「道をしへ」とは、ハンミョウ科の昆虫のハンミョウ(斑猫)の俗称。人が近づくと飛んで逃げ、1〜2m程度飛んで着地し、度々後ろを振り返る。往々にしてこれが繰り返されるため、その様を道案内にたとえ「ミチシルベ」「ミチオシエ」という別名がある
さて、仙厳園は、鹿児島にある薩摩藩、島津家の別邸で、現在は一般に開放されており、御殿、レストラ、尚古集成館、薩摩切子工場、観音岩などがある。
オオバギボウシ(大葉擬宝珠)
「道をしへ」とは、ハンミョウ科の昆虫のハンミョウ(斑猫)の俗称。人が近づくと飛んで逃げ、1〜2m程度飛んで着地し、度々後ろを振り返る。往々にしてこれが繰り返されるため、その様を道案内にたとえ「ミチシルベ」「ミチオシエ」という別名がある
さて、仙厳園は、鹿児島にある薩摩藩、島津家の別邸で、現在は一般に開放されており、御殿、レストラ、尚古集成館、薩摩切子工場、観音岩などがある。
オオバギボウシ(大葉擬宝珠)
「納涼」は、「のうりょう」と読み、「納涼祭」「納涼船」など。又、「すずみ」とも読み「涼み」とも書く。「夕納涼」「門納涼」など。さて、今年の梅雨明けは、観測以来過去二度目の6月中だった。今年の夏は、長くてかつ猛暑が続きそうである。
さてこの句、何の花だろう。つまり、敢えて花の名前を言わないのが、この句の味噌である。そこでヒントになるのが、「したたか」で、漢字は「強か」である。「凜」とは本来、「寒い、寒さがきびしい」ことであるから転じて、厳しい、りりしい、凄まじい。身や心がひきしまる、などと言う意味にも変化していった。
夏の暑さや乾燥にも負けない丈夫な花を検索してみた。洋花の中の和花が少しある。キキョウ(桔梗)とオダマキ(苧環)である。又、琉球朝顔も入っている。私としては、ヤマユリ(山百合)やヒオウギ(桧扇)、ギボウシ(擬宝珠)、なども入れておきたい。読者に想像を任せると、地域それぞれ、人それぞれ、色々の花の名前が出てくるのだ。
キンシバイ(金糸梅)
「せせらぎ」は、「せせらき」「せぜらき」「せせなぎ」「せらぎ」などとも言われ、動詞「せせらぐ」の連用形の名詞化である。 浅瀬などに水が流れる音。また、音をたてて流れる小さな、あるいは浅い水の流れ、浅瀬そのものをいう。
この句の面白いのは、小川のせせらぎを「音頭」としたところだろう。音頭とは本来、雅楽の主奏者、声明や民謡の主唱者を指した。先頭に立って指導することを「音頭を取る」などと言うようになったことを踏まえると、この句の「音頭」がなかなかの選択であったことが分かるだろう。せせらぎの音頭に乗せて、蛍たちが乱舞している、というのだ。
オオバギボウシ(大葉擬宝珠)
遠き日の破滅派いずこ桜桃忌 鯨児
十薬に梔子の香庭の面
畑道を雲低くして梅雨半ば イヨ
雨止みてせせらぎ音頭蛍舞う 〃
納涼やしたたかに凛と咲く花よ 洋子
大粒の雨がきそうよカンナ咲く
梅雨晴間月星日の出光りけり 黄玉
道をしへ仙厳園の観音岩 〃
手擦る蠅兵器産業見本市 炎火
紫陽花やビルエバンスの前頭葉
かの笑顔置き六月の風となり 沙会
今年又ここで紫陽花待ってます 〃
紫陽花や変わりゆく夫いとおしむ 稱子
合歓の花夫の笑顔のあればいい
暁闇の静寂を開く杜鵑 豊春
蛍火の残像追ひし子等の声
風鈴屋色とりどりの風を呼ぶ 薪
夜盗虫朝のベランダ動悸打つ
安曇野の風に吹かれて納涼かな まり乎
神田川橋まん中の夕納涼
ノーメイク日傘とマスクで楽々 一煌
白夜光黒ビールとグラスひとつ
街路樹にビワ実りても手も出さず 余白
ゴミ拾い高齢男女の麦茶かな
青嵐青年の眼の真っ直ぐに さくら
変わりしは我かも知れぬ四葩かな 〃
新茶汲む祖母いますかに真っ先に 凛
鎌倉も北鎌倉も七変化 〃
十薬や一輪挿しを絵手紙に 光子
河骨やぶれない姿勢受け継いで 〃
無人駅足音まばら夏に入る 鞠
滴りや升麻に出会う箱根路よ 〃
泣き崩れおり涅槃図の蛇百足 雲水
雉鳩の声のくぐもる夕涼み
ヒメジョオン(姫女苑)
「破滅派」とは、フランスのまだ何者でもなかった若者たちが、安アパートに集って安いワインに酔いながら、まだ予算さえ確保できていない映画の計画について無謀な思い付きを塗り重ねていた頃から始まった、という。その後、ゴダールやトリュフォーたちが映画監督になり、ヌーベル・ヴァーグの旗手として新しいフランス映画を立ち上げていった。
一方、桜桃忌は、入水自殺した太宰治の忌日であり、坂口安吾、石川淳、織田作之助らと共に、「無頼派」と呼ばれている。太平洋戦争後の混乱期に始まった、破滅へ向けての生活無頼であり、又旧態を打破し新しい文学の追求も視野に入れていた。私は、割腹自殺した三島由紀夫も無頼派に入れても良いのではないか、と思っている。
いずれにしても、破滅派も無頼派も、どうやら消滅した模様である。六十年代、七十年代の日米安保闘争の戦士達も、悲しいかな安穏とした老人生活を送っているのであろう。
ところが、最近の日本では、作家の高橋文樹が、二〇一〇年ウェブサイト上に無頼派の流れを汲む第二の「破滅派」を立ち上げた。乞うご期待である。
ヒメツルニチニチソウ(姫蔓日々草)