一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

1097  小春日やもぞもぞ動くものの居り  伸宜

2013年11月29日 | 

 冬の風のない暖かな日差しの中で、もぞもぞ動くものがいるという。さて、一体何だろう。そうか、場所は日差しの中とは限らない。室内だって、洞穴の中だって構わない。

 そう言えば昨日、散歩の帰りに、アスファルトを一匹の真黒な毛虫が横断していたっけ。「おいおい、毛虫君、もう冬なのにどこへ行くのかね。蛾になり損ねたのかい。早く蛹(さなぎ)になって越冬したほうがいいと思うよ」なんて話しかけたっけ。

  又先日我が家の3歳のデンが穴を掘って、捕まえた土竜(モグラ)がまだ生きていてぞもぞ動いていた。又今日草むらで拾ってきたらしいマダニも毛の上でもぞもぞ動いていたっけ。

 それとも作者のワイフが、朝の布団の中でもぞもぞ動いているのかもしれない。「こんなに暖かいのに早く起きろ」と、ワイフに癇癪を起しかけているのかもしれない。これが本命かもしれない。

 あなたなら、どんな情景を想像しますか?いづれにしても、あんまり嬉しい情景ではなさそうです。

サザンカ(山茶花)

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1096  葱豆腐茸茄子鮭朴葉味噌

2013年11月28日 | 

(ねぎ・とうふ・きのこ・なす・さけ・ほおばみそ)

 朴葉焼の季節だ。薪ストーブの燠の上に金網を置き、その上に湿った朴葉を乗せる。酒でゆるめに溶いた味噌を敷き、その上に好きなものを乗せる。肉類、魚類、野菜など何だって好きなものを、有り合わせのもので構わないから乗せる。豆腐は、厚揚げやがんもどき、焼き豆腐が掴みやすい。

 ところで、穴の開いていない朴葉を探すのが結構難しい。一晩水に浸けた朴葉を、ボールのような曲面に何枚か張り付けて型押しすると、鍋として十分使えるようになる。朴葉は、不思議なことに燃えない。

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1095  小春日や忘れてかまわぬことばかり   和子

2013年11月27日 | 

  1633年、有罪判決を受けたガリレオは、地道説を放棄する旨が書かれた異端誓絶文を読み上げたが、その後「それでも地球は回る」と言ったとか。

 意味は全く違うが、どんな天変地異が起ころうとも、どんなに尊いお方が亡くなろうとも、たとえ私が死んでも「それでも地球は回る」のだ。

 世の中に、忘れてはいけないことなど一つもない、ということが心底解れば、随分と気楽に楽しく生きられるはずだと思う。そして、本当に大事なことは、決して忘れていないことに気付くだろう。認知症になってしまえば別ですがね・・・

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1094  小春日や肩書とれし人とゐる   たみ

2013年11月26日 | 

「肩書」とは、会社など様々な組織の役職を言う。その他、名刺に書くわけではないが、生まれや育ち、学歴、職歴なども一種の肩書きだろう。主婦にだって、家柄や「夫がどんな肩書きの人か」などという肩書きがあるはずだ。

 だから、退職して社会的な肩書きが取れたからって、もう一つの個人的な肩書きは消えることなく存在する。消えないどころか死ぬ前に、例えば「戒名」などという新しい究極の肩書きを増やすことになる。ご苦労さんでござんすねえ。

 さて、この句の「肩書きのとれた人」って、ホントにすっぴんに取れたんですか?

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1093  冬構など何もなき町ぐらし  澪子

2013年11月25日 | 

  「冬構」には、風除け、雪囲い、雪吊り、建物の北窓を塞ぐ、目貼り、障子張り、種取り、など冬に対する様々な備えを言う。

 ところが、雪が降らない、強い北風もあまり吹かないような土地では、大した備えがいらないのだ。建物は高断熱の家、全部屋にエアコンや床暖房。職業がサラリーマンでマンション住まいなら、尚更である。

  北国、雪国の人には申し訳ないが、この句の作者のような都会で生活する人たちが、日本の人口の半分以上いるのではないか。唯、それが豊かな暮らし、本物の暮らしなどとはとても言えない。それだけは確かだと思う。

  何故ならそれは、電気・ガス・水道といったインフラが整備され、動いているからだ。ところが、万一大地震などでそれらの供給が止まれば、住宅は一変に無用の長物になる。都会人は、危険極まりない薄氷の上で暮らしている。

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1092  光太夫舟出の海の小春凪  敦子

2013年11月24日 | 

 江戸時代の天明2年、現在の三重県鈴鹿市白子を出港した船頭大黒屋光太夫の船は、江戸へ向かう途中、暴風に遭って難波し、ロシアに流れ着く。

 10年の歳月をロシアで過ごし帰国した光太夫は、第11代将軍家斉に謁見し、その記録は『漂民御覧之記』としてまとめられ、幕府は樺太や千島列島に関して防衛意識を強めていくようになった。

光太夫は、ロシア語が堪能であり、海外情勢を知る豊富な見聞は、その後の蘭学発展にも大いに寄与したそうである。

光太夫の生涯を描いた小説には、井上靖の『おろしや国酔夢譚』、吉村昭の『大黒屋光太夫』がある。

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1091  人生はまだまだ愉快木の葉髪   弘子

2013年11月22日 | 

 箸が転んでも笑うやわな娘が、結婚して若妻から母親になり公園デビュー、PTAや母親会を経て、子育てが一段落すると、いよいよ亭主をこき下ろすおばさんになり、人によってはかつて名を馳せた「オバタリアン」になる方も。一貫しているのは、活動的でよく笑う、とにかく元気がいい。

こんなことを書くと、顰蹙を買いそうですが、決して貴女のことではありません。あくまで一般論ですから、悪しからずご了承下さい。

 私は、坊主頭ですから知りませんが、「木の葉髪」は、冬の季語で、初冬によく抜けると言われる髪の毛のこと。実際は、洗髪したり髪を梳けば、一年中よく抜ける。

さて、作者の年齢は不詳ですが、木の葉髪など全く頓着せず、大いに人生を楽しんでいるようです。めでたし、めでたし。

 

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1090  人はみな順位が好きで菊花展   雄三

2013年11月21日 | 

 句会では、全員が何句か投句して、その中から自分の好きな他人の句を選句するが、自信作である自分の俳句が高得点を得るとは限らない。ついでに出した句が高得点になることもしばしばある。

 学校や社会でいつもトップにいたような成績優秀だった人は、句会でも順位を気にする。点が入らないと不満に思い、それが何か月も続くと我慢ならないらしく、俳句も句会も止めてしまう人がいる。成績なんてどうでもいいのにね。

 賞を取るために菊を育てている点取り虫の人たちが、菊花展にも沢山いるんだろう。

在りし日のモモとタロー③

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1089  猪も掘り残したり冬あざみ

2013年11月20日 | 

 先日犬の散歩途中で、山道のあちこちに猪の掘り起こした痕跡を見つけた。ということは、そろそろ山にイノシシの食べ物が少なくなってきたのだろうか。友人の話では、最近熱海の街中にも猪が出没する、という。もしかすると、増え過ぎているからかもしれない。それは猟師が高齢化し、猪の捕獲数が減ったためでもあろう。

 ところで、我が家の犬デンは、意外と猪の臭いに反応しない。最も反応するのは、同族である犬のおしっこの臭いにである。考えてみれば、デンは猟犬ではないし、猪と戦ったところで勝つはずない。損はしても得することはないんだから、無関心は当然のことかもしれない。

 いづれにしても、山の草花では、野菊や薊などが最後の花を咲かせている。

在りし日のモモ②

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1088  秋の暮死ぬまで生きる他はなし    照れまん

2013年11月19日 | 

 人生を春夏秋冬に分ける考え方があって、青春・朱夏・白秋・玄冬などとも言うようである。立冬が過ぎ、今日は暦の上では冬ではあるからといって、

冬の暮死ぬまで生きる他はなし

であったら、絶望感が漂って読者は淋しく感じるかもしれない。しかし、この句の「秋の暮」で私は救われた。時は白秋、まだ秋の暮なのである。それも残り4分の1の冬が残っている。80年の平均寿命からすれば、人生の冬は60才~80才で、およそ20年もあるのだ。だからこの句に、作者の楽観的な希望を感じるのは、私だけではないと思う。

 とはいっても、残された玄冬の玄は「黒」だから確かに暗い。世の中には、ぽっくり死ぬ人もいれば、苦しんで死ぬ人もいる。人間にはそれぞれの運命があって、たぶん思い通りにはいかない。

 だから、そんなことは運を天に任せて、元気なうちにやりたいことをやり尽くし、死ぬときに悔いのないようにしたい、と思う。

在りし日のモモ

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1087   ロボットの稼ぐ工場小鳥来る    八朗

2013年11月18日 | 

 「円高では日本製品が売れない。売れないなら値段を下げねばならない。値段を下げるには、高い人件費を削って工場をロボット化する必要に迫られる。そのうち工場には、監視員やメンテナンスの人間以外誰もいない、ロボットだけが動いている、というような状況になるかもしれない。

行き先をインプットすれば、自動運転してどこへでも連れてってくれる車が実用化される時代である。工場のロボット化なんて、今や簡単なことだ。

 しかし、オートメーションの機械化が進み、仕事が楽になるのは結構なことだが、人間そのものが不要になり若者達の仕事が益々無くなると、日本社会は一体どうなるのだろうか。

今でさえ、工場の海外移転で空洞化が進み、失業者が増え購買力が減り続ける・・・・・あんた達、一体何のために、誰のために物を作っているの?」

と小鳥たちが言っている。

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1086  擽られ犬は冬毛を抜かれおり

2013年11月17日 | 

(くすぐられ いぬはふゆげを 抜かれおり)

 柴犬の血を引いているらしい?モモは、犬としては冬毛がかなり多かったように思う。晩年は、特に1年中よく毛が抜けた。冬に冬毛が抜けるなんて妙な話だが、原因は老いや暖房のせいかもしれなかった。

 時々庭でモモの冬毛を抜くが、ブラシや櫛を使うのが普通だろうが、私はよく指で梳いた。お尻あたりを梳くと擽ったいのであろう。モモは逃げるのだ。それが面白くて何度もやっては、私は大笑い。

 ところが、3才のデンは擽ったくないのだろうか。大人しくしているから、つまらない。つまらないから擽らない。

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1085  人も犬も窯場の庭の日向ぼこ

2013年11月16日 | 

 モモがいなくなって5日経った。モモが死んだら、庭に埋めて桃の木を植えようと思っていた。さて、遺体がないとなると、この問題はどうすべきだろうか。さて、過去に作った犬の句は、たぶん2~300はあると思う。いや、もっとあるかもしれない。

 真冬でも薪割りは汗をかく。というか冬にしか薪割りはしない。その薪割り作業を、少し離れたところから眺めていたモモ。薪割り機のエンジンを止めて、椅子に寛ぎ一服すると、おもむろにモモは近寄って来る。別にどうってこともない、私の冬の日常生活のひとこまであった。

センリョウ(千両)

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1084  ふらっと来てふらっと帰る冬の山

2013年11月14日 | 

 15年前のある日、一匹の尻尾を垂らし痩せこけた幼犬がやって来た。食べ物をあげたところ、そのまま居ついてしまった。モモと名付けたが、忠犬ぶりを発揮し、犬嫌いの女性に「こんな犬なら飼ってもいいわ」と言わしめるほど、我が家のアイドルになった。

それから15年、一度も病気もせず元気に暮らしていたが、2週間前に突然病気になった。人間で言えば脳梗塞のような状態で半身が不自由になり、歩くのがやっと。段差があると転んでしまう始末。

1週間、水も飲まず食べ物も拒否していた。それが水を飲むようになり、食べ物も少しは食べられるようになってきて3日後、突然行方不明になってしまった。不自由な体でそう遠くへは行けないはずなのに、いくら探してもどうしても見つからないのだ。

経験者の話によると、犬や猫は死期を悟ると飼主から離れ、自然の中に帰って行くという。私は、この話を信じようと思う。野良犬としてふらりとやって来て、潔く去って行ったモモ。見事としか言いようがない。

 「人間もかくあるべきだ」と教えられたような気がする。モモ、有難う。この教訓は、薬漬けの無用な延命措置への警鐘にも聞こえる。私も、かくありたいと切に願う。モモ、長い間有難う。

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1083  見廻せば独り身ばかり冬に入る  多可

2013年11月12日 | 

 一般的に、結婚未経験者を独身(どくしん)と言う。結婚経験のある人を含めて独り身(ひとりみ)という。夫を亡くした女を、寡婦、未亡人、後家、やもめ(屋守女)という。妻を亡くした男は、本来はやもお(屋守男)であるが、今では、やもめと言い「鰥、鰥夫」と書く。又、「男やもめにウジが湧き、女やもめに花が咲く」という面白いことわざがある。

そこで、この句の「独り身」とは、「貰わぬ鰥夫、鰥夫、行かず後家、後家」であり、かつ単身世帯主でもある。

日本の単身世帯は、全世帯の1/4、1200万人はいるらしい。まだまだ増え続けるに違いない。

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