種田山頭火(明治15年~昭和15年)は、「層雲」の荻原井泉水門下で、主に自由律俳句を作った俳人。現防府市の大地主の家に生まれたが、10才の時、父親の放蕩が原因で母が自殺した。早稲田大学に入学したが神経衰弱のため退学して帰郷。その後事業に失敗し、実家が破産している。
晩年は、得度し雲水姿で旅をしながら句作を続けた。50歳の時。精神不安定から自殺未遂をしている。
58才の時、脳溢血で亡くなるが、不幸な一生だったと言えるだろう。しかし、彼の救いが「自由律俳句」であったことは間違いない。
さて私も山頭火同様、自分の声が父親に似て、はッとすることが時々ある。しかし、私は父を懐かしく感じ、嬉しく思う。実に有難い。
スイバ(酸葉)
1967 梅雨空や拡声器から尋ね人 炎火
上のお句と、一韶(雲水)さまのご解説を、「はいくらぶ」のYouTubeにさせて頂いて宜しいでしょうか。
リンクはこちらのブログ、解説者のお名前は、一韶さまで良いですか?
私は、炎火様の句のファンでした。
2141 県道を渡り切れずに青大将 炎火
も、好きな句で、いずれ動画に作らせて頂きたいと思います。
先日、自由にして宜しいとご認可を頂きましたが、一応、念押しさせて頂きます。
YouTubeが完成しましたら、真っ先にお知らせしますので、見て頂けると幸いです。中原久遠拝。
基本的に、俳句・文章は無修正でお願いします。
修正したい場合は、事前にお知らせください。
解説者は、「一韶」のみでOKです。
『梅雨空』公開しました。俳句も解説文も修正していません。URLを貼れませんので、グーグル検索で、「はいくらぶ 梅雨」とお願いします。
お陰様でとても良い作品になりました。まりこ拝。
(ずっと以前、貴ブログで、拙句をご紹介して頂いております。)
「はいくらぶ 梅雨」拝見しました。
文章も移動しながら出ていて、且朗読付きでとても分かりやすいですね。
背景の写真も良かったです。
有難うございます 一韶