一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

460  大晦日いつもの顔が居酒屋に

2011年12月31日 | 

(おおみそか/いつものかおが/いざかやに)

 

テレビを置いていない行きつけの居酒屋で、「紅白歌合戦を見ない会」をやろう、と提案したことがある。居酒屋の主人は、当然乗り気で、客に呼び掛けたらしかった。

 

かくして、31日の夜7時ごろ、居酒屋に行ってみたら、なんと既に大入り満員だった。紅白に反感?を抱いている人が結構いるものだ、と驚いた。しかし、それも昔の話。

 

但し、流行を追わない、多勢に与しない、強者におもねない、という私の性格は、未だに変わっていない。

レモン(檸檬)

学生の頃、梶井基次郎の「檸檬」という短編があった。

優れた作品らしいのだが、さっぱり分からなかった。

今、呼んだら分かるだろうか?

読んでみようか!!!な。

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2011年 12月 岩戸句会

2011年12月30日 | 岩戸句会

その時はそのときのこと日向ぼこ    章子 

鍵盤におどる指先クリスマス

  

寒の月煌煌と雲よせつけず       歩智

 バーコード撫でて今年も暮るるなり

 

南無阿弥陀恐み恐みクリスマス 炎火

冬将軍波状攻撃しかけおり

 

大焚き火いっ時老いを忘れけり     洋子

スルメ焼くくるりと反りし冬茜

 

張り替へし障子まぶしき小春かな    侠心

カサコソとカサカサコソと落葉踏む

  

凍蝶のいのち受けとる白き壁      正太

 棄ててゆく縁のきざはし石蕗日和

 

世を隔つ病床に置く古日記       鼓夢

冬ざれて孤舟碇を下ろしけり

 

舌先にワインの渋み聖夜かな      

 仏身は杉の大樹か山の冷え

 

一日永し一年はやし霜月夜       遊石

 寒月夜あだな年増に道問われ

 

初雪や足湯にぎわう熱海駅       静江

 外は雪燃える火のそば賀状書き

 

大焚火あなたの顔もまっかっか     雲水 

 汝が村も山河に抱かれ聖夜かな

 

 初雪や木立の静寂金色堂        稱子

 一期一会の言葉噛みしむ年の冬

  

庭掃除 不意の落ち葉に 驚きぬ    空白

八戸の 冬長く待つ ローカル線

    

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459  一代で終わる覚悟の窯納め

2011年12月30日 | 

(いちだいで/ おわるかくごの/ かまおさめ)

 

穴窯や灯油窯、作業場に薪置き場、薪割り機など様々な機械や道具類を、土地も含めて誰かに受け継いで欲しいと思ってはいるが、なかなか思うようにはいかない。いっそのこと、自分一代で終わらせた方が、気が楽かもしれない。

  

最近、そう思い始めた。つまり、どちらでも良いのだから、「なるようになるさ」、自然に任せよう、ということだ。

 

死後のことなんか、考えたってしょうがない。そう思っただけで、随分気が楽になった。 

ケヤキ(欅)

 

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458  大焚火いっとき老いを忘れけり  洋子

2011年12月29日 | 

  広い庭に落葉樹が沢山あると、落葉掻きが欠かせない。当然、焚火をするが、そこに剪定した枯枝などが加わると、大焚火となる。

 

昨今は、近隣のひとが消防署に通報するため、事前通知が必要になるし、場合によっては許可が下りない。焚火もままならない時代になったといえようか。

 

 さて作者に質問ですが、「そんなに毎日毎時、老いを気にして生活していますか?時々思い出す程度ではありませんか?」ですから

 

大焚火いっとき老いを思い出し

  

としたら、いかがでしょうか? 

 

すっかり葉を落とした裸木に

訳の分からない塊りが・・・・・・・・一体、何だろうか?

 

正解は、ヤドリギ(宿木、寄生木)でした

takeさん有難うございます

 

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457  鍵盤におどる指先クリスマス   章子

2011年12月28日 | 

(けんばんに/おどるゆびさき/くりすます)

 

今年の8月、娘から電子ピアノを譲り受けた。KORGというメーカーの電子ピアノは、ハープシコード、ビブラフォン、ハモンドオルガン、パイプオルガンなど、10種類の音色が出るようになっていた。

 

せっかくオルガンもあるのだから、初心者でも弾ける易しい曲がないだろうか。そこで思いついたのが、ヘンデルの「ラルゴ」。1年かけたら弾けるようにならないだろうか、と只今、特訓中である。

 

先生はいない、あくまで独学である。その次に思い付いたのが、カッチーニの「アベ・マリア」この方がもっと簡単なはずだが、私には簡単ではない。

 

 今の私にとって、指先が踊るなど、夢また夢の世界だ。

 

何の実か?

 

正解は、マサキ(柾、正木)の実でした

takeさん有難うございます

 

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456  非常ベルのボタンが誘うのよ聖夜   澄子

2011年12月27日 | 

  大きな建築物のエレベーターや廊下などには、非常ベルのボタンがある。ガラスなどに覆われていて、簡単には押せないようにはなっている。

  

 当たり前のことではあるが、あのスイッチは、押す為に作られているのにもかかわらず、非常時以外は使ってはいけないのである。公共施設などでこのボタンを押したりすると、犯罪になる可能性だってある。

 

 そのボタンが、「押せよ、押してよ、押してくれよ、ねえ、押してくれない・・・」と作者を誘うのである。今まさに、その誘惑に負けそうな事態なのかもしれない。作者の眼は、非常ボタンに釘付けとなっている。こういう心理を、アフォーダンス理論という。

 

聖夜は単なる付け足しに過ぎない、と私は思う。しかし何故か「聖夜」という男性に呼びかけているようにも聞こえる。

 

すっかり葉を落として、夜景が見えるようになった

眼下は湯河原、遠くは横浜

 

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455  南無阿弥陀恐み恐みクリスマス  炎火

2011年12月26日 | 

(なむあみだ/かしこみかしこみ/クリスマス) 

     

日本のキリスト教の信者は、約100万人。人口比でわずか0.8%。ところがクリスマスともなれば、日本人のほとんどがクリスマスケーキを用意し、ビーフやチキンを焼き、クリスマスソングを歌う、似非キリスト教信者になって、お祭り騒ぎをしている。

 

バレンタインなどもそうだが、信者でもないのに平気でお祝いする日本人の心理が、日本人である私には理解できない。きっと信仰とは全く関係のない、単なる国民的お遊びなのだろう。

 

 

この句、仏教と神道とキリスト教という3つの宗教を平和裏に融合させている日本人を讃えているとも言えるし、反対に無節操と非難しているとも言える。

 

この句に、宗教の中で、唯一信者が増えているというイスラム教がないのが、残念である。

  

 

 

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454  その時はその時のこと日向ぼこ   章子

2011年12月25日 | 

 「その時」とは、どんな時でしょうか?

 

地震が来たら・・・津波が来たら・・・富士山が大爆発したら・・・巨大隕石が落下したら・・・福島原子炉が再爆発したら・・・株が大暴落したら・・・日本政府が財政破綻したら・・・北朝鮮が核ミサイルを日本に発射したら・・・

 

夫が癌を宣告されたら・・・年金が減らされたら・・・家が火事で焼けたら・・・・・・・・・想定外の不測の事態など、切りなくいくらでもあります。

 

だけれども何があっても、

 

ケセラセラ/ケセラセラセラ/クリスマス

 

ハゼの実

は、大陸へ帰るツグミが食べるのを待っています。

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453  一年短し一日長し大掃除   長九郎

2011年12月23日 | 

 いちねんみじかし/ いちにちながし/  おおそうじ)

 

私の子供の頃の大掃除は、畳を上げて埃を叩き出し、障子は洗って貼り直し、家具類は全て庭に出して拭いていた。家は古くて粗末でも、床も柱も畳もピカピカになっていた。

 

ところが、今の我が家は、窓を拭いたり、台所などの換気扇を掃除するくらいで、ほとんど日常の掃除と変わらない。「煤払い」の煤などないし、餅搗きもしない。お節料理も作らない、全くいつもの通りである。

 

 さて、40、50、60と、年を取れば取る程1年は短く感じる。ほとんどの人がそう感じていることだろう。

 ところが逆に、1日は長い、と作者は言う。あれもせにゃ、これもせにゃ、と頑張って掃除しているが、まだ昼過ぎなのにもうバテているらしい。

 

 

カラスウリ(烏瓜)

 

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452   鮟鱇鍋出世に遠き顔並ぶ   秀俊

2011年12月22日 | 

 

少年時代に野球を始める少年は、1学年単位でおよそ全国で男子60万人だから、その10分の1として約6万人。

 

その中から、5400ある全国の高校の野球部に入るのは、多く見積もっておよそ5万人。その中から甲子園に行けるのは、49校補欠も含めておよそ1,000人。

 

その中からプロ野球に行けるのは、およそ60人。彼らを出世したとして、出世できたのは、およそ1万人に1人の確率である。

更にイチローのように、10年に一人いるかいないかの逸材として、メジャーリーグで活躍できる選手は、数百万分の1となる。

 

たぶんどんな世界でも、この確率は大して変わらず、出世できない人の方がはるかに多いのである。だから、出世などしないで呑気に暮らし、鮟鱇鍋をつつくのが本当の幸せというものである。

 

出世して、伊良部のように自殺してしまう不幸になる確率が、結構高いことを忘れてはならない。

  

キダチアロエ(アロエ科アロエ属)

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451  とどのつまり鮟鱇鍋となりにけり   直治

2011年12月20日 | 

(とどのつまり/ あんこうなべと/  なりにけり)

 

鮟鱇は、海鼠(なまこ)と同じで、風体を見たら誰も喰う気はしないだろう。図体がでかくて、グロテスク、ぐにゃぐにゃ、肌はつるつるしているから、鉄の大きな鉤(かぎ)に吊るして捌かねばならない。

 

しかし、最近話題になっている、健康に良いとされる青魚などに含まれている不飽和脂肪酸の含有量は、なんと鮟鱇の肝が断然多いそうである。こういう鮟鱇の知ったかぶりの講釈は事欠かないが、鍋にして喰った、という訳だ。

 

この句で面白いのは「とどのつまり」である。これによって、鮟鱇の生態や風体、人間による評価など様々なことを、「うるさい黙れ」と言っていることになる。

 

余談だが、ボラ(鯔、鰡)は、ブリ(鰤)などと同じ出世魚で、成長につれて名前が変わる。関東では、以下のように呼び名が変わるそうである。

オボコ→イナッコ→スバシリ→イナ→ボラ→トド

最後が「トド」で、これが語源で「とどのつまり」と使われるようになったそうである。だから、鮟鱇を大法螺(=大鰡)に変えても面白そうなのだ。

 

スイセン(水仙)

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450  河沿いを一輛客車山眠る

2011年12月19日 | 

 

山梨県甲府から流れる笛吹川は、南に下り富士川となって太平洋にそそぐ。途中は渓谷が続き、JR身延線が走る。

下部温泉など温泉も多く、かの日蓮宗の総本山、身延山久遠寺がある鄙びた秘境。久遠寺の今頃はたぶん、南天が群生して深紅の実が木立の中に美しいのではないだろうか。

鉄道は、国鉄からJRに変わり、身延線はなんとか生き残ったが、全国の多くが廃線となり、地方の鉄道は、道路と車に変わった。

 

 リニアモーターカーを、東京大阪間に走らせるようだが、全く無駄な投資と言わざるを得ない。どれだけ借金を重ねたら気が済むのか。

 

サザンカ(山茶花)

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449  山眠るうしろにいくつ山つらね  昭彦

2011年12月18日 | 

 日本国土の73%が森林だという。日本は、イギリスやドイツなどと比べてもはるかに平野の割合がが少ない。したがって本来、農産物生産地であるべき関東平野などの平野に、人口が密集してしまい、工場やビル、住宅に占領されてしまった。これは、明治以後の富国強兵や工業化政策などによる人口増加が原因だ。

 

 本題に戻ろう。この句のように、日本国土のどこへ行っても、山を眺めたらその向こうには、『山又山』に違いない。そういえば、青畝に「山又山山桜又山桜」というのがあった。

 

「山眠る」は冬。「山笑う」は春。「山滴る」が夏。そして「山装う」が秋の季語。本来の「山眠る」は、人を寄せ付けない、しんしんと降り積もって雪に覆われた雪山がふさわしい。

 

平成枯れすすき

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448  ストーブや淋しも気楽一人酒

2011年12月16日 | 

 一家団欒と孤独のどちらを採るかと問われれば、私は孤独を選ぶだろう。誰にも命令されず、誰にも命令しない。束縛されるのが嫌だから、束縛してはならない。そして、好きな時に働き、好きな時に遊び、好きな時に飲んで寝る。この気まぐれな好き勝手をするには、一人でなければならない。

 

しかし、そんな都合の良いことばかりではない。人手が欲しい時もあるし、淋しい時もある。又、これから身体が動かなくなれば、誰かの介護が必要になるかもしれない。元気だからそんな絵空事が言えるのだ。

 

いづれにしても今は元気だから、薪ストーブに当たりながらバロックを聞き、ブログを書いている。これは、つかの間の至福の時といえるかもしれない。

 

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447  平和とは軍手が掴む犬の紐

2011年12月14日 | 

(へいわとは/ぐんてがつかむ/いぬのひも)

 

ほとんど毎日使っている軍手。この「軍手」という名前の由来は、誰でもすぐ想像がつくはずだ。しかし、軍手が戦争や兵隊と関連することに、私が気付いたのはつい最近のことだ。

 

調べてみると、既に江戸末期に軍手は登場している。材質や編み方の変遷はあるものの、太平洋戦争が終わっても「軍手」という呼び方は変わらなかったし、たぶんこれからも変わらないだろう。

 

 私は今、有ることが難しい、平和な国に生まれて生きている。戦争を知らずに死んでいけるなんて、なんという幸運だろう。有り難い、としか言いようがない。

 

 ところが世界には、血生臭い戦いを続けている国々が、まだまだ沢山あるのも救いようのない事実だ。

ロウバイ(蝋梅)

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