一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

1332   遊石氏夜露言祝ぎ旅立ちぬ     豊春

2014年09月30日 | 

(ゆうせきし よつゆことほぎ たびだちぬ) 

遊石さんはどんな人生を送ったのだろうか。彼が話してくれた様々なエピソードから推測すると、彼ほど幸せな人生を送った人は、珍しいと思う。性格は豪放磊落で、お孫さんが弔辞で話したように勝手でわがままなところも確かにあったが、面倒見が良く彼の心の底には優しさと思いやりが流れていたことを、私たち俳句仲間やテニス仲間は、皆知っていたはずだ。

  だから私も、一度も彼に腹を立てたことがなかった。たぶん、御家族も同じ思いだったのではないだろうか。しかし晩年の彼は、食道がんの手術後から、満足に食べられなくなり、手足がしびれ、テニスができなくなって無念だったに違いない。残念ながら、私たちも遠くから唯々見守ることしかできなかった。

  今年の四月が、彼の最後の句会だったが、掲句の通り自然に感動し、自然を言祝ぐ次の辞世とも言える句を残している。

囀りを耳もとで聞く目覚かな    遊石

シャボン玉とびゆく空の青さかな

花びらの散り初むなかに犬ねむる

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1331   秋葉遊石俳句集 2

2014年09月29日 | 秋葉遊石俳句集

月朧貴女の居ない窓の群

 

花吹雪ここから二人で逃げようか

 

その猫の上に小さくリラが散った

 

夏も終わりねと頬杖を解く女

 

栗一列に並べる面白くない

 

ひらひらと花びらホームレスの上

 

牛蒡引く女の眉の太さかな

 

終戦日記憶の中に音は無し

 

鳩の目に墨入れし芸妓と三日かな

 

曇天下向日葵時々にして雨

 

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1330   秋葉遊石俳句集 1

2014年09月28日 | 秋葉遊石俳句集

後朝の女の咳の目覚かな

 

禅僧の戯言を聞き春炬燵

 

好い人はタンポポ踏まず通ります

 

スーパーの桃尻の毛にそっと触れ

 

で在るからして向日葵は爆発する

 

万緑やこの地に生まれ此処に住む

 

死或いは絶望する一つの咳

 

犬と一人朽野に立つ山は雨

 

初雪や妻揺すぶれば片目あく

 

京四条祇園界隈雪女郎

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1329  糸瓜忌や食べ放題の列に並ぶ

2014年09月26日 | 

 糸瓜(へちま)忌は、子規忌、獺祭(だっさい)忌とも呼ばれ、正岡子規の忌日で9月19日。

  さて、昨今のコンビニ、ファーストフード店と同様、ファミリーレストランも全国展開して、在来店を閉鎖に追い込んでいる。

 750円で新鮮な野菜サラダ類、カレー、パン、ご飯などざっと20種類が食べ放題。これでは、個人事業主は勝てるわけがない。

 消費者は有り難いかもしれないが、日本中が画一的になり、大企業の独占となり、強者と小企業の弱者が、増々分離されて来るのではないか。現実の有難味より、将来への不安の方が大きい。

ジンジャー

 

 

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1328   秋の雨曹洞禅寺に灯が点る

2014年09月25日 | 

 人が亡くなると、喪主は通夜葬儀の段取り、例えばお棺、骨壺、祭壇、写真、葉書、お返しなどを、住職や葬儀屋と相談して決めて行く。慣れないことが次から次へとやって来て、悲しむ暇もない。つまり、「葬儀とは、故人を悼み悲しむ暇を与えない、喪主のための儀式」だとつくづく思う。

 人が亡くなったと聴いた時、直ちに駆けつける「とりあえず弔問」というのがあって、通夜や葬式の前に、普段着で自宅を弔問するそうである。準備のできていないてんてこ舞いの喪家に大勢押しかけるのは感心しないが、これも悲しむ暇を与えないために必要なことなのかもしれない。

イタドリ(虎杖)

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1327   栗一列に並べる面白くない   遊石

2014年09月24日 | 

 今まで生きてきた人生を、「面白かった」と真実言える人は、どのくらいいるだろうか。仏教では、四苦八苦の筆頭が「生老病死」の「生」であり、人は生まれた瞬間から「苦」が始まっている、と言っている。たとえ、どんなに楽しかった人生でも、終わりには老病死という「苦」が待っている。

 しかし、大きな金を得、地位を得、名誉を得て人生を楽しんだ人ほど、晩年は苦しいかもしれない。逆に苦労が多く、つらい人生を歩いた人の方が、面白い晩年を過ごすのではないだろうか。

 生まれや育ち、その後の貧富や貴賤などに関わらず、どんな人も究極プラマイゼロに違いない。

オトコエシ(男郎花)

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1326   早過ぎる今朝の旅立ち秋彼岸

2014年09月23日 | 

 昨日、俳句仲間が亡くなった。秋のお彼岸だから、1年で一番日和の良い時期であり、故人の家族思いを象徴している。

 生死から解脱できないでいるこの世、「此岸・しがん」に対して、迷いを脱し,生死を超越した理想の悟りの境地、涅槃(ねはん)のことを「彼岸」というらしい。又、春分・秋分を中日として,その前後の3日にわたる1週間を「お彼岸」と称する。

 寺では法要を行い,信者は寺に参詣し,説法を聴聞,また墓参などをするが、このような風習はインド,中国にはなく,日本にしかないそうである。太陽信仰に関係があり,「日の願」から「日願(ひがん)」になったという説もある。

白萩

 

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1325   手と足をもいだ丸太にしてかへし   彬 

2014年09月22日 | 

 戦前のことだが、政治家や特に軍人の発言が強くなり、国の中央集権が強化され、戦争が賛美され始めると、権力を傘に着た特別高等警察や憲兵が、国民の中から反戦論者を探し出し始めた。新聞などへの言論弾圧、密告などが公然と行われ、人権や自由が蹂躙された。

  戦前、治安維持法により194人が拷問で殺され、1,503人が獄中で病死したとされている。「菊枯れる」や「枯れ菊」の季語を詠み、皇室を冒涜したと逮捕された俳人もいたそうである。

ウド(独活)

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1324   あな不思議よく生る胡瓜秋茄子

2014年09月20日 | 

(あなふしぎ よくなるキュウリ 秋ナスビ)

 10年振りに友人夫婦が訪ねてきました。彼らは長崎出身で、隠れキリシタンの末裔です。彼らの先祖がキリシタンになったのは、桃山時代ですが、丁度今、NHKの大河ドラマで、秀吉がキリスト教宣教師を追放する所ですね。

 あの頃、言葉も分からない外国の宣教師が突然やって来て、あっという間に信者が増えていったのは、一体何故だろうか、などと信者でもないのに余計なことを考えてしまった。

 偶然ですが、今朝のNHKラジオ「明日への言葉」で、ホスピスの敬虔なクリスチャンの先生の悲しい話がありました。

 8才で癌を発病し3回手術し、治ったと思っていたら16才で再発して亡くなった少女の話でした。少女は言いました。「先生、私は死ぬんですか。死ぬんならどうしてもしたいことがあります。花嫁衣装を着てみたいんです」

ヒガンバナ

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1323   露けしや草も畑も石ころも   酔月

2014年09月19日 | 

もうすぐ、朝の連ドラ「花子とアン」が終わるが、先日聞いた友人の話。

ある女性は、美輪明宏の『ごきげんよう、さようなら』が気持ち悪くて、それ以来ドラマを全く見ていない、そうである。ということは、そういうお方は結構いるのかもしれない。数パーセントぐらいはいるだろうか。

 ところが私は全くその逆で、彼の『ごきげんよう、さようなら』が聞きたくて、ドラマを見ていたような気がする。本当に人は様々ですね。

 さて私は、銀巴里で当時34才の丸山明宏を2,3度見たことがあるが、シャンソン歌手としての彼のカリスマ性というか魅力というか、観客を引き付ける力は、群を抜いていたと記憶している。ところが、彼の「紫の履歴書」を読んだはずなのにどういう訳か、内容は全く記憶にない。

コガンピ

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1322   神々の星より降りて露けしや   八風

2014年09月18日 | 

 私たちが知っている星座の名前は、ほとんどがギリシャ神話から来ている。私が「星のギリシャ神話」を読んだのは学生時代だから、内容は全く覚えていないけれど・・・・・。

 しかし、ギリシャ神話を知っている大昔の人が、夜空を眺めてあれが大熊、あれがカシオペアなどと星々に名前を付けて行ったことに驚きを禁じ得なかったことは、はっきりと覚えている。

 さて、夜になって気温が下がると、空気中の水蒸気が水滴となって地表の草木などの表面に付着したものを「露」という。「露けし」は、そんな時の湿っぽい感じを言い、人が淋しくもの悲しく涙がちな心理状態をも言う。

マツムシソウ(松虫草)

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1321   牧水忌千本浜に石拾う 

2014年09月17日 | 

  30数万本はあるという、沼津市の千本松原。沼津港から原までの10㎞の千本浜は、松原越しに富士山を望むことが出来、数々の文人たちに愛されたことでも知られている。中でも、大正15年に沼津をこよなく愛した若山牧水が、静岡県の伐採計画に対し、新聞に計画反対を寄稿するなど運動の先頭に立ち、計画を断念させたことで有名。近くには、牧水記念館がある。

  牧水は、昭和3年9月17日、沼津にて没す、酒が原因の肝硬変と言われている。享年43才。私が、牧水の歌を一首あげるとすれば、やはり・・・・

白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり

この短歌を俳句にすると

秋の夜の酒はしづかに飲むべかり

で良いわけだが、「白玉の歯にしみとほる」を切り捨てると、間抜けの俳句になってしまう。さすが牧水。

サワギキョウ

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1320   ちちろ鳴く八雲とせつの墓の間に

2014年09月16日 | 

 私が、幽霊を信じるのは、現代の世界に幽霊がいなくなってしまったからです。何が、人生に希望を抱かせてくれていたのでしょうか。それは幽霊です。その一部は神々と呼ばれ、又悪魔、天使とも呼ばれました。彼等こそが人に勇気と目的を与えていたのです。自然への畏敬を教え、それがやがて愛に変わった。彼等こそが恐怖と美を作り上げたのです。

もはや、幽霊も天使も神々もいません。全て死に絶えてしまいました。電気と蒸気と数学の世界は、虚しく空っぽです。 しかし私は、どんな日本人より、本当の日本を愛します。(小泉八雲、1894年日清戦争が始まった頃の友人への手紙より)

ミズヒキ

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1319   虫時雨「旅愁」をひとり口遊む

2014年09月15日 | 

(むししぐれ 「りょしゅう」をひとり くちずさむ)

 「旅愁」は、アメリカ人オードウェイ( 1824 –1880)作曲。平成19年、「日本の歌百選」の1曲に選ばれた。中国でも、李叔同の作詞により『送別』の題で広く知られているという。日本と同様に、アメリカ音楽だと気づかない人も多いという。

 昨晩、風呂に入り、虫時雨に気付いた途端に「更けゆく・・・」と歌い出しました。題名が「旅愁」であることも、アメリカ音楽であることも、すっかり忘れていました。忘れていたというより、知らなかったのかもしれません。

お暇でしたら、たびぃさんの「旅愁」をお聞きください。

 

1.更け行く秋の夜 旅の空の

 わびしき思いに 一人悩む

恋しや故郷 懐かし父母

 夢路にたどるは 故郷の家路

 更け行く秋の夜 旅の空の

 わびしき思いに 一人悩む

 

2.窓うつ嵐に 夢も破れ

遥けき彼方に 心迷う

恋しや故郷 懐かし父母

 思いに浮かぶは 森の梢

 窓うつ嵐に 夢も破れ

遥けき彼方に 心迷う

 

ワレモコウ(吾亦紅)

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1318   鳳仙花弾け女にもどろかな   幸子

2014年09月14日 | 

 朝鮮半島から、人々が日本に渡って来たのは、3000年前に遡る。そして元祖日本人の平和な縄文時代が終わり、渡来人による弱肉強食の弥生時代が始まったのである。

 その後、更に朝鮮半島から多くの人々が渡って来て、ついに縄文人は滅ぼされ、大和朝廷が成立し、日本が始まったのである。

徳川時代まで続いた「征夷大将軍」は、蝦夷(えぞ)を討つ将軍であり、蝦夷とは縄文人のことである。

 4,5世紀の任那日本府や秀吉の朝鮮出兵は、日本が渡来人によって支配されていたことを示している。

 対馬海峡を挟んで対立する日本と朝鮮。同民族が、兄弟でありながら骨肉の争いをしている。まだ戦争に発展していないだけましだが、いつ戦争になるか知れたものではない。

 世界に目を向ければ、多くの民族紛争、地域戦争、宗教戦争がある。人間は、科学技術を持った、実に愚かな動物である。「犬畜生」という侮蔑語があるが、どう見ても人間は、犬にも劣っている。 

 おっとっと、掲句の「鳳仙花」は、昔から女性が赤い花の汁を爪に塗ったそうです。お暇でしたら、おトキさんの「鳳仙花」をお聞きください。

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