一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

2235  夢の瀬に小さき物音小鳥くる  鯨児

2021年10月17日 | 

 「夢の瀬」・・・聞いたことのない言葉だが、夢から目覚める頃のことだろうとは思ったが、一応ネットで調べて見た。すると「瀬」とは、➀川の浅いところ、➁川の流れの急なところ ③人が物事に出会う機などとある。逆に流れが緩く深いところは「淵」である。どうも本来の意味とは違うようである。

 例えば、「年の瀬」という言葉があるが、その語源は「江戸時代はツケ払いであり、たまったツケ払いのせいで年の暮は落ち着かないことから、年の瀬という言葉が生まれたと言われている。年の瀬の瀬は流れが急で速い川を示す言葉であり、年に瀬という言葉を組み合わすことで、12月の忙しく慌ただしく時間が過ぎていく様子を意味している。」とある。

 それはともあれ、作者の造語であろう「夢の瀬」が、「正に夢から覚めむとしている時間」という新しい意味の言葉として定着すれば、造語大賞にしても良い、と私は思う。

 さて、今は鳥の渡りの時期である。夏鳥の燕は南へ帰って行った。留鳥のヒヨドリ、ムクドリなども群なして西へ移動している。そしてまもなく、冬鳥のジョウビタキ、ツグミなどが大陸から渡ってくる。秋は、小鳥たちのやって来るのが待ち遠しい。

ホトトギス(杜鵑)

花の柄(デザイン)が鳥のホトトギスに似ているから名付けられたそうですが、花が先か鳥が先か判然としません。

 

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2234   301回 9月 岩戸句会

2021年10月16日 | 岩戸句会

飲むほどに肴は焼いた唐辛子     沙会

唐辛子舌をちゞめて蕎麦啜る 

 

荒畑にメタリックの艶唐辛子     豊春

秋夕焼おさげ姉妹のランドセル

    

秋風や開いた烏賊の洗い張り     炎火

エンディングはGの音の法師蝉

   

針のせてちょっとマイルス灯親し   鯨児

夢の瀬に小さき物音小鳥くる

 

曼珠沙華一糸一滴輝けり       黄玉

露草と蜜蜂を撮る私がいる

 

暮れのこる南蛮辛子馬籠宿      薪         

鎮魂の海仄白き無月かな   

 

満月に吸い上げられて逝きし人    洋子

味噌汁を深く味わう秋の朝  

 

新涼や朝の広場の太極拳       凛

あのことは無駄じゃなかった唐辛子

 

ピーヒョロロ二羽で呼び交ふ秋の海  パピ

金秋やイルカのようにパラリアン 

      

灯火あり草の中から虫の声      歩智

天国と地獄同時の唐辛子

 

地図にない小径に高き葛の花     さくら

保線区の鉄塔点検秋暑し

 

丁寧な草刈り後や彼岸花       光子

夜なべする昭和の母の背中かな 

 

朝獲りの今宵に刻む唐辛子      イヨ

故郷の段々畑曼殊沙華

 

大島のぼやけて見える敬老日     裕

唐辛子立ち喰蕎麦に山と盛る

 

天高し凱風快晴今日の富士           貴美

逢えなくて月仰ぐ今日は仲秋

 

コロナ中魔除けで飾る唐辛子     鞠

秋海棠銀の露玉ちりばめて

 

天からも地からも降れり虫しぐれ   雲水

焼酎の氷コロンと良夜かな

タムラソウ(田村草) 

 

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2233  エンディングはGの音の法師蝉  炎火  

2021年10月15日 | 

投稿  籠りの鯨児

 「法師蝉はGの音をあげてあの世に行く、読売ジャイアンツファンの私もこうありたいものだ」

この句を読んだ時、作者は絶対音感の持ち主で、熱狂的なジャイアンツのファンと思った。あとでお聞きしたら、ひいきは中日とのこと。それであればCとか、Dとかにすればと思った。しかしCには広島、そしてDには、DeNAがあってなかなかむずかしい。ただ絶対音感の方は、あたっていたみたいで、最後の音を、ピアノで弾けばソ(G)になると、句会でことなげにお話になった。

絶対音感の持ち主は、蝉の音を含めて、こんな風にありとあらゆる音の高さを瞬時に認識できる。そして楽器があればすぐその音を再現することができる。たとえば、赤ちゃんの鳴き声を聞いて、それをピアノで演奏できるということである。ひょっとしたら、この方は家のピアノで、これが今のミンミン蝉の鳴き声、これが法師蝉のトリル、そしてソ(G)のフェルマータで終わりなんて、楽しんでいるかもしれない。夏休みにお孫さんが来たり、友人など招きパーティなどした時には、大うけ間違いなしであろう。絶対音感とは言わないが、このように何か秀でたものがあると、人生はがぜん楽しくなり、そして「幸せ指数」が増すことになる。

今「幸せ指数」などという言葉を使った。これは、格差社会のコロナ渦で、旅行であるとか宴会そしてコンサート等々、従来の楽しみがなくなった世の中に、トレンドになっている言葉である。そしてこれは、出かけられないこともあって、これまで「楽しみ」とされなかった家庭のものに光があてられることになる。たとえば、料理包丁。家で料理を作る機会が増え、一ランク上の包丁を買い求める人が増え、合羽橋の包丁屋さんでは、売り切れ続出となったということである。切れ味抜群の包丁で調理し、美味しいものを食べる。確実に「幸せ度」アップである。コロナ渦、こんな価値変換も行われ、いろいろな幸せが評価あるいは再評価されることになり、興味深い。時代は「お金持ちから幸せ持ちへ」である。

 さしあたり、私は虫の音にDの音を見つけ、ピアノで鳴らしてみたい。ちなみに私はDeNAのファンである。 

ヨメナ(嫁菜)

 

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2232 荒畑にメタリックの艶唐辛子  豊春

2021年10月12日 | 

  我が家の家庭菜園では、春夏野菜のジャガイモ、アスパラガス、トマト、キューリ、モロヘイヤ、シシトウなどが終わりを迎えた。枯れかかったトマトにまだ青い実が付いていたが、ほとんど引き抜いて、秋耕と冬野菜の種蒔きを始めた。そんな中で、少しずつ色付き始めて元気なのが唐辛子で、青いのが沢山あるのでまだまだ引き抜くことができない。

 さて、ピーマン、シシトウ、ナス、唐辛子は、ナス科で表面の艶が、作者の言うように確かにメタリックである。作者の夏野菜の枯れ始めた荒畑では、品種の違いからか唐辛子は早くも色づいているという

トウガラシ(唐辛子)

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2231  飲むほどに肴は焼いた唐辛子    沙会

2021年10月07日 | 

 50年前、放浪の旅をしていた頃、九州の居酒屋のメニューに「焼唐辛子」があった。何だろうと好奇心が働き、注文してみた。たしか鰹節と醤油がかかり、辛いには辛かったが、なかなか旨かった。

 調べてみると、ししとう、甘長唐辛子、伏見唐辛子、万願寺唐辛子などが使われている。今どきは、生姜、大蒜、玉葱、胡麻、鰹節、乾燥海老、バター、醤油、などで調理しているらしい。

 又、最近「柚子胡椒」の胡椒が青唐辛子だということを知った。唐辛子は、青いままで立派に辛いから、赤くなるまで待つ必要はないのだ。香りの柚子と辛みの唐辛子の相性は抜群である。

 私は、昔から唐辛子が大好きで、朝から味噌汁にたっぷり唐辛子を入れて食べているが、どうやら作者も無類の唐辛子好きらしい。

唐辛子舌をちゞめて蕎麦啜る   沙会

 なども、唐辛子好きでなければできない句だろう。

タマアジサイ(玉紫陽花)

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