに暮らしていることだろう。

 

 

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開き直りこそが秘訣  その3

2011年01月20日 | つぶやき

 さて、季語には、、素敵な言葉があります。今回の兼題は、「山眠る」です。

 

春は、「山笑う」夏は、「山滴る」秋は、「山装う」そして冬は、「山眠る」

これは、4つセットで覚えましょう。

 蛇足です。ご存じでしょうが、もう一つのセット。色も

青春・朱夏・白秋・玄冬(げんとう)

玄は、玄人(くろうと)と言うように黒のことです。たしか五木寛之さんの小説にこのタイトルの4部作がありました。

 

山眠るスカイツリーの見えぬ町   パピー
朝日受け眠れる山も薄目開け
大寒やモクモクモクとサウナ風呂

遠景の塊となり山眠る         優
夕日受け影絵となりて山眠る
故郷よ瞼の奥に山眠る
懐かしき校歌の中に山眠る
友の父母天に召さめし山眠る

 

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131   冬籠ブログにはまり夜更かしす    優

2011年01月19日 | 

ブログを始めて4カ月経った。以前は、早朝に目が覚めても、ラジオを聞きながらうとうとしていたが、今は何時であろうが起きてしまう、というより起きることができるようになった。

 陶芸・俳句・テニス・ハワイアン、更にブログを付け加えるべきかもしれない。ブログはなかなか面白い。

 

 この句の作者も、ブログに嵌っている。外は寒く、何もする気にならない眠れない夜を、どう過ごしたらいいのか。

そこに現れたのがパソコンであり、インターネットであり、ブログなのだ。自分と考え方が一致したり、趣味の合う人と知り合いになるというのは、インターネットならではの利点だ、と思う。

 

ところでこの句、俳句をたしなんでいる中で、何人の人が理解できるだろうか?パソコンを持っていても、ブログの楽しさを知っているとなると、そうはいまい。

 だからこの句は、実に現代的であり、時代の最先端を行く句と言っても言い過ぎではあるまい。もしかすると、「ブログ」を初めて句材として取り上げた歴史に残すべき俳句かもしれないのだ。

 

子育ても終わり、孫の面倒を時々みて、夜更かししたって朝寝もできるし、私達は本当に良い時代を生きている、とつくづく思う。

 

ブログのお陰で、私達には、ボケている暇などないのだ。

 

作者、優さんのブログは「そーさ 元気に ゆこー」です。このブログの「ブックマーク」にあります。覗いてみて下さい。

 

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130   冬籠あなたがいなくてもう五年   2gawa

2011年01月19日 | 

俳句は、はっきり言った方が良い場合と、言わない方が良い場合がある。この句は、はっきり言わなくて良かった好例。

 

 「あなた」を「夫や妻、親や子供、親友・・・」などと、具体的に言ってしまうと生々しすぎる。「あなた」とぼやかすことによって、読者は、自分の経験に合わせて、人を選ぶことができます。

 

「いなくて」も曖昧ですが、「死んだのでいない、離婚したのでいない、転勤したのでいない、旅をしているのでいない・・・」などと色々選ぶことができます。

 

 年月だけは、5年とはっきり言っていますね。しかし、5年というのは微妙な年月です。忘れるには短すぎるかもしれない。忘れてようやく立ち直ったのかもしれない。私の場合は・・・・様々な解釈を読者に与える、余裕のあるいい句です。

中7が字余りですが、この場合は問題ないと思います。 

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