この句に切れがあるとすれば、「福寿草/大笑いして風の中」の/であろう。そして、大笑いしたのは文法的に、①比喩的に「福寿草」と解釈できるが、福寿草が笑うはずもないのだから②作者か別の人間かもしれない。更に③福寿草も人間も共に大笑いしたのかもしれない。読者がこの中のどれを取るかは、読者の勝手である。
この句の「大笑い」という大げさな言葉こそ面白い、という人もいるだろう。又、「微笑む」「含み笑い」くらいに抑えた方が良いという人もいるかもしれない。
この梅も笑っているように見えなくもない。
いやいや、あら不思議、笑っているように見えてきたぞ。