一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

749   2012年10月 岩戸句会

2012年10月31日 | 

がむしゃらに家業を継ぐや破荷      章子

秋冷や言い出せぬまま海を見る

 

十三夜神も仏も物ならず         炎火

秋桜耳欠けている白磁かな

 

新蕎麦や放射線量検査済         歩智

歳時期の栞は今朝の柿落葉

 

冬近し積まれし薪の匂ひけり       稱子

鐘響く上野界隈枯はちす

 

鰯雲ふわりとスカーフかけし人      洋子

鳥渡る辛口カレー煮込み中

 

腐葉土に大根の未来託したる       鼓夢

七竃混み合う地下のティールーム

 

退院や荒んだ庭に秋の蜘蛛        正太

秋夕焼浴びて石仏多情なり

 

身に入むや朱肉に深き窪みあり      薪

じゃじゃ馬の買物カート秋日和

 

会得せり粧わぬ山と粧ふ山        遊石

十三の回忌むかへて月仰ぐ

 

秋高し音無き機影西空へ         豊春

敗荷や夕日に浮かぶ善光寺

 

ジェット雲巻雲串刺し飛びぬきぬ     空白

 秋の夜に携帯ひかり顔青く

 

破蓮となりてをりしが凛と立つ      雲水

爽やかに轆轤の壷の立ち上がる

 

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748  新蕎麦や放射線量検査済    歩智

2012年10月30日 | 

(しんそばや ほうしゃせんりょう けんさずみ)

 東日本大震災から1年7か月。地震で最も長期に亘る被害と言えば、福島原発の放射能汚染だろう。だから、子育て中の女性の中には、福島を中心とした関東近辺の野菜などの食品を一切買わない人たちが多いらしい。

  蕎麦粉販売の業者は、安全であることを示すために「放射線量検査済」と表示しているのだが、若い母親たちは、その「放射能」という文字に拒否反応を示すのであるから、絶対に買わないのである。

 子育てを終わった我々のような中高年、自分はどうなっても構わないと思っている老人たちだけが、ようやく買うのである。

ノハラアザミ(野原薊) キク科アザミ属

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747  十三夜神も仏も物ならず  炎火

2012年10月29日 | 

  誰でも知っている「箱根の山は、天下の嶮 函谷關も物ならず」から始まる「箱根八里」の歌詞は、漢籍の古典などが用いられ、内容は結構難しい。

 これにある「物ならず」は、「大したことではない、問題ではない」という意味。したがってこの句の「神も仏も物ならず」とは、私達の先祖が大昔から、太陽や月、星々を神や仏として崇めてきたことを、作者はきっぱりと否定していることになる。

  正面切ってこう言われると一瞬驚くが、よく考えてみると誠にその通りに違いない。何故なら、月日星などの自然を崇拝することと、それに神仏の名前を付けて崇拝することとは、似て非なるものではないか、と思われるからだ。

 十三夜の月は単なる月であって、神仏ではない。しかし、その美しさには頭を垂れざるを得ない。

ツワブキ(石蕗、艶蕗 ) キク科ツワブキ属の多年草

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746  がむしゃらに家業を継ぐや破荷  章子

2012年10月28日 | 

(がむしゃらに かぎょうをつぐや やれはちす)

 やれはす、やれはちす(敗荷、破れ蓮)とは、美しく咲き誇った蓮の葉が、秋になって風雨に破れた無惨な状態を言う。

 さてこの句、父親の家業を継ぐ羽目になり、戦後のどさくさや好景気に押されてなんとかやってきたが、その後バブルがはじけ、不景気になって早二十年。

気が付いてみれば、がむしゃらにやってきた家業も風前の灯。我が身も正に“破荷”、というわけだ。

 つまり、上の五・七を受けて、下五の季語が、結論を暗示している、という使い方が、この句の眼目である。 

 ジャーマンガーデンマム  キク科キク属

 

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745  越路吹雪そこにゐさうな秋の海   ちづる

2012年10月27日 | 

 「誰もいない海」(←クリックすると聞くことができます)は、山口洋子が作詞し、内藤法美が作曲。トワ・エ・モアが唄って大ヒットし、越路吹雪も唄った。掲句の作者は、「そこにいそうな」というくらいだから、余程越路吹雪の「誰もいない海」が強く印象に残っているのだろう。

 ところで二十歳の頃の私は、東京に1年余り暮らしたが、シャンソンを勉強中の友人がいて、銀巴里に連れて行ってもらった。それがきっかけで、和製シャンソンに嵌まってしまった。当時の銀巴里には、工藤勉や丸山明宏(美輪明宏)が出演していて、二人は群を抜いていた。

 銀巴里には出ていなかったが、女性歌手では越路吹雪に嵌まり、私は何度かコンサートに行っている。ちなみに内藤法美は、越路吹雪の夫だそうである。

 

ハコネギク(箱根菊)  キク科シオン属

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744  残る虫多喜二を整を夜語りに   節子

2012年10月26日 | 

(のこるむし たきじをせいを よがたりに) 

小林多喜二と言えば、日本のプロレタリア文学の代表作と言われる「蟹工船」の作者で、昭和8年特高警察の拷問によって死亡。

 伊藤整は、小樽高等商業学校(現小樽商科大学)での多喜二の1年後輩に当たる。昭和32年、伊藤整の翻訳した、D.H.ローレンスの「チャタレイ夫人の恋人」が、わいせつ文書である、として最高裁で有罪となる。

 同じ学校を出て、二人の文学も、辿った人生も全く異なっている運命の不思議。いづれにしても、戦前の日本という国家が、個人に強列な思想統制と迫害を加えた時代だったことは明らかである。

 それから比べると、現在は実に良い時代ではあるが、敗戦の影響か、政治家たちが実に腑抜けている。昨日、石原慎太郎都知事が「80才ではあるが、最後のご奉公のつもりで国政に出る」という国政への憤りの発言に、私はかすかな期待を抱いている。

 ツルボ(蔓穂) ユリ科の多年草

 ツルボ(蔓穂)は『ツルイイボ(蔓飯粒穂)』の略

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743  百舌鳥に顔切られて今日が始まるか  三鬼

2012年10月25日 | 

(もずにかお/ きられてきょうが/ はじまるか)

  西東三鬼に言わせると、百舌鳥が猛ると「生きることにも心せき、感ずることも忙がるる」というプーシキンの詩のように、じっとしていられなくなるそうだ。

  というのも、三鬼は、ホセ・ファーラーとジェーン・アリスンの映画「モズ」を観たらしく、夫の成功を切望する妻の愛が、夫を駆り立て、苦しめさいなむ、という内容に影響されて、この句を作ったらしいのである。

  そしてようやく昨日、百舌鳥の初鳴きを聞いた。 しかし実際、どんなに百舌鳥が猛り鳴こうと、人間までが急かされ、急ぐことはないはずである。

シシウド(猪独活) セリ科の多年草

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742  朝鵙や昨日という日かげもなし   翔

2012年10月24日 | 

(あさもずや/ きのうというひ / かげもなし)

「かげ」には、影・陰・蔭・翳・景などの漢字がある。物に光が当たってできる「影・陰」が普通の解釈だが、全く逆の日・月・星・灯火・篝火などの光を言う。例えば、月影、星影は、月や星の光そのものを言うからややこしい。

 だから、この句の「かげ」がひらがなになっているのは、日の当たらなかった昨日はないが、日の当たった昨日さえ「も」ない、という意味になる。

 作者の脳裡から、表裏すべての昨日が剥落してしまった、というのだ。勿論その理由は今朝、百舌鳥(鵙)が鋭く鳴いているからに他ならない。

キンミズヒキ(金水引)  バラ科の多年草

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741  男より女を好むいのこづち

2012年10月23日 | 

 

 単にイノコヅチ(猪の子槌・牛膝)と言うと、ヒカゲイノコヅチ(日陰猪の子槌)のことで、ヒユ科イノコヅチ属の多年草。もう一つ、近似種のヒナタイノコヅチ(日向猪の子槌)というのもある。、

 本来の「猪の子槌」とは、数人で地面を突き固める土突きの道具である。イノコヅチの実がこれと似ているのだそうだ。

 人や動物に種子を運ばせて生育範囲を広げる植物を一般に「引っ付き虫」と呼んでいるが、これは多種多様にあり、イノコヅチもその1種。

 それより、「いのこづちが、どうして男より女を好むのか」ですって。それを言ったらおしまいですよ。ご自由に御想像下さい。

ヤマハッカ(山薄荷) シソ科ヤマハッカ属の多年草

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740  長生きはいのちの芸術残る虫

2012年10月22日 | 

 確か、灰谷健次郎が言っていた、「長生きは命の芸術だ」と。以前100才を越えた双子の金さん、銀さんが、国民的アイドルになった時、なるほどその通りだと思った。

 生きているだけで、悟りを開いたように天真爛漫、人々をホッとさせる。あらゆる煩悩やしがらみから解放されているからだろう。

 二人は、テレビに出ずっぱりで、相当ギャラを貰ったらしい。「そんなに稼いでお金をどうするんですか」との問いに、「老後のために貯金してます」というのが、本当かどうか、笑い話になった。

 だから、残る虫の声もきっと芸術に違いない、と思って聞いていたら、今夜は星が美しい。オリオンの上に木星が煌々と輝いている。確かにシリウスよりも明かるい。

ススキ(芒、薄)イネ科ススキ属の多年生草本

別名、萱(かや)、尾花(おばな)とも

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739  秋深き隣は何をする人ぞ  

2012年10月21日 | 

 この句の「秋深き」は、「秋深し」と同じ。「秋さぶ」「秋闌ける」などとも言い、冬の迫った晩秋のこと。それにしても、近頃は夜になると虫の音も細り、風も冷やかだ。冬が近い。

 「隣は何をする人ぞ」は作者の立ち位置が問題だ。普通、「向こう三軒両隣」、「遠い親戚より近くの他人」という諺があるくらいで、普通隣を知らないはずがない。それを知らないのだから、普通ではない。最近隣に人が引っ越してきたとか、自分が引っ越してきたとか、も考えられる。又は、旅先など旅館やホテル、知人の家でのことかもしれない。いづれにしてもこんな句、知らないことを自慢しているようで、面白くも何ともない。

 さて、支考の笈日記にこの句が登場する。作者は芭蕉、死の十数日前のことである。どうでも良いような句に解説が付くと、俄然光彩を放ち出し、歴史に残る名句となる。俳句とは、実に不思議な世界である。

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738  鳥わたるこきこきこきと罐切れば  不死男

2012年10月20日 | 

 私の俳句の師匠の師匠が秋元不死男だから、会ったことはないが、私は不死男の「孫弟子」に当たる。秋元不死男は、戦前「プロレタリア俳句」などの新興俳句運動に参加し、治安維持法違反によって逮捕され、投獄されている。

 戦後、新俳句人連盟に参加、現代俳句協会設立に参加、のち脱退して「俳人協会」設立に参加。

 これだけで判断すると、訳の分からない人物ではある。作っては壊す「小沢一郎」を想像してしまうからだ。

 そんな流れの中で山口誓子の「天狼」に参加したり、西東三鬼と行動を共にしたりしているから、やはり俳人としてなかなかの人物だったのだろう。そしてようやく、このブログに私の祖父師匠「不死男」の初登場である

 さて掲句、この句の一体何が面白いんだろう、と思う。第一「鳥わたる」の「わたる」がひらがなである理由が分からない。「鳥わたる」と「罐切れば」の因果関係、必然性も不明。

 では、つまらないかと言えば、そうではない。歳時記を読んでいて、必ず引っかかる句の中の一つなのである。そう言えば、草田男に同類の句があった。

厚餡割ればシクと音して雲の峰

カラスウリ(烏瓜)の実、ウリ科のつる 性多年草

 

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737  悩殺の犬の眼や鰯焼く

2012年10月19日 | 

(のうさつの いぬのまなこや いわしやく)

 そろそろ寒くなったテラスでお茶を飲んでいると、クッキーの匂いに誘われて、モモとデンは、友人のそばに侍って(私ではありません)、特にモモは唯じぃーっと友人を見つめるのです。

「いやーね、モモちゃん、そんなに見つめないで」

 餌の欲しがり方にも色々あって、ワンワン吠えまくる、クンクン甘え声を出すなどやかましいのもありますが、デンのように前足でつついたり、モモのようにじぃーと見つめるのもあります。大抵の犬好きの人たちは、それに負けて餌を与えてしまうのです。

 この句の「悩殺」とは、美しい女性がその性的魅力で男を誘惑する眼差しなどのことですが、我が家のモモにも生来の同じ才能が備わっています。

ワレモコウ(吾亦紅、吾木香)  バラ科・ワレモコウ

 

 

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736  秋夕焼あなたのために染まる富士   節夫

2012年10月18日 | 

「私は存在しているのか」という哲学的命題を考えている私は、疑うことなく存在している。というデカルトの「我思う、ゆえに我あり」が、正しいとするならば、

夕焼けは、全ての人に平等に染まるが、人のために染まっている訳ではない。

 夕焼けは、見た人には染まるが、見ない人には染まらない。

夕焼けは、感動した人には染まるが、感動しない人には染まらない。

という俳句的論理は、成立するだろう。

さて作者が、この句を「私」にしなかったのは、哲学的に思われるのを避けたのだろうか。それとも、エゴイストと思われるのを避けたのだろうか。

シュウメイギク(秋明菊)  キンポウゲ 科

別名、キブネギク(貴船菊)名前にキクが付くが、キクの仲間ではなく アネモネの仲間

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735  秋晴やガサチリ一俵半を買ふ  器

2012年10月16日 | 

 おっとっと、「ガサチリ」とは、一体なんだ。「さあ、おめーら知らんだろう」と言って笑っている作者。そこで調べてみると、

 「ガサチリ」とは、ロールトイレットペーパーやティシュペーパー、ペーパータオルが生まれる前の、ガサガサしたちり紙のこと。ちり紙なら知っているよ。だけど、「ガサチリ」という商品名は知らなかった。

だから、「ガサチリ」を知っているかどうかで、年が分かる。まして、「俵」で買う作者。相当のご高齢なようです。

だから、「秋晴」と「ガサチリ」の因果関係は・・・・・作者が頑固で依怙地で元気で、子供たちの意見など意に介せず、我が道を進む「オジーサン」なんだと想像して、私は嬉しくなってしまった。長生きせんとあかんよ。

ハゼノキ(櫨の木、黄櫨の木)ウルシ科ヌルデ属の落葉小高木。単にハゼとも言う。

チェンソーで松を切り、ハゼ君を玄関に置きました。

 

 

 

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