私は、ラジオNHK第1の毎週日曜日の朝5時33分からの「季節のいのち」をよく聞きます。日本野鳥の会の安西英明さんの野鳥の解説が絶妙で、とても分かりやすい。
この句の「囀りを耳元で聞く」と言うのは、てっきりこのラジオの「季節のいのち」のことだと思いました。もう一つ、女性が耳元で「ねえ、あなたー」なんて囁くのも想像しました。
作者が、「本当に、野鳥が耳元で囁いているように聞こえたんです」と言うのには、何故かがっかりしましたね。
「季節のいのち」 ←クリックして聞いてみて下さい。
タラの芽
私は、ラジオNHK第1の毎週日曜日の朝5時33分からの「季節のいのち」をよく聞きます。日本野鳥の会の安西英明さんの野鳥の解説が絶妙で、とても分かりやすい。
この句の「囀りを耳元で聞く」と言うのは、てっきりこのラジオの「季節のいのち」のことだと思いました。もう一つ、女性が耳元で「ねえ、あなたー」なんて囁くのも想像しました。
作者が、「本当に、野鳥が耳元で囁いているように聞こえたんです」と言うのには、何故かがっかりしましたね。
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タラの芽
陽炎や聴けば聞こゆる風の音 一煌
雨あがり波間の上に春の虹
津波訓練警報宙返りする初燕 薪
フライパン捨てに出ようか朧の夜
囀りを耳もとで聞く目覚かな 遊石
木蓮のつぼみに誰も眼もくれん
春風と三分あるけばスーパーなの 章子
花冷やもの思ふ日の文机
大空に包まれて山笑いおり 炎火
土中より一斉に春福島や
静けさの戻りし町や花は葉に 稱子
白蓮の散りゆく時のスローモーション
柏餅求め行くこの坂が好き 洋子
誰か来て筍菩薩掘りてほし
ガレージのシャッター潜る初燕 歩智
寄りそうで寄らぬ流れの花筏
初燕会議の窓へ白き腹 豊春
花五ミリ白青確とあさしらげ
蜘蛛の子も隠れる春雷軒を借り 余白
桜とは咲いて散っても無窮かな
あやふやなきのめとこのめ木の芽和 雲水
朧夜に探すおもろい朧の句
3.11以後、日本各地で行われているであろう「津波避難訓練」。その警報が鳴っている、という。その正式名称は「津波避難訓練警報」である。
まあ、誰も誤解はしないだろうが、「避難」が抜けた「津波訓練警報」では、意味が通じない。どうせ、11文字と字余りなんだから、14文字でも大した変りはない。つまり、「津波避難訓練警報/宙返りする/初燕」
しかし、いくらなんでも長すぎるから「宙返りする」を省いたらどうだろう。つまり、「津波避難/訓練警報/初燕」となる。
さて、巣作りの材料や場所がめっきり減って、たぶん困っているであろう燕から見たら、地を這う人間たちの津波避難訓練は、どんな風に見えるのだろうか。
シバザクラ(芝桜)
そこに「ある物」があることに「気付く」。例えば、自分の庭に知らぬ花が咲いていることに気付く。この気付きの「ある物」とは、植物に限らず、芸術や哲学、精神や科学など、有形無形のあらゆる分野に及び世に限りなくあるから、一人の人間が一生に知り得る「ある物」は、数学的に言えばほぼゼロに近い。
つまり、これを一言でいうと、ソクラテスの「無知の知」である。つまり「私は知らない、ということを知っている」
さて、「俳句が350年余も何故延々と続いて来たのか、何故あなたは30数年も俳句を続けてこれたのか」と問われれば、その答えは「気付き」であろう。
「知らないことを知る」例えば、見えなかったものが見えてくる、聞こえなかったものが聞こえてくる、この楽しみが分かると俳句は止められない。
俳句を始めて4か月の作者は、どうやらそのことに気付いたようだ。いやいやそうではなくて、以前から知っていたのだろう。
レンギョウ(連翹)
一昨年立派な花を咲かせた睡蓮。そのままにしておいたら、冬の寒さに耐えられなかったらしく、いくら待ってもとうとう新芽が出てこなかった。睡蓮は、熱帯性だったのだ。
それを教訓に今年は、睡蓮を植えた小鉢だけを室内に入れて冬越しさせた。それを10日ほど前に大鉢に戻したのである。
今日、澄んだ水に入れ替えてみたら、可愛い新芽が出ていた。コウホネ(河骨)は、寒さに強くそのままでも元気だ。
コブシ(辛夷) モクレン科モクレン属の落葉広葉樹の高木
日本に「星を見る日」を作って、毎週土曜日の夕方から朝まで、全国のあらゆる工場、商店、映画館、テレビ局が休業したらいい。全国のあらゆる街灯を消し、住宅の明かりは、全てローソクにしたらいい。勿論、病院など電力を必要とするところは、除いてのことだが。
春夏秋冬、年に4回「星を見る週」も作ったらいい。予習復習のために、昼のプラネタリウムは、きっとおおいに賑わうだろう。
ヤハズエンドウ(矢筈豌豆)マメ科ソラマメ属の越年草。
別名カラスノエンドウ
ツバキ(椿、海柘榴)は、花弁がバラバラに散るのではなく、多くは花弁が基部でつながっていて萼を残して丸ごと落ちる「落椿」。それが首が落ちる様子を連想させるために、入院している人間などのお見舞いに持っていくことはタブーとされている。
そんな不吉なツバキの花は、他家受粉で結実するために変種が生じやすく、古くから品種改良が行われてきた。どういう訳か、近世から茶花として好まれ、寛永年間には烏丸光広によって『椿花図譜』が著され、そこにはなんと619種のツバキが紹介されているという。
茶道で、梅や桜よりも椿を尊んだのは、人の命の短さを思い起させるためだったのかもしれない。
キブシ(木五倍子)キブシ科キブシ属、別名、キフジ(木藤)ともいう。
木の芽と書いて、「きのめ」とも「このめ」とも読める。
木の芽「きのめ」は、山椒の新芽。
木の芽「このめ」は、様々な木の新芽
を指すと言うが、辞書を調べてもはっきりと別れてはいないようである。
つまり、「きのみあえ」「このみあえ」お好きな方をお好みでお使いください。どちらをお使いになっても、味に影響はございませんので。
長い間(十数年間?)、睡蓮鉢に目高を飼っていたが、知らぬ間にオニヤンマが卵を産み、ヤゴに目高を食べられてしまい、この二年は全滅である。
そこで去年から、ホームセンターで一匹50円の赤い金魚を飼うことにした。10匹飼って5匹前後生き残り、百円ショップの餌をあげたところ、驚くほどどんどん大きくなってゆく。そして、なんとか元気にこの冬を越すことができた。最近はお腹の大きいのもいて、追いかけごっこをしているが、どうやら「金魚の恋」のようである。
モミジイチゴ(紅葉苺)
寛永21年(1694年)に没した芭蕉に、遅れること64年後の宝暦8年(1758年)に生まれた良寛。この句は、一人住まいをしていた国上山(くがみやま)の五合庵に、小さな池を作った時の作だそうである。
当時既に全国にその名前が知れ渡っていた有名な芭蕉の有名な代表句「古池や蛙飛び込む水の音」。この句は、芭蕉の深遠なる境涯を表しているそうだが、私の池は作ったばかりで蛙もいないし、まして飛び込む音などするべくもない。
当然知っていた芭蕉の俳句を茶化して作った良寛のこの句。単なるおふざけか、それとも何か特別な意図があったのだろうか。
大和朝廷の成立期、第10代崇神天皇の時代に疫病(疱瘡など)が大流行。特に陰暦3月の落花の時期に疫病の流行が盛んだったため、これを鎮めるために「花鎮め(はなしずめ)の祭」を奈良県桜井市にある大神(おおみわ)神社で行ったと伝えられている。「花鎮め祭』は、現在でも4月18日に各地で行われている。
季節が巡り、桜が散り乱れると、人の心もさ迷い出て、自分の人生さえ終わりにしてしまいたくなる、という。人の心がこのように乱れ、さ迷い出でてしまうのは、荒ぶる、千早振(ちはやぶ)る神のあやしき仕業であり、それから人々を守るため、大神に願い祭ったという。
現在では桜の散る時期に、疫病の流行は無くなったように見えるが、「鳥インフルエンザ」などが、一触即発の大流行を狙っているようで不気味である。
春の季語に「蛙(かわず)の目借時」がある。単に『目借時』とも言う。春たけなわとなりポカポカ陽気になると、うつらうつらと耐えがたいほど眠くなる。これは、蛙に目を借りられてしまうから眠いのだ、ということから「蛙の目借時」という季語が生まれた。
さてこの句、今どき算盤(そろばん)とは、ちょっと古いのではないか、と思う。算盤が電卓に変わり、とうとう電卓がパソコンに変わってしまった。つまり、項目と数字を入れれば、後は全てコンピューターがやってくれるらしい。
便利で良いのかもしれないが、人間が益々お馬鹿さんになっていくのではないか、と心配するのは杞憂だろうか。
キケマン(黄華鬘)ケマンソウ科 キケマン属の越年草。
「風光る」という、分かったような分からない季語がある。そう言うのは、勿論風は光らないからだ。春になって陽光が強くなってくること、そのものとも言えるが、又、風に吹かれる様々なもの、例えば植物などが陽光によって光り輝いていること、とも言える。
だから、この句の「風光る」は、「風光るベンチ」ではなく、「風光る」で一旦切った方がいい。例えば、公園のような周りにある木々の葉が風に揺れながら陽光によって輝いている「風光る」であろう。
しかし、ベンチや建物などは、風に揺れないが、木洩れ日によって揺らめいていれば、やはり範疇に入れるべきであろう。だから、ややこしい季語なのである。
クロモジ(黒文字)
昨夜は、旧暦三月弥生の十五夜、満月だった。月は煌々と照り、とても朧月とは言えなかった。何故かと言えば、冬でも珍しいのに、湿度が10パーセントしかなかったのだ。あちこちに、森林火災が起きてもおかしくないほどの湿度だった。
さて、季語は300余年に亘る先人たちの知恵の結晶ではあるが、疑い出せば結構矛盾はある。しばしば私に生まれた「季語の矛盾」への疑問。例えば「春のブランコ、凧や風船等々」
私は、それら歳時記の多くの季語を肯定的にとらえ、疑いもせず鵜呑みにして俳句を作って来た。だからといって、別にどうこう言うことはないが、ただ単に、昨夜の鮮明なる月を見て、「月」と「歳時記」が、癪に障っただけのことだ。
アオキ(青木)の花
(ひきだしに わかきひいまも さくらがい)
敗戦後の昭和24年、まだまだ暗い世相の中、大本営発表に代わってラジオから流れる「ラジオ歌謡」の「さくら貝の歌」は、多くの女性の心をとらえて大ヒットする。
ところがこの歌は、既に昭和18年に完成していたという。当時、鎌倉に住む作曲家八洲秀章は、病で失った恋人の面影を抱いて、浜辺で見た光景に託して
わが恋の如く悲しさやさくら貝かたひらのみのさみしくありて
の短歌を作った。これを逗子の作詞家土屋花情に示して作詞を依頼、曲をつけたそうである。
「桜貝」から生まれるイメージとして、初恋、恋愛、別れ、悲恋、思い出、などがイメージされるのはこの「さくら貝の歌」が強く原因しているようである。(←クリックしてお聞きください)
タチツボスミレ