昨日、山形の「山寺」に行ってきました。そう、芭蕉が元禄2年(1689年)に
「閑さや巌にしみ入蝉の聲」を詠んだあの山寺です。写真の句碑は、芭蕉が没してから164年後の嘉永6年(1853年)に建てられたそうです。年季が入り過ぎていて、さっぱり読めませんね。
山寺(立石寺)は、平安時代初期の貞観2年(860年)に創建の天台宗(最澄創設)であり、平成の「山寺」は、山形市周辺ではダントツの有名な観光地で、雨にも関わらず沢山の観光客が訪れていました。
芭蕉句碑
昨日、山形の「山寺」に行ってきました。そう、芭蕉が元禄2年(1689年)に
「閑さや巌にしみ入蝉の聲」を詠んだあの山寺です。写真の句碑は、芭蕉が没してから164年後の嘉永6年(1853年)に建てられたそうです。年季が入り過ぎていて、さっぱり読めませんね。
山寺(立石寺)は、平安時代初期の貞観2年(860年)に創建の天台宗(最澄創設)であり、平成の「山寺」は、山形市周辺ではダントツの有名な観光地で、雨にも関わらず沢山の観光客が訪れていました。
芭蕉句碑
我家の睡蓮鉢の前で、あるお嬢さんが妹さんに「こうして指を立ててごらん。あのトンボが止まるかもしれないわよ」と言って指を立てた途端、本当に塩辛トンボが止まりました。お嬢さんは驚いたのか、驚かないのか、キョトンとしていました。驚き過ぎて声も出なかったんでしょうね。
我が家の塩辛トンボは、本当にサービス精神が大盛です。「何故か」って?飼い主に似ているからですよ。これ、ホントです。しかし、飼い主に止まってくれないのはどうしてだろう。でも、お客様に止まってくれた方が嬉しいから、これでいいんです。
オクラの花
カラスウリ(烏瓜)は、夕方から咲き、縁部が無数の白く細いひも状になって伸び、直径7~10cm程度の網状に広がる。深夜には網は無くなり、朝には萎んでしまう不思議な花。秋には朱色の実を付ける
我が家の庭は烏瓜がはびこっているが、晩秋になったら荒れ放題の庭をさっぱりきれいに刈るのが、私の流儀。
カラスウリの雌花↑ と雄花↓
夕方5時過ぎ、薪割りが終わり、30度くらいの水風呂に入って汗を流す。今日は、三度目である。体の火照りを冷ますのに30分位はかかる。
油蝉が鳴き止んだ。ミンミンとツクツク法師が鳴いている。そのうちヒグラシが鳴き出すだろう。ミンミンは、すぐ近くで大音量で鳴いている。彼は、地上に出て数日の命を、何であんなに大きな声で鳴くのだろう。山桜の木に止まり、メスを呼んでいるのだろうか。探しに行けばいいのに・・・・・そんな詮索をするよりも、私がミンミンになってみた方が早いかもしれない。
ブログをやりだしたら、ほらほらヒグラシも鳴き出した。
ケイトウ(鶏頭)
先日、カウンセリングを勉強している青年達との会話。テーマは「学校のいじめによる自殺」であったが、結局「馬鹿とは何か」という問題になってしまった。
「馬鹿」は、単なる当て字。馬と鹿が可哀想。
「馬鹿」は関東で、「アホ」は関西で使われ、意味は大体同じだが使い方や受け取り方には、かなり違いがある。
「馬鹿にできない」、「親馬鹿」などとも使われている。
「馬鹿は死ななきゃ治らない」これは本当らしい。「三つ子の魂百まで」と同じ。
馬鹿と言われて怒ったり悲しんだりするのが本当の馬鹿、喜べば馬鹿じゃない。
自分が馬鹿であることを自覚している人は、馬鹿じゃない。
世界には馬鹿が溢れている。私達もその一人。
「お前、馬鹿だなあ」「有難うござんす。僕もそう思います。でも、そう言うあんたは馬鹿じゃないの?馬鹿じゃないってどういうこと?」
以上、「バカの壁」を書いた養老猛先生がそう言ったかどうかは不明。
(びんしょうにかけ どんちょうにほし アブうたる)
お盆に、我が家にやって来た小学6年生。朝食の最中、突然「ああ、足に何か虫がいる」と叫び出し、「ああ、いたたた、痛い!痛い!痛い!」と悲鳴を上げだした。彼のおじいさんとおばあさんは、彼を見てキョトンとしていた。
テーブルの下に隠れていて少年の足が見えなかったので、私は座椅子のまま彼を引きずり出して足を見ると、アブだった。瞬時に掌でアブを打ち殺した。一茶に「やれ打つな蝿が手を擦る足を擦る」というのがあるが、アブに刺されるとめっぽう痛いから、そんな暢気なことは言っていられない。刺された少年の足には、一滴の鮮血が球状になっていた。
それで驚いたのは、都会に住む少年はアブを知らないのだ。又、足に虫が這っている時、少年は見ることもせず対処もせず、唯泣き叫んでいることだった。
という私も、実は昨日薪を割っていて、アブに刺され悩まされた。手は塞がっているし、アブの飛ぶ音も薪割機のエンジン音で聞こえないので、早々仕事を切り上げた。「明日は、長袖に替えて首にタオルを巻かねばならない」
キョウチクトウ(夾竹桃)
知り合いの女性が家の前を通った。私には、いくら顔を隠しても、誰かすぐに分かる。それでも傘で顔を隠すというのは・・・・・
私が嫌いで挨拶さえしたくないのか。それとも、顔に傷でも作って恥ずかしいのか。それとも「頭隠して尻隠さず」何か悪事でも働いているのか。
いえいえ本当は、単に風が強いので、傘を斜めに差しているだけなのでしょう。
キョウチクトウ(夾竹桃)
先日、熱海湾を一望に見渡す別荘地に住む友人宅を訪ねる。去年の暮に夫を亡くし、当日は仏壇の入魂式だった、という。苦しまず亡くなり、83才で天寿を全うしたので、後悔はなかった、という。「ピンピンコロリは私たちの理想ですから、幸せな亡くなり方ですね。ご主人が羨ましい」
当日は、年十数回ある熱海の花火大会で、見て行くよう誘われたが、早々退散した。実は、剥いてくれた白桃は大好きだが、花火大会はあまり好きではないのだ。
キンミズヒキ(金水引)
14日、阿部首相が「戦後70年談話」の中で、先の大戦による日本の他国への侵攻を誤りと認め、二度とあのような戦争を起こしてはならない、としたことは一応評価できる。しかし、それは本音であろうか、中国、韓国などアジア諸国を欺くための言葉ではないのか。
さて毎年、日本全国一斉に昼のサイレンを鳴らすが、黙祷は単に日本の戦没者だけではなく、世界中の戦没者でなければならないし、広く人類が行った全ての戦争の犠牲者に対してでなければならない。
又、二度と戦争を起こさない平和な日本、世界、人類であって欲しい。あり得ないことではあるが・・・・・
カヤツリグサ(蚊帳吊草)
台風14号の影響か。お盆の2,3日間、雨が降ったり止んだり、愚図ついた天気が続いていた。涼しいと言っても、今日も湿度が高いようで、蒸し蒸しする
猛暑になると、デンは一階の机の下に、時に2階の階段の踊り場にいたりするが、1階のストーブの床に敷いてある煉瓦が、涼しくて一番気に入ったようだ。
オオマツヨイグサ(大待宵草)
3か月設置して掛からなかったイノシシの罠を撤去したら、再び庭を荒らされるようになった。先日犬の散歩途中、母親と3頭の子供のイノシシを発見。彼らはすぐ藪に隠れたが、成す術がない。掘り方から推測すると、この親子に違いない。
罠の設置場所は松の大木に占領されているから、松を全て割ってしまうまで荒らされるに任すしかない。
オトギリソウ
立秋の翌日の夕方、犬の散歩途中でツクツクホウシの合唱に気付く。もう合唱しているということは、私が初鳴きを聞き逃していたということか。
さて、人間は引き際が大事だという。しかし私は、弟子も持たず何でも独りでやって来たので、隠居したくてもできない。「死ぬまで現役」というのもそれなりに面白いかもしれないが、20代にした放浪、できれば日本全国をもう一度旅してみたい。
流石に歩いて、という訳にはいかないから、車になるだろうが、1年くらいかけてデンと一緒に旅してみたい。見果てぬ夢になるかもしれないが・・・・・
オニユリ(鬼百合)
オトメユリ(乙女百合)
立秋の昨日、友人と共に我が家を訪れたアメリカ生まれのマイク・モラスキーさんは、早稲田大学で、「日本の戦後文化史」を教えているという。
日本語が実に堪能で、趣味は将棋、尺八、太極拳、落語鑑賞、そして路地裏の赤提灯探索の酒豪でもある。ジャズのメッカ、セントルイス生まれで、ピアノの腕はプロ並み。昨夕は、ジョン・コルトレーンが母に送ったという曲など数曲をジャズオルガンで弾いてくれた。ご興味のある方は、モラスキーさんのHP[世の中プラプラ]をご覧ください。
昨日までの猛暑が収まり、まさに立秋にふさわしい夕べでした。
連日、うんざりするほどの猛暑の薪割りが続いている。早朝働き、昼は3時間余休み、再び夕方働くというやり方だ。しかしそれでも、動けばすぐに汗が出る。
イラクでは、摂氏50度になったという。湿度が低いのかもしれないが、よく生きていられるものだ。その上、自爆テロの心配もしなければならない、実に過酷な環境である。この世には、そのような炎天で働く人が沢山いるのだから、30度ぐらいの炎天ぐらいで愚痴は言ったら罰が当たる。
8月2日 油蝉鳴き出す。8月3日 ミンミン蝉鳴き出す。
立秋が近づき晩夏ではあるが、いよいよ夏本番といった感が強い。さすがにつくつく法師は鳴いていないが、我が家の夏蝉の揃い踏みだ。東京では、5日連続の記録的猛暑日が、もう二、三日続くという。
さて、目が「くらむ」には、「眩む」と「暗む」がある。突然明るくなった場合と暗くなった場合の違いである。