この句の、「節くれの指」は良いとして、「指にマニキュア」はおかしい。勿論「爪にマニキュア」が正しいのであるが、「指の爪にマニキュア」でもおかしい。
節くれの指やマニキュアして花見
と「指や」で切ってもやはりおかしい。まあ、いろいろいじってみたものの、どうやら原句のままで良さそうである。つまり、爪は指の一部であるからだ。
この句の、「節くれの指」は良いとして、「指にマニキュア」はおかしい。勿論「爪にマニキュア」が正しいのであるが、「指の爪にマニキュア」でもおかしい。
節くれの指やマニキュアして花見
と「指や」で切ってもやはりおかしい。まあ、いろいろいじってみたものの、どうやら原句のままで良さそうである。つまり、爪は指の一部であるからだ。
ある花を夜の明かりに例えるのは、長年やっているとしばしば見かける。辛夷、梅、石蕗など沢山ある。いぬふぐりは、地上の星に例えられたりする。しかし、それを過去に誰それが作っている、類句だと言って否定しては、作者に対して身も蓋もない。
世には、自分の知識を自慢げに、類句を指摘する方がいるらしいが、是非慎みたいものである。句会では、過去に得た俳句の知識を全て白紙に戻して、選句をするべきであろう。
ハナニラ(花韮)
県道から外れた山の道端に、アネモネと黄水仙が咲いていた。捨てられたものに間違いなく、ホームセンターで売られているような園芸用の土と一緒だった。掘ってみると、根の下はコンクリートのように固く、育つのは無理のようだった。
私は、西洋の植物は買ったり育てたりしない主義ではあるが、そのままでは可哀想に思い持って帰って来た。鉢に植えて水をあげたら、今朝はしっかり開いていた。
一体、誰が何故捨てたのだろうか。不思議でならない。
どちらかと言えば山育ちの私は、海とは縁が薄い。泳ぎを覚えたのは、家の前の川だった。ところが有り難いことに熱海に来てから、魚やワカメ(若布)を持って来てくれる友人が増えた。
沸騰させた大鍋に若布をぶっ込むと、あっという間にさみどりになる。その変化が実に楽しい。そして、茹でたての味は更に嬉しい。
「さみどり」の漢字は、早緑(若葉のような緑色)、浅緑(薄い緑色)の2種類あるそうだが、ひらがなにしておいた。
4トンの松枯れの松を割っている。腐ってはいないが、5~10ミリほどの松の表皮がよく剥がれる。表皮だけでもなかなかの量となる。積んで干しても良いが、量の割に火力は大したことはない。結局、邪魔だからストーブで燃やすのだが、頻繁にいれないとすぐ燃え尽きてしまう。
さて、松枯れの松を割ると、眠っていたテッポウムシが沢山出てくる。これを小鳥たちの餌台に置く。高タンパク高栄養だから、これから子育てする小鳥たちにとって、貴重な食糧となるだろう。
ヤマザクラ(山桜)2015、3、25
初めて花芽の成長経過を撮ってみる
歳時記にも、「春の雷は、一つ二つで鳴り止むことが多い」とあるが、先日は全くその通りであった。天候の変化は普通、西から晴れたり雨が降りだしたりするものだが、珍しく北の空だけが青く晴れていた。
それよりも気になるのは、昨日(3・23)出された東京の桜開花宣言。ということは、我が家も間もなくなのだ。ところが今朝、氷が張ったのだから驚きである。花冷えがなんと零下なのだから。
昨日のテニスは、雨だった。先週のテニスも、雨だった。春になると、確かに雨が多い。今日のような降ったり止んだりする雨は、春雨、春霖、春時雨、菜種梅雨、木の芽雨、木の芽起し、木の芽つわり、どれにも当てはまりそうな雨である。
さて、気の早い山桜が今にも芽を開きそうだ。あの蕾の中に、花と葉が一緒に眠っている。目覚めはあと僅かだ。ところが私は、連日の薪割りの疲れのせいか、なんとなくだるくて眠たい。
ヤマザクラ(山桜)2015、3、22
櫛をイワシの目に刺すから「目刺」、頬(エラ)に刺すからだろうか「頬刺」とも言うそうである。字からすると、実に痛々しい。目では可哀想だから頬にしたのかもしれない。
さて、手を俎板にして切るものと言えば、何と言っても豆腐であろう。豆腐専用の包丁でなく、フツーの菜切り包丁でも切れるが、ちょっと危なっかしい。
他にどんなものが切れるだろうか。
ゼンマイ(薇)
我が家のデンは、会ったことのない初めての人間と出会ったとき、その人がどういう人か、見抜く能力は鋭い。単純に、男性に強い警戒感を抱き、女性にはそれほどでもない。特に、女性の犬好きはよく分かるらしく、呼べばすんなり近づいて行く。犬を飼っている女性なら、衣類に匂いが付いているから尚更だ。
「あら、うちの犬は人嫌いなのに不思議ですね」
「そうでしょう、私が犬好きなのが分かるんでしょうね」
彼女は、満面の笑みを浮かべて、実に嬉しそうです。
バイモ(貝母)、編笠百合とも
コジュケイ(小綬鶏)は、キジ科、全長27センチ。「ちょっと来い」と聞こえる甲高い声で鳴く。本来は中国南部に分布し、日本では大正時代に銃猟の対象として放鳥、野生化したという。ウグイス、ヤマガラ、シジュウカラ、ホオジロなどの小鳥達も、小綬鶏の後一斉に鳴きだした。というより、私が今まで気付かなかっただけかもしれない。
ユキワリソウ(雪割草)
NHKの大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公は、吉田松陰の妹「文」だそうである。そこで考えたのは、明治維新で活躍した奇才を二人選ぶとすれば、土佐の坂本竜馬と長州の吉田松陰ではないか、と思う。二人以外にも高杉晋作や、西郷隆盛、勝海舟など多種多彩であるが、やはり竜馬と松陰に尽きるような気がする。
二人の人気度、周知度からすると、たぶん竜馬の勝ちであろう。しかし私は、誰が何と言おうと、松陰が大好きなのだ。
キブシ(木五倍子)
この句は、「積もる」と「つもり」の駄洒落的面白さであろう。そこで、「つもり」の意味を調べてみた。例えば、
現在形の「食べるつもり」、過去形の「食べたつもり」、で分かるように、「つもり」だけでは、食べたかどうかがはっきりしないのである。この句の場合も、積もっているかもしれないが、積もっていないかもしれないのである。詳しくは、「日本語教育通信」をご覧ください
尚、この句の「涅槃」は、旧暦ではなく、どうやら新暦で使っているようである。ちなみに、今年の旧暦の涅槃(2月15日)は、新暦の4月3日である。
今朝、イノシシの檻の蓋が落ちていたので、一瞬掛かったと思ったが、中は空っぽだった。昨日、犬のドライフードを撒いておいた効果があったのかもしれないが、「敵は然る物」なかなか賢いのである。檻の中に足跡があったから、イノシシに間違いないだろう。
檻の蓋は、人間の足に落ちれば骨折するかもしれないほどの重量があり、それを掻い潜って逃げたのだから、相当の恐怖心を抱いたに違いない。とすると、もう掛からない可能性が高い。はてさて、今回はイノシシの勝ちか。
佐保姫とは、奈良・平城京の東の佐保山(現在の奈良県法華寺町法華町)に宿ると考えられている春の女神のこと。白く柔らかな春霞の衣をまとう若々しい女神と考えられている、そうである。
「ちょっとちょっと、笑わせないでよ、佐保姫をそんな風に使っていいの。綿菓子を欲しがって駄々をこねている女の子を佐保姫に例えているだけじゃん」
「まあ、お待ちなさい。平安時代中期の平兼盛の和歌に
佐保姫の糸染め掛くる青柳を吹きな乱りそ春の山風
(佐保姫が染めた糸を掛けた柳の枝を吹き乱さないでおくれ、春の山風よ)
というのがある。柳の瑞々しい若葉を佐保姫の染めた糸に例えている。つまり、昔から日本人はこういう例え話が大好きなんですよ。
この句は確かに馬鹿馬鹿しいけれど楽しい例えなんですから、固いこと言わずに是非許してやって下さい。これが俳味ってもんじゃないですか」
今日は、2万人が亡くなった東北大震災の忌日である。瞬時に、その映像が世界中に流れた。あれから、早4年。今朝は金魚鉢に厚い氷が張った。
当然のことではあるが、本日のテレビの番組表は、東北大震災の特集ばかりである。特集をしなければ人間にあらず、それを見なければ人間にあらず、と言わんばかりである。それが、今の社会の風潮である。
さて、「百聞一見に如かず」という言葉があるが、私は、テレビやインターネットに流れた映像だけで、安易に発言したり俳句を作るべきではない、と常々思っている。それは、実体験している人々に対して、失礼と思うからである。