煤払い(すすはらい)、大掃除、畳替(たたみがえ)障子張り(しょうじはり)、餅搗き(もちつき)、年の市の買い物、正月の着物の支度、床の間飾り、注連飾り(しめかざり)、お節料理を作る、年賀状、日記を買う、門松を立てる、お年玉、年始の品物を用意・・・・・
海外でもどこでもいいが旅行に行ってしまえば、金はかかるが「なんにもしない年用意」は成立する。
昨年の旅行者は、3,045万人。
国内2,977万人
海外 67万人
つまり、日本人のざっと4人に1人は、年用意などしないのだ。
煤払い(すすはらい)、大掃除、畳替(たたみがえ)障子張り(しょうじはり)、餅搗き(もちつき)、年の市の買い物、正月の着物の支度、床の間飾り、注連飾り(しめかざり)、お節料理を作る、年賀状、日記を買う、門松を立てる、お年玉、年始の品物を用意・・・・・
海外でもどこでもいいが旅行に行ってしまえば、金はかかるが「なんにもしない年用意」は成立する。
昨年の旅行者は、3,045万人。
国内2,977万人
海外 67万人
つまり、日本人のざっと4人に1人は、年用意などしないのだ。
「一陽来復」と称し、冬至を境にだんだん日が長くなるのを祝って、冬至粥・冬至南瓜・冬至蒟蒻などを食べる風習がある。
窯焚きの時に作ったおにぎりが、6個余ってしまい冷凍にしておいた。冬至の日に、それをお粥にした。ただそれだけのこと。海苔が溶けて黒ずんではいたが、鮭と梅干が絶妙の塩加減と味を醸していた。美味いことに驚いたのである。
「色々な私」と言うけれど、人はどの位の私を持っているだろうか。まあ、自分のことをやってみようか。父の私、夫の私、犬の飼い主の私、陶芸の私、テニスの私、俳句の私、ブロガーの私、ああ本当に、人それぞれだろうがいろんな私がある。
ところで年末年始の私は、窯用の薪4トン、ストーブ用の薪4トン、計8トンを、まづチェンソーで切り、それから薪割り機で割って、窯場に積み上げる仕事がたっぷりある。
割る薪がある、実に有り難く、嬉しいことだ。
(ゆらゆらと ねむれるいぬに ほだあかり)
薪割りをしようと庭に出ると、先ほどの50代くらいの来客の女性二人が、勝手に庭に踏み入り、ビヨウヤナギに絡みついたカラスウリ(烏瓜)を採り始めていた。
私を見つけると、気まずそうに一人が「カラスウリ、採っていいですか」と問うた。私は「もう採っているじゃありませんか・・・・どうぞ」と、あきれてついつい言ってしまった。「持ってけ、ドロボウ」と、つぶやきながら。
それは数日前、草刈りをした時、皆さんに見てもらうために、わざわざ採らずに残しておいたカラスウリだったのだ。
その後、カラスウリを採った二人は、挨拶もせずに去って行った。そんな二人だったから、きっぱりと「採らないで下さい」と言うべきであった。
榾とは、囲炉裏やストーブで燃やす、小枝や木切れなどの焚き木を言う。
人間は、この世に独りで生まれ、独りで死んで行く。そんなことは、誰でも知っている。しかし、親子、兄弟など家族に恵まれて暮らしていると、ついつい忘れがちになる。
親元を離れ都会に住む子供たち、そして残された親たち。今の日本では、10人に1人、全世帯の4分の1、事情は様々だが、単身世帯(おひとりさま)が1700万人もいるそうである。
特に注目すべきは、50歳まで一度も結婚しない男性が5人に1人、20パーセントもいるそうである。それほどでないにしても、当然女性も増えている。
身にひびく音多かりし冬日かな 一煌
山茶花の白を散り敷く石畳
流れゆくものはあらずよ冬の川 稱子
ひと葉残らず散りゆけり散り敷けり
除夜の鐘明治が近くなりにけり 炎火
太陽を自転公転して師走
除夜の鐘一人で聴く日来るなんて 洋子
初氷穴窯の口開いたまま
港町まるごと除夜の鐘ひびく 章子
除夜の鐘痛いの痛いの飛んでいけ
除夜の鐘過去と未来の躙口 鼓夢
ピアノ曲片面だけの宛名書き
吹きだまり落葉そのまま定休日 歩智
冬空や重なり遊ぶ犬二匹
冬日向傘寿迎えて旅立ちぬ 豊春
手を繋ぐ厚手コートの老夫婦
神主の祝詞が見える今朝の寒 余白
除夜の鐘撞く人々の思い入れ
オウム貝抱き丹沢山塊眠りたり 薪
身に入むや猫の瞳孔刃となりぬ
幸福は仕舞っておいて山眠る 雲水
年用意なんにもしない年用意
(じょやのかね かことみらいの にじりぐち)
茶室の躙口は、およそ高さが66cm、幅が63cmで、千利休が京都・大山崎の茶室・待庵に設けたのが始まりだそうである。これは朝鮮の民家の出入り口を取り入れた、とも言われている。
刀を外し、誰もが頭を下げなければ入れない躙口は、利休特有の精神が意図的に表現されている。そして茶室の中では、一切の身分を捨てて対等な人間関係でなければならないのである。
ところで、虚子に「去年今年貫く棒の如きもの」という有名な句があるが実につまらない。掲句の方が余程いいと思う。
除夜の鐘を聞いて思いを過去に馳せ、その時代を近く感じるのは、明治時代以外にも飛鳥や奈良、平安、鎌倉時代・・・・・など、いくらでもあるし、別にどの時代でも構わないだろう。その時代によって、法隆寺、唐招提寺、延暦寺、円覚寺などの除夜の鐘を、読者はそれぞれ相応しい寺の鐘の音を想起すれば良い。
しかし、作者はあえて明治を指定した。勿論これは、草田男の「降る雪や明治は遠くなりにけり」を踏まえていることは明らか。
水があってこその川である。水がなければ「川涸る」という冬の季語がある。それではこの句、水があったか、なかったか。
もしかするとこの句は、虚子の「流れゆく大根の葉の早さかな」を踏まえて作ったのかもしれない。とすると、水は十分にあったはずで、但し大根の葉もましてゴミなど生活を感じさせるようなものは一切流れていない、清冽な透き通った川ではないのか。
私は、清水町の柿田川、山梨の忍野八海、長野の大町などの清流を思い起こす。
この世には、様々な音がある。木々を揺らす風の音・鳥などの動物の鳴き声など自然界の音。生活の音、車など雑音とも言える社会の音など。
さて、作者の言わんとする「身に響く音」とは、どのような音を指すのであろうか。快い音かもしれないし、不愉快な音かもしれない。それは、余りに範囲が広すぎるので、解釈はこの句を詠んだ読者諸氏にお任せしよう。
いづれにしても、作者は「我が身を揺するような」音が多い、と言っているのである。私は、「響く」という語感と「冬日」という季語から、快い音ではないかと推測する。
セーターは確かに、羊、山羊、カシミヤなど動物の毛で作られたのであるからして、本来の目的である保温効果と共に、保臭効果も絶大である。
おっとっとっと、中島みゆきと谷山浩子のバカバカしくて下品な笑いが混じった、だけど面白いトークショーが始まった。
ところでこの句、誰のセーターをいつどこで脱がしたって? あなた、聞くだけ野暮でしょ!
暖かい日本海の海水が大量に蒸発して雲になり、シベリヤからやって来た寒波に冷やされて、九州から北海道までの日本海側に大雪を降らせている。
これは、シベリア低気圧と東シナ海低気圧がドッキングして、つまり寒気と暖気が混ざって台風並みに発達したからだ。北海道では、風速50メートル、積雪100センチもあり得るという。
ところが、三重県から東京・千葉あたりの太平洋岸だけは、晴天になっている。山に雪を降らせ、すっかり乾燥した空っ風が太平洋に出て行った。
年二回、火が入った時だけ穴窯は命を得て、生き物のように活動するが、窯出しが終わってしまえば、熱を失い廃墟となり無用の長物となる。
廃墟のような冷えた穴窯は、過去の栄光が潜むあのアテネのパルテノン神殿やローマのコロセウムを私に思い出させ、いつも双方の映像がダブルから不思議である。
デンも、そのことはよく知っていて、冷えた窯にはもはや近づきもしない
(にぎみたま かれのわたるは きつねびか)
神道における神の概念には、荒魂(あらたま、あらみたま)地震、雷、戦争、疫病などをもたらす神と、和魂(にぎたま、にぎみたま)雨や日光の恵み、平和など人間を幸福にする神があるという。人々は荒神の怒りを鎮め、和魂に変えるために、神に供物を捧げ、儀式や祭を行ってきたそうである。
狐火は、夜遠くに見えるという原因不明の青白い光。獣の骨が発する燐の燃える光、光線の屈折による、とも言われている。
残念ながら、私は狐火も人魂(ひとだま)も見たことがない。但し、例え見たとしても目の錯覚か、幻影にすぎない。
昨日の穴窯の温度は125度。塞いでいる窯の焚口を開け、煙突を抜き、窯を冷ます。窯出しの今日は、たぶん30度くらいにはなっているだろう。しかし、一旦窯の中に入れば、10分で汗だくになるだろう。
さて、再び寒波がやって来ている。西高東低の冬型の気圧配置では、日本海側に大雪が降っても、太平洋側は空っ風が吹き晴天が続く。同じ国でこうも気候が違うと、人間の性格などにもきっと大きな影響があるに違いない。
そう言えば、私の周りには、日本海側で生まれ育ち、太平洋側に定住している人が結構多い。