お嫁に来て?十年・・・住み慣れた家の小さな庭の手入れは、作者の手に委ねられているのかもしれない。そこには、きっと作者の植えた草花が咲き誇っていたことだろう。しかしそれも秋までの話。今は・・・・・すっかり枯野である。
この句の「住み慣れし」には、作者しか知らない作者の人生があり、庭先に佇めば様々な記憶が走馬燈のように巡ってくるのだろう。
庭の草花を知り尽くしている作者が、そこまで来ている春の芽吹きや花に、期待を膨らませているに違いない。
花か蕾かそれとも実か?
お嫁に来て?十年・・・住み慣れた家の小さな庭の手入れは、作者の手に委ねられているのかもしれない。そこには、きっと作者の植えた草花が咲き誇っていたことだろう。しかしそれも秋までの話。今は・・・・・すっかり枯野である。
この句の「住み慣れし」には、作者しか知らない作者の人生があり、庭先に佇めば様々な記憶が走馬燈のように巡ってくるのだろう。
庭の草花を知り尽くしている作者が、そこまで来ている春の芽吹きや花に、期待を膨らませているに違いない。
花か蕾かそれとも実か?
住み慣れし小さき庭も枯野かな 稱子
空ッ風絵馬一斉に騒ぎ出す
水虫の薬ころがる炬燵かな 炎火
初売りや産地不明の加工食
コリコリと数の子を食み子を持たず 章子
脳細胞キーンと鳴れる寒さかな
好色な夢に目覚めし二日かな 遊石
「美容院」こたつの上の走り書き
梅まだき坂を見上げて腰伸ばす 静江
この辛さ異国で夢みた冬大根
藍瓶の冬日に醸す匂いかな 正太
埋み火の灰足してゆく初あかり
高層ビルの玄関に松飾り 豊春
ふっくらと幸せそうな初雀
大寒という字の中にある静寂 雲水
初手水娘は少しおとなびて
ホルスタインの隆々たる乳淑気満つ 薪
はや三日牛舎に痒きとこ掻くブラシ
食後薬飲み忘れては三が日 洋子
生前のままの表札冬旱
この葉っぱは、たぶん40センチはありました(ハワイにて)
1週間、と言っても5泊7日ですが、ハワイ(オアフ島)に行ってきました。目的は、テニスとハワイアンと、ブログの写真を撮ることと・・・・いやまあ、単なる観光です。気温は、夜20度、昼25度といった感じでした(私の体感温度計による)
俳句とブログのことは、一切考えませんでした、つまり脳の洗濯だったかも・・・いやいや、少々酒の飲み過ぎだったかも・・・・・そして、時差ボケで、かなり疲れてしまいました。
帰ってみたら、テラスに雪が積もっていて、驚きです。なんというこの気候の違い・・・・・・
ロイヤルハワイアンショッピングセンターにて
ランも大きな壷も立派でした。
(このじゅうねん がんになっても かぜひかず)
食道癌の手術をして早7年、再発の危機はどうやら脱したようです。しかし、手足のしびれなどの後遺症に悩まされ、とても以前のようには戻ってはいないようです。
ですから、あんなに熱心だったテニスも陶芸も止めてしまったが、俳句だけはこうして続けているのは、実に有難いことです。
作者は、未だに酒は飲むし煙草は吸うしで、自業自得とも言えるでしょう。勿論そんなこと、本人は、百も承知のようです。
しかし、そんな辛い生活をしていても、手術後に一度も風邪を引いたことがない、というから驚きです。
(どんどやき いつかやかるる わがみかな)
どんど焼の起源は、鎌倉時代あたりまで遡るようだ。左義長ともいうが、こちらが本家のようである。
私の子供の頃は、小学生だけで年明けごろから近くの河原で準備を始めた。まず、中心に孟宗竹を藁縄を張って立てる。回りを箱根竹など細い竹で囲み、中の空間にリヤカーで集めたのお飾りを詰め、達磨を吊るす。完成すると、隣から壊しに来ることもあるので、泊まり込みで守るのが、子供たちの楽しみでもあった。当日は、朝4時ごろから起きて、中を「燃すぞー、燃すぞー」と触れ回るのである。
焼き物を生業としている私が窯焚きではなく、あの明け方の闇の中に赤々と燃え盛るどんど焼きと火葬とにイメージをだぶらせるのは、不思議でもなんでもない、当然のことである。
(だいかんという じのなかにある しじま)
「じーっと漢字を見つめていると、突然その字が何の字か分からなくなる」というようなことを漱石が言っていた。確かに、私にもたまにそんなことがある。
そんな時は、一旦その字から、できれば書くことから離れるに限る。つまり原因は、脳味噌が少々疲れているからではないかと思う。精神病的要素もあるかもしれない。
又、ある漢字から、体験から得た色や音、雰囲気や気分などが瞬時に感じることもある。それは、人によって色々だろう。
(ゆきをまつ こころのありて かまづめす)
太平洋側の表日本で、最も雪の降るのは1月末から2月にかけてである。低気圧が太平洋沿岸を西から東へ通過する時だ。
豪雪地帯の方々には申し訳ないが、こころのどこかで私達は雪を待っている、心待ちにしている。今週末は、どうやらそんな天気予報である。
雪が降れば、坂道の道路は通行止めになるし、除雪もしなければならないし、大変ではあるのだが・・・・・
ジョウビタキの♀
(まきわれば かんのてっぽうむし しろし)
テッポウムシ(鉄砲虫)は、カミキリムシ(紙切り虫、天牛)の幼虫である。しかし、インターネットで鉄砲虫を検索しても、ほとんど資料がない。つまり、だーれもほとんど知らないらしい。
成虫のカミキリムシは、日本で800種あるそうだから、研究し尽くされているようだが、幼虫の鉄砲虫となると、そのほとんどの生態は知られていないらしい。なにせ、木の中で暮らしているんだから、知りようがないのだろう。
しかし、私は昨日、一日赤松を割っていた。枯れた赤松に暮らす鉄砲虫は、「クロカミキリ」の幼虫に間違いない、と思う。
鉄砲虫を炒って塩を振って食べると実に美味しいのだが、火焚き鳥(窯の鳥、ジョウビタキ)が、私のすぐ上で食事を待っているので、残しておいてあげます。
クロカミキリの幼虫
テッポウムシ(鉄砲虫)
(はつゆきや さんじについて すぐたてり)
北海道の岩見沢では、積雪182センチと40年振りの記録更新とか。新潟など、日本海側の積雪は、平年より多いらしい。
温暖化だからといって、素直に反映されるとは限らないから、自然の予測は難しい。
さて、太平洋側の伊豆でも、今朝起きてみたら、うっすらと雪が積もっていた。平年と比べると、やはり少しばかり寒いように思う。
ラジオで、今日の「誕生日の花」は「蕗の薹」だったが、とてもじゃないが、伊豆でも春はまだ先だ。マンサクの蕾すらまだまだ固い。
(たんそくが しつじつごうけん かんだちめ)
私の子供の頃は、荷物を曳く農耕馬が結構いて、道路に馬糞、牛糞がよく転がっていた。馬糞はコロコロしていたし、牛糞はベチャベチャしていた。
この句の通り、確かに荷を曳く馬は、胴体が大きく、足が太くて短かった。馬の目は優しかったし、おとなしっかった。正に、質実剛健だったのだ。今の北海道のいわゆる「道産子」や青森の「寒立馬」が同じ種類ではないかと思う。その後、テレビで競馬場のサラブレッドを見た時、あの足の細さに驚いたものだ。
ところで私達日本人も、農耕馬的体形からサラブレッド的体形に変化している。身体は五等身から七等身へ、顔立ちは武士的から貴族的に変わりつつある。食事や労働などの生活の変化は、短期間に体形までも簡単に変えてしまうのだから、驚きである。
(やぶいりや うるきなくうる こぶつしょう)
江戸時代の奉公人にとって、1月16日と7月16日の薮入りが、年2回の休日だったそうである。語源は、田舎=藪に帰るという意味らしい。正月とお盆に当たるが、あくまで奉公先の行事が終わってからの帰郷となる。
落語の「薮入り」では、3年振りに帰って来た息子が、奉公先で仕込まれた礼儀正しい挨拶をして、見違えるようになり、両親が感動のあまり涙する。川柳にも
薮入りや何にも言わず泣き笑い
というのがあるという.
さて、ものの売り方にも色々あって、押し売りや呼び込み、訪問販売、競りなど積極的なのがある反面、全然売る気のない売り方もある。どうやら、骨董屋などはその方が売れるらしい。
実際は長年の勘で、ちらっと見ただけで、「この客は、買う気がない、又は買う金がない」と見破られていただけかもしれないのだが・・・・・
岩戸山の麓から伊東方面を望む
二つの瘤は
右が大室山、左が小室山
我が家には、2匹の犬がいて、13才のメス犬「モモ」は、この句の通りで、人間には慣れているが、どんな犬に対しても威嚇して吠えまくる。
片や、2才になるオスの「デン」は、どんな犬にも尻尾を振って興味シンシンで近づいていくが、知らない人には、尻尾を巻いて後ずさりしてしまう。
では、この2匹が毎日どう暮らしているか、と言えば、デンがまとわりつくのを、モモが嫌がって威嚇する、というのが日常茶飯事なのである。そんなときは、やかましいったらありゃあしない。
どうして、こうも性格が正反対なのか、私には皆目見当がつかない。不思議やら、可笑しいやら、である。
東の空が日の出と共に
赤く染まり、それを反映して
木立が染まっています。
実際の色とほぼ同じに撮れました。
(あらそえぬちや ふゆめえと かようなり)
「血は争えない」を直訳すると、「血族同志は、争わない」となるが、昔から親子・兄弟が争うのはざらで、現代でも遺産相続などで骨肉の争いなど良く聞く話だ。
しかし、「子どもが父母から気質・性向を受け継いでいることは否定しようがない」というのが本来の意味だから、日本語は難しい。
さてこの句、父母の、たぶん父親の気質を受け継いでいて、冬芽へと通うという。そんなに、たびたび見に行くのは、尋常ではない。もしかしてお父さんは園芸が仕事だったのかもしれないし、植物学者だったのかもしれないし、単に俳人だったからかもしれない。
いづれにしても、酒乱・短気など悪い方の「争えぬ血」ではなくて良かった。作者は、実に良い気質を受け継いでいるんですね。
(ガラクタに ちかきをおおう あかセーター)
「潤さん、自分のことを「ガラクタ」とまで卑下しなくてもいいんじゃないですか。まだお若いのに」
「あら、お世辞でも嬉しいわ。若いだなんて。でもこの句、私のことではありませんよ」
「えっ、では誰のこと」
「うちの亭主ですよ。うちの亭主は、派手好きでねえ」
「それは、やりすぎでしょう」
「 Issyoさん、あなたが聞くから答えただけで、この句、どこにも亭主だなんて、書いてありませんよ」
「・・・・・・・・・・・・」
この冬、雪が降ったのは数回あるが、
本格的に積もったのは、初めて。
但し、1~3センチ
(ちきのごと かわすあいさつ かんすばる)
「知己」とは、本当の己を知っている人、つまり大親友のこと。ところでこの句は、二つの解釈が成り立つ。
1 ある人と、知己のごとく挨拶を交わしたが、彼とは知己ではない。
2 知己のごとく、私は寒昴と挨拶を交わした。
当然、正解は2に決まっている。枕草紙にもある「星はすばる」多留男先生の少年時代は、昭和一ケタだから、空には満天の星が見えたはずだ。
又、軍医として出征したビルマでも眺められたに違いない。久し振りに「すばる」に出会い、「やあやあ寒昴君、子供の頃を思い出すよ。俺は元気でやっとるよ」そんな会話が聞こえてくる。