伊勢エビにも痛みを感じる神経があり、活け作りなどは残忍な行為であり、昇天させてから、調理を行うべき。それに対して、調理組合が反発。そんな報道があった。
アワビの残酷焼きなどこうした残忍な調理を行い、食し悦に入る人も多い。他方、牛・豚にも感情があり、恐怖の中で屠殺された牛肉・豚肉は食べず、菜食を貫くヴィーガンもいる。しかしながら恐怖とか痛みという尺度でいえば、程度の差はあれ、最近の研究では、草木にも動物と同じような感情らしきものがあるとされている。たとえばお米などの植物が危険を感じると、その草ばかりでなく、周りの草にまで伝令が飛び、食べられないように不味くなるということである。食することに、こうした極端な人間的感情を持ち込むと、仙人のように霞を食べていくしかなくなる。
動物そして植物は、他の動物を食べたり、土から養分を得たりして、生きていく。万物を原子レベルでみていくと、食するということは、その入れ替えの流れにすぎない。原子でできたプランクトンを食べた魚を人が食べ、消化され人の肉となったり、糞尿となって川に流れ、またプランクトンの餌になっているのにすぎない。こうした巨視的見方からすると、放射能汚染水を海に流し、食物連鎖という万物の流れに放射能を加えることの方が、生きた伊勢エビを食べることより、ずっとショッキングで残忍なはずである。また、シマウマを襲いガツガツ食するライオンを残忍とみる人は多い。しかしながら、ライオンに言わせれば、俺たちは食べるために殺す。でも、人間は食べないのに、戦争で何千万という仲間である人間を殺してきている。俺たちより人間はずっと残忍な生き物だ。ザッツライトである。(鯨児)
白菜と豚肉のミルフィーユ鍋