昔、一文銭の重さを「一文目」と呼び、「一匁」と書いたそうです。今でも5円玉が同じ重さで、グラムで言うと3.75gです。ですから百目柿の「百目」は、百匁(もんめ)のことで、375gの柿という意味です。
16個入りの山梨産の生の甲州百目という品種の百目柿をいただいたので、皮をむいて物干し竿に干しました。一週間ほどで渋が抜け、まだ柔らかいのですが食べられました。完全な干し柿になる前に無くなりそうです。
スイセン(水仙)
昔、一文銭の重さを「一文目」と呼び、「一匁」と書いたそうです。今でも5円玉が同じ重さで、グラムで言うと3.75gです。ですから百目柿の「百目」は、百匁(もんめ)のことで、375gの柿という意味です。
16個入りの山梨産の生の甲州百目という品種の百目柿をいただいたので、皮をむいて物干し竿に干しました。一週間ほどで渋が抜け、まだ柔らかいのですが食べられました。完全な干し柿になる前に無くなりそうです。
スイセン(水仙)
「日向に干した蒲団がポカポカに温たまり軽くなり、掌で触れるなどしてそのぬくもりとフカフカ感を楽しんでいると、どこからか風が運んできたのか口笛が聞こえてきた」というたわいもない句。
TWITTERでの投句から俳句をはじめて一年後、ひょんなことで雲水先生と知り合いになって、この句会に参加させてもらうようになった。それからちょうど一年。単にTWITTERに投稿するだけから、句会で人の句を評したり、評されたりするようになって、作句能力が格段とレベルアップした。これもひとえに雲水先生をはじめ、皆様のおかげと感謝申し上げたい。
今回も上記の句を通じて、俳句での三密を避けることを学んだ。詩における言葉は、密をむねとする。五七五の語が多数の関係で結ばれていればいるほど良い詩となる。俳句はそれとは逆で、適当な距離が必要で、今回それを茶室のおもてなしを例にとり解説された。
それ以前の課題は、季語はおまけ的にポンとつけることだった。それでこの句は、おまけ的に「干蒲団」をつけることになった。ただ三密を避けるために、残りもそれぞれいい塩梅にポンポンポンということになると、この「どこからか」「軽き口笛」を切り離す必要が出てくる。たしかに、口笛に、「軽き」という形容詞が付されているのだから、「どこからか」は重くなる。いい塩梅の語を見つけるのはなかなか難しい。まあこうした課題に対して、あーでもないこーでもないと取り組むことが、自身の作句能力を高めることになる。だからスポーツの訓練と同じで続けるしかない。そして電車に乗っている時に、頭に電球が灯るように突然閃めけば、至福の瞬間となる。
また今回は、炎火氏より「細み」なる語が教示された。「蕉風俳諧の根本の理念の一つで、作者の心が対象にかすかに深く入り込んで捉える美、およびそれが繊細微妙に表現される句境」とのことである。研究の対象にしてみたい。(鯨兒)
掲句は亡くなった人を見送った悲しみの句であろうか。石蕗の花は、寒くなってゆく初冬に咲くゆえに、なんとなく淋しさや悲しさのイメージとつながっているようである。例えば
さびしさの眼の行く方や石蕗の花 蓼太
つはぶきはだんまりの花嫌ひな花 鷹女
病まぬ生より病める生長し石蕗の花 波郷
逆に石蕗の花の黄を明るさと見立てた句もある。例えば
母我をわれ子を思ふ石蕗の花 汀女
賛歌や地に沈金の石蕗の花 夫佐恵
どこへでも行ける明るさ石蕗の花 佐弓
いずれにしても石蕗の花は、キク科の常緑多年草で、関東以南のどこにでもあり、丈夫で庭園にもよく植えられ、格好の俳句の材料である。
鰯雲
先日亡くなった瀬戸内寂聴氏の「人間は人を愛するために生まれてきた。でなければ人生はつまらないでしょ」というような言葉があった。ですから掲句は、寂聴さんのパクリではありますが、敢えて掲載します。又、一遍上人の言葉も言っておられた。一遍上人の言葉は、9年前にもこのブログに載せましたが、再掲載します。
生ずるは独り、死するも独り、共に住するといえど独り、さすれば、共にはつるなき故なり
念佛の行者は智慧をも愚癡をも捨て、善惡の境界をも捨て、貴賤高下の道理をも捨て、地獄をおそるる心をも捨て、極樂を願ふ心をも捨て、又諸宗の悟をも捨て、一切の事を捨てて申す念佛こそ、彌陀超世の本願に尤もかなひ候へ。
かやうに打ちあげ打ちあげ唱ふれば、佛もなく我もなく、まして此内に兎角の道理もなし。善惡の境界、皆淨土なり。外に求むべからず。厭ふべからず。よろづ生きとし生けるもの、山河草木、吹く風、立つ浪の音までも、念佛ならずといふことなし。(一遍上人)
食用菊
(げんだこが なくなったらし きりぎりす)
胼胝(たこ)は、野球のバットやテニスラケット、剣道の竹刀など大抵のスポーツをやるとできるが、楽器演奏でもできる。陶芸を仕事にしたおかげで、私のギター弦胼胝は、すっかりなくなり柔らかくなってしまった。
先日、50年前に作詞作曲した歌の話を友人にしたら「覚えているなら歌え」と言われ、久し振りに思い出して歌ってみた。歌は、なんとか思い出して歌えたが、ギターの弦を押さえる指が痛くてならなかった。
さて、現実のキリギリスに弦胼胝のようなものができるかどうか知らないが、イソップ童話の「アリとキリギリス」のキリギリスは、確かバイオリンを弾くから弦胼胝が出来ているに違いない。
この童話には、冬になって食べ物がなくなったキリギリスが、蟻の家に行って食べ物を乞うのですが、実は三つの結末があるそうです。
➀ アリは、一切食べ物をあげなかったので、キリギリスは死んでしまった。これが原作らしいですが、これではキリギリスが可愛そうなので、
➁ アリは、キリギリスを家に入れてあげて、一緒に食事をして救い、お礼にキリギリスはバイオリンを演奏した。
③ キリギリスは、アリに「私の亡骸を食べて生き延びて下さい」と言って死んだ。
ハクサイ(白菜)
投稿 鯨児
まず、今回の句会の季語について、俳句大歳時記から引いておく。
「季語の「残る虫」とは、晩秋に細々と間延びした鳴き方をする虫(主にこおろぎ)を言う。晩秋のあわれと生に対する懸命さがこめられている。」
秋も深まると、夏の間繁茂していた雑草も、勢いが失せ自壊していく。そしてその草葉の陰で、合唱していた虫たちも、輪唱さらには二重唱、独唱となっていく。大歳時記」に書かれているように、「残る虫」は、もののあわれ、生への懸命さを詠うのに、ふさわしい季語といえる。ただ、ふさわしいが故に、作句する場合、ステレオタイプになりがちである。この句の優れている点は、いくつかの点で、このステレオタイプ破りを行っていることにある。
まず一つ目は、有機から無機への転化である。つまり有機的な虫そして雑草群を、無機的な陶器そして骨董店に代えた点にある。有機から無機というと、もののあわれ、生への懸命さが減じるという見方もある。しかし、無機にも無機のあわれがある。
勝手な想像であるが、この白釉の壺、陶芸家によって生を享け、展覧会やお店に陳列され、お金持ちに買われ、花が生けられ、邸宅の床の間に鎮座という華やかな時代もあったかもしれない。そして代がわりして、無用となり、この骨董店に引き取られていったのかもしれない。
次に、この句の素晴らしい点は、聴覚の句になるものを視覚の句にかえたことである。つまり生への懸命さを告げる「残る虫」の音を、白釉という色彩、壺という形に転化している。数多く並べてある骨董店の品物の中で、その白さと形で、「残る虫」のように自らの存在を告げる白釉壺。目に浮かぶようである。
トウガラシ(唐辛子)
黄金色の稲穂が刈り取られると、田の様相は一変する。刈られた稲は、孟宗竹で作られた稲架(はざ)に掛け、天日干し乾燥させる。この句の案山子(かかし)は、スズメやカラス対策として最後のご奉公で立てられているので、稲扱き(いねこき)が終わると処分される運命である。
私の知っている案山子は、捨てても良いような安直な材料で作られ、へのへのもへじの様な不細工な手描きの顔が多かった。従って、くしゃみしているような案山子もある。
本来、刈田を煙が這うのは、籾すりの終わった時に出るもみ殻を燃やす煙なのだが、時期がずれているから、稲藁など何か別のものを燃やしているのかもしれない。
ところが、最近の稲刈りは、コンバインで刈り取り、脱穀、藁の裁断までやってしまうので、便利にはなったが田園風景から案山子や稲架、もみ殻焼の煙も消えてしまった。
ブロッコリー
NHKの連続ドラマ「お帰りモネ」が終わった。原作者安達奈緒子の脚本と一木正恵の演出が秀逸である。東日本大震災に被災した気仙沼の人々の悲しみや葛藤を描き、立ち直ってゆく過程を描写している。気象的水の循環や水産業の漁や牡蠣の養殖など、専門的なことも詳しい。
気仙沼市では、3、11での死者は1218名、行方不明者は未だに214名である。仲良く支え合ってきた妻を失ったことを受け入れられない男の苦悩。祖母を残して逃げてしまった一生消せないであろう娘の後悔。姉妹でさえ震災時の状況が違って分かり合えなくなってしまう。しかし、心を通じ合う時の少ない言葉の演出に説得力があるのだ。
身内や友人を失った人々の様々な状況を描いたこのドラマの視聴率がそれほど高まらなかったのは、内容が視聴者には重過ぎたからかもしれない。
さてこの句の作者が、放射能汚染による福島の避難民であることを想うと、住む場所を失った喪失感はいかなるものか、想像を絶するであろう。しかし私には、一日も早く帰宅できるよう祈ることしかできない。
シュウメイギク(秋明菊)
残る虫群れにはならぬ下駄の音 裕
冬近し被災跡にも煮焚きの火
苅田這う煙にくしゃみ案山子かな 鯨児
黙もぐと葉虫が描く抽象画
避難児の校門静か秋の雨 豊春
残る虫骨董店の白釉壺
すがれ虫闇に沈んでいたき夜 さくら
長き夜や町のあちこち不眠症
気まぐれな電波時計や鰯雲 光子
物憂げにそよぐ河原の芒かな
稲の香や風友として大空へ イヨ
暗き夜をなほ暗くして刈田伏し
鵙高音だれに気兼ねをするでなし 凛
大声のおしゃべりが好きちゃんちゃんこ
友逝きて我もいつしか残る虫 貴美
密なくて水をすするか秋の蝶
蜉蝣の風向くままや尾の細き 沙会
木犀の香と行く坂の石畳
小田急線秋めく空と受験生 杏
神無月九品仏を拝みたり
木犀が匂う陰より日向まで 鞠
秋草にマスク掛けてる悲しいよ
十三夜幸せ浴びている不思議 黄玉
収穫の歓び供う十三夜
鯨のおなかは音響装置秋深む 薪
天国が在れば野菊の道辿る
半導体の争奪戦秋刀魚焼く 炎火
金秋や柱状節理を叩く滝
枯葉散るウイーンの森の旅人に パピ
今日もまた数独にはまったすがれ虫
鳥渡る今日こそ髪をカットせん 洋子
新走り息子励まし送り出す
未舗装の道が少なく四季とぼし 余白
朝散歩足元からの秋の音
椋鳥の右往左往や暮泥む 稱子
秋夕焼ふわり白鷺神田川
爽籟や無口が飲める赤ワイン 雲水
弦胼胝がなくなったらし螽斯
酔芙蓉